「やはり、あなたでしたか、……シスター・




 が完全に姿を現した時には、先ほどの穴も光の線もすでになくなっていた。
 そしてアースカラーの瞳を、彼女から見て右側にいるアベルへと向けた。
 彼もまた、少し信じられない様子で、だが安心したかのように彼女を見つめていた。




「上昇するのは早すぎよ、アベル。もう少しだけ待って」

さん……、本当に、さんなんですね!?」

「こんなところで嘘ついてどうするの? それとも、頬でもつねってみる? ――今、したら、すごく痛そうだ
けど」




 爪の長い手を見て、少しだけ呆れたように言うに、アベルは本当に彼女が戻ってきたことを確信した。
 何も変わらない、いつも通りのである。




「あなたの力には、毎回驚かされるばかりです、シスター・

「それは、お褒めの言葉と受け止めていいのかしら、イザーク・フェルナルド・フォン・ケンプファー?」

「もちろんですよ。……おや、以前はピヤスなどつけておいででしたか?」

「あら、驚きね。あなたがそういうところに目がつくだなんて」

「こう見えても、観察力は鋭い方でしてね。お美しい女性ならなおさらです」

「褒め倒しても、何も出てこないわよ」




 の表情はどこか余裕があり、目の前にいる男との会話を楽しんでいるかのようにも見える。
 彼女には「焦る」という言葉がないのだろうか。
 ケンプファーはそう思いながらも、巻き込まれる前に退散しようと準備をし始めた。




「このまま会話を楽しみたいところですが……、いかんにせん、時間がございません」

「そうね。こっちとしても、早く自爆しちゃいたいし」




 そう言いながら、は懐にしまっていた銃を取り出し、変換装置を一番手前まで引っ張り出した。
 そしてすぐに銃口をケンプファーに向けると、何の躊躇いもなく引き金を引いた。
 が、そこから銃弾はなかなか発射されず、静かな空気が広がるだけだった。




「弾切れ、ですか? あなたらしくありま……」




 言葉を続けようとしたが、銃口が何かを吸収するかのように光り出したのと見た瞬間、
 ケンプファーは続きを言うのを止めた。
 そして相手が笑みを溢したのと同時に、彼女が何をしていたのかをすぐに把握した。




「まさかこれは……、アルテミス!」






 アルテミス――銃圧を溜め込んだことにより、
 普通の銃弾の何十倍もの威力を発揮する
遺失技術(ロスト・テクノロジー)の1つだ。
 たくさん銃圧を溜め込めば、戦車1台でも簡単に破壊することが出来る上、
 一発の銃弾で無数の目標物を倒せてしまう効果もあることから、
 使いこなすのが最も困難だと言われていた拳銃として有名だった。
 その銃が今、の手にしっかりと握られているのだった。






 “アスモデウスの盾”のお陰で、何とかこれを避けることに成功したケンプファーだったが、
 その衝撃の強さは、亀裂している床や壁を見れば一目同然だった。
 それなりの覚悟を決めていたとは言えど、ここまで強いとは思ってもいなかったようだ。




「あなたのような方が、このような物騒なものを使いこなせるとは……。以前に増して、興味が湧いてきました
よ、シスター・




 まるで、の力に感動するかのような表情を見せている間に、
 彼の影がゆっくりと動き出し、との間に大きく広がる。
 そこから出て来たのは、スライム状にうごめく塊だ。




「……これが例の“
火精(サラマンテル)”ね」




 特に驚いた様子も見せず、は影から現れた物体を眺める。
 そしてそれが彼女の方へ向かって飛んでいっても、微動たりせず立ち尽くしていた。




さん、逃げて!」




 彼女が「以前」と違うことは分かっていても、アベルはその場でじっとすることなど出来なかった。
 彼はすぐに体勢を立て直し、しゃがんだ格好のまま、のところまで向かおうとした。
 しかしそれと同時に、何かに命令するかのようなの声が耳に入ってきて、彼はすぐに動きを止めた。




「ステイジア、“サフィストファー”を」

『了解』




 のものではない、別の声が聞こえたのと、“火精”が彼女を目掛けて飛び掛ろうとしたのはほぼ同時だった。
 それを表すかのように、“火精”が何かにへばりついたかのように、の数センチ前で動かなくなり、
 それどころか、火傷でも負ったかのように、マグマのごとく燃え始めたのだった。




「そう言えば、あなたもシールドが出せるんでしたね。――それによって、相手を抹消することが出来るのは知りませんでしたが」

「栄養補給してきたからね。前とは違うのよ」




 白い灰の塊と化した“火精”と共に、の前に張られた「壁」が細かく分散されると、
 地面にぱらぱらと落ち、ゆっくりと姿を消していく。
 その時、ケンプファーの口元が小さく動いているのを破片と破片の隙間から目撃し、
 誰かに向かって声をかけた。




