「先ほど、カテリーナ・スフォルツァ枢機卿から連絡が入りました。……ガルシア神父が、親衛隊隊長の任を承諾
してくれたそうです」

「そうですか。……よかった」




 春の訪れを知らせるかのごとく、温かな風がベルヴェデーレ宮殿の中庭に吹き込んで来る。
 その中で、白いテーブルを囲むようにして紅茶を口にしている僧衣を身に纏った尼僧に向かって、
 ゲルマニクス国王ルードヴィッヒ2世が、女性のような美しい顔で微笑みかけた。




「やはり、あなたの作戦は成功しましたね、大尉」

「その、『大尉』というのはやめて下さい、ルードヴィッヒ。あの時はたまたま、前の職を名乗っていただけな
のですから」




 苦笑しながらもティーカップを戻すと、は安心したように小さくため息をつき、真っ青な青空を見つめた。




「はーっ、こうしてお茶するのも、久しぶりですね」

「あれから、もう7年ぐらい経っていますからね。その間に、私にもいろいろありましたから」

「体の調子はどうですか? 具合が悪くなったりとかは?」

「心配には及びません。こう見えても、足以外は丈夫ですからね」

「それなら私も、安心ですわ」




 相手のティーカップが殻になっていることに気づき、新しい紅茶を注ぎいれると、
 ルードヴィッヒはお礼を言うように首を少し掲げ、カップから漂う香ばしい香りを楽しむしぐさをする。
 こうしてが入れる紅茶を楽しむのが、彼の長年の夢だったのだ。




「ところで、ナイトロード神父はどこに?」

「ああ、彼のことは気にしないで下さい。いろいろと、理由有りの事情がありまして」




 “塔”を破壊してから、アベルは1人で思い悩むことが多くなった。
 この2日間、現場検証やら報告書の作成やらで慌ただしくしていたが、
 時々彼がいる場所だけが別空間にでもなったかのように静まり返っていたことが何度もあり、
 そのたびにトレスに忠告されていたぐらいだった。



 彼が思い悩むことなど、1つしか考えられない。
 それが分かっているからこそ、は何も言えず、そっとしておくことしか出来なかった。
 納得するのに時間がかかることを、一番よく分かっているからだ。




「……ありがとうございます、シスター・

「えっ?」

「この手紙のことです」




 服のポケットから取り出した紙を取り出すと、それをゆっくりと広げてみせる。
 中に書かれている文章は、隙間から見た感じ、そう長くはないようだ。




「『しばらく席を外します。私がいない間に同僚が会いに来ましたら、彼らに力をお貸し下さいますよう、お願い
致します  』。……全く、あなたは本当、勇敢な方ですね」

「すべての事情を知らずして、こんなことを頼めませんわ、ルードヴィッヒ」

「プログラム達はお元気ですか?」

「ええ、相変わらずです。先日、『1人』帰ってきましたしね。これも1つ、あなたのお陰です」

「どういう理由でお礼を言われているのか分かりませんが、とりあえず、どういたしまして、と言っておきま
しょう」




 穏やかな笑顔を見せながら、紅茶を一口運ぶと、口の中に温かな味が広がり、安堵のため息が漏れる。
 そして視線をに戻すと、ふと彼女の耳元にぶら下がっている物に目が止まった。




「そのピアス……、不思議な色をしていますね」

「聖職者の癖に、黒の十字架をつけるな、とおっしゃりたいのでしょう?」

「いいえ、そういう意味ではないのですが……、……これは黒メッキですか?」

「ちょっと違いますけどね」

「黒い石を中心に、ダイヤのような石が上下左右に散りばめられていますね。……本当、不思議な十字架です」

「先日、掃除していたら見つかったので、久々に付けてみようと思いましてね。上司にはまだ見せていないので、
何て言われるのか分かりませんけど」




 本当の理由を、ここで言うわけにはいかない。
 それがたとえ、彼女に仕えるプログラムのことを知っている人物であったとしても同じことである。
 しかしこの嘘の表現で簡単に納得してもらえるほど、相手は生易しくはない。




「ほほお、部屋から発見したんですか? でも7年前には、ピアスの跡などなかったはずですが?」

「1ヶ月前に空け直したんです。ピアスって、最初の1ヶ月は同じのをつけていないといけないのですが、それを
過ぎれは取り外せるのですよ」

「なるほど。でも、1ヵ月後につけるものとしては、少々重過ぎませんか?」

「昔はこんなのばかりつけてましたから、あまり気にしていませんけどね」




 どっちも一歩も引かず、平行線に話が進んでいく。
 しかし2人は、そんな会話を楽しんでいるようで、お互いに笑みが耐えることはなかった。




「さて、そろそろ私はナイトロード神父のところへ戻りますわ。彼、この近くにある公園で日向ぼっこしているよ
うですから」

「そうですか。……少し、淋しくなりますね」

「ガルシア神父が、贈呈した飛行船と共に来るようになれば、年に1回のメンテナンス時期にはお邪魔させて頂き
ますわ」

「それではその時に、また紅茶、淹れてくれますか?」

「ええ、勿論」




 残りの紅茶をすべて飲み干し、ゆっくりとその場に立ち上がると、
 ルードヴィッヒが自分の車椅子を動かそうとしたので、それを制止するかのように手を上げる。
 彼の体に、あまり負担をかけたくなかったからだ。




「お見送りは結構ですわよ、ルードヴィッヒ。私を誰だとお思いですか?」

「……そうでしたね。どうも、変な癖がついてしまいましてね」

「あまりご無理をなさらないで下さい。大事なお体ですから」

「お気遣い、ありがとうございます、シスター・。……それでは、また」

「ええ」




 胸に手を当てて一礼すると、は彼に気づかれないようにピアスに軽く手を当て、背中を見せて歩き出した。
 そしてその姿がゆっくりと消えてなくなると、再び春を知らせるそよ風が、
 優しくルードヴィッヒの体を包み込んだ。






「あなたの紅茶、楽しみに待っていますよ、大尉」




 春のそよ風に包まれながら、ルードヴィッヒは誰もいなくなった視線の先を見つめながら、
 少し淋しく、しかし何かを楽しみにしているかのように微笑んだのだった。

















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