どこか納得したかのように微笑むと、ふと思い出したかのように、
の手にしている酒に目が止まる。
彼女は紅茶だけでなく、酒の品質も色で分かってしまうほどの酒飲みだった。
だから、彼の手にしている酒を見ただけで、それがどれほどまでの価値があるものなのか、
見抜いてしまったのだ。
「……さっきから思ったんだけど、あなた、それ、高くない?」
「まあ、少々値は張るだろうな」
平然と言う彼に、呆れたように溜息をつく。
どうやら、“外”での仕事の収入は、が思っている以上にいいらしい。
「……仕方ない。約束した手前だし、あの貧乏神父じゃないんだから、ちゃんと報酬は支払うわ」
「報酬? 何言ってるんだ、」
「あら、情報料は支払わなくてもいいのかしら? 安上がりで助かるわ」
こんなやり取りをするのが、は好きだった。
正確には、「好きになった」という方が正しいであろう。
彼と初めて会ったあの時より、今は幾分気持ち的に余裕が出来ていた。
“力”の面で言ってしまえば、当時のような“力”は、今は出せない。
けど、その分、こうして笑う余裕は生まれた。
そしてこうして、会話を楽しむことが出来るようになった。
「お前は情報屋“ソール”に会いに来たんじゃなくて、俺に会いに来たんだろう? ああ、釣りはいらない」
「それじゃ逆に、奢ってくれるのかしら?」
「生憎、女に払わせるような野暮じゃないんでな」
「知ってる」
本来なら、ここは自分が払うべきだと、は思っていた。
最初の方は“ソール”として相手していたのだから、それなりの報酬を手渡すのが普通だ。
その後の話に関しても、本当なら思い出したくないことを掘り出してしまったのだから、
それなりの責任を取るのが筋だと考えいた。
酒を奢るだけで済むのであれば、安いものだ。
しかし、が払う前に、が店主にしっかりと払ってしまったので、
その必要もなくなってしまった。
としてはありがたいことだが、何だか少しだけ申し訳ない気もする。
「それじゃ、私はそろそろ行くわ。いつまでこっちにいるの?」
「そうだな。しばらくは居るだろうが……用があればあの本屋の爺さんにでも言えばいい。」
「そうさせていただくわ。それに、今度は私の愚痴も聞いてもらいたいし」
「聞いてくれる相手がいるんじゃないか?」
煙管を咥えながら楽しそうに笑うに、は思わず顔を顰める。
そしてふと、ある事を思い出す。
今の彼は、情報屋“ソール”の名前を持つ者。
の身の回りのことなど、もうとっくに知っているのだ。
それでも、問い質したくて、つい聞いてしまう。
「どうしてそう思うのか、理由を聞きたいわね」
「こちらとこれで商売してるものでね」
「そ。……ま、気が向いたら話すわ」
自分の中で、が言う者は恋人でも何でもないのだから、
別にばれてしまっても構わない。
それが、の意見だった。
だからが、その者との関係について、どう考えていようが関係ない。
ただ、「重要な部分」さえ知られなければ、問題ないのだ。
そしてそれが、すぐには解かれない謎だということも、よく知っていた。
「そうしてやるといい。お前はもう少し相手を頼ることを覚えた方がいいぞ」
「がんばって学習してみるわ。それじゃ、。いい夜を」
彼に背を向けたまま手を振り、扉へ向かって歩き出す。
だが、何かを思い出したかのように足を止めると、再びの方に振り返る。
そして視線を、が手にしている煙管に向けられた。
「ああ、そうそう。言い忘れたことがあったわ」
「何だ?」
「煙草、やめた方がいいわよ。それがたとえ、香草でもね。じゃね」
それだけ言うと、は再び扉へ向かい、その奥へと姿を消していった。
その時のの顔がどうだったかを想像すると、思わず微笑んでしまう。
自動二輪車が止まっているカフェへ向かう途中、先ほどの本屋に視線を動かす。
電気はすっかり消えているが、きっと中で、店主はまだ本を読んでいることであろう。
その横には、小さな売店の明かりがまだついている。
店の中には、酒や煙草などがずらりと並んでおり、どれもお手軽な値段で売られている。
はそこから、ウィスキーの小瓶と煙草をつかみ、レジへ持って行った。
外に出て、カフェへ戻ると、自動二輪車に乗り、そのまま走り出す。
夜風が顔に当たり、少しだが涼しく感じる。
スペイン階段の頂上で止めると、は自動二輪車を折り、
それを椅子代わりにして腰かけた。
先ほど購入した煙草の封を開け、1本口に咥えると、
売店の片隅にあった名刺代わりのマッチに火を灯し、慣れた手つきで煙草に火をつけた。
煙草を吸うのは祖国に帰ってからと決めていたのだが、
今日は無償に吸いたくなってしまい、手に取っていしまったのだ。
それもやはり、「友人」の話をしたからであろう。
一筋の白煙が、空へ向かって上がっていく。
それを目で追いかけ、ゆっくりと目を閉じた。
暗闇の中で出てきたのは、帝国で出会った、1人の女性の姿。
のことを「友人」と言って慕い、
そしてまたも、彼女を「友人」と言っては行動を共にしていた。
しかし、もうその「友人」に、会うことが、出来ない。
「……あなたは馬鹿よ、レン」
ゆっくりと開けた瞳に、涙がたまっているように感じるのは、気のせいだろうか。
「他人のために、自分の命を犠牲にしたら、周りが苦しむに、決まってるじゃない」
もし自分がその場にいたら。
とアストと、同じ場にいたら。
そう思うだけで、思わず体が震え立ちそうだった。
の体にある「あれ」が暴走をしてしまえば、誰にも止めることは出来ない。
暴走を止めることが出来るのは、1人しかいないのだから。
その人物がいない場で、自我を喪失しまえば、
確実にとアストも巻き込むことになってしまう。
そうともなれば、レンの負担が大きくなるだけで、助け出すどころの話ではなくなる。
そうだとしたら、この結末は、もうすでに決められていたことなのだろうか。
もとから、誰も彼女を助けることが、出来なかったのだろうか。
『あれほど禁煙しなさいって言っているのに。体に悪いわよ』
もう、その声を、聞くことが出来ないのだろうか。
「……分かってるわよ、レン」
ポツリとつぶやくの瞳にたまっていた涙が、ゆっくりと落ちていく。
そして、そのまま、うつむいてしまう。
「けど、今日だけは……、今日だけは、許して」
今日、この時だけ、昔の思い出に浸りたいから。
「明日からは、もう、振り返らないから」
1人、涙を流すの手にしている煙草の白煙が、ゆっくりと上っていく。
その先にある月が、を優しく、包み込んだのだった。
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