「術の想定は出来そう?」

『たぶんだけどね。分かっていることと言えば、このままじゃ死ぬのは目に見えているというところかしら』

「ようやく本気になった、ということね。全く、エンジンかかるの、遅すぎだわ」




 会話をしている相手の姿が見えないのに、声だけがどこからともなく聞こえてくる。
 他のものが見れば、不思議な光景かもしれないが、は特に気にすることもなく、
 髪を止めていた黒のリボンをゆっくり外した。



 目を閉じれば、白いオーラがの姿を包み込み、地面に少しだけ亀裂が走る。
 そして再び目を開けた時には、アベルと同じように血のような赤い目が光り出していた。






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 右掌から大剣を取り出した時、目の前にはクラゲのような生き物が飛び交っていて、
 触手が風を切って床に叩き付けるかのように攻撃を仕掛けようとしていた。
 それを避けるかのように宙に舞い上がると、
 “赤い目”をしたは本体と思われる部分に向けて大剣を振り翳した。
 そして地面に着地するなり、すぐに身を後退させ、
 もう1匹いると思われる生き物――“
風精(ジルフィーデ)”の本体に目掛けて、剣圧を飛ばすように大剣を横へ振り払った。



 剣圧は一直線に“風精”へ向かって飛んでいき、爆音が鳴り響く。
 壁にも衝撃が及んだのか、砂煙のように目の前が真っ白になり、ちゃんと消滅したかどうかが確認出来ない。
 その上、すぐに晴れるだろと思って待機していても、一向に視界が開こうとしない。



 おかしい。
 普通だったら、すぐに治まるなのに、一向に治まる気配がないどころか、
 逆にどんどん酷くなってきているのだから、不思議だと思わない方がおかしいのだが。




「――どうやら、無事に完成したようですね」




 背後から聞こえる声に、は横に振り向くと、
 新しい細葉巻を取り出して火を点したケンプファーが満足そうに彼女の姿を見つめていた。




「……それはどういう意味だ、イザーク・フェルナルド・フォン・ケンプファー?」

「そのままの意味ですよ、シスター・。今日のあなたは、本当に運がいい」

「何?」

さん、後ろ……!」




 アベルが叫んだ時には、すでにの腹部には直径20センチはあると思われる大きな矢が体を突き抜けていた。
 あまりの痛みで声すら発することも出来ず、彼女はその場に蹲るだけだった。




「以前、ローマにて神父様の前で披露した“ベリアルの矢”に特殊効果を与えて、巨大化させたものです。出来れ
ばあまり使いたくなかったのですが、アルテミスを見せられた矢先、いても立ってもいられなくなりましてね」

「――がっ、はあっ!!」




 胃が破れたせいか、口から赤い液体と共に胃液が毀れ、床が赤く染まっていく。
 さらに腹部からの出血もあってか、地面が徐々に水溜りにでもなってもおかしくない勢いで溜まっていく。




さん!」




 アベルが急いで彼女の方へ向かおうとしたが、それを妨げるかのように、再び「矢」が発射される。
 1本目は辛うじて避けた。しかし、あともう少しでの側に到達すという時になって、
 今まで1本しか飛ばされていなかった「矢」が無数の数となってアベルの体を捕えたのだった。




「!?」




 先ほどと太さが違うとは言えど、体内に刺さった量は、
 が受けたダメージと同じぐらいの大きさを放っている。
 かすかに映し出される目線の先で崩れ落ちるアベルの姿を、
 は自分の痛みを耐えるかのように歯をかみ締めながら見つめている。




(あの……、馬鹿……!)




 脳裏に浮かんだ言葉は、痛みのせいで声となって発することなく消えてしまう。
 それでも視線を上げようと、痛みを堪えながらその場に立ち上がろうとする。




「ほう、まだ耐えれるとおっしゃるのですか、シスター・




 あれだけのダメージを受けておきながら、原型を留めていることも不思議なことだが、
 そこから立ち上がることなんて以ての外なはずだ。
 ケンプファーは少し感心しつつ、呆れながらも言葉を綴った。




「しかし、こうしている間にも、どんどんヴィエナ市内に向かって墜落していることを、お忘れになっていません
か? あなたもナイトロード神父――いや、アベル様同様、口先だけの約束しか出来ないらしい」




 視線をケンプファーへ移動させようと振り返るが、未だに血が地面に落ちていき、その面積を広げていく。
 
もし彼女が普通と同じであれば(・・・・・・・・・・・・・・)、意識もはっきりして来なくなるはずだ。




「まあ、私としては、ここの住民がどうなろうが関係ないことですが、あなた達にとっては大問題になるのでは
ないんでしょうか? この下には、あのゲルマニクス国王陛下もいらっしゃりますからね。国家問題を引き起こ
さないわけにはいかなくなりますよ」




 ケンプファーの口から発せられた名前に、ははっとしたように目を見開く。
 そして脳裏に、男性だとは思えないほどの美しい笑みを浮かべて笑う少年の顔が映し出され、
 はゆっくりと目を閉じた。



 彼との約束を破るわけにはいかない。
 そのために、過酷な手段を駆使して、彼に「伝言」を伝えたのだ。
 彼を裏切るわけにはいかない……!




「彼は……、彼は絶対、助け出してみせる……!」






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