先日から色々と立て込んでしまっていたので、こうして“外”を訪れるのに期間が空いてしまっていた。
時期は既に夏になろうとしていて、いくら自分達の住んでいる場所よりも北緯が高いローマでも、日差しが振り注ぐ夏場は暑い。 待ち合わせをしていたカフェにきっかり10分前に着いたは、奥のテーブル席に座るとアイスコーヒーを頼む。
今の自分は帝国貴族の・ハザヴェルドではなく、裏の世界ではそれなりに名を知られている情報屋“ソール”と言われる男としてこの店にいる。
日除けの眼鏡にカッターシャツに薄手のジャケット、そしてスラックスの姿だけを見れば、どこぞかの企業人にも見えるのだが、ネクタイもせず、腕から除くのはシルバー細工のラフな装いからほんの少しばかり堅苦しさを取り除いて見えた。
周囲の人々はまさかこの男が夜の怪物である吸血鬼だとは思わないだろう。
それほどには日中のカフェの中に馴染んでいたのだ。
客が来るまでの少しの時間、は近くの行きつけの本屋で借りて来た雑誌にパラパラと目を通し始めた。 経済関連の情報誌なのだが、それを流し見るような手付きでページをめくる。
そんな男に、少しばかり低めの女性の声がかけられた。
「お久しぶりですね、“ソール”」
声を主を見上げれば、そこには二人の女性が立っている。
自分に呼びかけた方の女性は、豪奢で鮮やかな金髪を結い上げ、パンツスーツに身を包んだ、どこぞかの秘書のような華やかな美女 ― 本日の客であるカテリーナだ。
そしてその後ろに立つ女性の姿に、は一瞬我が目を疑い驚くが、その感情の起伏を完全に押し殺したまま、ゆっくりと立ち上がるとカテリーナの為に席を引いて口元には笑みを浮かべた。 自分を見た彼女も驚いたようだが、本日のホストは生憎彼女ではなくカテリーナなので、その様子も見てみぬ振りをする。
「久しいな、カテリーナ。……今日は連れの顔が違うな」
はカテリーナが何者なのかを知っている。 けれどもそれは情報を売り買いする間に必要なものではなくて、金か等価の情報さえもらえれば“ソール”と言う情報屋は持ちうる情報を商品として提供するだけだ。
だから彼女の護衛がいつもの人形のような端正な顔の小柄な男でなくとも特に何も問題はないのだが、それでも久しい客との会話の話題として、そしてそれ以上にその場にいた『見知らぬ新顔の連れ』の存在の意外さに、どうしてもその事を口にしてしまっていた。
そんなの考えの前半しか知らないであろう、客であるカテリーナは引かれた椅子に腰掛けつつも、さっそく情報屋と商談を行う際の冷静な女性の仮面をつけて彼を見上げた。
「ええ。何か不都合でもありますか?」
「いや、久々の再会だ。最初の話題にはもってこいだろう?」
もう一人の連れの為に椅子だけを引くと、も同じく“ソール”の仮面をつける。
これから小一時間ほど商談と言う名の頭脳戦が始まるのだ。 客との商談を楽しんで商売をしているは、椅子に座ると目の前の聡明な女性と向き合って、さも楽しそうに口元に弧を描いた。
「……と、いうことだ」
一通りの商談を終えた頃には、最初に注文していたアイスコーヒーは既に氷のみとなってしまっていた。 店内の時計は丁度長針が一回りした所で、話しの内容的にもちょうどキリが良く、別れの頃合には十分とも言えよう。
基本的に話すのはカテリーナとだけで、カテリーナの連れとして来た女性は一言も言葉を発しなかった。 いや、『連れ』として来たのだから、その対応は正解なのだが。
「ありがとうございます、ソール。これは、今回の報酬です」
カテリーナから差し出された封筒を受け取り、封をされていない中身を少しだけ取り出して確認する。 そこには今回提供した情報に相応しい数値が書かれた小切手。
その封筒を懐に直すと、は満足そうに笑う。
「確かに」
「それでは、今日はこれで」
立ち上がったカテリーナを、そして彼女に続いて立ち上がった茶色の髪に黒メッシュの女性を見て、は一つ口を開く。
「ああ。しばらく俺もこの街(ローマ)に滞在する。 用があるなら、そこの角の本屋の店員に、『夜に青の太陽という本はどこにある?』と聞いてくれ。その店員が待ち合わせを指定してくれる」
彼の言葉に、カテリーナは少し不思議そうにを見下ろした。
普段“ソール”と連絡を取る時、カテリーナは専用の回線を使い、フィクサーと呼ばれる仲介者を通して彼と連絡を取る。 だと言うのに、目の前の男がそれ以外の彼への接触方法を提示してきたのだ。 カテリーナが驚くのは無理も無い。
けれどはそれを理解しながらも、ごく普通に彼女を送り出す笑顔を向ける。
そう、これはカテリーナに対しての言葉ではない。 この言葉を向けたのは、彼女の後ろにいる彼女の連れ ― ・キースに向けられた言葉だった。
カテリーナはきっととが面識がある事を知らないだろう。 だから不思議そうな顔で座ったままの彼を見下ろしているに違いない。
けれどそれを説明してやる義理も無く、そしてそれを教えてやる程の情報料を貰っていないから、まだ“ソール”のままであるは笑みを貼り付けただけでそれ以上口を開こうとはしなかった。
彼がこれ以上口を開くつもりがない事を察したカテリーナは、少しばかり疑問を抱きつつも、もしかしたらいつも通りの方法では接触が図れなかったときの為の方法なのではないかと自身を納得させる。 そしてそれ以上問う事もせずに店から出て行こうとした。
「分かりました。行きましょう、」
「はい」
声をかけられたが、紅茶を飲み干してから立ち上がる。 その視線は何か言いたげだったが、彼女もまた何も言わずに席を立ち去った。
二人が席を立ったのを見送ったは、読みかけだった雑誌を手に、席を立った。 カフェを出ると、そこには青い空が広がる眩しい日差しが注いでいる。
眩しい日差しに目を細めて、は楽しそうに笑うと、音もなくその店を後にした。 夜に入れていた予定を早めて、会えるであろう旧友との再会に備えるために。
|