ヴェネツィアに着いた時にはすっかり日も暮れ、
 アベルとアストがクラブ「INRI」に到着したころぐらいだった。



 仕事の邪魔をするわけにもいかないので、はしばらく町を散策することにした。
 任務では何度か訪れている場所だが、休暇で訪れると、やはり見方が変わる。
 こんな夜に、カフェで紅茶を嗜む風景がよく似合う。




「よし、ヴェネツィアのカフェ事情でも、探ってみますか!」




 カフェになると目がないは、ウキウキしながら、以前から気になっていたカフェを目指して足を進めた。
 特にそこで出されているオリジナルブレンドのフレーバーティーが、
 気になって仕方がなかったのだ。



 胸を弾ませながら、明るい町並みを歩く。謝肉祭ということもあって人も多いが、
 決して人ごみが嫌いではないので、特に気にはしていない。
 むしろ、楽しいぐらいだ。



 途中、とある花屋に入り、そこにあるガーベラの切り花に目が止まった。
 カラフルに咲くその花に、はあることを、思い出していた。




(彼女、ガーベラ、好きだったよね……)






「あれ、そのガーベラ、どうしたの?」

「近くに咲いているのがあって、許可をもらっていただいたの。きれいでしょ?」

「本当、きれいね。この花びらとか、かわいい」

「でしょ? 私、この花が一番好きなの。真っ直ぐで、伸び伸びしているように見えるから」

「ふ〜ん。私は、バラの方が好き。キリリとしたイメージがあるから。けど……」

「けど?」

「けどリリスが好きなら……、私も好きになるわ」






「……もう、昔話に、なっちゃったね」




 昔を思い出し、少し悲しそうに言うの顔に、いつもの明るさがないように感じた。
 いつも明るく振舞っていても、たまにこうやって、昔を思い、辛く感じることもある。
 それを他人に見られるのが嫌で、明るくしているというのもある。
 ……アベルを除いては。



 懐かしんでばかりもいられない。
 自分はもう、過去を振り返らないと決めているのだ。
 今は自分の、やるべきことをやらなくては……。




「……キャ―――!!!」




 が花屋から出たのと、悲鳴が上がったのはほぼ同時だった。
 慌てて外に出ると、たくさんの人がいる中をかき分け、状況が把握出来る位置まで出る。
 そして目の前に広がる世界に……、は唖然とした。



 さっき、彼女が通ったリアウト橋がなくなっている。
 いや、「なくなっている」のではなく、「破壊されている」と言った方がいい。



 そしてその頭上で争っているのは……、2人に吸血鬼だった。1人は、見た目が幼く見える男。
 もう1人は……。




「……アスト!!?」




 そう、それはがよく知っている、キエフ候女・オデッサ子爵アスタローシェ・アスラン本人だった。
 そして、その手に持っている物を見て、さらに叫びそうになった。




(こんなところで“ゲイ・ボルグの槍(スリータ・ア・ゲイボーガ)”を振るうなんて……!!)




 の目は、まさに点状態だった。
 こんな小さな町で、あんな大きなものを振り回されたらたまったものではない。
 一体彼女は、何を考えてあれを振るっているのだろうかと、思わず問いただしたくなる衝動にかられた。



橋の上にある店が崩れていく今、たとえ休暇中とは言えど、こればかりは緊急事態だ。
 何もやらないわけにはいかない。



混乱する人ごみをかき分けながら、奥へと進んでいく。
 少しでもアストに近づき、阻止しなくてはいけないと思ったからだ。



しかしそんな時、もう1人の吸血鬼が大きなシールドみたいなものを出し、アストの攻撃を阻止した。
 それはまさしく、
強磁界シールドシステム(イージス)だ。




(つまり相手が、例のザグレブ伯エンドレ・クーザか)




 相手の検討がついた時、イージスに張られた桁外れの磁界が“槍”を反転・拡散させると、
 分散した火球の1つが、アストの眼前に迫ってきた。
 それを“
加速(ヘイスト)”で避けたもの、2つ目を避けることが出来なく、端の方が当たってしまう。




