厳しい街頭歓声を布いているからか、部屋に設置されている灯火の上には黒い布が掛けられている。
それでも、このようは僻地で電灯が使われているのは極めて珍しいことだ。
「いやあ、しかし、びっくりですねえ。こんな田舎に電気が通っているのは驚きです」
目の前にいる市民が微妙に目元をひきつらせたのを見て、
はアベルに突っ込みを入れるように鋭い視線を送ったのだが、相手は特に気にしていないらしい。
「すべては、伯爵様のお力ですよ。2年前、家督を疲れた伯爵様が、ある事業を起こされたんです。発電所も学校も
病院も、すべてそのお金で立ちました。……もし伯爵様がいらっしゃらなければ、タリンは貧しい僻地のままでした
でしょう」
「やめてくれ、セイゲル。私はただ、少しついていただけさ」
誇らしげに言うセイゲルを、隣に座っていたユリウスが照れくさそうに首を振ると、
ポケットから小さなものを取り出し、客人に見せた。
「これは確か……、油母頁岩、ですね?」
「ご存知なのですか、シスター・?」
「ええ。以前、ロンディニウムにいた時に、ちょっと小耳に挟んだことがありまして。実物は見るのは初めてですが、
これだけでかなりの量の石油が取れるわけだから不思議な話です」
事実、ロンディニウムにいたことはあったが、情報の半分以上はプログラム「スクラクト」からの杵柄だ。
それに気づいたのは、この中ではきっとアベルだけだろう。
「これのお陰でタリンの財政事情は大幅に好転しました。今はまだ事業も小規模で、鉱山の一部と精製工場が稼動
しているのに過ぎませんが……」
「なるほどね」
ユリウスが自慢毛に言う姿を、は用意された紅茶を口に運びながら聞いていた。
石油のお蔭だろうか、田舎の宿屋で出す紅茶にしては、味がしっかりしているように感じる。
「ところで、新教皇庁がこの領地を占領して1週間になるって言っていましたね?」
長い前説を終え、アベルがようやく本題に入ると、ユリウスの表情が一気に曇っていく。
その顔を見ながら、も彼に問いかける。
「そう言えば、この国の軍隊はどうなったんですか? 城を護って戦わなかったのですか?」
「もちろん、皆、勇敢に戦いました。……でも、勝てなかった。私も騎士団を率いて戦ったのですが、まるで歯が
立ちませんでした」
ユリウスはそのまま黙り込んでしまい、部屋中がいっきにシンとなる。
しかし、相手は強化歩兵や重戦闘車輛をかね揃えた集団だ。
そんな相手に、民間人が勝てるわけがない。
「……なるほどネ。大体の話はわかったヨ。つまり、ボクらはキミ達の助けは期待できないってワケだ」
長い沈黙を開いたのは、退屈毛に枝毛のチェックをしていたアントニオだ。
「アベル君、どうやら賭けはボクらの負けみたいだネ。さすがに、こんな状況じゃ“智天使”を手に入れるところ
じゃァない。下手したら、連中に見つかってボクらも火あぶりだ」
「それはローマに戻っても同じですわ、ボルジア司教」
アントニオの後を追うように言うの顔にも、諦めの表情が見えていた。
ここにいる人達に、戦闘能力をかね揃えている人などいない。
予定通りにユーグとレオンが来れば、何とか作戦を決行することは可能かもしれないが、
今のところ、2人が来ることは確定していない。
やはり、ここに来たのは間違っていたのか……。
「――“智天使”奪取作戦は続行する」
そんな中でも、カーテンの外を観察していたトレスだけは変わることなく、席についている者達に首を振る。
「“智天使”奪取は至上命題だ。それを諦めてローマに帰還することはありえない」
「そうは言うけどネ、神父トレス。具体的にはどォすんのサ? 連中の数はざっと300。しかも、強化歩兵は機械化
歩兵までごっそりそろえているって話じゃん? でもって、こっちは5人。アンハルト伯爵夫人とボクを差し引いたら
……、1人頭、ざっと100人? ねェ、諦めてローマに戻ろうよ。今ならまだ、許してくれるかもヨ?」
熱を失ったようなアントニオの声が、さらに周りの雰囲気を悪化させる。
しかしそれが絶望的なことだと思えば、この空気は当然の結果だった。
