今夜のパーティーで使われない予定でいた喫茶室は予想以上に気温が低く、
怪我をしているカテリーナの体温を奪っていき、血の気なく青ざめてしまっていた。
白いオーラを怪我している肩に掲げて止血をして、そのまま跡を消そうとしたが、その手をカテリーナが止めた。
どういう意味なのか分からず、は止めた相手の顔を不思議そうに見つめた。
「大丈夫です、。止血さえしてくれれば、それで十分だから」
「でもこれじゃ辛いでしょ? だったら……」
「あなた達の方が、普段、私なんかの何十倍もの怪我を追っているはず。これぐらいのことで我慢出来ないようじゃ、
部下の気持ちが分かりません」
「そんなことで強がり言わないで。あなたは私達の……」
「いいから、心配しないで」
痛みを堪えながら微笑む顔がすごく辛くて、すぐに治したくて仕方がなかった。
しかし、このまま治療を続けても、きっと相手はそのことに納得しないはずだ。
それなら、彼女の意見を尊重するしか方法がない。
「……分かったわ、カテリーナ。でも限界だと思ったら、すぐに言うのよ」
「ええ、勿論です」
「アベル、ハンカチか何かで腕を固定して。私はその間に、電脳情報機を転送してもらうから」
「分かりました。……す、すみません、カテリーナさん! い、痛かったですよね? ごめんなさい」
「大丈夫よ、アベル。……心配しないで続けて」
アベルが懐からハンカチを取り出してカテリーナの肩に巻き始めると、
は腕時計式リストバンドの中心を「5」に合わせ、横のボタンを押した。
紫の光がともり、すぐに連絡を取り合う。
「プログラム『ヴォルファイ』、私の声が聞こえますか?」
『聞こえているよ、わが主よ。電脳情報機でしょ?』
「その通り。すぐに転送して」
『了解。座標確認、西館内自室より、電脳情報機を東館内喫茶室に移動、――転送開始』
プログラム「ヴォルファイ」の声と共に、目の前に少し大き目の長方形の板が転送される。
そのふたを開けると、すぐに電源を入れて、スフォルツァ城内の設計図を取り出し、敵の配置場所を確認した。
見たところによると、本館の大広間、外にある衛兵達の詰め所、そして本館内にある警備室だ。
「それより、衛兵達は何をやっているのかしら? やすやすと敵に入り込まれたばかりか、銃声にも反応せず……」
「実は、大広間に向かう途中で衛兵さん達の詰め所によって来たんですが……」
「中はすでに全滅だった、でしょ?」
「スクラクトさんから聞いてたんですね、さん」
「じゃなかったら、ここまで飛んで来ないわよ」
最新のデータを収集しながら、は淡々とアベルに言った。
全ての電動知性を回復するには、はやり自分が警備室に向かった方がいいのかもしれない。
しかし、今の体力で、はたしてどれだけ成し遂げることが可能だろうか……。
「そう言えば、アベル、ロレッタは?」
「ああ、実は先に、ロレッタさんを脱出させました。彼女が救援を手配してくれるはずです。警察程度でどうこう
出来る相手とは思えませんが、幸い、外にはレオンさんがいます」
「夜半にはケイトがトレスを連れて空港に到着する予定だから、こちらとしても問題はない、ってことね」
「でも、どうやってシスター・ロレッタを外に?」
「いや、私もついさっきまで知らなかったんですけどね、実はこの城、秘密の抜け道があるんですよ。ほら、中庭の
噴水……、あそこに給水している水路を通れば、外に出ることが出来るらしいんです。いわゆる、警備上の欠陥
ってやつですかね」
「なるほど。つまりそれって、修理する場所が増えた、ということよね……」
自分でも気づかなかった盲点を発見され、は納得しつつも、少し疑問が横切った。
もしそれが分かっているのであれば、
どうしてロレッタは隊長であるガレアッツォに言わなかったのであろうか……。
(……警備の不利が引っかかるようですね)
の心を察知したのか、どこからかアベルの声が聞こえ、は一瞬はっとなった。
しかし目の前にいる麗人に気づかれないように、相手に向かって聞き返した。
(どうして欠陥があるのに、ヴィスコンティ大尉は何もしていないの?)
