(アベル……)
闇の中から聞こえる声が、アベルの胸の中に鳴り響く。
しかし、周りを見回しても、その発生源となる者を見つけ出すことが出来ない。
(アベル……)
声が聞こえるたびに、アベルはその場を右往左往し、声の主を探し出そうとする。
この中のどこかにいるのは分かっているはずなのに、姿を発見することが出来ない。
声だけを意識に送り込んでいるのであるならば、こんな暗闇にいる必要性などないはずだ。
アベルは必死になって走り回り、相手がいそうな場所を捜し続けた。
(アベル……)
再び、声が聞こえてくる。そして背後から、光らしきものを感じたアベルは、すぐに後ろを振り返る。
そこにいるのは、白い光に包まれ、白のワンピースらしき服を身に纏った同僚の姿だった。
アベルの視点より少し高い位置に目先があることから、相手は宙に浮いていることにすぐ気づいた。
「、さん……?」
緊張した赴きで超えをかけると、彼女は掌を彼の頬にそっと触れた。
その温もりはいつもと変わらず優しいのだが、なぜか冷水のごとく冷たく、アベルの体に浸透していく。
(起きなさい、アベル……)
再び鳴り響く声は、いつもと変わらず優しくて、冷たい掌とは逆に温かかった。
(起きて、すぐ……、“塔”を破壊しなさい……)
彼女の体を包み込む光がより一層強くなり、思わずアベルは目を掠めてしまう。
それと同時に、意識が徐々に遠ざかっていき、頬に触れていた掌の感覚がなくなっていく。
「さん! 待って下さい、さん!!」
叫んでも叫んでも、目の前にいる同僚には届かないようで、
いや、届いているが、わざと聞こえない振りをしているのか、
彼女はただアベルに向かって微笑んでいるだけだった。
あの人懐こい、天使のような笑顔を溢しているだけだった。
「待って、さん。…………!」
重い瞼を開いた先に見えるのは、昼も半ばに差し掛かった太陽の日差しだった。
それはあまりにも強くて、まともに目を開けることが出来ず、太陽を隠すかのように右手を翳した。
指と指の間から、何やらシールドらしきものが光ったように見え、
アベルははっとしたように上半身を前に起こした。周りはほとんどが崩壊されており、
天井があったはずの場所からも太陽を覗かせるぐらいだった。
しかし、シェーンブルン宮殿を覆うかのように広がる透明の天井と壁は目の錯覚などではない。
はっきりとは見えないが、確かに何かが被さっている。
「まさか……、フェリスさんの防御バリア?」
普段よく使われる抵抗バリアの場合、建物も全てガードするのだが、
防御バリアになると、人間のみを助けることが可能なシールドなため、
このような状況を引き起こす結果をになったのではないか。
アベルはそう推測し、その場に立ち上がり、周りを見渡してみることにした。
どうして防御バリアになったのかなど、考えなくても理由は分かっている。
今、プログラム「フェリス」は主であるの全身にガードを貼っている。
その状況下で、防御性が一番高い抵抗バリアを貼るのは無謀に近く、
もし使用してしまえば、最低1週間はメンテナンスを行うはめになってしまう。
そうなると、一番のハンデを背負うのは本人である。
そのことを、アベルは誰よりもよく知っていた。
となると、がヴィエナに到着してすぐ、このバリアを貼ったのかもしれない。
先ほどの暗闇も、きっとそれを知らせるためだったというのなら納得がいく。
アベルは彼女の姿を捜しつつ、一緒にいた同僚の身元を確認するために、瓦礫の中をゆっくりと歩き始めた。
しばらくして、地面に見慣れた金髪が見え、アベルはその場に慌てて駆け寄った。
そこにいたのは、同僚であるユーグ・ド・ヴァトー神父が、何かの下敷きになって倒れていたのだ。
いや、下敷きなどではない。上に乗り掛かっているのは、間違いなく人の形をしている。
「……ヴァルトラウテさん……!」
ユーグをまるで庇うかのように横たわる人物
――反ゲルマニクスのレジスタンス組織“エーデルワイス”のリーダー、
ヴァルトラウテ・フォン・デーニッツのあまりにも無残な姿に、アベルは思わず立ち竦みそうになった。
頭は辛うじて残っているが、胴体は所々穴が開いており、中の配線コードのあちこちから火花が散っている。
そしてその顔には、まるで本物の人間かのように涙を流していた。
いくら擬似的に自我を与えられた人形だったとしても、何かを守ろうと振舞った彼女の姿は人間そのものだった。
だからこそ、アベルは彼女へ対する攻撃を躊躇った。出来ることなら助けたかった。
しかしそれも、この防御バリア相手では叶わぬ夢へと変わってしまった。
