ラウンジを出たアベルは、1つため息をつき、休憩室に続く階段を上っていく。
その姿はまるで体力を失ったかのように、力がないように見える。
が死んでいないのは確かだが、どんなことがあっても連絡をしてくるはずなのに、
それが一切ないのはおかしすぎる。
それに、もし彼女が生きているのであれば、彼女の側近であるプログラム達から何らかの連絡があるはずだ。
こんなことなど、今まで一度もなかっただけに、さすがのアベルも不安を隠せないでいたのだった。
事実、トレス達との会話中、アベルはずっとへ交信をしようと、意識を集中させていた。
しかし、いつもの彼女ならすぐに反応するはずなのに、姿どころか、声すら聞こえることがなかった。
居場所を見つけ出そうとしても、周りは闇ばかりではっきり特定できず、
それどころか、普段あまりやらないことをしたために、逆に体力ばかりが奪われ、
今、こうして休憩室に向かって歩くのが精一杯なぐらい、身に力が入らない状態になってしまっていた。
何とか2階までたどり着くと、そのまま休憩室に向かって歩き出す。
少しふら付いているからか、体が左右に揺れてしまう。それを抑えるかのように、
壁際に取り付けられている手すりにしがみつきながら、足を前へ進めていった。
あともう少し歩けば、ゆっくりと横になれる。
そしてレオンとトレスが戻るまで、しっかりと回復させて、の居場所を捜しなおせばいい。
アベルはあと数メートルで到着するであろう休憩室に向けて、
まるで最後の気力を振り絞るかのように歩いていった。
『……相変わらずね、アベル・ナイトロード』
女性らしき声が聞こえたのは、ようやくアベルが休憩室の前へたどり着いた時だった。
周りを見回し、声の発生源を探し出そうとしても、その姿はどこにもない。
疲れすぎて、空耳が聞こえたのだろうか。
そう思って、休憩室の扉を開けようとしたのだが――。
「――つっ!」
扉の手すりから、まるで静電気のように電流が発生し、思わず手を引っ込めてしまう。
季節的には冬だが、この時期に静電気が発生するのはおかしすぎる。
『先に、私の姿を見つけてからにしなさい、アベル・ナイトロード。そうすれば、ここから先に進めるわ』
優しく、そしてどこか懐かしく聞こえる声に、アベルは再び周りを見渡し始めた。
声の主は誰なのか分かる。しかし、その主がなかなか見つからない。
本当にここにいるのかと、思わず疑ってしまうぐらいだ。
『……どうやら、見つけられないようね。仕方ないわ。の指示以外で見せるのは、これが最初で最後よ』
アベルの目の前が、突然明るく光り出す。
思わず目を掠めてしまうほどの光に、アベルは何が起こっているのか分からず、
その場から少し後退してしまった。
『やっぱり、がいないとスムーズに登場出来ないわね。早く「戻って」来るように言っておかないと』
光の先から聞こえる声に、アベルは何とかして目を開く。
そして相手の姿を確認すると、彼は驚いたように目を大きく開き、目の前に佇む者に向かって声を張り上げた。
「……本当に、『生きて』いたのか!?」
『ええ、この通り。私も最初、驚いたわ。まさかすべて完治して、復活出来るだなんて』
光に包まれているのは、間違いなく女性である。
しかしそれは、「人間」ではない。
だがアベルは、まるで本物の「人間」そのものの姿で現れた「彼女」に、
何も抵抗を感じてなく、逆に懐かしさすら感じていた。
「一体、どうしてここにいる? あの時、あなたは確かに消去されたはずだ」
の命によって起動した消去プログラムの犠牲になった「者」が復活したという例は、
未だかつて聞いたことがない。
復活しようとすれば、
今まで自分が仕掛けた攻撃を呪詛返しのごとく自分の身に返って来る結果を生み出してしまうからだ。
『それがあの時、「私達」でも分からないところで、が数字を間違えたのよ』
「数字を、間違えた?」
『ええ。そのせいで、消去プログラムが再生プログラム――しかも、今まで発見することすら出来なかった完全修復
プログラムに変わって、無事にここまで回復したのよ』
最強の威力が発生される消去プログラムの一部を間違えるなど、
今までのにはあり得なかったことだっただけに、アベルは思わず顔をしかめてしまった。
下手したら、そのミスのせいで最悪な結果を生み出していたかもしれなかったからだ。
「他のプログラムに、そのことは言ったのか?」
『いいえ。言ってしまえば、はまた私や「彼」に頼って、人間との接触をさらに拒んでしまう。だから、わざ
と表に出ないでいたの』
「それなら、なぜ今になって表に出た?」
『それは……、……「あいつら」を抑えるのに、限界が来たからよ』
「彼女」が言う「あいつら」とは1つしかいない。
しかし今まで、「それら」を抑えていたのは「彼」だと思っていたアベルにとって、
その発言は不可解なことへと変わっていった。
「あなたが『あいつら』を抑えてた、ということか?」
『正確に言えば、「彼」と一緒に抑えていた、というのが正しいわね。でも、私は「彼」ほど力はないから、それな
りに限度というのがあるのよ』
「それでに、俺が受けた全ての反動が来た、ということか……」
『あれでも、がんばって留めたけどね。……本当、あなたにも迷惑をかけてしまったわね、アベル・ナイトロード』
