最初は我が耳を疑った。

 けれどその真偽を自分の中で整理をつける前に、はいつの間にか国務聖省長官執務室の扉を潜っていた。



「カテリーナ様、今、って!」

さん!?」



 アベルの脇を急いで潜って長官執務室に入ろうとしたので、アベルが慌ててがぶつからないように道を開けてくれた。
けれどそんな心遣いに感謝する暇も無く、はそのままカテリーナが座る執務卓の前まで距離を詰めた。



に……、に何か、あったのですか!?」



 普段から冷静だとは確かに言えないが、ここまで取り乱すは先日の事件以来で、詰め寄られたカテリーナはただ驚愕したような顔で彼女を見返す。


その視線を受けて、一瞬頭の片隅の冷静な部分が自分の行動を嗜めるのだが、それも大した意味を成さなかった。

驚いた様子のカテリーナが、なかなか口を開かないので微かにもどかしささえ感じる。
でも、それだけ彼女達の口から聞こえた名前 ― の事は、あまりにも大事なことだったのだ。

そんな彼女に冷水をかけるように、カテリーナとは別の静かな声が部屋に響いた。



「……彼女が、・カーライルの妹、ですか、猊下?」



 急に隣から降ってきた声に、は反射的に声の主を見上げた。

 カテリーナの執務卓の前に、自分の隣に見慣れぬ女性が立っている。
茶色く長い中に、黒色のメッシュの珍しい色の髪を一つに結い上げている清閑な感じの女性。

静かな瞳で見下ろされて、一瞬は怯みそうになったのだが、それ以上に今はカテリーナ達の会話にあがった人物の名前の方が気にかかって、カテリーナの方へと再び向き直った。
けれど、その口からが期待した言葉は出ずに、カテリーナは目の前に居る人物に視線を向ける。



「ええ。……そう言えば、対面するのは初めてでしたね。、こちらはAx派遣執行官“フローリスト”、シスター・です」

「初めまして、シスター・よ」



 カテリーナの言葉に、自分の望んだ答えが得られないことに焦りを覚えるが、紹介されたのであればこちらも礼を尽くさねばならない。

紹介された女性に再び体ごと向き直ったは、差し出された手と、その彼女の顔を一度ずつ見つめた。

綺麗な人だと印象を与える彼女なのだが、なぜだか冷たく感じられる。
その温度を欠いた姿に、差し出されたてももしかしたら温度が無いのではないかと錯覚してしまう。

目の前の女性の見目と雰囲気の違いに一瞬途惑ったのだが、一つ息を飲むとも自身の手を差し出して手を重ねた。



です。……よろしくお願いします、シスター・



 真っ直ぐに相手を見上げるが、何となく目の前のと言う人物は静かな印象を受ける。
いや、どちらかと言うとわざと静かな雰囲気を纏っているかのような気さえするのだが、焦りを感じていたは、それを気に留めながらも己の焦りを目の前の人物に対して口にしてしまう。

を見上げる表情は、まるで親と逸れた子供のような心細さと、その焦りのようなものが微かにうかがえた。



「それで、が、どうしたんですか? どこかで会ったんですか?」

「あなたには関係のないことよ。話す必要なんてないわ」



 冷静すぎる言葉に、一度言葉を飲み込む。

確かに彼女の言うとおり、他の派遣執行官の任務に関して口出しする事はしてはいけないことだ。
けれど、それでも今のにはほんの少しでもの情報が欲しかったのだ。



は私の姉です。ですから、知る権利があります」



 こんな言い方、本来であればするべきではないことくらい分かっている。
しかし、こうでも言わない限り、目の前の人物は口を開いてくれそうには見えなかったのだ。

もっと自信を持って言葉を口にすればよかったのかもしれないが、その言葉を口にした時のの表情は、自身が口にしている事の理不尽さを苦く噛み締めたような、辛さを堪えた表情になってしまっていた。

その為、彼女の言葉は、言葉そのままの威力を持たずに相手に投げかけられ、その効果は敢え無く効力を失ってしまう。



「だったら私ではなく、直接猊下に聞いたらどう? 私が話すことはないわ」



 彼女の言葉に、は完全に沈黙してしまう。
相手の態度は拒絶を示していて、それが何を原因にそこまでの言葉を突きつけられているか分からなかったからだ。

いや、おおよそ彼女が何に対して怒っているのかは、だいたいの予想がついている。
けれども、それは自分が一つの原因で起こってしまった事象だから、に彼女を責める事なんて出来ない。


 相手の言葉や態度に逆上して物を言うことなんて、子供にだって出来る。
怒りを体や表情や、ましてや態度で表現することなんて、ほんの少しだけ自分の事だけを考えれば容易いことだ。

