言葉を切ったの様子に彼の決意を読み取ったのか、は吐息を漏らすように静かに話し始める。
「……私はレンが選んだ結末だったら、それでいいと思ってる」
彼女の言葉に、は視線を自分のグラスに落とす。
「それが、彼女自身が望まないきっかけだったとしてもか?」
「望んでいなかったかどうかなんて、私達には分からないことでしょうに」
それはそうだろう。 彼女の心は彼女のものであって、恋人とは言え自分も、そして友人とは言えも所詮は『レン・ヤノーシュ』ではない『他人』に過ぎない。
彼女があのきっかけを望んでいないと客観的に見ればそう思うのだが、もしかしたら『今現在』の彼女にあの当時のことを聞いたら、違う答えが返ってくる可能性だってあるのだ。
けれどそれを分かっていながらも、それを認めてしまえば自分の気持ちを否定するように感じて、はその言葉に沈黙だけで答える。
「きっかけは望んでいなかったかもしれない。けど、最終的にどうするのか、決めるのは彼女自身であって、アストでも私でも、勿論あなたでもない。結末は、彼女自身で決めるものよ。違う?」
まるで自分に言い聞かせるような言葉が、まるで子供に言い聞かせているようで、は少しばかり困ったように苦笑してしまう。
「……相変らず、お前も頑固だな」
「そりゃ、頑固者で有名ですからね」
わざとらしく笑い、空になったグラスを手にマスターに新しいものを頼むの姿。 彼女の姿を見て呆れつつも、自分が帝国で彼女に会った時はここまで彼女も明るかったわけではないのだが、それでもに手を焼いて、でも事ある度に彼女の事を自分に話し聞かせていたレンの姿を思い出す。
楽しそうにの事を話すレンを見て、少しばかり面白くないと感じたこともあった。 そんなレンは、いつも彼女の頑固さに手を焼いていたことを思い出す。
その穏やかなレンとの時を思い出して、は目を伏せて、まるで目の前にレンでも居るかのように穏やかに笑った。
「そうだったな。 レンも、その度に呆れてたか」
彼にしては珍しく、穏やかに微笑むを見て、も少しばかり満足そうに笑う。
「そういうこと。そして、自分の意見を貫いていく ― それが私よ」
確かにそれはらしいのだが、それに手を焼き、その愚痴とも惚気とも取れるものをレンから聞かされていたには苦笑が漏れる。
レンでさえ手を焼いて、終いには根負けしたものだ。 負け戦をしない性質の自分が敵うわけなど端から期待していないので、早々に肩を竦めて敗北宣言をしておく。
「仕方ない。 その変らないのお前らしさに、今回は譲ってやるよ」
相手のグラスに自分のグラスを軽くぶつけ、の勝利を賞賛する。 自分でも女々しいと思うほどに、自分はレンの事を引きずっていることは認める。 けれどこれでもだいぶ吹っ切れた方だと自負していたのだが、ここまでに言われてしまっては、少しばかりその自信も翳ってしまう。
その為か、自然と困ったような笑顔が零れた。 その笑顔を見て、もつられた様にグラスを軽く掲げると、笑ってみせる。
「それはありがとうございます。……けど。レンは本当に、あなたのことを愛してたわよ。こっちが羨ましくなるぐらいに、ね。だから、それだけは忘れないで」
彼女の言葉に一瞬は驚いたような顔をする。 けれど直ぐに呆れたような表情に変えた。
「……相変らずクサい台詞をこれまた上機嫌でよく言えるな」
「それも私だからよ。知らなかった?」
わざとらしく笑うを見て、は酒を傾けて呆れたように苦笑する。
数えられるほどしか会ったことの無い彼女のその性分を思い出す。 実際に見た中に、彼女の今のような明るさはなかったが、自分の記憶とレンから聞いた言葉を思い出す。
「生憎、嫌と言うほど覚えてるさ」
『知っている』とは答えなかった。 自分の知っているは、彼の目の前に居る彼女の半分くらいしかないであろう。 だから、レンに与えられた知識からも総合して、敢えて『覚えている』と言ったのだ。
多少呆れたような答えに、けれどは満足そうな表情を称える。
「なら結構。……さっきから思ったんだけど、あなた、それ、高くない?」
視線で指された自分の持っているグラスに、も視線を移す。
確かにそこに注がれている酒はこの店でもランクはだいぶ上のものなのだが、情報屋としてかなりの収入を得ている自分には大して高くと感じていたものだった。
けれど相手は聖職者。 聖職録があまり高くないことを思い出して、ああ、と声を漏らして、相対的な値段を計算する。
「まあ、少々値は張るだろうな」
「……仕方ない。約束した手前だし、あの貧乏神父じゃないんだから、ちゃんと報酬は支払うわ」