通常、プログラムは人間の名前をフルネームで言うことが多い。
しかし、の側近であるプログラム達は、
アベルを始めとするAxのメンバーにコードネームがついているため、そちら側で呼び続けていたのだ。
しかし相手はどうやら、相手との距離を縮めるために、わざとフルネームで呼んでいるように感じられた。
逆に、アベルにとって、昔のことを思い出させる引き金になっていた。
『迷惑をかけたお詫びに、いい情報を教えするわ』
思い出に浸っているようなアベルを現実に戻すかのような声が耳に届くと、彼は慌てて相手の顔を見つめた。
その目は、いつになく真剣な眼差しを見せている。
『あの子は……、はプログラムの狭間にいるわ。そのせいで、スクルー達の起動が一時的に止められてしまい、
交信不可能になっているの』
「プログラムの、狭間?」
『時空の狭間と似たようなものよ。でも、心配しないで。彼女は、プログラム達に愛されている子。飲み込まれるこ
となんてあり得ないから』
自信満々に言う相手の顔に、アベルは不安な気持ちもありつつも、
が予想通り無事だったことに安心するかのように、肩の力が抜けていった。
それほど、神経質になっていたのかもしれない。
『いつ頃戻って来れるかという断言は出来ないけど、事がすべてスムーズに進めば、夜にでも復帰出来るでしょう。
彼女自身も、早く戻りたいと言っていたしね』
「“アイアンメイデン”の爆発から助けたのも、あなただったのか?」
『ええ。予想通りの展開だったから、こっちとしては焦ることはなかったけど』
「……やはり、すべて思惑通りだったわけだな」
『私を誰だと思っているの、アベル・ナイトロード? すべてのことを予期していなければ、行動に移すことなんて
不可能に近いわ』
毎回、「彼女」の行動には驚かされることが多かったが、
さすがにの危機まで見抜いてしまうところまで行くと、アベルとしても言葉が見つからなくなりそうだった。
だが、に最も近い位置についていたこの者にとっては、それすら当たり前かのごとく捉えているようで、
特に疑問に思っている様子を見せていなかった。
『……そうそう。があなたに伝えた伝言が無事に届いたか、少し心配していたわね』
「伝言? ……もしかして、あの『夢』のことか?」
『そういうことになるのかしら? 私は伝言ということしか聞いていないから分からないけど』
シェーンブルン宮殿に広がるバリアは、やはりが取り付けたものだった。
ようやく謎が解明されて安心したのと同時に、あの時に見せた「夢」を思い出すかのように、
アベルはゆっくりと目を閉じた。
あれがもし「伝言」だったのであれば、あの短い中に、何かメッセージを残しているはずだ。
それを見つけ出し、彼女の願いを叶えなくては。
アベルは逆戻しにするかのように、今までの発言を1つ1つ巻き戻していった。
そして、シェーンブルン宮殿で目が覚める前まで戻すと、何かを思い出したかのように、
閉じていた瞼を勢いよく開けた。
「そうか……、もうすでに、“塔”の在り処を知っていたのか!」
『彼女だけではなく、ケイト・スコットとトレス・イクス、レオン・ガルシア・デ・アストゥリアスも居場所を知っ
ているわ。……すぐに動けそう?』
「今、トレス君とレオンさんが国王陛下に会いに行っている。……待てよ……。……そうか、そういうことか! …
…くっ!」
アベルは何かを掴んだように、顔が一気に晴れ渡ったような表情を見せ、
目の前にいる者を置いて、勢いよく走り出そうとした。
しかし、疲労が溜まっていることをすっかり忘れており、すぐにその場に崩れ落ちてしまった。
『相変わらず慌てん坊ね、あなたは』
少しだけ呆れたような表情を見せ、「彼女」は両掌を向かい合わせる。
するとそこから、何やら白いものが出現し、ゆっくりとアベルの方へ向かって飛ばされていき、
胸の中に吸収されていく。
それと同時に、先ほどまでの疲労感がなくなり、逆に身が軽くなったようで、再びその場に勢いよく立ち上がった。
『フェリーほどの回復力はないけど、これだけあれば十分なはずよ』
「ああ、十分だ。……ありがとう」
『こちらこそ、今まで彼女を支えてくれてありがとう。お陰で……、以前より頼もしく見えるわ』
光に包まれた者が、安心したかのように微笑む。
それはまるで、自分の「娘」の成長を喜ぶかのようにも見え、アベルは相変わらずな笑顔に、
つられて微笑んでしまいそうになった。
『あなたも……、昔よりも笑うようになったみたいで、安心したわ』
「えっ?」
『何でもない。……さ、早く行きなさい。あなたの目的を、達成させるために』
「はい! ……あの、本当にありがとうございます」
『いいえ。私は当たり前のことをしただけです。だってあなたは……、あの子の“クルースニク”ですから』
まるでアベルの背中を押すかのような言葉に、アベルは1つ大きく頷き、「彼女」へ背を向けて走り出した。
その背中には、もう先ほどまでの不安など当になくなっていたかのように見える。
『のことは私に任せて、約束をしっかり果たしなさい、アベル・ナイトロード』
再び聞こえた声に再び振り返った時には、もうすでに光の存在はなくなっていたのだった。
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