先ほどまで三日月だったはずの月に変化が見え始めたのは、
 が白いオーラによって姿を隠してしまった時だった。
 徐々に姿を大きくしていき、月暦を破ったかのような満月の光が、“塔”の中に注ぎ込まれていく。




「月周期を、変えた……?」




 突然起こった月の変化に、ケンプファーは驚きを隠せないでいた。
 しかしそれ以上に、目の前で展開されている現象の方が、彼の興味を引き寄せていった。



 を包み込んでいた白いオーラが、地面から吹き荒れる風によって吹き飛ばされる。
 水溜りのごとく溜まっていた赤い液体は、もうすでになくなっているようで、何1つ赤い跡が残っていなかった。



 僧衣を破って左右に生えた2つの純白な翼、そしてそれを広げた先に見える顔。
 目は、先ほどよりも赤い光を放っていて、口元から見える2つの牙は鋭さを増し、
 正面にいる標的を鋭く睨みつけていた。




「なるほど……、これがあなたの、本当の姿なのですね」




 驚きながらも、興味津々に見つめるケンプファーに、相手は右手から現れた純銀の大剣を握り締める。
 月へ向けて翳すと、月光が一気に大剣へ吸い込まれるかのように注がれていき、どんどん光で満ち溢れていく。




光発電(ライト・システム)……とは、また違う力ですね。まあ、いいでしょう。お相手して差し上げます。――来たれ、“ベリアルの矢”!」




 上空に浮いている火球がケンプファーの側まで引き寄せられ、
 そこから飛び交う矢が、白い羽を持つ「化け物」に向かって降りかかっていく。
 それにも関わらず、相手は動くことをせず、ひたすら大剣に月光を集めていた。
 このままの体勢でいれば、間違いなく矢が体内を貫き、その場に倒れ込む――はずだった。



 だが矢は目標物に当たることなく、まるで反発するかのごとく尼僧の横を通過していき、
 どんどん地面や壁に突き刺さっては無数の亀裂を作り出していったのだ。
 命中すれば、原型を留めることすら困難な術だけに、突き刺されれば突き刺さるほど、
 亀裂の幅はどんどん大きくなっていく。
 それなのに、未だ月光を集め続けている「彼女」のところまで亀裂が入ろうとせず、
 半径2メートルの中だけが無傷を保っていた。




「攻撃が避けられている? 先ほどのシールドは、すでに割れてしまっているというのにか?」




 自分の放った魔術が通用しないことに疑問を持った時、大剣に集まった月光に反応するかのように、
 柄から剣に向けて細い雷のようなものが、剣先に向かって走り始めた。
 そしてその大剣をしっかり握り締めた尼僧が、それを上空に浮かんでいる火球へ向けて、
 大きく振り上げたのだった。



 月によって集められた光は、1つの大きな塊となって、
 ぴしぴしと静電気のような音を立てながら火球に向かって飛んでいく。
 そして爆音と共に標的を捉え、天井に巨大な穴を開けてしまうほどの破壊力を見せつけたのだった。
 それはまるで、周期を変えてしまった月に、集めた光を返すかのようにも思われる光景だった。




「これは予想以上に、厄介なことになったものだ……」




 ぽっかりと空いてしまった天井を見つめながら、
 ケンプファーが呆れた表情を見せながら、ゆっくりと大剣を下ろした「者」へ言葉を投げかける。




「まさか、こんな力を持っていたとは思ってもいませんでした。一体、あなたは何者なのです、シスター・?」

「貴様には関係ないことだ、イザーク・フェルナルド・フォン・ケンプファー」




 低く、地面に響くような声が、部屋中に響き渡る。
 その声は、先ほどのの声とは全く違う声だった。




「私は“フローリスト”……。主に力を与え、力を振るう者だ」




 大剣を左腕に触れさせ、一気に切り裂く。
 そこから赤い液体が一気に流れ出すと、床に向かって落ちていく――ようにも見えた。



 液体は、何かの器に貯められているかのように、宙に浮いたままだった。
 そしてそれが球体のような形になると、胸元まで浮上し、それをふわっと撫でるかのように触れる。
 それに反応するかのように、球体が白いオーラに包み込ませると、持ち主が静かに言葉を放った。




