窓際から見える夜の雪景色は見事なものだった。
明晩の降誕前夜祭にぴったりな気候である。
『で、無事にタリンに到着したわけだね?』
「ええ。そっちの方はどうなの?」
『異端審問の前で、緊迫しているってところかな? 相手がどんな手を使ってくるか……』
「どっちにしろ、お互い、油断は大敵、ってところね」
『然り』
無線の先で、“教授”がいつになく真剣であることに、改めて事の大きさを実感させられる。
ローマとタリン、距離はあるとしても、置かれている立場は同じである。
『異端審問局も、きっとき君達がいる場所を探している最中かもしれないね。見つかったら、それこそ大変なことに
なる』
「そうそう、そのことで、ウィルにお願いがあるの」
『私に? 何だね?』
「ユーグの退院許可を出してもらって、レオンと一緒にここに来て欲しいのよ。やってもらえるかしら?」
『なるほど、2人に異端審問局を止めてもらおう、ということだね』
「その通り」
ブラザー・マタイは軍事戦が得意な異端審問官であるのは、も“教授”もよく分かっていた。
そしてその彼と対等に戦える派遣執行官は、同じ軍事戦を得意としているレオンだけだ。
しかし彼だけで、軍隊1つを倒すことなど不可能以外の何者でもない。
そこで彼の補助役として、入院中のユーグをつけることを提案したのだ。
先日会った様子からして、彼はいつでも動ける状態であることを確信しての判断だった。
『もし辛かったら……、俺に話してくれ。アベルほどのことが出来るかどうかは分からないが、俺なりに君を励まし
たい』
「……まさか、こんな形になるだなんて、思ってもいなかったわね」
『ん? 何か言ったかね?』
「いいえ、何にも」
“教授”の見えないところで、は少し苦笑する。
そして、あの時の剣士の顔を思い出す。
本当、心強い味方がいることはいいことだと、つい実感されられてしまう。
しかし事実、出来ることならこれが無駄足になって欲しいと思っていた。
一応、相手に位置が知らされないように、各国のレーザー・レンジを慎重にかいくぐって飛行してきたらだ。
そのせいで3日はかかったが、そのお陰で、無事にタリンに到着することが出来たのだから問題はない。
あとはこのまま、予定通りに“智天使”を確保すればいいだけのこと。
そのための、言うなれば「予備対策」となるのが、ユーグとレオンになるわけなのだ。
「とにかく、ユーグとレオンのこと、頼んだわよ」
『分かった。それじゃ、僕はそろそろ資料をまとめないと。相手はシスター・パウラだからね』
「それは手強いわね。あまり無理はしない程度にがんばって」
『ああ、そうするよ』
「じゃ、お互いがんばりましょう。―――以上、交信終了」
イヤーカフスを弾いて、先ほどケイトが入れてくれたレモングラスのハーブティを口に運ぶと、
は大きくため息をついた。
ユーグとレオンが来てくれれば、こちらも落ち着いて事を運ぶことが出来る。
少しだが、力が抜けたような気がしていた。
再び小型電脳情報機に視線を戻した時、後ろにある搭乗口が空く音がして、
はコックピットから顔を出した。
そこには、アベルと共に街の様子を見に行ったトレスが戻って来て、
ラウンジにいるアントニオとクリスタを呼びに行こうとしたところだった。
「トレス、誰か見つかったの?」
「肯定。新教皇庁に追われていた住民を救出した後、無事に保護した。これより、卿とボルジア司教、アンハルト伯爵夫人
を、その者のところに案内する。体調はどうだ、シスター・?」
「全然問題なし。先に外に出ているわ」
「了解した」
トレスが再びラウンジに向かって歩き出すと、は弾倉の中身を確認して、
白の外套を羽織り、搭乗口から外に出た。
真っ白な地面に、いくつもの穴が空く。
しかしそれも、冷たい風が吹けばすぐに塞がってしまう。
「外に出ると、また景色が変わりますわね」
「ええ。何だか、心が和みますよネ。……静かなところを除けば、だけど」
後ろから聞こえる声に振り返ると、目の前に広がる光景に感動するクリスタと、
それとは対照的に、少しうんざりしたような顔をしたアントニオの姿があった。
はそのまま後退し、依頼主である貴婦人に頭を下げてからに尋ねる。
「アンハルト伯爵夫人、長旅でお疲れになっていませんか?」
「大丈夫ですわ、シスター・。ああ、先ほどはミルクティ、ありがとうございました。あんなに美味しいものは
初めて飲みましたわ」
「ロンディニウムのフォートナム&メイソンのアールグレイで淹れたものです。お気に召して、よかったですわ」
は満弁の笑みで答えたが、脳裏では相変わらず疑いの視線を送り続けていた。
プログラム「スクラクト」からの連絡は未だに入って来ていないが、彼女が普通の伯爵夫人とは違うことは、
実体験をしているが一番よく理解していた。
「この先、500メートル先にナイトロード神父と保護した住民がいる。ついて来い」
トレスの案内で、3人はアベルのもとへ向かうべく歩き出した。
