再び姿を現したのと同時に視界に映った映像は、地響きと共に、所々が火で覆い尽くされた部屋であった。
どうやら、この「建物」の中で、一番広い部屋に到着したらしい。
「トレス、下にいるのかしら……」
上下左右に揺れ動く地面にしっかり足を突き、急いで部屋の扉まで向かい、外へ出て行く。
下へ続く階段はまだふさがれていないようなので、勢いよく下まで下りていく。
一番下まで下りると、普段は扉が閉まっているはずの扉が全開になっており、急いで中へ突入しようとする。
しかし、目の前から急に襲い掛かってきた炎に面食らいそうになり、思わず後退してしまいそうになった。
「トレス! 中にいるようだったら、返事して!!」
声を張り上げ、何とかして中の状況を探ろうとする。
しかし、炎の轟音がすごく、声が届いているのかも分からなければ、何を言っているのかも分からない。
どうにかして、中に突入しなくてはいけない。しかしそうするためには、この炎の中に飛び込むしか方法がない。
「……やってやろうじゃない!」
覚悟を決めたのか、は1つ大きく深呼吸をすると、意を決して、炎の中へ飛び込んでいった。
早く助けなくては、トレスとケイトどころか、自身も危険な状況に陥ってしまう。
今の彼女には、この言葉以外の言葉は何も浮かんでこなかった。
炎は思った以上に強くなく、予想以上に簡単に通過することが出来た。そして視界も思った以上に開いており、
それを証拠に、部屋の中心で誰かが蹲っているのがはっきりと分かった。
「トレス! ケイト!!」
蹲る人影に向けて声をかければ、黒い僧衣を着た男――トレス・イクスはの声がした方に視線を動かし、
彼女の姿を確認した。無表情ではあるが、どことなく安心しているように見えるのは気のせいだろうか。
「体調はいいなのか、シスター・?」
「今は、私の心配をしている場合じゃないでしょう! あなたこそ、どこかダメージとか受けてない!?」
「俺はただ、敵に操られていただけだったため、負傷した個所はない。しかしそのせいで、“アイアンメイデン”の
起動システムの一部を攻撃させられ、起動不可能にさせてしまった」
「相手が“グレムリン”だったんなら、仕方ないわ。私ですらも、彼の動きを止めることだけは出来ないから」
いくつものプログラムを自由自在に操ることが出来るですらも、
“グレムリン”の攻撃だけは防ぐことが出来ないため、
トレスの言葉に返す言葉を失ってしまいそうになってしまった。
しかし今は、そんなことを言っている場合ではない。
とりあえず彼を、しっかりと抱えている尼僧と一緒に避難させなくては。
「今は反省よりも、避難を優先するわよ。……ケイト、大丈夫?」
トレスの胸元にいるケイトに声をかけるが、何も反応がない。
しかし、口元からかすかにだが呻き声らしきものが聞こえ、は安堵のため息を漏らし、
瞼を閉じたままの彼女に向かって微笑んだ。
「今からすぐに、あなたの新しい船に避難させるから、それまでがんばってね。ウィルが設計して、私がプログラム
を組み立てたの。自信作なんだから」
胸を張って言うに、ケイトの顔が少し緩んだように見えたのは気のせいかもしれない。
しかし、の心の中に映る彼女の顔は、確かに優しく微笑んでいた。
「トレス、あなたは“アイアンメイデンU”に到着したら、すぐにケイトを操縦席の床の蓋を開けて、その奥に設置
されている透明の棺に寝かせて。ケーブルはこの船と同じ位置に設置してあるから、どこにどう繋げればいいのか分
かっているわね?」
「肯定。だが、このまま“アイアンメイデン”を放置してしまえば、ヴィエナ市外へ墜落し、多くの一般市民が犠牲になる
可能性が高くなる。何か策でもあるのか?」
「勿論。そのことについては心配しなくていいから、2人は先に避難して」
「俺には感情がない。『心配』という表現も知らない」
「ま、そうだろうけどね」
相変わらずな口調に、は思わず苦笑してしまうが、久々にするトレスとの会話に、
思わず顔が綻んでしまった。
そして、何かを誓うかのように、そっと頬に唇を当てた。
「……これは何だ?」
「お守り、かな?」
「お守り?」
「そ。無事に“アイアンメイデンU”に到着しますようにっていうお守り」
「プログラム『ヴォルファイ』がミスを犯すことがないのを、一番理解しているのは卿のはずだ。なぜ、こんなこと
をする?」
「気持ち的なものがあるのよ」
「……卿の行動は理解不明だ」
理由が分からなくて困惑したような表情を見せるトレスに、は柔らかく微笑み、
腕時計式リストバンドの円盤を「5」に合わせる。
横に設置されているボタンを押すと、円盤が紫に光り、そこに向かって声をかけた。
「プログラム『ヴォルファイ』、私の声が聞こえますか?」
『勿論だよ、わが主よ。早く用件済まして戻らないと、“ダンディライオン”が痺れ切らしちゃうよ』
「それもそうね」
避難場所に待機している浅黒い神父の苛ついた顔を思い出し、は思わず笑ってしまいそうになった。
しかしすぐに真剣な表情になり、相手にすぐ指示を送ろうとした。
だが、それを阻止するかのように、の足元に何らかの感触が襲ったのだった。
「……ケイト?」
動くことなどあり得ないケイトの手が、いつの間にかの足元に触れている。
それはまるで心配しているようで、顔がどことなく不安げな表情をしているように見える。
「……大丈夫よ、ケイト」
ケイトの行動をすぐに理解し、心配を取り除くかのように、の優しい声がケイトに向けられて発せられる。
「ちゃんとやるべきことを終えたら、すぐに戻るから心配しないで。そうそう、戻ったらすぐにハーブティーが飲み
