<ユーグさんの状態は、大量の出血のためか意識不明になっており、ただ今、大量の輸血を行っているとのことです>
ヴィエナ空港へ向かって走行する“アイアンメイデンU”の船内にて、
ケイトはシェーンブルン宮殿で重症を追ったユーグの様態を説明していく。
状況説明などで静かなになるのは当然のことだが、今日は静か過ぎて、やけに居心地が悪い。
<ですが、運よく急所を外しているようですので、意識が戻って、あとは傷口さえ塞がれば退院できるそうです>
「あとは、サムライ次第、ということか。ま、あいつなら大丈夫だろう」
お気に入りのソファに座っているレオンが言い、ローテーブルに載っているハーブティを口に運ぶ。
しかしその姿は、先ほどよりも元気がないようにも思える。
「この後の作戦はどうする、ガルシア神父?」
「とりあえず、国王陛下のところへ行って、事情説明しないといけねえからな。着陸許可は下りているのか?」
<先ほど、ゲルマニクス軍のアルトゥール・フォン・ザイドリッツ退役海運中将から許可を頂きました。迎えの車を
手配してくれるとのことです>
「おっ、そいつは気が利くじゃねえか。なあ、アベル?」
レオンが窓際に立ち尽くしている同僚に同意を求めたが、相手は何も言わず、外をずっと眺めていた。
その様子は、「意識ここにあらず」という言葉がぴったり嵌るぐらいだった。
「……ありゃ、かなり重症だな」
<当たり前ですわ、レオンさん。アベルさんにとって、さんの存在がどんなに大きかったのか、よく分かって
いるのは私達ではないですか>
「確かに、そうだがな」
呆れたようにため息をつくレオンだが、彼とての死に何も感心がないわけではない。
むしろあの時、意地でも止めようとしなかった自分に後悔しているぐらいである。
もしあの時、トレスとケイトを助けに行くのを止めて、他の作戦を考えていれば、彼女は今もここで、
何かいい案を提示してくれることだろう。
そしてそれは必ず、今回の作戦にとっていい結果を齎してくれるに違いない。
だが、それももう叶うことなどない。
「シスター・の死亡は、確かに衝撃が大きいかもしれない。だが、そのことばかりに気を取られてばかりで、本来
の目撃を見失うわけにはいけない。一刻も早く“塔”を破壊することが今回の任務内容だ」
「拳銃屋の言う通りだぞ、へっぽこ。が亡くなってショックなのは分かるが、そんな姿見たら、きっとあいつ
に怒られ……」
「さんは死んでいません」
レオンの発言を中断させるかのように言うアベルの言葉は、何かを強く確信しているかのように聞こえる。
そしてその言葉によって、その場にいた全ての者達の視線を浴びる結果へと導いた。
「さんは死んでません。そんなこと、あり得ません」
「だが、俺もガルシア神父もシスター・ケイトも、“アイアンメイデン”内にシスター・が残されたまま自爆
したのを目撃している。それに、もしシスター・が無事に脱出したとしたら、プログラム『ザイン』からの連絡
があるはずだ」
「そう言やあ、その肝心なザインとは連絡不能なんだろ?」
<はい。先ほど、ルフェリクさんからもお願いしたのですが、やはり連絡がつかなくて。さんの身元については、
一応、捜索の方も手配していますが、まだ連絡が入って来ていません>
ケイトの顔に、いつもの温かさはなかった。
正確には、すべて悲しみの色に染まってしまって、はっきりとは分からなかった。
「側近であるザイン達の反応がねえんじゃあ、認めざるを得ないな」
「肯定。よって、これ以上のシスター・の捜索を中断することを……」
「だから、何度言えばいいんですか!」
今度はトレスの言葉を横切るかのように、再びアベルが発言し、防弾ガラスで出来た壁を叩き付ける。
割れることはないが、その振動は静かなラウンジ全体に響き渡る。
「さんが死んだなんて、間違いなく嘘です。もしそうだったら、私はこんなところに、平然と立っていられる
