アベルの運転のもと、スフォルツァ城に到着したのは午後6時になる数分前だった。


 駐車場にはたくさんの車と2台のトラックがあったが、専用の駐車場は確保されていたため、
 スムーズにそこへ駐車することが出来た。




「今日、何かあるんですか?」

「カテリーナ主催のパーティーがあって、お偉いさん達がたくさん来ているのよ。異端審問によって失いかけた信頼
を取り戻すためらしいんだけどね」

「なるほど、カテリーナさんも大変ですね。……おや? あそこにいるのは、ロレッタさんじゃないですか?」

「あら、本当だわ。わざわざ出迎えに来てくれたのかしら?」




 スフォルツァ城の入り口付近に立っている尼僧を発見し、アベルはトランクから取り出した荷物を持って、
 その方へ向かって走り出した。
 しかし――。




「わわわっ!」




 重い荷物を持っているからだろうか、足元が絡みつき、そのまま地面に見事なスライディングを見せる。
 目の前で繰り広げられたアベルの馬鹿っぷりに、は呆れたように手で目元を隠して見て見ぬ不利をする。
 目撃したロレッタが慌てたように駆け寄ると、アベルが痛みを訴えるように体を微妙に動かしている。
 全く、この神父はどうしてこう落ち着きがないのであろうか。




「だ、大丈夫ですか、ナイトロード神父!?」

「お、お久しぶりです、ロレッタさん……」

「相変わらず、アホ丸出しなんだから、あなたは……」




 手を差し出し、アベルが立ち上がるのを手伝うと、だらしなく笑う顔を見て、は思わずため息をもらす。
 さっきまでこんな男に慰められていたのかと思うと、あの光景は幻なのかと感じてしまう。




「……で、ロレッタ。出迎えて来た理由があるんじゃないの?」

「ああ、はい。カテリーナ様が、そろそろ到着するんじゃないかって言うものですから、それで」

「相変わらず、カテリーナさんの勘は鋭いですねえ。感心しちゃいます」

「どっかの誰かさんは勘が鈍すぎて困るものね」

「ええ、近頃なんて更に鈍って……って、さん! またあなた、そんなこと言って!!」

「あら、私、誰もアベルだなんて、一言も言ってないわよ?」




 先ほどのこともあってか、こんな風に話せないかと思ったが、
 特に変わりなく会話が出来ることに胸を撫で下ろしながら、慌てるアベルの姿を見て笑っていた。
 この分だと、もう心配する必要はなさそうだ。



 ロレッタに案内され、スフォルツァ城の中へ入っていく。
 今朝とは全く違い、天井に吊り下げられているシャンデリアが煌々と輝き、思わず目を顰めそうになってしまう。



 しばらく歩くと、東館に設置されている喫茶室に到着し、中に入っていく。
 カテリーナの姿を目撃したが、どうやら誰かと会話を楽しんでいるらしい。




「やっ、どもー、カテリーナさん♪ ……ややっ、すみません、お客さんでしたか?」

「いいのですよ、ナイトロード神父。ちょうどお話は終わったところですから」




 先客達の存在を知って、慌てて手を下ろし、ばつ悪げに肩をすぼめたアベルを、カテリーナが宥めるように答える。
 その横で、は彼女を囲んでいる客人達の顔を見回した。
 中には以前会った者もいるし――相手はどうやら覚えがないらしいが――、初めての者もいるが、
 事前に招待客リストを片っ端から見ているため、誰が誰で、どういうことをしているのかは把握済みだ。
 よくもこんなに揃えたものだと、思わず感心してしまう。




「……皆様、本当に今宵のご来訪ありがとうございました。今回、皆様に賜ったご尽力への感謝の印として、今宵は
ささやかな宴を用意させていただきました。楽しんでいっていただけると幸いですわ」

「さようか。では、また後刻」




 見慣れた顔もそろう客人達が促されるがままに席を立ち、
 扉の側でへらへらと笑っているみずぼらしいアベルに胡乱げな、
 あるいはあからさまに軽侮しきった視線を向けながら部屋を出て行く。
 そんな客人達の様子を見てため息をついただが、彼に言ってもきっと無駄だろうと悟り、
 忠告するのを止めてしまった。




「こちらにおかけなさい、3人とも。……神父アベル、ミラノに到着するのは明日になると聞いていましたが、意外
に早かったのね。例のボヘミア公家のお家騒動は片付いたのですか?」

