聞き辛そうに、でもそれでもそれを知りたがっているの様子に、はカウンターの奥にあるウィスキーのボトルが並んだ棚を真っ直ぐに見たまま、口を開いた。



「……レンを殺した犯人は知ってるか?」



 口が重く感じるのは、きっとこの先も、この話をする時だけだろう。
まるで自分の声が自分の声ではないような感覚に襲われながらも、は言葉を言い切る。

その彼の問いに、真剣な表情でそれを聞いているは静かに首を縦に振った。



「ええ」

「当時エンドレ・クーザを追っていたのは、俺だ。 ……生憎、隙を着かれて逃げられた」



 自分の問いに是の言葉を返してくれたに、は心の中で感謝する。

相手がレンを殺した相手 ― 当時のザグレブ伯 エンドレ・クーザを知らなければ、話はそこからしなくてはならない。
あの相手にはいい思い出など微塵もない。
だから極力、彼を語るような事はしたくなかったのだ。

本来であれば思い出したくもない相手を思い出して、は微かにグラスを握る手に力を込めた。



「追い込まれたエンドレは、俺への見せしめにアストを人質に取って …………
 そして、アイツを人質に取られて動けなかったレンを……殺したんだ」



 あの時の事を思い出しただけで、怒りに噛み締めた奥歯が鳴る。
それほどにあの時の光景は怒りを呼び起こし、そして己の無力さを刻み付ける。

そして今はもうレンが自分の近くに居ない事を痛感させて、惨めさすら感じる。



「そう……」



 彼の怒りを感じたのか、もそれ以上その時の事に関してはあまり深くは追求してこない。
けれど何かを思いついたのか、お互い黙ってしまって静かになってしまった空気を破る。



「最後は……、レンは最後、笑顔だった?」



 の意外な問いに、は表情には出さないが戸惑った。
その様子を隠しきる様にグラスを一口傾けて、一瞬で乾いた喉を潤す。



「……どう、だろうな。 生憎、その時の事はきちんと覚えていないんだ。 すまない」



 レンが絶命させられた時、確かにその場には居た。

命を刈り取られた彼女の体をその手に抱いたというのに、は彼女のその時の表情をはっきりと覚えていない。
いや、正確にはきちんと見れなかったのだ。

自分を恨んでいたかもしれない、その表情と向き合うことが、あの一瞬出来なかったのだ。

確かに自分はレンに大事に想い、接していた。
けれど、相手は本当に自分を想ってくれていたのか、正直な所、自信は無い。
優しい彼女の事だから、大事な幼馴染としては見てはくれていたに違いないだろうが。

自信がないから、あの一瞬、自分は目を逸らしてしまったのだ。


 けれど目の前のは、とレンが恋人だった表面的なことしか知らないはず。
だからこうしてレンの事を言い辛そうにに尋ねるのだ。

そんなが珍しく、少し俯き加減にポツリと言葉を零した。



「……覚悟を、決めていたのかもしれないわね、彼女」

「覚悟?」



 彼女の不思議な言葉に、つい言葉を反芻してしまう。



「あんな事故みたいな事だったんだぞ? 覚悟も何も……」



 確かにあの事件は、事件でありながら 事故だった。

エンドレを追っていたにとっては予測の出来る範囲内で起きた事件であり、彼の幼馴染だからと言って人質に取られたアスタローシェや、それによって命を落としたレンにはきっと予測なんて出来なかった、事故に限りなく近い事件に違いない。

そんな、レンやアスタローシェにとってみれば偶然が積み重なって起こった出来事のはずだと言うのに、何故そんな予測が出来ない事態に覚悟なんてものが出来るのだろうか。

けれど「覚悟」と口にしたは、首を一つ縦に振るだけ。



「そうかもしれない。けど、友のためなら、命を落としても構わない。……最初に会った時から、彼女はそうだったのよ」

「……」



 黙ってグラスを傾けたは、ある事故を思い出していた。


 確かその時、自分は“外”に出ていた時だったと思う。

何らかの事故で、レンが負傷した事があったのだ。
詳細はレンが話そうとしなかったから詳しく聞きだす事は出来なかったし、当時のはそんなにまだ情報網が固まっていたわけでもなく、詳細な情報を得ることは叶わなかったのだ。