「危ない……!」




 がそんなアストを助けようとした時、何者かが怪我した彼女を支え、そのまま遠くへ運ぼうとしていた。
 その人物は、彼女もよく知っている人物で、その存在に少し安心した。




「……アベル!!」




 相手の名前を呼び、その場に駆け寄ると、攻撃を受けた部分を見て、思わず顔をしかめた。
 予想以上に酷い火傷だ。




「こんな、酷いことに……、……アベル! あなた、それ!!」

「ああ、これは、大丈夫です。私はともかく、先にアストさんの怪我を治して下さい」

「けど、アベルの方が……」

「私はいいから、早く!」




 アベルに強く言われると、彼女はなぜか歯向かうことが出来ない。
 ここは仕方なく彼に従うが、酷くならないうちに治療しないと、大変なことになる。



 アストの火傷の前に手をかざし、そこからオーラのような光を放ち、少しずつだが治していく。
 地球人と双子因子であるアベルに効果があるのは知っているが、
 彼女とて、長生種は初めてのこと。アストにどれだけ通用するか心配した。




「ザグレブ伯、今日はこれで、見逃してもらいませんか? ご覧の通り、私もアストさんも怪我を負いました。
これ以上、戦うのは無理です」

「うむ。まあ、良かろう。どうせ、ワシに倒される身。ゆっくり楽しむのも悪くない」




 エンドレの近くに何やら「空間」が開き、そこに引き込まれるように姿を消していく。
 彼がいなくなった時には、その空間すら、そこに存在しなくなった。



 アストが負った火傷は思った以上に酷く、「今の状態」で出せるオーラを送っても、なかなか小さくならない。
 相手は長生種だから、すぐに傷自体はなくなってしまう。
 しかしそれでも、とりあえずの応急処置が必要だ。




「これじゃ、埒があかないわ。アベル、何かこう、巻くのとかない?」

「とりあえず、包帯ぐらいでしたらありますよ。それでいいですか?」

「大丈夫よ。貸してくれる?」




 どうして包帯を持っているのか疑問になったが、はアベルから包帯を受け取ると、
 自分の手持ちのハンカチを川の水で濡らし、それを火傷の部分に押さえつけ、
 その上を包帯で巻き、羽織っていた上着をかけた。
 とりあえず冷やしておけば、少しは良くなっていくだろう。




「さ、次はアベルよ。……これは、ひっぱるの、大変ね。でも、引っ張らないと、『力』は使えないし……」

「下手したら、さんの手が、やられます。私は構わないので、他の方の救助を……」

「私の手が傷だらけになろうが、ならなかろうが、関係ないわ。でも、さすがにこれは辛いから、
救助を呼んだ方がいいかもしれないわね。アベル、しばらくアストの様子を見ていて。あと、
辛くなったら、すぐに連絡して。いいわね?」

「分かりました。お願いします」




 アベルの申し訳なさそうな顔が、を思わず引き止めてしまいそうになる。
 しかし今は、彼を救うために、救援隊の要請をする方が先決だ。
 早く、見つけなくては……。



 破壊された橋を横切り、先ほどの花屋がある方まで出る。
 どうやら、この辺は無事だったらしい。



 ちょうど橋の下で、救助隊が被害にあった人達を崩れたビルから引き上げている。
 それを見て、手が開きそうな人を探し出す。
 誰かいないものか……。




「……あなた、さっきいたお客さんですね?」




 後ろから聞こえる声に、驚いたように後ろを振り返ると、そこに1人の男性が立っていた。
 どこかで見たことがある顔だ。確か……。




「あなた、あのお花屋さんの……」

「よかった、覚えていて下さいましたか」




 突然声をかけられ、最初は戸惑っただが、誰なのかすぐに分かると、
 何故か安心したかのように笑顔になった。




「で、私に何か用でしょうか?」

「救援隊の助けを求めているのであれば、私の息子があそこで一緒に救助しているので、連絡すれば、
すぐに行かせますよ」

「本当ですか!? 助かります! 今、知人の神父様がガラスの槍みたいなものに刺されてしまって。
出血も大量で、どうしたらいいものか悩んでいたところなのです。……でも、どうして……?」