たいから、用意しといてね。今、すごくあなたのハーブティーが恋しくて仕方ないのよ」
約束するかのように、そっとケイトの頬に唇を落とすと、は優しく微笑み、そして思った。
今の自分には、こんなに心配してくれる人達がいる。
こんなにも、自分のことを大事にしてくれる人達がいる。
その人達のためにも、自分は生き続けなくてはならない。
この人達を、悲しませないために。
「シスター・、もう時間がない。可及的速やかにプログラム『ヴォルファイ』を使用することを要請する」
「分かったわ、トレス。ヴォルファー、予定通り、2人を“アイアンメイデンU”に転送して」
『了解、わが主よ。――座標確認、“ガンスリンガー”と“アイアンメイデン”を、目的地、“アイアンメイデン
U”へ移動。……転送開始!』
プログラム「ヴォルファイ」の声とともに、トレスとケイトの姿がゆっくりと消えていく。
相変わらず無表情な顔のトレスと、少し心配そうではあるが、
の無事を祈るかのような雰囲気を出しているケイト。
その2人を見送るように、はゆっくりと掌を横に振った。
これが、永遠の別れではないというのにだ。
「……さてと、とっととやっちゃいましょうか」
完全に2人の姿が消えたのを確認すると、はその場から立ち上がり、目の前にある操縦席へと足を運んだ。
操縦プログラムを呼び起こすべく、キーボードを一気に打ち込み始めた。
IDとパスワードをケイトのものから自分のものへと変更させると、目の前にあるスクリーンが光り出し、
データが一気に流れ始めた。
どうやら、まだ生きているようだ。
『、聞こえるか?』
目の前に広がるデータから船内データを呼び出し、その中にある自爆プログラムを起動させようとした時、
イヤーカフスにレオンの声が聞こえ出した。
操縦プログラムを起動したことにより、内線が通じるようになったようだ。
「こっちは聞こえているわよ、レオン。2人は無事に到着した?」
『ああ、今、拳銃屋がケイトを操縦室に運んだところだ。そっちはどんな様子だ?』
「こっちは、今から自爆装置を起動させるところよ」
<……さん! 聞こえますか!?>
他の派遣執行官との更新中に割り込むことなどあまりないのだが、どうしても無事なことを知らせたかったのか、
耳元にケイトの声が響き渡る。
どうやら、無事にすべてのケーブルの設置が終わったらしい。
「ばっちり聞こえるわよ、ケイト! 居心地の方はどう?」
<問題ありませんわ。以前よりも、何十倍もいいぐらいです>
「そんなお世辞言っても、何も出てこないわよ。……よし、今、自爆プログラムを起動させたわ。あと1分で――」
の胸元に、何かど太いものが突き刺さったような感触に襲われたのは、
自爆プログラムが起動したのを確認した直後のことだった。
それは過去に経験したことなくぐらいに酷く、あまりの痛さに声が出ないぐらいだった。
<さん! どうかいたしましたの!?>
『……まさか、お前、まだ完全じゃ……!』
耳元で鳴り響く同僚の声に反応することも出来ず、は衝撃のあまりに床に倒れこんでしまう。
あお向けになって、痛みもがき、解放させる手段を探し出そうとする。
しかし言葉を発することが出来ない上、体中が麻痺したかのように言うことが聞かないため、
腕時計式リストバンドに触れることすら出来ない。
それでも何とかして、右手で胸元の僧衣を握り締め、痛みを堪えようとする。
おかしい。
こんなこと、絶対にありえない。
先ほどの激痛には、ちゃんとした理由があったが、今回にはその理由すら浮かび上がらないからだ。
意味もない激痛など、襲ってはいけない。
だとしたら、これは何か意味があるというのだろうか。
どんなにもがいても、痛みは治まることなく、逆にどんどん酷くなっていく。
徐々に視界すら狭くなっていき、酸素すら吸収できなくなりそうだった。
負けない。
こんなところで、負けてはいけない。
約束を破るわけには、いかない―――。
気がつけば、目の前に青い光景が広がっている。
まるで、海の中にいるようだった。
「ぐは……っ!」
思わず口を開くと、気泡らしきものが口から出て、喉が締め付けられるような感触に襲われる。
両手を前で左右に掻き分け、何とかして表に這い上がろうとするが、一向に視界が晴れることはない。
どんなに掻き分けても、青い光景から変わることがない。
何とかして脱出しなくては。
は必死になって両手を左右に動かし続けると、前方に小さな光が現れ、の方へ向かって来る。
光が徐々に大きくなり、人のような形に変形していく。
その姿に、は苦しみながらも、驚きの表情を向けていた。
『……』
懐かしの声が、の耳元に響き渡る。昔と変わらず、温かくて、心の底から安心させる声だ。
『目覚めなさい、……』
光の手が、の前方に差し出される。
それに掴みかかろうと、彼女は必死になって右手を伸ばしたが、思った以上に距離があるのか、
なかなか掴むことが出来ない。
(助けて……)
言葉にならない声で、目の前にいる光に声をかける。
(お願い、助けて……)
『心配することはないわ、。私はちゃんと、ここにいるから』
の声が届いたのか、光が再び前進し始め、に近づいて来る。
そしても、何とかしてその手を握り締めようかと、力を振り絞って、手を伸ばす。
(お願い……、お願いだから、助けて……。……『母さん』……!!)
の手が光の手に触れ合おうとしたその時、
“アイアンメイデン”は爆音を上げ、大空に散っていった。
そして同僚の耳元に、の声が届くことは、なくなってしまった。
<さ――――ん!!!>
助けられたケイトの声が、行き先を失ったかのように、
炎に包まれる“アイアンメイデン”に向かって放たれていったのだった。
|