けれど、そうできるほども子供でもなく、主であるカテリーナの前で相手に辛辣な言葉をかけられる様な気性もしていない。

ましてや、は目の前の人がどんな人なのかも、そして彼女に自分達がどんな傷を負わせてしまったのかも分からないから。


 辛そうに表情を歪め、けれども何も言えずに俯いてしまったを見かねたのか、彼女の事を知っているらしいアベルが焦ったように口を挟む。



さん! 何も、そんな冷たい言い方しなくても……」

「私はあまり、彼女のことを考えたくないだけ。考えるだけ、時間の無駄よ」



 あまりにも静かに告げられた言葉に、は身を斬られる様な気がした。

初対面の相手にそこまで言われる事に怒りを覚える前に、が起こした、が引き金となった事の重大さを、改めて痛感した気がしたからだ。

言いようのない怒りが、悲しみが、惨めさが、苦しさが、胸元で握られていた爪が掌を傷つける。


自分が責められるだけであれば、こんなにも辛い思いをすることなんてなかったはずだ。

発された言葉は 完全なる拒否

その言葉があまりにも冷たくて、苦しくて、涙が零れそうになってそれを我慢するために俯くしかなかった。


けれど彼女にそんな拒否の言葉を紡がせるような行動に出たを、あそこまで追い立てたのは、自分。
なのに、目の前の彼女はその怒りを自分ではなく、にぶつけている。
言葉を発した人は、その発した音でも尚、完全にを拒絶したのだ。

その理不尽さに、その妥当さに、返す言葉を持たない自分の無力さに、心は締め付けられる。


 そんな二人の間をオロオロと見ていたアベルとは異なり、冷静に見下ろしていたカテリーナが、諦めたようにため息をついた。



「……分かりました。
 私が説明しろと言うのであれば、私がします。しかし、今回の件に関しては、シスター・、あなたが直接、シスター・に話した方がいいでしょう」

「猊下!」



 の責めるような声と同時に、もカテリーナの言葉が信じられなくて、顔を上げて彼女の顔を驚いた表情のまま見返す。

けれど、そんな二人の視線を受けながらも、カテリーナはただ冷静な第三者として、そして彼女達の上司として言葉を続ける。



「あなたが彼女のことで、どんなに苦しんでいるのか、どんなに辛いのか、よく知っています。」



 カテリーナの言葉に、は彼女の言葉を信じられないまま呆然との顔を見上げる。

今日 初めて見た綺麗な人
でも冷たいと感じたのは、彼女もまた傷ついていたからなのか

きっとこの人は綺麗な笑顔で笑うのだろうな、と思った瞬間、その笑顔を凍らせてしまったのは自分達なのだと思って、は今にも涙が零れそうに目頭が熱くなった。

彼女が怒るのは 当然の事なのだと。


 けれどそんなを見上げるに、カテリーナの言葉が続けざまに聞こえてくる。



「しかしあなたよりも、肉親であるはもっと苦しんでいるのです。それなら、直接対面したあなたが、直接伝えるのが筋というものではありませんか?」



 を見上げていたの視線がカテリーナへと移る。
今にも泣きそうな顔をしていたを見て、カテリーナが一瞬だけ困ったように苦笑した。

それはまるで、自分の友人の頑固さを呆れるような笑顔にも見える。



「………………………承知いたしました。件のことは、私が彼女に報告します。
 ……それでよろしいですか?」

「ええ、結構よ」



 長いため息と共に吐き出された言葉を、カテリーナは満足そうに受け取る様子を、が少々呆れたように見つめているのを、に謝罪をすることも、カテリーナに感謝を述べることも忘れて見つめていた。

それほどに、この二人の関係が上司、部下と言うものでは括れない関係な気がしたからだ。



「それでは、場所を変えましょう。ここでは、人が多すぎるわ」



 の声に我を取り戻したは、慌ててに返事をし、セッティングをしてくれたカテリーナへと頭を下げた。



「あ、はい。……猊下、失礼いたします。」



 の言葉に、カテリーナは笑顔だけで応える。
その対応が、きっと先を歩くの事も気遣っていることが分かって、は執務室に入って初めて肩の力を抜いてカテリーナに微笑んだ。


 そして振り返ってについて行こうとしたのだが、彼女達を見守っていたアベルがに何かを話しかけているのが見えた。

不安そうなアベルと、彼の前だけではほんの少し肩の力を抜いているようなを見て、はやはりあの人の肩に力を入れさせていたのは自分達なのだと、心を痛めた。
















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