空になったグラスの直ぐ隣のカウンターを、はわざとらしくトントンと叩く。
『これ以上の情報が欲しいのであれば、その等価を払え』と言うことだ。

これがの直接関係のあった、そして“ソール”ではないが知っている相手の事であればこのような回りくどい事はしなかっただろう。

けれどカテリーナの情報は“”ではなく、“ソール”独自の情報であるが故、何も見返りがない相手に差し出す事は出来ない。
それが、“外”の情報屋としての地位を確立したの公私の切り替えだった。


 そんな彼の意図が分かったのかどうかは分からないが、呆れたようにが口を開いた。



「……ご希望の品は?」



 暗なる了承の言葉に、はふっと口元に楽しげに笑みを刻む。
気を利かせて少しは慣れた場所で他の客と話していたマスターに、は自分のグラスを揺らして見せた。



「マスター、同じものを。 ……、お前は何時からカテリーナの護衛に?」

「いろいろと訳ありで……、と、いうだけじゃダメね、あなたの場合」

「事情があるのは、まあ、お互い様だ。 質問の仕方を変えるか。
 ……ヴェニスの稼動堰襲撃事件は知っているか?」



 苦笑するの様子に、も自身も軽く肩を竦めて見せた。

いつもであればその辺も詳しく聞きたいところなのだが、今の話題は生憎それを深く追求せずとも話すことが出来る。
話しの腰を折るのも気が引けたため、深い詮索は避けることにしたのだ。

ただ、言葉の後半部分だけは少しだけ声を潜め、空のグラスで口元を隠すことは忘れないが。


 ヴェネチアの稼動堰襲撃事件はまだ記憶には新しい。

あれからまだ数ヶ月しか経っていないのだが、その詳細を詳しく知る者は限られている。
だが、目の前にいる相手が自分に負けず劣らず情報には耳聡い事を知っているから、わざわざ回りくどい言い方をしたのだ。

そんなの思惑に違わず、はゆっくりを首を縦に振った。



「当然。私を誰だと思って?」

「じゃあ、その“稼動堰を襲撃した”犯人は?」



 マスターが新しく持ってきたグラスを受け取りながら、そのまま言葉を続ける。
に視線を向けなかったのは、ただたんにマスターと言う第三者の存在があったのもあるのだが、なんとなく目を合わせて話す内容ではないと感じたからだった。

そんな彼の態度を訝しく思ったのか、視界の中に今は入っていないからは言葉が紡がれる気配はない。

なのでそのまま言葉を続けることにする。



「……そいつが俺とカテリーナの最初の商談のきっかけになった。
 正確には、“ソール”の噂を聞きつけたカテリーナが、俺に接触を図ってきたのが最初だが。」



 ちょうどその頃には“ソール”と言う名の情報屋は、の努力の甲斐あってか、裏の世界ではだいぶ有名な情報屋となっていた。

そしてその噂を聞きつけたカテリーナが、“騎士団”の情報を少しでも得る為に、当時“外”に居た自分と接触を図ってきたわけだった。



「なるほど、ね……。……で、あなたはあいつらの情報を、一体どれぐらい持っているわけ?」



 カランとの持っていたグラスの氷が鳴る。
その様子を見ていたは自嘲気味にふと息だけで嗤いながら、彼女のグラスから視線を外した。



「どうだろうな。……だが、俺が“商品”としてあまり扱いたくない、と言えば分かってくれると思うが」



 伊達に自分だって情報屋と呼ばれる職をしているわけではない。
“ソール”と呼ばれる情報屋が、裏の世界で名を馳せる理由 ― それは、単に商品の値段の高さだ。

情報の信憑性、希少価値、入手経路、その他の需要などを考慮した値段を情報屋は自分達独自の感覚で“情報(商品)”に値段をつける。
情報の値段は、つまりはその情報の希少性、そして信憑性が高い、物で言えばブランド品とも言える物にこそ高い値段がつけられる。

そしてその値が高いものばかりを扱うが“商品”として扱いたくないのだ。
それだけでその情報が彼の情報に値段をつける価値観の中で、大した価値をつけたくない事を意味しているのが分かる。


普段から高級品を扱う相手の『商品にならないもの』がどれくらいの程度であるかは曖昧だが、それでもその詳細を言わない相手の言いたい事を悟ったは、少しばかり残念そうにため息をついた。



「十分すぎるぐらいよ。……私も半分は、それが理由で彼女の護衛をやっているようなものだし」

「そうか。まあ、どっちもどっちってところだな」



 彼女の反応に、彼女自身もあまり情報を得られていないだろう事は、にも分かった。
これで自分の情報が商品に足るものであれば提供をしてやってもいいのだが、それに足りないものを相手に教えてやれるほど、もプロ意識が欠けているわけでもない。

これ以上“ソール”として話していてもお互い実のある話は出来ないだろうと思い、は苦笑交じりにグラスを空けると、マスターに次の酒を頼んだ。



「で、別に“ソール”に会いに来たわけじゃないんだろう? 