「……行け」




 球体が勢いよく発射され、目的地だと思われるアベルのそばまで飛んでいく。
 球体が体内に吸収され、それを受け止めたかのように、アベルがゆっくりとその場に立ち上がり、
 目の前にいるケンプファーを凝視する。




「血液の輸血? ……まさか!」




 ケンプファーが何かに気づいたかのように、アベルに視線を移動させる。
 そして目の前で起こる新たな展開に、目を大きく見開いたのだった。






[ナノマシン“クルースニク02” 稼働率上昇80パーセント――承認!]






 突風が一気に吹き荒れると同時に、ケンプファーの体がおもいっきり壁に叩き付けられてしまう。
 背中の衝撃からすると、肋骨を数本折ってしまったようにも感じられる。




「この力……、この前のものとは、違う……!」




 何とかして目を見開いた先に見えたのは、以前、ローマで見た漆黒の翼を持つ神父と同じだった。
 あの時と同じように、赤い瞳を輝かせ、堕天使のごとくその場に君臨しているのだが、明らかに何かが違っていた。



 羽根の1枚1枚に、青白く輝きながら帯電した空気をはらんで膨張する。
 そこまでは前回と同じはずなのだが、それに混じって、何やら光のようなものが飛び交っている。
 それは先ほどまで、純白の翼を持つ尼僧が蓄えていたものと同じもののように見えた。



 青白い奔流が、ケンプファーの体を捕えようと放たれる。
 すぐに“アスモダイの盾”によって弾かせようとして、目の前に出現させ、それを避けようとする。




「……何!?」




 以前よりもけた違いの威力を見せ付けるかのように近づいて来た時には、
 再び彼の体が再び壁に押し付けられた状態になっていた。
 ガードを貼ったはずなのに、その威力はそれを超え、いや、それをも破壊して、
 ケンプファーを見事に捕えたのだった。



 予想もしていなかった衝撃に、ケンプファーはその場に蹲った。
 所々に撃ち抜かれたかのような大きな穴が見え、その1つが体内にあるすべての内臓器官が大きく貫いており、
 それを表すかのように、口から大量な血液が吐き出されていた。




「なるほど……、何となく、分かってきました……」




 そんな状況にも関わらず、ケンプファーの声はどこか納得したような、
 それでいて目の前で起こった現象に好感触を持ったかのように発せられた。




「“フローリスト”の、血液を……、“クルースニク”に輸血させる、ことによって……、攻撃の威力を最大限に上げることが可能、というわけですか……。まだ私の、知らないことがたくさんあるようですね……」




 数メートル先にいる2人の天使――漆黒の翼と純白の翼が、
 しっかりとケンプファーの視界を捉えて離そうとしない。
 しかし次の瞬間、2人の姿がその場に消え、彼の数センチ前まで移動してきたのだ。



 漆黒の大鎌と純銀の大剣が、ケンプファーの前で振り下ろされようとする。
 その姿には、もう躊躇うことをやめ、何かを強く決断したかのようにも伺えた。



 2つの刃物と目標物との距離が縮まり、そして2本の割れ目を作り出そうとする。
 だがケンプファーの口から毀れた言葉は、いたって優しく、温かなものだった。









「とっても幸せだよ、僕は……、この世界に生まれることが出来て」









 標的を確実に捉えたかどうかなど分からなかった。
 双方の武器を振り下ろした直後に、亀裂が入った天井に限界が生じて、一気に下へ落ちて来たのだ。



 避けるように後退すれば、その場はあっという間に瓦礫の山へと化した。
 この様子からして、ケンプファーはもう死んだのも同然と考えてもいいのだろうが、
 なぜかその案はすぐに抹消された。