ローマとはまた違う寒さに、は一瞬顔をしかめそうになったが、それをガードするように、
トレスが彼女の前に出て歩き出した。
今回の彼は、何故か優しい。
「卿はそのまま、俺の後ろを歩け、シスター・」
「ええ。……ありがとう」
「無用。卿は先ほどまで体調を崩していた身。ここであまり消耗させるわけにはいかない」
あまり見せない行動に、は一瞬と惑ったが、相手はいたって普通に対応しているため、
ここは大人しく彼に従うことにした。
もしかしたら、これが最初で最後かもしれないと思ったからかもしれないが。
「ところで、さっき、新教皇庁の連中に住民が襲われたって言っていたでしょ? どうして?」
「現在、ここタリンでは夜間外出禁止令が出ており、それに反したものは容赦なく抹殺するように命令されている」
「襲った相手は?」
「修道士アロイスと修道士リヒター。両名とも、新教皇庁に所属する強化歩兵だ。今、ナイトロード神父が拘束している」
スタスタと歩きながらも、トレスは淡々との質問に答えていく。
その様子はいつもと同じだが、何故か、今日は親近感を感じてしまう。
不思議な空気が、2人の間に流れ込んだ。
(ま、たまにはいっか)
とりあえずそう思うことにした時、トレスが急に止まり、
はその反動でトレスの頭におもいっきり顔をぶつけてしまった。
「い、いた〜……」
「? 何かあったか、シスター・?」
「あなたが急に止まったからでしょう、このサイボーグ神父!!」
「サイボーグ? サイボーグとは何だ?」
「そういう細かい突っ込みはしない!!」
相手がトレスだと、突っ込みもすぐに返されてしまう。
は衝突した衝撃で痛めた鼻をさすりながら、トレスの前を見た。
するとそこには、しっかり手錠をかけられた2人の修道士と、
それに襲われたと思われる男性を保護したアベルの姿があった。
「何だ、到着したのね……」
「さん、大丈夫ですか? 鼻、赤いですよ?」
「これは私のせいじゃないわよ。言うならトレスに……」
「おやっ、君はもしかして、エストニア伯爵ユリウス・リュイテルではないかい?」
後方からの声に、は少し驚いたように振り返る。
クリスタの手を取って歩いていたアントニオが、保護した男性の方を見て、
何かを思い出したかのように発言したのだ。
「アントニオさん、ご存知なのですか?」
「会ったことはないけどネ。写真を前見たことがあったから、もしかしてと思って」
この男は、クリスタ以上に油断大敵な男かもしれない。
はそう感じながらも、まだ身分が分かっているだけマシだと思い、再び前のユリウスに視線を戻した。
「お寒くはないですか、エストニア伯?」
「え、ええ、大丈夫です。……あの、あなたは?」
「ナイトロード、イクス両神父の同僚で、シスター・と申します。こちらは、バレンシア司教アントニオ・ボルジア
様、そしてアンハルト伯爵夫人クリスタ様です」
「これはこれは、ようこそお越し下さいました。エストニア伯爵ユリウス・リュイテルと申します」
ユリウスは少し慌てたようにその場に立ち上がると、とアントニオ、クリスタに向けて一礼し、
彼らに笑顔を見せた。
少し弱々しいが、何か希望の光を見つけたかのように目が輝いている。
「さて、これで全員揃いましたし……、ユリウスさん、もしよろしければ、細かい事情などをお伺いしたいのですが、
よろしいですか?」
「はい。この近くに、宿屋があります。案内しましょう」
「案内してもらう前に、この修道士達はどうするのサ? ここに埋めていくのかい?」
「そうするわけにもいきませんね。……どうしましょうか?」
「俺が2人を“アイアンメイデン”に運び込む。卿らはそのまま先行しろ。すぐに追いつく」
「じゃ、私も一緒に……」
「卿はナイトロード神父と共に宿屋に行け、シスター・」
「でも、トレス1人じゃいくら何でも無理……」
「俺は卿に、ここであまり体力を消耗させるわけにはいかないと180秒前に言ったはずだ。この2人の修道士の
体重は合わせて100キロを超えるほどのもの。1人で運ぶだけでも、大量に消耗するのは目に見えている」
「でも!」
「まま、ここはイクス神父に任せて、ボク達は早く部屋の中に入ろう。寒くて死にそうだヨ」
の説得も、アントニオの発言で見事にかき消されてしまう。
相変わらずの言い方で少し苛立ったが、彼なりに彼女を気遣ったものだと言い聞かせ、1つため息をついた。
「……分かったわ、トレス。あなたに任せる」
「了解」
トレスは1つ返事をすると、修道院のうちの1人を右肩に担ぎ、もう1人の手首を持って、
そのまま引きずるようにアイアンメイデンに戻って行く。
その姿を、後ろからアベルとがかすかに冷汗をかきながら見つめていた。
(本当に、トレス1人で任せてよかったのかしら?)
(ま、大丈夫じゃないですかね。……たぶん)
2人の中でしか流れていない言葉が、スタスタと歩いているトレスに向かって飛ばされたのだった。
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