「……主よ、どうか彼女に幸福を与えて下さい……」
十字に切ったあと、機械仕掛けで動いていた彼女を動かし、未だ瞼を閉じている同僚の首筋に手を添えた。
どうやら、脈はちゃんとあるようだ。
安心したようにため息を1つつくと、アベルは何かを思い出したかのように勢いよくその場に立ち上がった。
「……ケンプファーさん!」
先ほどまで共に行動していた黒い長髪の男の存在を思い出し、アベルは再び瓦礫の中を歩き始めた。
ここが破壊される前は、確か目の前にいたはずなのだが、
気づいた時には、その姿すら見受けられなかったからだ。
の防御バリアが正常に働いたのであれば、彼の身も助かっているはずだ。
いや、被害に遭う前に逃げてしまっているかもしれない。
冬の終わりを伝えるような冷たい風が吹き付け、目の前が一瞬の内に砂嵐のように舞い上がる。
そしてそれが引こうとした時、今までそこに存在していなかった無数の人影が映し出された。
その数は、最低でも10人はいると思われる。
「何をお捜しなのですか、ナイトロード神父?」
ゆっくりと砂嵐が引くと同時に聞こえた声に聞き覚えがあり、アベルは相手の顔を確認しようと、
ゆっくりと前進し始めた。それが合図かのごとく、再び吹き荒れる風とともに砂嵐が消え、
そこから何かの石化を横に携えた男が、メイド服を身に纏った無数の少女達を引き連れ佇んでいた。
メイド達の目が一定方向を見つめているところから、彼女達が人間でないことは一目同然だった。
「あなたは確か、ミラノで……」
「覚えていてくれたとは光栄です、ナイトロード神父。ま、あれだけ大掛かりなことを仕掛けたのですから、覚えて
いない方がおかしいかもしれませんが」
ウェーブのかかった茶髪を靡かせる男――“薔薇十字騎士団”幹部、
バルタザール・フォン・ノイマンがかすかに笑みを見せ、横に佇む石化に手を置いた。
その表情は、まるで何かをやり遂げたかのように満足げな表情をしている。
「レジスタンスの方達には、本当に助かりました。お陰で、当初の予定通りに事がすみましたからね」
「当初の予定通り? ……まさか、あなたが“サイレント・ノイズ”を!?」
「あれは単なる作戦道具でしかありませんでした。ここが破壊されようがどうなろうが、我々にとってはどうでもい
いことです」
「『どうでもいいこと』ですって!? その『どうでもいいこと』のために、多くの犠牲者が出たんですよ!?」
「存じておりますが、この世に何人の命が飛ぼうが、こちらとしては目的さえ達成してしまえば関係ありません」
相槌を打つかのように石化したものを叩くと、アベルは改めて、石化しているものを観察する。
どことなく人間の形をしているそれは、どこかで見たことのある形をしているが、はっきりと思い出せなのだが、
何かが喉に引っかかったかのように頭から離れない。
しかし顔らしい骨格と、異様なまでに長い髪を見て、アベルははっとなって目の前に佇むバルハタールの顔を見た。
「その石化は……もしかして!」
「お気づきになられましたか、ナイトロード神父? ……そう、これ我ら“騎士団”の頂点に立っていた者の石像
でございます」
きりりとした顔立ちを残し、その目は少し驚いたかのように剥き出しになっている。
そして髪は、女性でもあまり持つことのないほど長く、そして余所行きらしき背広をしっかりと着込んでいる。
その井出たちはまさしく、半日以上行動を共にした男
――イザーク・フェルナルド・フォン・ケンプファーそのものだった。
「我々はこの男を殺すためだけに、あなた達にも協力してもらったわけです。お陰で無事に、対象物を発見して、確保に成功しました。ご協力、感謝いたします」
深々と頭を下げる姿は、本当に感謝しているようにも見え、アベルは呆気に取られそうになった。だがそれも、後
ろにいるメイド服に見を纏った少女達がかすかに動き出したのと同時に我に返った。
「こちらにいるジーグリンデ達は、我々からのほんのささやかなお礼の品です。よかったら、遊び相手になってあげ
て下さい。――命が続けば、なのですがね」
バルタザールの最後の言葉と同時に、今まで後ろに控えていたメイド姿の少女達が、
彼女達の身長よりも若干大きな大剣や銃を抱え、一斉にアベルへ向かって突進し始めた。
その数は、予想していた以上に多く、彼1人で抑えることが出来るような簡単なものではなかった。
「な、何て量なんだ、これは!!」
急いで懐から旧式回転拳銃を取り出したもの、引き金を引く隙を与えようとせず、