 空になったグラスをカウンターに置き、“ソール”ではない笑みを口元に刻めば、その笑顔を見たも少しばかり肩の力を抜いたようにも見える。



「やっぱり、あなたには隠せないようね」

「どうだかな」



 ふと笑うに、もつられた様に笑って、マスターに同じ物をオーダーする。



「そういうところが相変わらずなのよ、あなたは   ― 向こうの人達は元気?」



 『誰が』と言う主語はないのだが、それが誰を意味しているのかは分かっていた。

は随分前に帝国に居た経歴を持つ。

当時のは彼女とそんなに親しい間柄ではなく、顔を合わせる事もきっと数えられるくらいしかなかったのだろうが、それでもは彼女の事をよく知っていた。
いや、よく彼女の話を聞かされていたと言うのが正しいのだろう。



「比較的元気にしてるヤツらが多いぞ」

「そう。ならよかった」



 に倣った様にグラスを傾けるは、そのまま少し黙り込んでしまう。



「……アストは、大丈夫なの?」



 再び口を開いたは、ほんの少しばかり言い辛そうにも見えた。
急な話題に、彼女の二の句を待っていたは、少し首を傾げて不思議そうな顔をする。



「直接会ってないのか?」



 ヴェネチアの稼動堰襲撃事件のきっかけとなった帝国亡命者を追っていたのは、アスタローシェ ―  の言うの幼馴染だった。
そして、その亡命者を追うために、皇帝が準備した“外”での協力者が、の居る国務聖省に所属している派遣執行官 “クルースニク”。

と“クルースニク”と呼ばれる派遣執行官の青年が、懇意なのはも前準備の情報として手に入れている。
だとすればあの件に目の前の彼女が関わっていない、もしくは関わっていなくとも、その後にでも嘗ての知人であるアスタローシェと会っていないのは意外だった。

けれどの言葉に、は少しだけ寂しそうに首を横に振った。



「会ったわ。けど彼女、私にはあまり話してくれなかったから」



 がアスタローシェに聞きたかった事。

 アスタローシェがにあまり話したくなかった事。

それが何を指しているのか、には嫌と言うほどに分かっていた。
そしてそのどちらの気持ちも分かるからこそ、苦笑混じりにグラスを傾けつつ、本来であればがアスタローシェから最初に聞くはずだった返事を返した。



「そうか。 ……俺でよかったら話してやるよ。
 ― 安心しろ、“ソール”じゃないから金は取らないさ」



 ふと最後の方は笑み混じりになってしまっていた。

別に彼女に気を使ったわけではないはずだ。
だと言うのに、こうして笑みが零れるのは  まだ自分もあの出来事を引きずっているのかと思うと、心の中で苦笑するしかない。

 そんな彼の心境を分かっているのか、も少しばかりわざとらしく笑った。



「それはありがたいわね」



 その笑みを見て、も穏やかに笑うとグラスを傾けて空にすると、新しいものをマスターに頼む。

こんな話、いくら滅多に酔わない自分であっても酔わずには語れない。
それほどに、まだ自分の中には深い傷と、鮮明な記憶として焼き付けられているのだ。



「それでアストの事もチャラにしてやってくれ。 で、何から聞きたい?」



 まるで子供に昔語りでも始めるように、は穏やかな笑みを浮かべてを見た。

本当はあの事を思い出して、心境が穏やかにいられるほど自分はまだあの事件を吹っ切れていない。
こんな過去を語るように、まだあの温もりを忘れたわけではない。

けれど、自分がきっとの立場だったらと思うと、相手を無碍に扱ってやることも出来ない。
何故なら ―



「分かったわ。……レンは……、レンはどうして殺されたの?」



 は レンの の恋人の大事な友人の一人だったのだから。
















(ブラウザバック推奨)