「ええ。と言っても、面倒くさい書類仕事は全部“教授”に押し付けてきちゃったんですがね」

「それじゃ“教授”、今頃てんてこ舞いね。例の事情聴取だって終わっていないのに」




 “教授”とユーグが聖天使上地下監獄にいるアルフォンソ・デステ元大司教と“
智天使(ケルビム)”の尋問を始めて、
 早2週間が立とうとしている。
 当初、口が重かったアルフォンソが司法取引を持ちかけたとたんに滑りがよくなり、“智天使”のパスワードまで聞き出したのだが、
 “智天使”の記憶が正確すぎて、その調書を取るのに気が滅入っていると、一昨日愚痴と共に聞かされていた。



 温くなってしまった紅茶を見て、はすぐに席を立ち、近くにあったポットで新しい紅茶を淹れる。
 どうやら今回は、一般受けのいいリプトンのダージリンを使用しているようだ。




「そう言えば、レオンさんも今朝方
ミラノ(こっち)に来てるはずですよ。もうお会いになられました?」

「ええ。事件の報告書は彼から受け取りました。……今はまだ病院の方じゃないかしら?」

「私、彼を病院まで送っていったんだけど、あのレオンがファナちゃんに会うのに緊張していたのよ。本当、写真に
撮って永久保存したかったわ」

「彼には、ここのところずいぶん働いてもらっていますからね。監獄に戻る前に、2、3日は羽根を伸ばさせてあげ
ましょう」




 4人分の紅茶をテーブルに置きながら、はあの時のレオンの表情を見て、思わず笑ってしまいそうになった。
 今頃、緩みっぱなしの顔で愛娘と他愛もない会話を楽しんでいるに違いない。




「アベル、あなたもミラノ滞在中はおくつろぎなさい。ローマに帰ったら、またしっかり働いてもらいますからね」

「ううっ、そっちの方が怖いような……。下手にお休みすると、そのあとが大変なんだよなあ、この職場。ああ、主
よ。私の人生が過重労働で過労死です」

「まあ、なんて罰当たりなことを」

「本当よ、アベル。折角のスフォルツァ猊下のご好意を台無しにするおつもりなの? 私だったら、おもいっきり
休んで、頭をスッキリさせて、ローマに元気よく戻るけどね」

「あなたも人のことが言えませんよ、。ここに来てから、連日仕事ばかりじゃないですか」

「私は護衛役としてここにいる身です。休暇で来ているとは思っていません」




 確かに、護衛役に彼女を呼んだのはカテリーナ本人だ。
 しかし午後はのことも考え、自由時間をしっかりと設けている。
 それなのにもかかわらず、は主人が買い物に出かけると決まって車を出したりするため、
 連日仕事をさせているような感覚に陥っていたのだ。
 しかし彼女自身はあまり苦になっていないように見受けられたため、
 カテリーナはあえてそのことに関して何も言っていなかったのだ。




「カテリーナ様、ナイトロード神父とシスター・はお休みしたくないようです。なら、とっととローマに追い
返して仕事をしていただきましょう」

「そうね……。本人達が嫌というのを無理にというわけにはいないわね」

「ちょ、ちょっと待って下さい、カテリーナさん! 私、お休みしたくないなんて言ってません!」

「私もですわ、猊下。先ほども言いましたが、私は休暇でここにいるわけではありません。それに私に休みがなく
なったらどうなるか、一番ご存知なのは猊下ではありませんか?」

「そうですよ! さん、お休みがないと、カフェ行きたい症候群に狩られて、狂っちゃいますから!」

「そんな大げさに事を膨らませるんじゃないの、この能たらん神父!!」

「うがっ!!」




 焦りながらもどっ突きを入れると、その痛みに叫ぶアベルを、ロレッタが剣呑な目つきで睨みつけ、
 カテリーナが何かを懐かしむかのように目を細めた。
 あの時も、こんな会話を毎日のように繰り返していたことを思い出し、ふと笑ってしまいそうになる。



 昔もこうやって、よくはアベルに突っ込みやらどっ突きやら入れていた。
 それはアベルが突然突拍子な発言や行動に出るからで、カテリーナは笑いながらも、
 少し羨ましそうに見つめていたものだ。



 自分ものように、アベルと他愛もない会話が出来たら……。
 ふとそんなことが浮かんだ時、扉から若々しい男の声が聞こえた。




「――ご歓談中、失礼いたします。ご宴席の準備が調いましてございます。どうか、大広間へお越しくださいませ。
……おお! 今宵はまた一段とお美しい! このガレアッツォ、感動に言葉もありません!」

