「余計なものはいなくなったようだね」




 ピエール・ランシェ評議員がそう言うと、目の前にいる、小刻みに震えている尼僧に優しく声をかけた。
 彼女はまだ、怯えている。




「そんなに怯えなくても大丈夫だ。潜入捜査の最中なため、この格好を解くことが出来ないんだが、こう見えても、
君の味方だ」

「……潜入、捜査?」

然り(イクザクトリィ)。もうじき、ここに僕の仲間が君を保護するために来る。それまでの間、ゆっくり休みたまえ」

「あ、はい……」




 一体、彼は誰なのだろうか? 
 アムステルダムから連れて来られた尼僧――シスター・アグネスは警戒心を解かないまま、
 座るように薦められた椅子に腰を下ろし、目の前に置かれた紅茶にも手をつけずに相手の顔をうかがっていた。



 もとはヴァトー家の屋敷として使われていたこの家は、今ではブリュージュに本拠地を置く製薬会社の最大手、
 カリヨン社が本社ビルとして買い取り、株主や四都市同盟政府の高官を招いてパーティーを開いたりしていた。
 今夜もそのパーティーの一環だったが、途中、ヴァトー家一族の生き残りであるユーグ・ド・ヴァトーが現れた。
 しかし、ギィが手配した賞金稼ぎに捕らわれてしまった彼は、今は牢屋に閉じ込められているはずだ。




『“プロフェッサー”、私の声が聞こえますか?』

君だね? 今、どこにいる?」

『ちょうど今、ブリュージュに入ったところよ。それと先ほど、例の飛行船でそっちに向かっていた連中を、無事に
同盟政府によって全員拘束したわ』

「ということは、今のところ予定通り、ということだね?」

『ええ。……そろそろ、そっちに行った方がいいかしら?』

「そうだね。場所を開けるよ」




 ランシェが部屋の真ん中を開けるように後ろに下がると、目の前で“時空”がずれるように、
 目の前の景色が少し揺れた。アグネスがその光景に、思わず目を擦っていると、
 突然目の前に、1人の女性が姿を現したのだ。



 茶色に黒のメッシュが入った長い髪を黒いリボンで高い位置で縛り、女性なのだが僧衣(カソック)を身にまとっている。
 身長も、普通の女性より若干高い。
 一体彼女は、何者なのか?




「ご苦労だったね、君。ケルンの任務が終わってすぐなのに、大仕事をさせてしまってすまない」

「それは、あなたも同じでしょ、“教授”? ま、とにかく、とっとと済ませちゃいましょ。……あなたが、
シスター・アグネスね?」

「あ、は、はい……」




 アグネスがまだ警戒しているように言っているのは仕方ない。
 突然ランシェに連れられ、敵じゃないとまで言われた上、さらに何もないところから、
 1人の女性が現れたのだから。



 恐る恐る、目の前にいる女性に近づくと、相手はアグネスに優しく微笑み、自分のことを紹介し始めた。




「私は教皇庁国務聖庁特務分室派遣執行官、シスター・・キース。こちらにいる、ウィリアム・ウォルタ・ワーズ
ワース博士の仲間よ」

「そう言えば、自己紹介するのを忘れていた。ありがとう、君」

「どういたしまして」




 教皇庁といえば、あのユーグが所属していたところ。
 しかも、彼らは同じ派遣執行官だという。だとしたら……。




「ヴァトー神父を……、助けにきたのですか!?」

「ま、そういったところね。……とりあえず、私は彼女を連れて、“アイアンメイデン”に戻るわ。その方が安全だ
しね。……ところで、ヴァーツラフは?」

「彼は今、例のリストを探しに屋敷内を放浪中だ。出来れば、君の助けを借りたいと言っていたが……」

「了解。あとで、連絡してみるわ。……あら“教授”、新しい紅茶でも買ったのかしら?」

「ああ、それはここで買ったものだよ。戻ったら、少しお裾分けするかい?」

「そうしてくれると嬉しいわ」




 アグネスの前に置かれている紅茶を見て、すぐに新しいものだと分かってしまうあたり、
 まさに「紅茶通」と言ってもおかしくないだろう。
 しかし、今ここで飲みたいとは思わないらしい。
 先にやることを終わらせてから飲んだ方が、味がよく分かるからだ。




「さて、行きましょうか、シスター・アグネス」




 はアグネスに言うと、腕時計式リストバンドの円盤を「5」にセットし、ボタンを押した。
 文字盤が紫に光り、下に基盤の針が皮膚に触れると、そこに呼びかけるように話を掛ける。