わけがない!」
「その発言に根拠はあるのか、ナイトロード神父?」
「私がここにいることそのものが理由です」
「卿の発言は理解不明だ。再入力を」
「だから、言っているじゃないですか! 私がここに、こうやって皆さんと一緒にいることが、さんが生きて
いる証拠なんです。これほど以上の理由、どこにあるというのですか!?」
アベルは何とか説得させようとするが、同僚達の表情は芳しくない。
むしろ、余計に分からなくなったかのように首を傾げている。
確かに、アベルの言っていることを理解しろと言うのは至難の業かもしれない。
しかし彼には、これ以上の理由など見つからなかった。
いや、これが一番最適な根拠であるのだから、言い換えることなど不可能なのだ。
「卿の発言には、シスター・が生きている根拠を見出すことは出来ない。よって、卿の意見はすべて却下する」
「まあまあ、いいじゃねえか、拳銃屋。死をすぐに認めろったって、そう簡単にいくことなんじゃねえんだしよ。…
…おっ、見えてきたぜ」
機体がかすかに斜めになっているのを感じながら、レオンは窓際に映る風景を眺めながら告げる。
そしてそれを証明するかのように、そこから滑走路らしき道が見え始め、
機体の下に収められていたタイヤが姿を現し、ゆっくりと着陸していった。
『ヴィエナ空港に着陸しました。次の指示が受けるまで、待機態勢に突入します』
<ありがとうございます、ルフェリクさん>
「よっしゃあ、ひとっ走り行って来るかな」
この場から逃れられて喜ぶかのように、レオンは勢いよく立ち上がり、両腕を上に上げて大きく伸びをした。
そして未だに窓際で佇むアベルに向かって歩きだし、肩を何度も軽く叩いた。
「ま、お前はここで事の整理をしてろや。その間に、俺とトレスで適当にやっておくからよ」
「レオンさん……」
「……俺だって、こんなこと、認めたくねえよ」
耳元で囁く声は、まるで何かを警戒しているようにも見える。
その対象と思われる小柄な機械化歩兵の顔をちらっと見つつも、言葉を綴っていく。
「俺はあいつと、約束していたんだ。無事にトレス達を救出して戻ってきたら、BLTサンドを作ってくれるってよ。
それなのに、あいつ、果たすどころか、勝手に死にやがってさ。……いや」
何かを思い出したかのように、言葉が一旦ここで途切れる。
そして再び口にした言葉に、アベルの顔を少ししかめた。
「そう言やあ、作戦会議の時にミラノ公が変なことを言ったよな?」
「変なこと?」
「ああ。確か……、が傷つけば、お前も傷つく、みたいな。それって、これと関係しているんじゃ……」
「何をこそこそと話している、ガルシア神父?」
「ああ、悪い悪い。今、行くぜ。……とにかく、お前はここで、ゆっくり気持ちを落ち着かせろ。その間に、俺達が
ちゃちゃっと用をすませてくっからよ」
なかなか用件を終わらせないレオンに、トレスが少し機嫌を悪くしたかのようにレオンへ睨みつける。
少し冷や汗を掻きそうになりながら、アベルの肩をポンポンと叩くと、
レオンはラウンジを出ようとしたトレスの方へ向かって走り出し、扉の奥へと消えていった。
レオンとトレスが、外で待機していた黒いジャガーへ乗り込んでいく。
その光景をガラス越しから眺めていたアベルのもとに、1台のワゴンが横付けされた。
そこに載せられているクッキーとハーブティを見て、
彼はすぐ、誰がこれを運んできたのか分かったかのように相手の顔を見た。
<さん、私に言ったんです。「ちゃんとやるべきことを終えたら、すぐに戻るから心配しないで」と>
視線の先にいるケイトが呟くように言うと、
彼女はワゴンを、先ほどまでレオンが座っていたソファの前にあるローテーブルまでいどうさせ、その上に置いた。
それはまるで、アベルを気遣っているように見え、胸に痛みが走りそうになった。