「……ありがとう、ヴィスコンティ大尉」




 ミラノ公家私兵隊の制服を纏った若者
 ――ミラノ公爵家私兵隊隊長ガレアッツォ・ヴィスコンティが喫茶室に入ると、
 華やかにドレスアップしたカテリーナを見るなり大きく息を呑む。
 カテリーナが生気を欠いて、精巧な造花を思わせるような笑みで返したが、
 その横では大げさな表現をするガレアッツォに向けて呆れた表情を見せて、思わずため息を漏らした。
 今回の任務をすべて自分に託されたことで、少し見栄を張っているようにも伺える。




「皆さん、もうお集まりなのですね? では、私も化粧を直してから、すぐに参りましょう。……ああ、そうね。
アベル、、あなた達もいらっしゃい。夕食はまだでしょう? もうご存知だと思うけど、今日はパーティーが
あるの。よかったら、隅で何か摘んでいきなさい」

「――ちょ、ちょっとお待ち下さい、猊下! 様はともかく、その横のものを宴席にはべらせるとおっしゃ
る?」




 カテリーナの考えに反発するように、ガレアッツォが声をうわずらせる。
 そしてその場に立っている神父に指差し、勃然とまくしたてた。




「今宵の宴席はミラノきっての貴顕淑女が集まります高貴な席です。様はもうご存知の方達がいらっしゃいま
すし、適切な対応なども出来ることは存じておりますが、こんなむさ苦しい者が紛れ込んでは猊下の威信に傷がつき
ます」

「ナイトロード神父は、と同じく私の護衛官です。2人には私の個人的な護衛役として列席してもらいます」

「警備には、僕なりの肝胆を砕いたつもりです! このような胡乱な者などおらずとも、猊下は僕がしっかりお護り
します! それともカテリーナ様、僕の仕事にご不満でもおありとでも!?」




 この自身はどこから来るのだろう。
 は相変わらず呆れた表情を見せたまま、相手の顔を気づかれないように睨みつけていた。
 前回ミラノに来た時、射撃対決をしてに完敗した彼が、
 どうしたらこんなに胸を張っていられるのかが不思議で仕方がないのだ。
 それに、自分がどうこう言われるのは一向に構わないが、同僚であるアベルを「胡乱な者」と言う始末だ。
 確かに、見た目はガレアッツォの言う通りかもしれないが、
 少なくてもガレアッツォよりよっぽど彼の方が立派に護衛を勤めることに違いない。




「……あ、私はどこかで大人しくしていますよ、カテ……、スフォルツァ猊下」




 が何か言おうとした時、へらへら頭を掻きながら立ち上がってアベルが、
 言葉に迷っていたカテリーナを救う。
 それは同時に、が彼のことに対して反論するのを止める意味も込められていることを瞬時に察して、
 は急いで出そうとした言葉を飲み込んだ。




「ローマから着いたばかりでちょっと疲れています。警備は隊長さんにお任せして、お台所で残り物でもいただいて
ますよ」

「でも、アベル……」

「いいんですよ」




 きっと、これは彼の本心なのだろう。はそう思いながらも、この優しすぎる男の態度に少し頭を痛めた。
 ここが彼のいいところでもあるのだが、時と場合によっては弱点にもなりかねない性格だ。
 昔も昔でこの逆だったから大変だったもの、今も今で厄介であるのには変わりない。
 はそう感じながら、その場から立ち上がった。




「ナイトロード神父が行かないのであれば、私も自室に戻っております」

「え、様はご隣席されてもよろしいのですが……」

「ナイトロード神父は私の同僚です。その同僚が隣席を断ったのであれば、必然的に私も断るのは当たり前のこと
です。もう私は、昔とは違うのですからね。それでも何ですか、警備に不満なところでもあるのですか?」

「え、いえ、それはありません! しかし……」

「大丈夫です。私や猊下がいない間も、あなたはずっとここで警備をしてくれたではありませんか。普段と変わらず、
限界体制で警備して下さればいいのです」

「………………そうですね。分かりました、様! ここはすべて、このガレアッツォにお任せくださ
い!」

「……頼みます、ヴィスコンティ大尉」




 が仮面を被ったような笑みを浮かべると、目の前に置かれている紅茶を飲み干し、
 そのまま扉に向かって歩き出そうとした。
 しかしそれを止めるかのように、後ろからアベルに声をかけられる。




