『おはよう、。よく眠れたかしら?』




 起き上がれば、いつもと同じ声が聞こえる。
 それに答えるように、幼い少女が目をこすりながら、ダイニングテーブルに腰をおろす。




「『父さん』は?」

『例のデータ整理をしているわ。もうじき、出来上がるみたいだから』

「そう……」



 目の前に差し出されたコーヒーに、いつものように角砂糖を2つ落とし、スプーンでかき混ぜる。
 「親」の仕事が気になるのか、
 それとも本当はしたくないことを無理にさせてしまっていることを後悔しているのか、
 光を失ったかのような少女の前に、次々と朝食が並べられていき、準備をした女性が彼女の横に腰をかける。




『そんな暗い顔をしないで、。ただ私達は、あなたの指示通りに動いているだけなんだから』

「でも……」

『あなたが望んでいることじゃなくても、私達はあなたの指示だったら喜んで聞くわ。もちろん、反論したい時が
来たら、その時も力になるし』

「……本当?」

『ええ。ほら、もうそんな顔しては駄目よ。私達は、あなたの笑顔が一番好きなのだから』

「……ありがとう」






 笑顔を見せた先にいる女性が、少女に返すように笑顔を送ると、目の前に並べられている朝食を頬張り始めた。
 途中、一気に食べ過ぎてむせてしまい、慌ててコーヒーを飲む姿を、横に座る女性は微笑ましく眺めていた。






 ずっと、この光景が続くと思っていた。

 誰もがそう、願っていた。




 しかし、それは叶うことなく、簡単に崩れていってしまった……。

















 どれぐらい眠っていただろうか。
 は目をこすりながら、2階に設置されている休憩室のベッドから起き上がった。
 時計式リストバンドを見れば、午前9:00。
 そろそろ、ユーバー・ベルリンに到着する時間だった。



 ミラノからユーバー・ベルリンまでの飛行時間は、ヴィエナに向かう距離よりも長い。
 どうして合流場所をそこにしたのかは分からないが、
 長距離飛行テストをしていなかったからちょうどいいと自分に納得させ、
 飛行時間すべてを睡眠時間に費やしたのだった。




「ん〜、久々にちゃんと寝た〜」




 ベッドから起き上がり、大きく伸びをする。
 よく考えてみれば、ここ数日、眠ったとしても、
 ソファに横になるかテーブルに前かがみになって転寝ぐらいしかしていなかった。



 小さく欠伸をして、ベッドの横に置いてあるロザリオを掴み、首にしっかりかける。
 その横に置かれているケープを羽織り、ベッドの下に縫いであったブーツに手をかけると、
 ふとの脳裏に、先ほどまで見た夢のことを思い出した。



 もう、かなり昔の話になる。確か、まだ彼女が表へ一歩も出たことがなかった頃の話だ。
 まさかその時のことが夢に出るとは思ってもいず、は不思議に思いながらも、
 すべてが同じ理由によって起こっているものだと強く確信していた。
 同じ現象が、昔に1度だけ、起こったことがあるからだ。




(確かあの時は、逆だったわよね……)




 昔のことを思い出すことをやめていたはずなのに、自然と頭を横切っていく映像に、
 は思わず頭を横に振り、脳裏から取っ払おうとする。
 しかし、同じようなことが起こったとなると、そう簡単に振り切れるはずもなく、勝手に頭へ流れ込んでいった。




(また、しばらくの間、格闘の日々になりそうね……)




 は少し頭を抱えながらも、そんなことばかり考えている暇などないかのように、
 ブーツの金具をしっかりととめ、その場に立ち上がり、軽くつま先を床に叩きつけた。
 そしてもう
1度伸びをしたあと、休憩室の扉を開けた。



 長い廊下を抜け、階段を下りていく。
 ラウンジへ足を運ぶと、いつの間にかローテーブルに、
 彼女の好きなレタスとハム、スクランブルエッグのベーグルサンドとサラダ、
 お湯が入ったポットとリーフティが入っているティーポットが用意されており、
 一瞬驚いたようにその光景を見つめていた。




(……そうだった。フィーネさんが用意してくれたんだった……)