「先ほど、店先に咲いていたガーベラを、とても辛そうな顔して見ていたのをたまたま目撃しましてね。
きっと、よっぽど悲しい思い出があるのだろうと思ったら、何だか人事じゃないような気がしまして……。
ああ、病死した妻が、ガーベラが大好きだったんですよ。こう、スーッと真っ直ぐで、伸び伸びしている
ところがいいらしいんです」




 同じだ……。あの時の彼女と、同じだ。



 そう思った時、なぜか彼女も、この店主が人事だとは思えなくなりそうだった。
 ガーベラ1つで、こんなにもいくつもの想いがある。
 少しだが、親近感が沸いたような気がした。




「さ、その神父様の方の場所を教えて下さい。すぐに息子に連絡して、行かせますから」

「あ、はい。えっと、橋のちょうど、手前のへこんでいるところにいます。私も出来る限り、
出血を止めておきますので」

「分かりました。失礼ですが、お名前を聞いていいでしょうか?」

です。教皇庁のシスターをしています。今は休暇中なので、私服でなのですが」

「シスター・、ですね。息子に名前を伝えておきます。さ、早く、神父様の所へ行って下さい」

「ありがとうございます。あなたのその心遣い、きっと神に報われるでしょう。本当に、ありがとうございます」




 は店主の前で十字に切ってお礼を言うと、すぐにアベルとアストがいる場所まで戻った。



 偶然の出会いが、こんなに素晴らしいとは。
 今まで、こんな風に感じたことなどなかったにとっては、それは自然と喜びに変わった。
 心が晴れたような気がして、体が少し、軽くなったような気がした。




(生きているのも……、悪くないわね)




 頭の中でそう思い、ふと微笑む。そして、決心する。






 何があっても、生き抜こう。

 自分の悔いが、残らないように。






 はアベルとアストがいるところまで戻ると、どうやらアストが目を覚ましたらしく、
 その場から立ち上がろうとした。




「ダメよ、アスト! 動いたらダメ!」

「……? くっ……!」

さんが、応急手当てをしてくれました。貴方(メトセラ)の体力なら大丈夫だとは思いますが……」

「今、救助隊の方は手配したわ。もう少ししたら来るから、それまで待っていて」

馬鹿(ドピトーク)! こうしている間にも、エンドレは……、!」




 暴走がまだ止まないアストの頬に、強い衝撃が当たった。
 徐々に頬が赤くなり、それが襲った方を向く。




「……いい加減にしなさい、アスト」

?」

「あなたは一体、どれだけの人を死なせれば気がすむの? どれだけの、どれだけの無罪の人の命を奪って、
悲しませればいいの!?」

「え?」




 アストは周りを見回し、その現状を飲み込もうとする。




「あ……」




 瓦礫から現れる残骸に、思わず言葉を失ってしまう。
 周りで泣いている家族、恋人、友人達。
 すべて、自分がやったことなのか? 
 自分自身に問い掛けていく。




「し、神父、、余は……」




 アストが話し掛けた時、アベルは軽く目を閉じた状態で、とても静かだった。




「……神父?」




 アベルは何も反応がなく、ただ目を閉じているだけだ。
 その状況を見た瞬間、が大きく目を見開いた。




「アベル! こんなところで、気を失っちゃ駄目!!」

「し、神父!?」




 アベルの体が、アストにずるりと落ちて、は一気に血の気が引き、アストが横で叫び声を上げた。



このままじゃ、やばい。
 いくら相手が自分の手に傷を負うのが嫌だからって、そんなことを悠長に言っている暇などない。






そう、思っていた時、待ちに待っていた声が聞こえたのだった。






「シスター・ですね!? 父から話は聞きました。こちらの神父様でよろしかったですか!?」

















はどこへ行っても、真っ先にカフェを探す人です(笑)。
それほどカフェ好き、ということで。

ヴェネツィアは行ったことはないのですが、かなりきれいな街だと聞きます。
その街を破壊してしまったのですから、がアストに向かって怒る気持ちも分からなくないです。
昔の彼女だったらどうかは知りませんがね。





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