「ヴォルファー、中庭のいつもの席に、お茶の準備をして。紅茶は、ウィッタードのレモンティー。それと、フィナンシェもね」
『了解した、わが主よ』
中庭へ向かいながら、は後ろを歩くに聞こえない声で、
リストバンド式腕時計からプログラム「ヴォルファイ」に指示を送る。
少しでもの不安を取り除けたらという、なりの配慮だった。
中庭に到着すると、指定の席にはすでに紅茶と2セットのティーカップ、
お茶請け代わりのフィナンシェが用意されていた。
いつも座っている席の向い側にを座らせると、
ティーカップにウィッタードのレモンティーを注ぎいれる。
席について、自分用の紅茶を口に運ぶ。
爽やかな香りが、重い頭をすっきりさせてくれるようだ。
ティーカップを置くのと同時に、正面に座っているが、の前で深く頭を下げる。
どこか苦しそうに見えるのは、気のせいだろうか。
「申し訳ありません、シスター・。……でも、詳しくお話を聞かせてください。……よろしくお願いします」
真実を知りたい。
からそんな声が聞こえたような気がした。
だからも、正直に全てを話そうと思い、ゆっくりと口を開いた。
「先日、ルティウム近郊にいるある司祭を、麻薬密乳容疑で取り押さえるように、スフォルツァ猊下に命じられたの。しかし、私が彼を発見した時には、すでに殺されていたの」
「……殺されて……」
「そう」
麻薬密乳容疑で取り押さえられた司祭は、すでに教皇庁へ出頭することを決めていた。
全てを話し、それによって背負っているものが解放されるのであれば、
例えどんな辛い刑罰が下されようと構わないと言ってきたのだ。
「司祭の胸元は何者かによって抉られた跡があって、彼の右手が赤く染まっていた。……結論を言えば、何者かによって催眠術――おそらく、後催眠だと思うけど――をかけられ、教皇庁の手が回る前に殺害されたと思われるわ」
死因を聞かされたの表情が、驚きに変わっていく。
まるで、この事実を受け入れたくないかのようだ。
「催眠術……それを、、が……」
「恐らく」
何らかの暗示をかけられていたのではないか、というのは、司祭の死因からみて一目瞭然だった。
「その後、物音が聞こえて、慌てて背後を振り返った。一瞬、周りには何もないように見えたけど、しばらくして、1羽の黒蝶が姿を現して、まるで私をどこかへ案内するかのように飛び始めた。それにつられるように進むと、その先に……、……その先に、彼女がいたのよ」
・。
元Axの一員で、とケイトと共に、カテリーナの秘書を務めた女性。
にとって、誰よりも何よりも信頼していた人物。
その人物が敵として、の前へ姿を現したのだ。
「それで……彼女と会話など、しました? あ、いえ、内容を言いたくないのであれば、深くお聞きはしませんが……」
「深い話は特に。私にとって、彼女は『裏切り者』にすぎないし、その裏切り者に対していう言葉なんてないもの」
「裏切り者」だと言う言葉に、が辛そうに微かに表情を歪めたが、隠すように、普段通りを装っている。
そのことに、は気づいていたのかもしれないが、それでも自分の意見を変えようとは思っていなかった。
信頼していた。
だから、幸せになって欲しかった。
あの満月の夜、それを強く願った。
『あなたには、幸せになる資格がある。いいえ、幸せになって欲しいのよ』
『……どうして?』
『あなたは私の……、大事な『同僚』だから』
だからこそ、なおさら、こんな結果を望んでなどいなかった。
「ただ……、彼女、1つだけ、私に言ったわ」
心にあるものを無理やり抑え込み、思い出すかのように再び口を開く。
「……何と、言ったんですか?」
もまた、自分の感情を抑え込んだまま、の答えを待つ。
「妹を……」
「私を?」
「妹を……、……のことを、よろしく、と……」
瓦礫と化す中、赤い瞳を輝かせ、目の前にいる人物を睨みつける。
握りしめている短機関銃に、自然と力が入る。
砂嵐の中で見える表情がどうだったかなど、には分からなかった。