(それがですね、ロレッタさんがヴィスコンティ隊長にこのことをお伝えしたら、素人が口を出すなって叱られてし
まったそうなんです)
(本当、どこまで威張れば気がすむのよ、あの大尉は……)
「というわけで、その抜け道までご案内します。さんと外に出られたら、すぐに警察の方の方へ行って下さい。
ここは私が何とか時間を稼いでますから」
事情説明が終わったアベルが、カテリーナに安心させるかのように言うが、
どう考えてもその内容は安心させる内容どころか、余計不安が募る内容となっていた。
は再び顔をしかめ、カテリーナと共にアベルに反論し始める。
「“時間を稼ぐ”ですって? ……まさかアベル、あなた、ここに残るつもりなの?」
「アベル、あのね、この城は完全に占拠されている状態で、あなた1人でどうこう出来る状況じゃないのよ。もし残る
のであったら、私も一緒にここへ残るわ」
「ええ、重々、承知しています。でも……、カテリーナさんがさんと共に城外に逃げてしまったと知ったら、
敵が人質を殺してしまうかもしれないじゃないですか。でも私が残って騒げば、連中はカテリーナさんもまだ場内に
いると思い込むでしょう」
「そういう問題じゃないの。カテリーナを1人先に逃がすのは賛成よ。でも、どうして私まで行かないといけない
の?」
「さんはカテリーナさんの護衛役です。その立場であるあなたを、ここに残すわけにはいけません」
「それは逆よ、アベル。護衛役だからこそ、主の代わりに城を守らなくてはならない。それが私の役目なの」
アベルに向けられているの目が真剣そのもので、アベルに鋭く突きたてている。
その目は自分の役目を果たそうとする、「護衛官」としての顔だった。
「私はこれから、本館内にある警備室まで飛んで、電動知性の修正をする。そうすれば電波障害がなくなって、
外にいるケイト達との通信が可能になるし、他の警備隊を呼ぶ手配も出来る。その間にアベルはカテリーナを……」
「いいえ、その案には乗れないわ、」
カテリーナは冷たく首を振り、の意見に反対するように言う。
その顔は、予想以上に落ち着いているようにも見受けられる。
「それだと、あなたやアベルの負担が大きすぎます。あなた達も一緒に来なさい。とにかくいったん外に出るのです。
人質の救出はそれから考えましょう」
「いや、しかしですね、カテリーナさん。私が時間を稼がないと、人質が……」
「そうよ。彼らをこのまま見捨てるつもりなの?」
「あの人達に、あなた達が犠牲になってまで救うほどの価値はありません。確かに、今夜の来賓達はいずれも私の
有力な貢献者です。でも、それだけのこと。――取替えはいくらでも聞きます」
カテリーナの言葉は最もな意見かもしれない。
しかしなぜか、それに賛成出来ない自分がいることに、は苛立ちを感じていた。
彼女自身、来賓のことはあまり深く考えてない。
それでも、同じ人間であることには変わりないわけで、自分やアベルは、
彼らを救わなくてはいけない「義務」がある。
「……あなたがどう思おうと、私の意見は変わることなんてないわ」
電脳情報機のキーボードを一気に叩き始めるの決心は鈍ることがなく、逆により一層強くなっていった。
一刻も早く、人質を解放することが、今の彼女の最終目的なのには変わりはない。
ならば今、自分が出来る最大限のことをしなくてはならない。
はただひたすらキーボードを叩き打ち、画面に1つの「光」を呼び出した。
「ヴォルファー、今からすぐに警備室まで飛んで」
『了解。でも、本当に……』
「いいから、早く飛んで!」
の声は鋭さを増し、目の前にいるプログラム「ヴォルファイ」さえも驚くぐらいだった。
こんな表情をして命令されたのは、一体どれぐらいぶりだろうか?
「カテリーナ、あなたの言っていることは正しいわ。けど私もアベルも、ここにいる人質のことが心配なの。だから
私達は……、ここに残る」
「……」
「アベル、カテリーナを無事に非難させたら、相手に気づかれないように適当に騒いで。……まぁ、出来ればほど
ほどに」
「分かりました。……さん、ちょっといいですか?」
「こっちは急いでいるの。だから……」
「いいから、来て下さい」
無理やり引っ張られ、喫茶室の外に出される。
何が何だか分からなかったが、その直後に見せたアベルの顔を見て、は一瞬ビクッとなった。
冬の湖色をした碧眼が、鋭くに向けられていたからだ。
「……どうしていつも、あなたは自分勝手な行動に出るんですか?」
「……えっ?」
「体調がよくないのに、今警備室に行って、電脳知性の中に潜入しようとしている。どうしてそう、すぐに自分の身
を危険にさらすんですか?」
最初は怒りの表情だったのが、だんだん心配する表情へと変わっていく。
それは見るからにのことを気遣っていて、それが直に伝わり、胸に何かが突き刺さったような痛みが走った。
「……そう思わせてしまったのね。ごめんなさい……」
「体調がよければ、私だってここまで心配しませんよ」
「分かっている。十分、分かっているわ。……でも安心して。今回はプログラムに潜入しないし、外を少しいじるだ
けだから」
「本当ですか?」
「ええ。……基盤の配置が、所々違っているの。それを治して、フェリーが用意する修正プログラムを転送させるだ
けだから」
安心させるかのように、左手で彼の頭を自分の左肩に押し当てる。
右手は電脳情報機を持っているため、両手で抱きしめてあげることが出来ないのは辛いが、この場合は仕方がない。
「大丈夫。無茶なんて絶対にしないから、あなたは安心して、カテリーナを外に逃がしてあげて」
「本当に、約束してくれますか?」
「あら私、今まで嘘ついたこと、あったかしら?」
「嘘はないけど、さんは時々無茶しますから」
「あなたに言われたくないわね、その台詞」
ため息混じりに言いながら、安心させるように髪を撫で下ろす。
アベルの両腕がの背中に回り、強く抱きしめる。
「……無事に、戻って来て下さいね」
「アベルも、あまり無理しないでね。修正が終わったら、すぐに駆けつけるから」
「お願いします」
腕が緩められた時、先ほどまでの緊迫した表情がなくなっていて、穏やかな表情へと戻っていた。
どうやら、お互いに落ち着かせるために、主が与えてくれた時間のようだった。
「それじゃ、行くわね」
「はい。……さん」
「ん?」
「……気をつけて」
「アベルもね。……ヴォルファー、まだ私の声、聞こえてる?」
『もちろん。座標確認、目標地点、スフォルツァ城本館警備室。――移動開始』
アベルの前から、の姿が消えていく。
それを見守る顔は、いつも通りの優しい「笑顔」だった。
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