「21時……。そろそろ、先頭は坑道に到着した頃だな」
数分後、ユリウスが自分の懐中時計を眺めながら言うと、
は先ほど応急処理したトレスの右脚の負担を少しでも減らすべく、鉗子で破損した部品を引き抜いていた。
「……脚の具合はどうだ、神父トレス? 傷は痛むかね?」
「否定。――痛みはない」
トレスの淡々とした答えを聞きながら、は少し呆れたような声で、彼の様態をユリウスに説明した。
「右上脚部冷却機が破損しているので、長時間の戦闘行動はオーバーヒートを発生させる可能性があります。出来る
ことなら、ガルシア神父とヴァトー神父が到着する間、何も起きなければいいのですが……」
「そうか……」
自分のせいで傷を負わせてしまったことに、ユリウスはどうしてもトレスに誤らなくてはならないと思っていた。
そして、今がそのチャンスだと見て、思い切ったように頭を下げた。
「今朝は本当にすまなかった、神父トレス。私を庇ってくれた君にあんな無礼なことを言ってしまって……。全く、
君の言った通りだな。私はとんだ臆病者だよ」
「――その回答は否定だ」
冷たい声だが、どこか称えているかのように頭を横に振るトレスに、ユリウスは少し驚いたように見つめている。
「前作戦において、卿の精神的動揺が敗因を作ったのは事実だが、今作戦における卿の最後衛はで市民の脱出活動を
支援している。――その士気を不当に低く評価することは出来ない」
「彼の言う通りです、エストニア伯。私もそのことに関しては、見習いたいと思っていたところです」
「いいや……、やはり私は臆病者だよ。父の跡を継いでこの2年間、結構自分では頑張って来たつもりだった。道路
を通したり、学校を建てたり。……でも、そんなことはいざ戦になったら、何の役にも立たなかったよ」
がトレスに賛同するように言っても、ユリウスの口からは悲観的な言葉しか出てこない。
そんな彼の姿が、少し痛々しく見えてしまう。
「銃声を聞いたとたんに眼がくらんで、気がついたら城から逃げ出していた。全く、とんでもない腰抜けさ」
「エストニア伯……、どうか、ご自分をそんな風に否定しないで下さい。この街のためにしてきたことは、とても立派
なことですし、それがあるから、こんなに市民の方々があなたのことを慕っているのではありませんか」
「確かに、それも1つの事実としてはあるがね。……どうせなら私も、君のように戦いに喜びを感じられる人種に生
まれたかったな」
「俺は戦いに喜びを感じたことなど一度もない」
何とか破損個所を取り除いき終えたトレスから声は相変わらず静かだった。
そして、淡々の自分の立場について話し始める。
「初起動以降、戦闘行動に積極的欲求を感じた経験は皆無だ。俺の戦闘は、命令もしくはそれに順するものの結果に過ぎ
ない。……従って、卿の指摘は誤りだ」
「命令? では、今回のことも上司に命令されたのか?」
「否定――、直接の指示はなかった。だが、彼女の生命・地位の保全は、任務外最優先事項だ。すべてにお
いて優先する」
「……そうか。……君はどうなのかい、シスター・?」
質問の矛先がに向けられ、どうやって答えようか少し悩み始める。
彼女も好きで戦っているわけではないのは同じだ。しかし、その理由はまだ話せない。
まして、会って数時間しか立っていないのだから、なおさら無理な話である。
「私も神父トレス同様、戦いに喜びなど感じておりません。出来ることなら、それを止めたいぐらいです。しかし、
このような戦いは止まることなく起こり、たくさんの命が散っています。そしてその中には……、私達の同僚もいま
す」
彼女の心に、バルセロナでいなくなったノエルと、ブルノでいなくなったヴァーツラフの顔が浮かび上がる。
出来ることなら、2人とも助けたかった。
救いたかった。
けどその手助けすら出来ず、帰らぬ人となってしまった。
「だからもうこれ以上、誰もいなくなって欲しくないんです。私が大事にしている人達すべてを守りたい。だから、
私は戦い続けているのです」
「……なるほど、ね……」
誰にでも、守りたいものがある。
もちろんユリウスにも、それはしっかりと存在している。