さん、よかったらご一緒にお台所へ行きませんか? 先ほどから、何も食べてないのはご一緒なはずです。
それに、ミラノ滞在中のお話とかも聞きたいですし」

「……そうですね、ナイトロード神父。ご一緒させていただきますわ」




 なぜ敬語になってしまったのかは分からないが、アベルの顔が彼女を安心させるかのように微笑んでおり、
 思わず素直に従ってしまった。
 どうやら今回ばかりは、アベルに逆らうことが出来ないらしい。
 そんなアベルは、立ち上がったガレアッツォの手を握り、硬い握手を交わした。




「じゃ、ヴィスコンティ隊長、猊下のことはよろしくお願いしますね。……あ、そうだ。さっき気づいたんですがね。
正門のチェック、あれってちょっと甘過ぎません? 招待客リストに写真が貼ってありませんでしたよ。あれじゃ、
万一、別人が紛れ込んじゃっても分からないんじゃないかなあ」

「ご忠告はありがたいんだが、我々はこう見えてもプロでね。テロリストと賓客を間違えるなどありえん」




 アベルが言うことと同じことに気づいていたが、自信を取り戻したガレアッツォに反論しようとしたが、
 きっとまたアベルに止められるであろうと思い、再び言葉を飲み込んだ。
 今日1日ぐらい、彼に花を持たせてあげてもいいかもしれない。




「猊下、警備対戦は万全です。どうか、大船に乗ったつもりでいらして下さい」

「……信用していますよ、ヴィスコンティ隊長」




 胸を張った若者に、カテリーナは表情だけは陰陽に頷く。
 それを少し離れた位置から見ていたが、その表情が作り物であることに気づくのに時間はかからなかった。



 しかしこのスフォルツァ城の警備システムは、
 先代ミラノ公が趣味で
発掘復元(サルベージ)したご自慢の遺失技術(ロストテクノロジー)が城内を24時間体制で監視している。
 さらには、今夜のような大きな催し物が開かれる際には、中央警察室の
電動知性(コンピューター)からの指示で出入り口が全て封鎖され、
 外部からの侵入者を物理的に遮断するようになっている。
 そのため、があまり深刻に思いつめること必要はなかった。
 ガレアッツォがどんなヘマを犯しても、きっとこの「遺産」が助けてくれるであろう。




「それでは、ヴィスコンティ隊長は持ち場に戻りなさい。私はもう少ししてから、大広間に行きます。……ああ、
シスター・ロレッタ、あなたは神父アベルを厨房に連れて行ってあげて。は少し、この場に残りなさい」




 カテリーナがその場にいる者達にそれぞれ指示を出すと、ロレッタの後をアベルがスキップしながら退室していく。
 その姿はあまりにも垢抜けていて、こっちが拍子抜けしてしまいそうになるほどだった。




「……で、私をここに残したということは……、何かして欲しいことがあるっていうことね?」




 ガレアッツォが退場してすぐ、は本題に入るべく、カテリーナの方へ向きを変える。
 尋ねられた麗人は再び窓辺を見ると、ため息を漏らしてから立ち上がった。




「くだらない。……本当にくだらないわ」

「でも、やらないといけないんでしょ?」

「ええ……。……、あなたに頼みたいことがあります」




 扉に向かって歩き出したカテリーナを追いながら、は主の依頼を待つ。




「ここに設置されている
電動知性(コンピューター)のデータは取得していますね?」

「私を誰だと思っているの? もうとっくの昔に手に入れているわ」

「よろしい。ならば、少しでも異常が見つかったら、すぐに来てくれますね?」

「勿論。私とて、ヴィスコンティ大尉を100パーセント信用しているわけじゃないし、むしろ悩みの種が山盛りで
困っているところだからね」




 ため息交じりで言うに、カテリーナは少し苦笑しながらも、扉に手をかけて部屋を出て行く。
 そして長い廊下を歩き始め、突き当たり左右に分かれている道で足が止まった。




「それでは、頼みましたよ、

「そっちも、あまり無理しないでね」






 お互いに微笑み合って、それぞれ別の方向に歩き出す。
 この時はまだ、これから何が起こるのか、予想すら出来ていなかった。

















「BIRD CAGE」、ついに始まりました。
来たよ、ヴィスコンティ大尉(汗)。
彼は絶対にを敵対視しているはずです。
だからこそ、今回のこの任務に張り切っている、と勝手に解釈しています。
我が子想いですみません(汗)。





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