だが、トレスが言うことも正しいし、むしろその意識の方が大きい。
そう、もう自分達は、これ以上の後戻りは許されないのだ。
ならひたすら、前進するのみ。
(私達は、ここでじっとしているわけにはいかない)
は寒い牢の中にいると思われる上司のことを思い出しながら、強く心に誓い、ゆっくりと口を開いた。
「……私達は戻るわけには行きませんわ、ボルジア司教」
自分に言いかけるように、周りにいる同僚2人と司教、そして共に来た貴婦人に訴えかける声は、
とても力強く聞こえる。
「どんなことがあっても、私達は“智天使”を捕らえなくてはなりません。市民の方々にはご迷惑をおかけするかも
しれませんが、司教のおっしゃる通り、私達5人だけ実行するのは困難な話です。ともなれば、私達は彼らの力を
借りるしか手段はありません」
「けど、ここの国の人達、本当に役に立つとは思えないヨ。それでもキミは、彼らの力を借りるというのかい?」
「作戦は立てようと思えば、いくつでも立てることは可能です。出来るだけ、皆さんの負担にならないようにすれば
いいだけのことなのですから」
「それで怪我人が出たらどうするの? 責められるのはボク達なんだよ?」
「怪我人なんて出しません。そんなこと……、私がさせません」
ここで、諦めるわけには行かない。
そうしたら、ローマでがんばっている“教授”とカテリーナに顔向けが出来なくなる。
彼らが最善をつくしているのに、何も行動を起こさないで、ローマにイソイソと帰ることなどもってのほかだ。
ここは多少無理な相談でも、住民達には手伝ってもらう必要がある。
「あの……、神父様方のお力でローマから応援を呼んで貰うわけには参りませんでしょうか?」
アントニオとの討論を中断させるように、ユリウスが恐る恐る声をかける。
その声に、騎士団を引き連れて戦った名将の影などなく、どことなく帯びているようにも聞こえる。
「奴らは冬場中、ここに居座るつもりです。その間に、この街のすべては吸い尽くされ、我々は餓死してしまう……」
「……先ほど私は言いましたよね。『それはローマに戻っても同じだ』と。つまり、今の私達にはその力がないの
です」
「さんのおっしゃる通りです、伯爵。残念ながら、それは無理です」
の後を追うように、はっきりとアベルは首を振る。
「さきほどご説明しましたように、現在、我々は反逆者とみなされています。よしんば援軍を呼んでも、異端どもの
戦闘では、教会軍は手加減しません」
「それに、もし仮に新教皇庁を追い払えたとしても、その時には、この街も廃墟になっていると思われます。その
考えは、お捨てになって下さい、エストニア伯」
「そんな……」
これでも、1つの軍を率いて戦った男なのだろうか。の中で、疑いの眼差しがユリウスに向けられた。
それを知ってか知らずか、当の本人は顔を覆ってがっくりとうなだれている。
「あの、少しよろしい?」
暗い雰囲気を一変するようなハスキーな声が、部屋中に響き渡る。
今まで黙っていたクリスタが、口を開いたのだった。
「お話を伺っているうちに、私、いい方法を思いついたんですけど」
「いい方法? それは一体何ですか、アンハルト伯爵夫人?」
「新教皇庁の方々は、結局、偽教皇のアルフォンソ・デステに服従なさっているんですよね? でしたら、あの老人
を人質にとってしまえばよろしいのではなくて? そうしたら、きっと言うことを聞いてくださると思うのですけ
ど?」
「……はっはっは、いい考えですヨ、セニョーラ。でも、絶対に無理ですネ」
微妙に強張ったアントニオが、黙ってしまった一同に代わり反論する。
「白の奥深く、しかも300人もの兵士に護られている男をどォやって人質にするんです? 忍び込む間に見つかっ
て、殺されてしまいますヨ」
「あら、誰も忍び込むなんて言ってませんわ。ここにいらっしゃる市民の皆様に、伯爵閣下を奴らに突き出していた
だくのです」
「……何ですって?」
クリスタの発言に、市民も、勿論アベルにアントニオ、トレスにも動きが止まった。