その時の彼女には、信頼していたことに対して、裏切られたという気持ちの方が先行していた。
『ごめんなさい、シスター・』
崩れる音の方が大きくて、はっきりと聞き取ることが出来ない。
『けど、私がこうしなければ、あの子は……、は……』
「私の、事を……っ……」
予想外のところで自分の名前が出てきて、が一瞬、驚いた表情を見せる。
手と唇、そして肩が微かに震えていて、申し訳ないように顔を伏せてしまう。
だが、涙は零れていないようだ。
「意味が分からなくて、何度も呼びとめた。けど、その前に、彼女はその場から姿を消してしまった。だから理由までは、聞き出せなかった」
どうしてAxを離れなくてはならなかったのか。
どうして妹のために、そこまで命を張れるのか。
その事実を、理由だけでも知りたかった。
「……ごめんなさい。シスター・、本当に、ごめんなさい……」
予想外の謝罪の言葉に、は一瞬驚く。
だがすぐに表情を戻し、相手に問いかける。
「……どうしてあなたが謝るの、・?」
「彼女が……が、を、教皇庁を、去ったのは、……私の、所為なんです」
が去った理由が自分にあると言う。
それと同時に、はある1つの事実を思い出していた。
それは以前から、プログラム「スクラクト」によって送られたデータに載っていたものだった。
「あなたがウェスペル……、アズラエル・だから?」
アズラエル・。
ロス・が作り上げた教皇庁最怖の敵とも言える存在。
異端審問局に指名手配されている“魔女の長”は、まさにのことだった。
「なんで、それを……いえ、貴女も派遣執行官なのですから、カテリーナ様がおっしゃっていても不思議ではないですね……」
が口にした名前に、ははじかれたかのように彼女を見上げるが、
すぐに落ち着きを取り戻してか、再び視線を落とした。
「でも、それはきっと、要因の一つにしか過ぎないと思います。」
「要因の1つ?」
「はい」
理由がまだ存在する。
の発言に、は思わず顔を顰める。
「“魔術師”が言っていたんです……『約束だ』と」
「……イザーク・フェルナルド・フォン・ケンプファーか……」
イザーク・フェルナルド・フォン・ケンプファー。
その名前が出てきたのと同時に、の脳裏に、ある光景が蘇る。
バルセロナの、“沈黙の声”によって引き起こされた、あの悲劇を。
「はい。 と最後に会った時、彼とも会いました。けれど、あの人は私を連れて行けるのに、連れて行かなか
った。……と、そう『約束』したからだと言って……」
「そう……」
「と“魔術師”の『約束』と言うものが、正確にどんなものだったかと言うのは、私も知りません。けれど、その『約束』を守るためには去ったんです」
の言葉に、は黙り、考え始める。
――アズラエル・がどういう目的で生まれたのかということは分かった。
彼女はロス・が、騎士団のために作った存在だった。
だから騎士団が、必要以上に彼女に執着することも理解出来る。
しかし、それと今回のの件に関しての接点は、何一つない。
全ては“魔術師”と交わしたという「約束」に隠されているとしか考えられない。
「……こんな事を言っても、信じてもらえるか分かりませんが、― は、Axの事を、本当はとても大事にしていました。それこそ、私が羨ましいと思うほどに……。なのに、は“魔術師”との『約束』の為にその大事なものを守るために、その大事な者を手放してまでここを去ったんです」
はAxを大事にしていたことは、もよく知っていた。
一緒にお茶をしながら、楽しく会話していた時の彼女は、心の底から楽しんでいるように見え、
そして何より、彼女との会話は、絶交の意見交換の場でもあった。
それはが博識で、が「神のプログラム」により、多くの情報を入手していたからだった。
「……本来であれば、私が……“魔女の長”である私が、ここを去らなければ、いけなかったのに……!」
強く手を握りしめるを、は変わらない表情で見つめている。
そしてレモンティーを口に運ぶと、ある1人の人物について語り始めた。
|