<本当はこれも、さんのご希望にお答えしたくて淹れたのですが……、無駄になってしまいましたわね>
「ケイトさん……」
ソファに座ったアベルに向けられた声に明るさはなく、どことなく顔色も冴えないように見える。
立体映像なため、彼女の顔色まで映し出すことは不可能だが、
それでも彼女の心境ははっきりと読み取ることが出来る。
「……無駄なんかじゃありませんよ、ケイトさん」
感情を読み取ったのか、アベルの声が、まるでケイトの不安要素を取り払うかのように、彼女の心の中に鳴り響く。
ハーブティを口に運び、満足そうに微笑むその笑顔が何よりも証拠かのようにケイトに向けられる。
「さんは、ケイトさんが淹れるハーブティが大好きですから、きっと戻って来たら、真っ先にリクエストしま
すよ」
<けど、さんはもう……>
「さんは、絶対に生きています。大丈夫。絶対に戻って来ますよ」
不安な表情を隠せないケイトとは逆に、確信したように言うアベルに、そんな自信がどこにあるのだろうかと、
思わず疑問に思ってしまう。は、確かに目の前で炎に巻き込まれてしまった。
プログラム「ヴォルファイ」が作動しているのであれば、必ず連絡してくるはずなのに、
それすらないのだから、ほぼ確定だと言ってもいい事実である。
なのにこの銀髪の神父は、まだ彼女が生きていると、自信たっぷりに言い張っている。
一体、この言葉の意味は何なのだろうか。
「……すみません、ケイトさん。しばらくの間、1人にさせて頂けませんか?」
考え込んでいるケイトの耳元に入って来たアベルの声に、ケイトはすぐに我に返る。
相変わらず、彼の顔には笑顔が見えているが、これが本当に彼の本心なのだろうかと思うと、
少しだけ胸が締め付けられてしまう。
<アベルさん……、本当に大丈夫ですか?>
「ええ、大丈夫ですよ。……もしかしてケイトさん、私と一緒に寝たいのですか?」
<……えっ?>
「いやー、このソファ、あまりにも座り心地がいいものですから、眠くなってしまって。休憩室まで移動するのも面
倒だから、ここで寝てしまおうかな〜、と……」
<面倒でも、寝るんなら休憩室でして下さいまし、このスケベ神父!!>
予想外の返答に、ケイトが勢いよく突っ込むと、ローテーブルに置かれたティーセットがさげられ、
再びワゴンへと戻された。
そんなケイトの行動に、アベルが慌てたような表情をして、半分涙目状態でケイトを見つめた。
「あのー、ケイトさん? 私、まだ全部飲み終わってないんですけど?」
<レオンさんみたいな発言をしたアベルさんがいけないんです! さっ、とっとと休憩室でお休み下さいませ! 全
く、さんがいなくなったというのに、何考えているんだか……>
「だから、さんは死んでませんって!」
<そんなこと言って、納得出来るわけないじゃないですか! 睡魔の呪いでしたら、早くベッドで駆除して下さい!
!>
「別に嘘は言った覚えはありませんが、ま、これ以上の理由もないですからいいです。……それじゃ、レオンさんと
トレス君が戻って来たら、教えて下さいね」
<はいはい、分かっていますから、ゆっくり休んできて下さい、アベルさん>
ケイトが猫を追い払うかのようにアベルをあしらうと、アベルはその場に立ち上がり、
ゆっくりとした足取りでラウンジの扉へ向かって歩き出した。
肩を落とし、まるで何かが喉に引っかかっているかのように見えるアベルの後ろ姿に、
ケイトは思わず声をかけそうになってしまったが、きっと返って来る返事は同じだろうと思ってやめてしまった。
<レオンさん達が戻るまで、そっとしておいた方がいいのかもしれませんわね>
扉の奥へ消えてしまった者へ向けて呟くと、ケイトは新しいティーカップへハーブティを注ぎ、
いつの間にか電源が切れた電脳情報機が置かれているハイテーブルの上に置いたのだった。
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