しかし相手の貴婦人は気にもせず、婉然と笑み返して、この場にいる人々に用意ならざる台詞を言い始めた。
「偽教皇に面会してから、まず伯爵閣下があの老人を取り押さえてしまいますの。それから門を開けて、市民を城に
入れて……、異端者達は、そうね、一端人質を返すと騙して、火薬庫かどこかに集めてから、火をつけてしまえばよ
ろしいわ」
「い、いや……、はは……、それはどうでしょう?」
さすがのアントニオも、このクリスタの考えに反論することが出来ない。
しかし、市民達はこの危険な提案に乗せられてしまっている。
「ちょっ、ちょっとお待ちください! そんなことしたら伯爵が……!」
「残念ですが、そのアイデアは使えませんよ、クリスタさん」
の説得を、アベルが横入りするかのように口を挟む。
2人とも、話が危ない方に走り出すのを止めようとしているのだ。
「今のお話だと、閣下お1人でデステ大司教を確保しなくちゃならない。いくら武器を隠し持っていくにしても、
リスクが大きすぎます」
「あら? でも、閣下はご武勇に優れておいでなんでしょう?」
「それと今回のこととは話が別ですわ、アンハルト伯爵夫人。エストニア伯1人に、すべてを任せるのは危険すぎま
す」
「ですが、先ほどのお話ですと騎士団を率いて、勇敢に戦われたって――。だったら、偽教皇を人質に取るぐらい、
軽いものではありませんこと? それとも何でしょう? さっきのお話は嘘だったのかしら?」
「ぶ、無礼な!」
クリスタのペースに乗せられて来たのか、市民の間から怒気が上がり、
宿の主人であるセイゲルがユリウスの助け舟になるように訪問者達に言い放つ。
「エストニア伯爵家は代々武勇の名門! ユリウス様もまた、勇敢な騎士にあらせられられます。この方にかかれば、
偽教皇ぐらい、わけもありません。……そうですよね、ユリウス様?」
「……あ? あ、ああ。そうだとも、セイゲル」
セイゲルの発言に、今までぼんやりしていたユリウスが我に返る。
先ほどからの彼の行動を不信そうに見ていたは、集まる視線に慌てて胸を叩く姿が痛かった。
「え、えっと、アンハルト伯爵夫人のご提案は実に興味深い。ナイトロード神父、シスター・、両者のお心遣いは
ありがたいが、こう見えても、私も一通りの武芸は心得ております。心配はご要望に願おう」
「うふっ、これで決まりましたわね」
無邪気に手を打つクリスタと、ユリウスの周囲に興奮したように話しかける市民に、
これ以上の反対の言葉を言うことが出来なくなってしまった。
こうなってしまった以上、この作戦でどうにかやっていくしか方法がない。
「さて……、そんなにうまくいきますかね?」
「たぶん、無理よ。私が見た感じ、エストニア伯がアルフォンソを人質に取れるほど、武勇に優れているようには
見えないもの」
「私も、それは思いました。あの動揺からも丸分かりです」
どうやら、アベルも同じことを感じていたらしく、1つため息をつく。
出来ることなら、もっと彼や彼の市民に負担がならない方法を考えようとしていたも、
クリスタの作戦は厳しすぎることを悟っていた。
「……どう思います、トレス君?」
「リスクが大きすぎる。だが、他の有効な選択肢を見出せない以上、このプランを採用するしかない」
「確かに。これから作戦を立て直す時間もそんなにないし、異端審問後の処刑は判決直後だもの」
「肯定。よって、我々に躊躇している時間はない」
「そうですね……」
「とりあえず、私達なりに方針を練りましょう。もちろん、エストニア伯に負担がかからない程度の、ね」
とアベル、そしてトレスはそれぞれの案を用いて、話し合いを始めた。
本当はユリウスと市民達にも参加して欲しいのだが、彼らは今自分達がやろうとしていることに興奮してか、
その様子に何も気づいていなかった。
ローマで1人闘うカテリーナを、すぐにでも救わなくてはならない。
3人はこの作戦にかけるしか手段がなかった。
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