それから時が流れ、ヴィエナでの事件から約
1年半という年月が過ぎた。



 車窓に映る景色を眺めていたが、個室のドア越しに見えるワゴン車を発見すると、
 ドアを開けて、本日3杯目になる紅茶を注文した。




「ここの紅茶、本当に美味しいから止まらなくなります」

「お褒めいただき、誠にありがとう御座います」




 丁寧にお礼を言う駅員を見送ると、再びドアを閉め、椅子に寄りかかって紅茶を一口運ぶ。
 少し奮発して個室を確保して正解だったと思いつつ、再び視線を外へ向け、
 この1年半のことを振り返り始めた。



 カテリーナはここ数ヶ月の間、以前にも増して忙しく動き回っていた。
 たまに休暇をとってはミラノに戻り、と一緒にドライブしたりという生活を送って、
 彼女なりに気分転換を取ってはいたが、体が弱いことを知っているとしては、
 今一番、彼女の健康管理が心配されていた。



 “教授”は再手術が成功し、順調に回復していき、無事に退院を果たした。
 入院中、何度かとアベルから彼宛のデスクワークが届けられ、
 「体は休めても、気力までは休まらない」とぼやいては苦笑していた。
 今頃、また山のようなレポートの採点に終われていることであろう。



 ユーグはシェーンブルン宮殿での爆発により、左膝関節を負傷した。
 一時は完治しないとも宣告されたが、努力の甲斐あって、何とか自力で歩ける用にまで回復していった。
 今も、“剣の館”にてリハビリを続け、も時々その手助けをしている。



 レオンはヴィエナでの任務が終わった1ヵ月後に、ユーバーベルリンへ向かって出発した。
 勿論、“タクティクス”に乗ってだ。
 空港まで見送りに行った時は少し淋しさを感じていたが、
 希望に満ちた彼の表情に、不思議と喜びが溢れていった。
 先日、メンテナンスでユーバーベルリンへ向かった時、相変わらずな性格に、
 も相変わらずな対応をしたのは言うまでもなかった。



 モニカはあのこと以来、“剣の館”に姿を見せることはなかった。
 だが、任務先で会った彼女の態度には頭を悩ませる結果しか生まれず、
 どうにかして逃れる方法を考えていたとかいなかったとか。



 カーヤは“剣の館”へ顔を出しては、いつもとカテリーナと共にいた。
 彼女の性格について行くのは気苦労なことだが、その中に見せる幼さが可愛らしく、
 つい彼女のためにお菓子を振舞ってしまう自分がいることに、は最近気づかされた。



 ケイトは“アイアンメイデンU”が相当お気に召したようで、
 新作のハーブティが完成すると、空中へのお茶会を開くことが多くなった。
 一風変わったお茶会に、最初は一同驚いたのだが、回を重ねるうちにAx内に浸透していき、
 いつしかそれが恒例行事となってしまっていた。
 それほどまで気に入ってくれたことに、は次第と、作成に関われたことを誇りに想うようになっていった。






 そしてアベルとトレス、は新たな任務のためにローマを離れていた。
 トレスは先に乗り組んで情報収集をしており、アベルも別件が終了し次第合流することになっていた。
 つまり、3人とも同じ任務を受けているのだ。






『カフェインの取りすぎは健康によくない、わが主よ』

「そんなの、今に始まったことじゃないでしょう?」

『……これだけは、力が戻っても変わらぬ、ということか』

「ま、そうなるわね」




 奮発して個室を選んだ理由は3つ存在している。
 個室でしか飲めないダージリンオートオータムがあるからと、
 プログラムとのやり取りがしやすくなったことで、1人でブツブツ話して、
 他人に変な目で見られるのを避けるためだ。
 意識上でも話は交わせるとは言えど、自身、あまり使いたくない手段なため、
 何も躊躇うことなく個室を選択したのだった。
 そして、もう1つは――。




「トレスからの連絡は入った?」

『今のところはないぜ、わが主よ。しかし、よく進入出来たよな』

「確かにね。アベルはまだ、任務を終えてないの?」

『終えているが、この車両には乗り込んでいない』

「全く、何手間取っているのよ、あのアホ神父は……」




 どうせ、また他愛もないことに巻き込まれ、列車に乗り遅れたことであろう。
 タイミングがうまく合えばここへ招待し、
 一緒に紅茶を嗜もうと思っていた計画も諦めざるを得ない状況になりそうだ。
 貧乏くじばかり引くことはよく分かってはいたもの、ここまで不運続きだとだんだん呆れてきてしまう。




「スクルーは引き続き、情報を集めて。ザグリーはトレスかアベルからの連絡が入ったら、すぐに報告を」

『了解した、わが主よ』

『了解したぜ、わが主よ』




 耳元からの声が消え、は1つため息をついて、再び紅茶を喉に通した。
 外を見れば、すでに冬を覗かせるかのように強い風が吹き荒れていた。



 目的地は、もうすでに寒さを増していると聞いた。
 いろいろ防寒対策は練ったが、寒さに弱いがどこまで絶えれるかは定かではない。
 絶対に自分は暮らせないなと確信しながら、トラッシュケースから
小型電脳情報機(サブクロスケイグス)を取り出し、
 1つの地図を映し出した。