呆れてため息をつきつつも財布を取り出そうとするを見て、はわざと不思議そうな顔をしてみせた。
「報酬? 何言ってるんだ、」
「あら、情報料は支払わなくてもいいのかしら? 安上がりで助かるわ」
肩をすくめる相手を見ながら、自分も『いつも通り』の笑顔を浮かべる。 そして手にしていたグラスの中身を全て空にした。
「お前は情報屋“ソール”に会いに来たんじゃなくて、俺に会いに来たんだろう?」
そう言いながら、寄って来たマスターに自分と彼女の飲んだ量に少々上乗せした金額を握らせる。
元々はチップと口止め料を含んだ金なのだが、“ソール”ではないと自分では言いつつもこうして金を握らせる辺り、職業病かもしれないと、少しばかり心の中で呆れてしまう。
「ああ、釣りはいらない」
「それじゃ逆に、奢ってくれるのかしら?」
「生憎、女に払わせるような野暮じゃないんでな」
愛用の煙管を懐から取り出して、口に咥えて笑う。 こちらとしても帝国貴族としての些細なのだが誇りがある。
女性優遇主義の父親の躾の賜物なのかは判らないが、も女子供には意識せずとも気を使うし、こちらとしても礼節を損なうような横着な性格はしていないと自負している。
「知ってるわ。 それじゃ、私はそろそろ行くわ」
言葉と共にが立ち上がるが、何かを思い出したらしく、そのまま歩き出すようなことはしない。
「いつまでこっちにいるの?」
「そうだな。しばらくは居るだろうが……用があればあの本屋の爺さんにでも言えばいい。」
本屋の爺さんが倒れない限りはあの本屋は年中無休だ、と肩を竦めれば、彼女もその笑えない冗談に苦笑を返す。
「そうさせていただくわ。それに、今度は私の愚痴も聞いてもらいたいし」
「聞いてくれる相手がいるんじゃないか?」
火の入っていない煙管を咥えて、つい楽しそうに笑う。
自分ばかりが酔いの勢いで、らしくもないおしゃべりをしてしまったのだ。 これくらいの反撃は甘んじて受けてもらわねば。
そんな彼の反撃に、は訝しそうに眉間に皺を寄せている。
「どうしてそう思うのか、理由を聞きたいわね」
「こちらとこれで商売してるものでね」
胡乱気な彼女の視線を受けながらも、は意味深に笑うと煙管に火を入れる。
一つの事を調べる時、その付属情報も仕入れておくのは情報屋としては普通のことだ。 だから彼女に親しい間柄の相手がいる事も知っていたし、お互いの距離感が微妙だということも実は知っていたのだが、情報屋として必要としていない相手に、そこまで大安売りをしてやる義務は無い。
それ以上、その件に関して口を開くつもりが無い、裏の世界では有名な情報屋を少しばかり恨めしげに見つつも、もそれ以上問うても無駄だと疑問を口にはしなかった。
「そ。……ま、気が向いたら話すわ」
「そうしてやるといい。お前はもう少し相手を頼ることを覚えた方がいいぞ」
「がんばって学習してみるわ。それじゃ、。いい夜を」
そう言って去ろうとする足がピタリと止まる。
「ああ、そうそう。言い忘れたことがあったわ」
「何だ?」
既に火の入り、周囲に香草の匂いが広がり始めた中、女性特有の細い指はその煙管を指差した。
「煙草、やめた方がいいわよ。それがたとえ、薬草でもね。じゃね」
振り返る事無く扉から外へと消えた背中を見ながらも、は呆れたように軽く煙を吐いた。
彼が嗜むのは煙草 ― ニコチンではなく、香草。 長生種の中でも“獣人”と呼ばれるは、狼の獣の形態を取り、その五感もその獣の五感同様に発達している。
なので、彼がわざわざ吸血鬼がニコチンなど効かない事を判りつつも煙を呑むのは、単に短生種や、他の長生種よりも発達した嗅覚の刺激を和らげるためだった。
とは言え、草を焚いたものを肺に送りこむ行為が体にいいとは言いにくい。
「……まったく、よく覚えてるよな」
やれやれとため息をつく。
そして彼女の言った言葉を、昔、同じように言った人物を思い出して、目を伏せると目蓋の裏に映る彼女に向かって、穏やかに一つ微笑んだ。
「― なあ、レン」
昔はも自分と同じ喫煙者だったはずなのだが、今日の彼女からはニコチンは愚か、煙草の臭いは一切しなかった。 ずっと以前にレンに喫煙を控えろと言われた事が原因だとは思い難いが、彼女が止めたと言うのに、自分はまだこうして煙管を愛用している。
その事に少しばかり良心が痛んで、は煙管を灰皿に打って香草を捨てると、そのまま空になった煙管を片手に店を後にした。
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