けれど一つだけあの事故の事で知っていることはあった。
レンが負傷したのは、を庇ったかららしいと言う事。

それに関してを責めるつもりはないし、そんな気も当時から少したりともない。
ただその事で改めて実感したのは、どれだけレンが友人であるを大事にしていたか、だ。



「彼女は昔からそうだった。あなたほどよく知らないけど、私の中にいるレンは、そういう人だったのよ」



 そこまで語ると、喉を潤すように酒を口に含んだを見て、はさらに押し黙ってしまう。

彼の覚えているレンと言う女性は、の言うとおり、友を大事にする人だった。
だから最期まで、彼女はアスタローシェを頼むと自分に託したのだ。

それを思い出していたは、彼自身も知らずに言葉を紡いでいた。





「何?」



 不思議そうに自分を見る視線を受けながらも、それでも言葉は自然と零れる。



「   すまなかった」

「何が?」



 きょとんとしたに、も腹を括ったように話し始める。



「俺の所為で、レンが死んだからだ」



 何度後悔しただろう

 何度苦しんだだろう

どれだけ後悔しても、苦しんでも、悲しんでも、自分の中に刻まれた罪は和らぐことはない。
いや、それを和らぐことも、忘れることも、逃げることも、許されることも ― 全てを今の自分は禁じている。

人生を一度だけやり直せるというのであれば、自分は彼女と出会わない人生をやり直すべきだと思うくらいに、自分は彼女を護れなかった事を悔やんでいる。


元々表情や様子に感情が表れにくいなのだが、今の彼の感情は嫌でも読めてしまったのだろう、が呆れたようにため息をつく。



「だから謝るの? あなたらしくないわね」

「俺だから謝るんだ。 ……俺は、お前やアストみたいに、レンの『友人』じゃなかったからな」



 『恋人』 と 『友人』の違いは何だろう。
レンと出会って、最初はそればかりを考えていた気がする。



「けど、あなたにとってもレンは、かけがえのない人だったんじゃないの?」



 けれど、それも今であれば答えられる気がした。



「言っただろ、お前。 『レンは友を大事にする人』だって」



 そう、レンは『友人』を大事にする人なのだ。


だからレンは『友人』を護る人ならば、彼女の『友人』ではない『恋人』はその彼女に護られる者ではなく、護るべき者なのだと。
なのに自分はその責務を果たせなかった。


確かに最初は彼女を護る義務が欲しくて、彼女の『恋人』になった。
感情よりも、義務感が先行していた事は否定しない。

けれどそれは時間が経つにつれて違ってきたのだ。
恋人と言う関係に心が引っ張られたのか、最初から気が着かない中から彼女を想っていたのか、今ではもう分からないのだが、確かに自分はレンを大事に想っていた。

でも 逆は分からない



「確かにそう言ったわ。けど、私以上に彼女は、あなたのことを大事にしてた。そうじゃなかったら……、 ……自ら命を断とうと決断するわけがない」



 に咎められるように見られても、には何一つ響かなかった。
響くのは、彼女が見ていた、自分では見れなかった『友人』視点からのレン・ヤノーシュと言う女性の姿。



「よく考えて、
もし彼女が死にたくなかったら、その場から逃げる手段を考えるはずよ。なのに逃げなかったのには、それ相当の理由がある。そう思ったことはない?」



 の言い分は分かる。
彼女がレンの気持ちを想って、自分を自分で責めるなと言ってくれていることも分かる。



「思ってるさ。けれど……俺にはその理由は判らない。 判るのは、レンにその判断をさせるきっかけを作ったのは、エンドレでもアストでも誰でもない。……俺が彼女をその結末に追いやった」



 けれど



「俺だけが、その結末を回避できたんだ」



 これだけはどんな事に揺るがない事実。

あの結末を最初から予測できていたのは、自分だけ。
だと言うのに、あの時の自分はその予防策も何も講じなかった ― 己の力を過信していたのだ。

静かに言葉を終えたに、はため息混じりに、けれどその様子は頑固な子供を言い聞かせるような口調だ。



「……そうやって、自分を追い詰めるのはやめなさい、



 その言葉には返事を返さない。いや、返せなかった。

意固地にもなっているように見える彼を姿を見て、はもう一度ため息をつく。
その表情は、まるで彼の隣に居たかつての人の姿を見ているように、少し悲しげだった。



「あなたがそんな状況になったら、レンが、悲しむわ」

「かもな。 でも、それでも俺は俺自身が赦せない。誰が……それがレンが俺を赦そうとも、だ」



 それだけは 世界が自分を許そうとも、変えられない。

レンが傍にいた時は、彼女が悲しまないように、出来る限りの事はした。
それほどに彼女の悲しむ姿を、自分は見たくなかったのだけれど、 今はその彼女が傍にいない。

だから彼女が悲しむと分かっていても、これだけは譲れなかった。

自分が自分を許さない間だけは、自分はまだレンを想うことを許されるのだから。
















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