だからこそ彼は、そのもの達を救うため、こうして動いているのだ。
「……不思議なものだな。神父トレス、シスター・、どうして人間は自分のためより、人のために戦う時の方が
強いんだろう――」
「――沈黙を要求する、伯爵」
ユリウスの言葉を横断するように放たれたトレスの声に、ははっとして、2挺の銃を抜き出していた。
……何かが接近してきている。
「ど、どうしたんだ、イクス神父? シスター・?」
「敵襲だ」
トレスがユリウスを前方へ突き飛ばすと、ほんの50メートルと離れていない後方から爆発が起こった。
爆風が容赦なく市民達に襲い掛かり、それを薙ぎ倒していく。
「……な、何が起きた!?」
「まさか……、見つかったっていうの!?」
の目が急に鋭くなった。
異端審問局が接近してきたのであれば、それは予定時刻よりも大幅に早く到着したことになる。
だがいくら何でも、そんなに早く着くほど楽な道のりではない。
そうなると、可能性として上がるのは……。
「……エストニア伯、アンハルト伯爵婦人がどのあたりにいるかご存知ですか?」
「アンハルト伯爵夫人? 彼女は、ナイトロード神父とボルジア司教とともに、私の城に向かったのではないのです
か?」
「……何ですって!?」
予想外の返答に、の顔が一気に焦り出した。
3000人もいるから、きっとどこかに埋もれているだろうなどという甘い考えがいけなかった。
こんなことになるのなら、最初からアベルとアントニオに同行するべきだった。
の中に、悔しさが溢れ出していた。
「アンハルト伯爵夫人がどうかしたのか、シスター・?」
「それが……!」
の言葉を妨げるかの用に、後方の白煙に紛れて登場した物体が見え、その場が一瞬のうちに凍りついた。
「ノ、新教皇庁!?」
「どうやら、こちらの動きが察知されたようだ。発信源は……、アンハルト伯爵で間違いないのだな、シスター・
?」
「ええ、ほぼ確定よ。……実は彼女、吸血鬼だったの」
「何!?」
「ヴァ、吸血鬼だって!?」
今まで一緒にいた貴婦人の正体を知ったユリウスが、信じられないような目をしてに釘付けになっている。
まさか、あんな近くに、とんでもない化け物がいただなんて!
「それ、本当の話か、シスター・!?」
「ええ。しかも彼女、単なるどこにでもいる吸血鬼ではないのです」
「単なる吸血鬼ではない? 卿の発言は意味不明だ、シスター・」
「彼女……、あのテロリスト集団のメンバーだったのよ」
「テロリスト……、“薔薇十字騎士団”か!?」
全てを把握したトレスが答えを導き出した時、新教皇庁によって空けられた穴から見える装甲車から、
続々と兵士達が降車を始めている。
「――先行しろ、伯爵」
戦闘拳銃の弾倉を対物射撃用のタングステン弾に換装しながら、
トレスは淡々とユリウスに命ずる。
「現在地から鉱山まで3.28キロ。――全速で移動すれば、150分以内に到達出来る。そして坑道に到着次第、
可及的速やかに入り口を封鎖しろ。それで若干の時間が稼げる」
「き、君達はどうするんだ、神父トレス、シスター・!?」
「私達はここに残ります。ここで交戦して、あなた達の逃亡時間を稼がなくてはなりません」
「ここの処置は俺とシスター・に委任して、卿は可及的速やかに先行しろ。――市民を誘導出来るのは卿だけだ」
「む……く……っ」
「ここは卿の作戦領域ではない」
何か言おうとしたユリウスだったが、トレスの一言で、それも止まってしまった。
しかしそれは確かに事実であり、不安げな顔を見合わせている市民を落ち着かせることが出来るのも彼しかいない。
「卿の任務外最優先事項はそこにある。――ならば、卿の手で守れ」
「私達のことは心配いりません、エストニア伯。それよりも早く、あなたのことを愛している市民達をすぐに助けて
下さい」
「……すまん、神父トレス、シスター・! 本当にすまない!」
「早く行け」
2人に頭を下げたユリウスが怯える市民達を誘導し始めたのを確認すると、トレスとは一気に雪稜を滑り降りた。
兵士達が一気に銃口を上げ、月明かりの下にいる2人の派遣執行官に向けられた。
「常駐戦略思考を殲滅戦仕様に書換え。――戦闘開始」
両脇に分かれながら、トレスとはそれぞれの武器で相手を肉塊へと変えていく。