「『あいつ』は……、生きているのか?」

「たぶん、その可能性は高いと思うわ」




 背後から聞こえる声に、湖色の瞳を取り戻したアベルが振り返ると、
 同じくしてアースカラーの瞳を取り戻したが、ケープの内側にしまっていた黒いリボンを取り出し、
 いつも通り1つにまとめて縛っていた。




「彼らはなぜか、私の情報だけを入出することが出来なかった。その理由として考えられること。それは……、『あいつ』が彼らの背後にいるということ以外、考えられない」

「そうか……」

「それにしても、自爆するからいいもの、また派手にやってしまったわね」




 深く考えても仕方ない。いや、本当は深く考えなくてはいけないのかもしれないが、今はその時ではない。
 は話を変えるかのように言うと、ゆっくりとした足取りでアベルのもとへ進み始める。
 その姿を、アベルは少しだけ不安そうに、だがどこかほっとしたような表情を浮かべながら見つめていた。




「どうしたの、アベル?」

「いいえ……、本当に、生きていたんだなと思って……」

「私が死んだら、こんなに大人しく立ってないと思うけど?」

「そうですけど、私としては……、長いごと、待ちすぎました」

「私はそれ以上に待ったわよ、アベル。あの時ほど不安だったこと、なかったんだから」

「今、身にしみて感じていますよ」




 の帰還を確かめるかのように、アベルは彼女をそっと抱きしめる。
 も彼を安心させるかのように両腕を彼の背中に回すと、そっと優しく包み込んだ。




「そのピアス……、取り戻したんですね」

「完全じゃないけど、力が戻ったからね。けど……、さすがにステイジアが生きていたのには驚いたわ」

さんも、数字を間違えることがあるんですね」

「本当に、らしくなかったわね」




 体を少し離し、右耳にしているピアスを軽く弾く。
 高々に鳴り響く音を耳にしながら、次に聞こえてくる声に、はすぐ指示を送る。




『主制御室まで行けばいいんでしょ、わが主よ?』

「そうよ、ヴォルファー。よくお分かりで」

『心配だったんだぜ? 「彼女」も「彼女」だよ。どうして教えてくれなかったのさ?』

『無事でいるのか、わが主よ?』

「心配しないで、ザグリー、スクルー。私は元気だから」

『ご無事で何よりです、わが主よ』

『本当、よくぞ戻って来てくれました、わが主よ』

「ありがとう、フェリー、セフィー」




 耳元から一気に流れ込むプログラム達の声に、1つ1つ答えるを見て、
 アベルは少し羨ましそうにその光景を眺めていた。



 自分はここからいなくなった時、1人でも心配してくれる人がいるであろうか。
 こうやってのように、無事な帰還を喜んでくれる人がいるのであろうか。
 そして彼女は……。




「さっ、これ以上長居するわけにもいかないから、とっとと自爆して非難するわよ」

「あ、はい」

「ヴォルファー、主制御室まで飛んで。フェリー、すぐに自爆プログラムを準備して」

『了解』

『了解しました』




 目の前から聞こえるの声に、アベルはすぐに我に返る。
 だがすぐに何かを思い出したかのように、
 プログラム「ヴォルファイ」と「フェリス」に指示を出したを見つめていた。
 それに気づいたのか、声をかけられる前に、が逆に声をかけた。




「どうしたの、アベル?」




 優しく、温かい声が、アベルの体を包み込む。
 そしてアースカラーの瞳が、真っ直ぐアベルの湖色の瞳を見つめている。




「…………おかえりなさい、さん」



 アベルの言葉に、一瞬驚いた顔をしただったが、すぐに状況を読み取り、そっと笑みを溢した。

 その顔は昔と変わらない、「天使」のような優しい微笑みだった。




「ただいま、アベル。……すごく、会いたかった」






 元の姿を取り戻した月の下で、

 唇が重なり合い、そしてお互いの再会を祝うかのように深くなっていく。
 そしてそれが離れた時には、もうすでに2人の姿はそこになくなっていた。
















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