 所々に見える点滅を見つめながら、は何かを考え、そして任務内容を確認しようとする。
 それが一通り完了した時、紅茶の入ったコップの横が小さく光っていることに気づき、
 そこに向かって話し始めた。




「どうやら、縮小化は成功したみたいね、ステイジア」

『毎回、等身大で出るのも大変だからね』




 人型に変わっていく姿を見ながら、は笑顔を送り、小型電脳情報機の電源を切って、
 再びトラッシュケースにしまった。
 どうやら、「彼女」の登場を待っていたらしい。




『トレス・イクスからの情報が入ったわ。――どうやら、今夜中に戻ってくるみたい』

「タイミング、バッチリってところね。……アベル、それまでに到着できるのかしら?」

『先ほど、別の列車に乗ったのは確認したけど……、避けれる保証はないわね』

「やっぱり」




 予想はしていたが、的中するとまでは予想していなかっただけに、はただ呆れるしかなかった。
 変なことに紛れ込まれて、任務の遂行の妨げにならなければいいのだが、
 そのことも考えないといけなくなると、かなり頭が痛くなる話である。




「ま、そんなに大きなことじゃなければいいんだけどね」

『それもそうね。……

「ん?」

『奴ら……、“薔薇十字騎士団(ローゼンクロイツ・オルデン)”のことなんだけど……、どうやら今回の任務に関わっている可能性が高くなったわ』

「……何ですって!?」




 が表情を顰めると、彼女の前に1つの立体映像が浮かび上がる。
 その姿は以前、ローマで見かけたことのある青年の姿だった。




「彼は、まさか……!」

『そう。……彼がようやく動き出したようなの』

「“騎士団(オルデン)”1の電脳調律師(プログラマー)が、ね……。こいつは、気合を入れた方がいいかもしれないわ」




 今の時点で、どれだけの情報が“騎士団”に出回っているかは分からない。
 少なくとも、彼女が“神のプログラム”の所有者ということぐらいは知られているに違いない。
 そうなると、カテリーナはそんなことなど関係なく任命したのかもしれないが、
 今回の作戦に自分が起用されたのも、何となく分かりような気もしてきていた。




「今回の目的は、あの装置を停止させることだけど、もしその装置を再起動させた人物が彼だとしたら……、
全ての情報は彼が持っている、ということになるのね」

『ええ。……でも、心配することないわ。今のあなたには私がいる。私がちゃんと、あなたのサポート役になるわ』




 光の中で輝くプログラム「ステイジア」の言葉に、
 は不思議と安心感を与えられたように顔がゆっくりと緩んでいく。
 今までに何度も「彼女」に励まされて、そのたびに疑問に思ってしまうのだが、
 相手にとってはきっと当然のことをしているだけだと言われるだけだと思い、特に問い質したこともなかった。




「ありがとう……、『母さん』」

『お礼を言うのは、任務が終わってからよ、。……もうじき、目的地に到着するみたい』

「それじゃ、支度しないといけないわね。また何か分かったら、すぐに連絡してね」

『了解。……頑張るのよ』

「ええ、勿論」




 が優しく微笑むと、プログラム「ステイジア」を囲んだ光が小さくなっていき、
 ゆっくりとその場から姿を消した。
 それを確認するなり、は紅茶をすべて飲み干してからその場に立ち上がり、
 窓際に引っ掛けてあったカーキーのPコートを羽織って、白のマフラーを首に巻き、
 長い髪を上でまとめて、それを隠すようにグレイの帽子を被った。




 電車がゆっくりホームに入り、ブレーキ音が車内に響き渡る。
 出入り口が開いたのを確認すると、はベージュのナップサックを右肩にかけ、
 こげ茶のトラッシュケースを左手にしっかりと持ち、個室を出て行こうとした。




「あっ、忘れてた」




 ノブから手を離し、思い出したかのようにトラッシュケースを下ろし、
 左手首につけてある腕時計指揮リストバンドを取り外した。
 長年つけていたせいか、くっきりと跡が残ってしまっているが、それも軽く右手で覆い、
 しばらく握り締めていれば、自然と消えていってしまった。



 腕時計リストバンドの裏にある薄い板を開け、中に見える小さなチップを取り除く。
 そして再び板をしっかりはめ込むと、は紅茶の入っていたコップの横にそれを置いた。






「今まで、本当にありがとう。……お疲れ様」






 「天使」にも似たような笑みを溢し、はトラッシュケースを再び手にし、
 それに背を向けて個室をあとにした。






 まるで、何かを強く、誓ったかのように……。

















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