「プログラム『ヴォルファイ』、私の声が聞こえますか?」

『大丈夫だよ、わが主よ。どこに行く?』

「“アイアンメイデン”まで戻って欲しいの。あ、1人増えるけど大丈夫?」

『2人なら全然問題なし』

「よし。それじゃ“教授”、あとはよろしく。シスター・アグネス、しっかり捕まって」

「あ、は、はい!」

『座標確認、目的地、“アイアンメイデン”船内。――移動開始(ムーブ)




 プログラム「ヴォルファイ」の声と共に、再び2人の姿の姿が歪むように見え始めた。
 “教授”はそんな2人に手を振ると、は軽く手を上げ、彼に返事をした。






 そして一気に、2人の姿がその場から消えたのだった。

















「そうですか。それでは、こちらもそろそろ準備を開始しましょう。シスター・ケイト、すぐに神父トレスに突入
命令をして下さい」

<畏まりました、カテリーナ様>




 からの状況を聞いたカテリーナが、近くにいた立体映像の尼僧に指示を出し、目の前にある紅茶を口に運ぶ。
 そして次に、目の前にいるシスター・アグネスに声に話し掛けた。




「あなたには、怖い思いをさせてしまいましたね、シスター・アグネス」

「え、あ、いえ! 私は、大丈夫です。それより、ヴァトー神父の方が心配で」

「彼なら、他の派遣執行官が救い出します。心配しないで。シスター・、ヴァトー神父の繋がれていると思われる
鎖の鍵は、彼の近くに置いたんですね?」

「ええ。シスター・アグネスが牢獄から出たあと、プログラム『ヴォルファイ』によって転送させました。今頃、
無事に脱出して、ブリュージュ伯と接触するのではないかと思われます」

「なら、結構。あとは、こちらが動いてからでも大丈夫ですね」

「はい。今、ハヴェル神父の命で、例のリストの居場所を測定中です。見つかり次第、彼に伝える予定でいます」

「分かりました。では、飛行船が到着し次第、あなたにもすぐ屋敷に侵入してもらいます。いいですね?」

「了解しました、スフォルツァ猊下」




 カテリーナに報告しながらも、電脳情報機(クロスケイグス)を動かすの手は止まることを知らず、
 ひっきりなしに動き続けていた。
 画面に表示されているのは、ヴァトー家の内装図。
 探しているのは、犯罪結社と深い関係にある評議員が載っているリストである。



 いくつかの部屋にある引出し、箪笥、本棚などの内蔵を1つ1つチェックしていく。
 普通の
電脳調律師(プログラマー)が出来ないことを、はいとも簡単にやってしまう。
 プログラムに「愛されている」彼女だから出来ることである。



 数分後、ギィの執務室に到着すると、ある1つの像にマークがついた。



 玉座に腰をおろした7つの角と7つの目を供えた子羊のような生き物の像には、
 声で反応するセンサーが設置されており、音声からの暗証管理されているものだということをひと目で理解する。
 そしてその断面図を開いてみると……。




「……あった。これだわ!」




 はすぐにイヤーカフスを弾くと、探し物をしている相手にすぐ交信をし始めた。




「“ノーフェイス”、聞こえますか?」

『聞こえますよ、。見つかりましたか?』

「ええ、バッチリよ。場所は、ブリュージュ伯の執務室にある怪物像の中。どうやら、音声で暗証管理されているみ
たいだから、関係者が来ないと開けられないみたいね」

『分かりました。とりあえず、私はそこで待機しています。ウィリアムがきっと、事を運んでくれるでしょう。
あなたのご協力、感謝します、

「礼には及ばないわよ、ヴァーツラフ。あなたも、くれぐれも気をつけて」

『ええ。何かあったら、すぐに連絡します』

「お願いね。――以上、交信終了(アウト)




 は再びイヤーカフスを弾くと、1つ大きく伸びをして、目の前にある紅茶を一口飲んだ。



 これで、すべて準備万端だ。トレスの飛行艇も、もうじき屋敷に到着する。
 それに乗船して、一気に進んでいけば、あとは向こうの出方を待つだけだ。




「あともうひと踏ん張り……、やるしかないわね」




 は電脳情報機の電源を消すと、紅茶を一気に飲み乾し、その場に立ち上がった。




 最終決戦は、すぐ目の前まで来ている。

 あとは、神に祈るのみ……。

















「BROKEN SWORD」です。
本当はRAM5なのですが、時間軸的にはこの位置になるので、ここでアップです。

今回、彼女はカテリーナの誘導兼“教授”とヴァーツラフの援助、アグネス確保です。
転送能力(じゃないけど)があるので、瞬間移動が簡単に出来ますからね。
これぐらいのことは楽なのかもしれませんね。





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