やや遅れて小銃が放たれたが、その時にはすでに、2人とも左右に分かれた岩に隠れていた。
「シスター・。卿は今のうちに、ナイトロード神父とボルジア司教のもとへ行け」
分かれたといえど、普通に会話は出来る距離にいるため、トレスの声がスムーズに理解出来る。
「もし今回の作戦の裏に“騎士団”がいるのであれば、ナイトロード神父1人で押さえることは不可能だ。可及的速
やかにプログラム『ヴォルファイ』にてナイトロード神父と接触することを要求する」
「けど、あなたは大丈夫なの、トレス? 右脚はまだ負傷したままだし、第一、不可装甲と追加出力オプションがな
い身で戦うなんて無理よ!」
「上級指揮官1人だけなら問題ない。それにもうじき、ガルシア神父とヴァトー神父もここへ来る。卿1人がいなくなって
も十分対抗出来る」
兵士に銃口を向けながらも、トレスはに指示を出す。
事実、は今すぐにでもアンハルト伯爵夫人のことをアベルとアントニオに伝え、援護したくて仕方がなかった。
しかし、今ここを離れたら、いくらレオンとユーグが来るからとはいえど危険すぎる。
目の前に広がる2つの道に阻まれ、は悩み始めた。
『おい、! 聞こえるか!!』
イヤーカフスから聞こえる声に、は軽く弾き、耳を押さえる。
聞こえてきたのは、こっちに向かって来ているレオンの声だ。
「聞こえているわ、レオン。今、どこにいるの?」
『あと数キロってとこで合流地点に入る。――それより、今の会話、悪いとは思ったが盗聴させてもらったぜ』
「盗聴!? どうやって!?」
『スクラクトがこっちに情報を回してくれてな。そのついでに、ザインに頼んで勝手に回線をつなげてもらったんだ』
主人の指示を無視して、一体何をしでかしたんだ。
は思わずそう言いたかったが、今は叱っている暇はない。
『、アベルに危機が迫っているのに、お前がここでじっとしているわけにはいかねえだろ? だったら、とっとと
助けにいきゃあいいだろうが』
「けど、今の状況でトレス1人を任せるのはきつすぎるわ」
『んなの、大丈夫だって。俺達、もう目と鼻の先にいるんだぜ? ……おっ、連中、派手にやりやがったな』
どうやら現地に近づいているように、レオンが目の前に移り出した光景を見て言う。
この様子からすると、敵の装甲車や兵士達も確認済みだろう。
『てなわけで、俺達もすぐに到着する。だからお前は、安心してへっぽこのところへ行け。……おう、分かった。
、サムライからの伝言だ。「守らなきゃいけないものは、ちゃんと自分の手で守れ」だとよ』
レオンの言葉――性格にはユーグの言葉に、は胸に何か強い衝撃を受けたように目を見開いた。
まるで、何かを気づかせてくれたかのようだった。
自分には守らなくてはいけない人がいる。
どう思われようが関係ない。どんなに否定されても構わない。
それでも自分は、あの人を……、彼を、助けなければならない。
何せ自分は……、彼の“フローリスト”なのだから。
「……分かったわ、レオン。すぐにでもアベルの所へ行く」
『そうこなくっちゃな』
「ありがとう、レオン。ユーグにも、お礼言っといて」
『おう。さ、早く言って来い!』
「ええ! ――プログラム『ザイン』完全終了、――アウト」
今度こそ確実にプログラム「ザイン」を終了させると、横にいるトレスに向けて指示を出した。
「あともう少しでレオンとユーグが合流する。それまで、何とかして堪えて!」
「了解。気をつけろ、シスター・」
「うん! 本当、ありがとう!!」
トレスに向けて、何かを頼むように微笑むと、彼はかすかに頷き、岩から離れて別の岩へと移動し始めた。
それを確認すると、はすぐに腕時計式リストバンドの円盤を「5」に合わせボタンを押し、
相手が答える前に指示を出した。
「ヴォルファー、すぐに、アベルのところまで飛んで!」
『了解。座標確認、目標地点、新教皇庁内中庭。――移動開始』
プログラム「ヴォルファイ」と共に、その場からの姿が消えた時には、
半分以上の兵士を倒したあとだった。
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