あれから二人は中庭の一角に席を設けて話をすることに決めた。
中庭に備え付けられているテーブルには真新しいテーブルクロスが引かれ、その上には白磁のティーカップに鮮やかな紅茶が張られている。
それらはが知らない間にが準備したもので、どうやって茶器一式を瞬時に持ってきたのか分からなかったのだが、それを今問うべきではないだろうと口にすることは憚られた。
ティーカップからは仄かな紅茶の匂いが、中庭の緑に映える。
お茶請けもきちんと準備されている辺りからも、目の前のが紅茶好きで紅茶にこだわっている辺りが伺い知れた。
紅茶を一口いただいてから、話しに入るべきかと迷ったが、そうすることで話が先送りになってしまうのも困るので、は敢えてティーカップに手をつける事無く、本題に入ることにする。
「申し訳ありません、シスター・……でも、詳しくお話を聞かせてください。……よろしくお願いします」
深く頭を下げれば、一呼吸入れても早速本題を語り始めてくれた。
「先日、ルティウム近郊にいるある司祭を、麻薬密乳容疑で取り押さえるように、スフォルツァ猊下に命じられたの。しかし、私が彼を発見した時には、すでに殺されていたの」
「……殺されて……」
彼女の言葉に違和感を感じる。
いや、彼女が嘘をついていないことは分かっているのだが、違和感は拭えない。
かといって、自分が口を挟んで話しの腰を折ってはいけない気がして、それ以上は言葉を発そうとはしなかった。
「そう。司祭の胸元は何者かによって抉られた跡があって、彼の右手が赤く染まっていた。
……結論を言えば、何者かによって催眠術 ― おそらく、後催眠だと思うけど ― をかけられ、教皇庁の手が回る前に殺害されたと思われるわ」
違和感の理由が、分かった気がする。
司祭が『殺された』のだ。
あの、戦線に立つことが滅多にない、そして自分が人の命を奪うことを厭っている事を知っている 者によって
「催眠術……それを、、が……」
信じられなかった。
いや、信じたくなかった。
元々は派遣執行官ではなく、『准』と言う補欠要因に近い位置の職員で、基本的にはケイト共にカテリーナの補佐をしている事が主だった仕事だった。
彼女が戦えないわけではない。
けれど、彼女は好んで戦いに身を投じるような人ではなかった。
だと言うのに、が派遣された任務の対象である司祭は ― 殺されていたのだ。
がやったと言う証拠は、今の段階でが言った言葉の中には一つしかない。
― 催眠術 ―
香や言葉を媒体にし、唯一が行使することが出来た術法。
けれどそれがどれだけ強力なものかを、自身、身をもって知っている。
ヴァーツラフが亡くなったあの数日後、完全に制御し切れないほどに膨れ上がっていた“力”を、完全に封印しきっていたのは、紛れもなくの催眠術だったからだ。
けれど、それが全てを語っていた。
「恐らく。その後、物音が聞こえて、慌てて背後を振り返った。一瞬、周りには何もないように見えたけど、しばらくして、1羽の黒蝶が姿を現して、まるで私をどこかへ案内するかのように飛び始めた。それにつられるように進むと、その先に……
……その先に、彼女がいたのよ」
の言葉に、は直ぐには何も言えなかった。
何と声をかければいいのか、分からなかったのだ。
分からないから、安易な言葉は口に出来ない。
励ませばいいのか、謝ればいいのか、そんな事を迷ったのだが、彼女を苦しませる原因になった自分がそんな言葉を吐いたところで、そんなものは言葉通りの意味すら持たないのではないか。
彼女は、の名前すら口にしないほど、彼女を ― 自分を厭っているというのに。
「それで……彼女と会話など、しました? あ、いえ、内容を言いたくないのであれば、深くお聞きはしませんが……」
慌てて言葉を付け加える。
にかける言葉が見つからなくて、先を促す言葉を苦し紛れに言ったのだが、まるで詰問するような言葉になってしまったことに、自身が自分の焦り様に呆れざるを得ない。
けれど、彼女の言葉を特に気にした様子はなく、はまるで本当に報告をしているように、淡々とそのまま言葉を続ける。
「深い話は特に。私にとって、彼女は『裏切り者』にすぎないし、その裏切り者に対していう言葉なんてないもの」
『裏切り者』 ― その言葉が重くのしかかる。
覚悟はしていたはずなのに、それでもこうしていざ言葉にして言われると、こんなにも痛い。
痛くて、苦しいのに、それでもその辛さを表情に出してはいけない。
それだけの事を ― と自分は彼女にしたのだから。
だから視線を逸らしたくなるのを我慢して、真っ直ぐにの瞳を見つめる。
表情が誤魔かしきれているかなんて分からないが、彼女の視線から逃げてはいけないと感じたからだ。
「ただ……、彼女、1つだけ、私に言ったわ」
「……何と、言ったんですか?」
彼女の言葉を聞くのが怖かったが、本当は聞きたくて仕方なかった。
別れた時の彼女は、自分には何も真実を告げてくれなかったから、きっと、と何かしら縁があったになら、何か彼女の本音を伝えていたのではないかと思ったからだ。
わずかばかりに俯き加減だったの瞳が、ふとの瞳を真っ直ぐに射抜いた。
「妹を……」
「私を?」
予想だにしなかった言葉に、はついの言葉を反復してしまう。
の様子を気にしていないのか、それとも彼女を見ながらも、同じ色の瞳のあの女性を見ているのか、は静かに言葉を続けた。
「妹を……、……のことを、よろしく、と……」
その瞬間、全ての音が消えた気がした。
その言葉が脳に達し、言葉の意味を理解した瞬間、は微かに手が震える。
「私の、事を……っ……」
絶望と希望を一気に見せられた気がした。
の顔を見ていられなくて、は申し訳無さそうに顔を伏せてしまう。
手が、肩が、唇が震える。
やはり、彼女をそこまで追い詰めていたのは自分だった。
それがに託されたの言葉から嫌でも分かる。
自分が弱いから、自分がまだ子供だから、 自分が“魔女”だと言うのに、“騎士団”に抗う力も持たないから ―
泣きたくても涙は出ない。
自分が情けなくて、呆れて、苦しくて、ただただ惨めで、涙すら出ない。
「意味が分からなくて、何度も呼びとめた。けど、その前に、彼女はその場から姿を消してしまった。だから理由までは、聞き出せなかった」
の言葉に、は泣きそうに顔を歪める。
もう、彼女には何と言っていいのか、本当に分からなくなってしまった。
「……ごめんなさい。 シスター・、本当に、ごめんなさい……」
震える声でどうにかそれだけを紡ぐ。
本当であれば、こんな謝罪の言葉では足りないくらいなのに。
冬を迎える準備をしていた暗く重たい空が、まるで自身の心のように見えた。
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