攻撃を避けるのが精一杯だ。このままでは、自分は愚か、身動きが取れないユーグにまで被害が及んでしまう。
「どうにかして、ここから脱出しなくては!」
アベルは頭をフル回転させ、ここからの突破口を考え始めた。
同僚に交信をしたかったが、大剣と銃弾の嵐の中で交信しても、お互いの声が聞こえ辛くなり、
かえって無駄になってしまう可能性の方が高い。
「そうだ、さんにだったら連絡が取れるはず……!」
ローマから到着したことを伝えた同僚の名前が浮かび、アベルは意識を集中させようとしたその時、
上空から何やら重々しい音が響き渡り、何かが地上に向かって落ちる気配を感じた。
それがジーグリンデの大群の中心部に落ちると、爆音とともに吹き飛ばされていく。
「これは……、まさか!」
慌てて空を見上げれば、そこには純白に包まれている巨大戦艦が浮かび上がっている。
そしてその船体に描かれているローマ十字と「Arcunum calla ex dono dei」という
文字を見た瞬間、アベルの顔が一気に晴れ渡った。
<大丈夫ですか、アベルさん!?>
上空から聞こえる声に、アベルは相手に無事を知らせるかのように手を左右に大きく振る。
それに答えるかのように、機体が少し高度を下げ、ブリッジから何者かが登場し、そこから梯子が下へ下ろされた。
「レオンさん! それに、トレス君も!」
「ようやく会えたぜ、へっぽこ。相変わらず、情けねえ面しやがって」
「損害評価報告を、ナイトロード神父」
「私は大丈夫です。しかし、ユーグさんが……!」
状況を説明している間にも、ジーグリンデ達は攻撃を仕掛けようと各々の武器をしっかりと構えている。
だがしかし、純白の空中戦艦から繰り出される砲撃のせいか、少しだけ戦力が弱っているようにも思われる。
「常駐戦術思考を哨戒仕様から殲滅戦仕様に書換え。――戦闘開始」
アベルの背後から襲い掛かってくるジーグリンデを、ブリッジにいるトレスが持つ2挺のM13の銃口が向けられ、
一気に崩れていく。その間に、アベルは急いで倒れているユーグの体を起こし、
背中に背負わせて梯子へと向かうと、一気にそれを上り始めた。
それを確認した数人のジーグリンデが、銃口をアベルとユーグに向けて構えたが、
彼女達よりも高い位置にいるトレスが気づかないわけがなく、容赦なく引き金を引いては吹き飛ばしていく。
その間に、アベルは背負っているユーグのことを気遣いながら、
何とかブリッジまであと一歩という位置まで来ることが出来たのだった。
「ほら、アベル。手、掴め。……よっと!」
「ありがとうございます、レオンさん。助かりました。トレス君も」
「無用」
もうじきブリッジへたどり着くというところで、レオンが手を差し出し、
アベルはしっかり握り締め、無事に梯子を昇り終えた。
背後にいたユーグをそのまま壁へ寄りかからせるのように座らせると、荒い息遣いを続けながら、
自分も彼の横に座り込んだ。
「ヴァトー神父の意識はあるのか、ナイトロード神父?」
「まだ取り戻してはいませんが、脈はちゃんとあります。しかし、かなりの出血量でしたから、すぐにでも輸血が必
要かもしれません」
「シスター・ケイト、ヴァトー神父を病院へ護送する。すぐに近くの総合病院へ連絡を入れろ」
<了解。――ご無事でよかったですわ、アベルさん>
ケイトの声は、アベルの無事を心の底から喜んでいるように聞こえ、思わず苦笑してしまう。
そしてその場に立ち上がり、同僚2人に深々と頭を下げた。
「3人とも、本当にご迷惑をおかけしました。……よくここが分かりましたね」
「がずっと、近くにセフィリアをつけていたらしいからな。そのお陰で、一部始終筒抜け状態だったわけだ」
レオンの言葉から出た同僚の名前に、アベルははっとしたように相手の顔を見た。
そして思い出したかのように、彼女の居所を聞き出そうとする。
「そうだ、さんは……、さんはどこにいるんです?」
「ああ、いや、その、あれだ。は……」
「シスター・は死亡した」
戸惑うレオンとは逆に、淡々と述べるトレスの発言に、アベルは思わず動きを止めた。
あまりにも衝撃過ぎて、思考が止まってしまいそうになり、一気に血の気が引いていくかのごとく、
顔がどんどん青くなっていくのがよく分かる。
そんなアベルに、言い聞かせるかのように、再びトレスが口を開いた。
「900秒前、シスター・は “アイアンメイデン”の自爆に巻き込まれて死亡した」
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