 ミラノを出発する前、朝食を取らずに出て行こうとしたを、
 スフォルツァ城のメイド長であるフィーネが、わざわざ空港まで来て準備してくれたのだ。
 最初は断ろうとしたが、半強制的に押し付けられたため、
 断り切れずに置いてってもらうことにしたのだった。



 そう言えば、少しお腹が空いてきているような気がする。
 最後に食事をして、もうかれこれ9時間以上は経過しているから当然だ。
 ここでしっかり食べておかなくては、今後の任務に支障が起こってしまう。
 それこそ、かなりの勢いで致命傷になりかねない。




「主よ、あなたのお恵み、心から感謝いたします。――エィメン」




 ソファに座り、十字に切ってから祈りをささげると、ティーポットにお湯を注ぎ、
 近くに置いてある砂時計を上下ひっくり返した。
 それが全て下に落ちると、ティーカップにゆっくりと注ぎ入れ、口に運び込む。喉に通れば、
 ほっとしたか、思わず口から安堵のため息が漏れる。
 今日は、ウィッタードのオリジナル・ブレンドだ。
 きっと、アベルからお裾分けで貰ったものを使用したのだろう。
 自分がプレゼントしたものが、こういった経由で戻ってくると、何とも不思議な感じがしてしまう。



 ベーグルサンドを一口食べれば、中に広がる味わいに思わず口が綻んでしまう。
 の好みをしっかり把握しているフィーネだからこそ出来る心使いに、思わず胸を打たれる。
 これは、今度ミラノに戻った時に、それ相当のお礼をしなくてはならない。
 はそう思いながら、目の前に並べられている朝食を一気に平らげてしまった。



 お皿がすべて空になると、はティーカップをソーサーごと持ったまま、
 ラウンジの前方、窓ガラスで一面覆われているところまで移動した。
 そこにある小さなハイテーブルの上に置かれている
電脳情報機(クロスケイグス)の電源を入れると、
 右手だけでキーボードを叩き、上空からのレーダーモニターを映し出した。
 どうやら、あともう10キロほどで目的地に到着するようだった。




『わが主よ、聞こえていますか?』




 画面の傍らに、突然1つの光が映し出されると、はその映像を拡大させ、すぐ呼びかけに応答する。




「聞こえるわ、セフィー。アベルとユーグ、どこについたの?」

『予想通り、2人とも同じ位置に到着しました。つまり、レジスタンスの本拠地と、“サイレント・ノイズ”が
仕掛けられている場所は一緒だった、ということになります』

「なるほど。で、それはどこなの?」

『ヴィエナ東郊プラーター公園です』

「プラーター公園って……、……確かあそこ、遊園地じゃない!」




 とんでもない場所が本拠地になっていることに、は思わず驚きの声を上げてしまった。
 しかもそこに、あの低調波兵器が置かれているとなると、
 そこを訪れている一般人に被害が及ばないことは断言出来ない。
 厄介な場所に設置されていることに、の額に嫌な汗があふれ出てきそうになった。




「で、2人とも、すぐに動けそうなの?」

『“クルースニク02”は、イザーク・フェルナルド・フォン・ケンプファーをうまく交わせば、目的の兵器までた
どり着くことは可能ですが、“ソードダンサー”は敵に囚われている身。そう簡単に抜け出すことが出来る可能性は
少ないかと思われます』

「私の考えは逆だけど、ま、2人が同じ場所にいるのであれば、少し安心かもしれないわね。セフィー、あなたはそ
のまま2人を追いかけて。何かあったら、すぐに報告するのよ」

『了解しました、わが主よ』




 プログラム「セフィリア」の光が消え、再び画面にレーダーモニターが映し出されると、
 は落ち着かせるために、ティーカップに残っていた紅茶を一気に飲み干し、電脳情報機の横に置いた。



 ユーグは脱出する術を知っているから、自身はあまり心配していない。
 しかし、“
薔薇十字騎士団(ローゼンクロイツ・オルデン)”の幹部である男と一緒にいるアベルの方が、彼女にとっては今一番の悩みだった。 出来ることなら、ここからすぐに移動して、プラーター公園へ向かいたいぐらいだ。






(とにかく、早くレオンと合流して、ヴィエナへ向かわなくては……)




 目の前に広がる景色を、は少し焦るように見つめていたのだった。

















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