「――アントニオさん、避けて!」




 剃刀のような鋭さを持つ氷片が、一斉に飛来する。
 その中、アベルとはアントニオを庇いながら、それらをすれすれで避け続けていた。




「はッ、ちょこまかとよく逃げる!」




 アンハルト伯爵夫人――ヘルガが3人に対して醜態を嘲ると、
 手にした小杖を頭上に掲げ、タクトのように宙に泳がせる。




「だが、妾の“マクスウェルの魔杖”に狙われて生き残った者はおらぬ。……潔く諦めるがよい!」




 小杖の先端が妖しく発光し、空気中の水蒸気が鋭いエッジを備えた薄片に凍結する。
 そしてそれは勢いよく旋回しながら、3人が隠れているソファに向けて襲い掛かった。




「……レーザー冷却!? あんな物騒なシロモノを一体どこから!?」

「多分、彼女自身で作ったものだと思うけど、ちょっと派手すぎない?」




 アベルとが氷片を撃墜させながら、アントニオを庇ってマホガニー製の机の陰に飛び込んだ。
 しかしアベルはそんなに多くの銃弾を持ち合わせていないし、もパイプラインでの銃撃戦で、
 ほとんどの弾を使い切ってしまっていた。




「まずいヨ、アベル君、君……。デステが逃げる!」




 2人が同時に同じことを考えていた時、アルフォンソが“智天使”をひきづり、
 壁の大穴に駆け寄っていくのを発見したアントニオが叫んだ。
 どうやら“智天使”は1人では動けないらしい。




「いけない……、アントニオさん、援護します!」




 アベルは銃をかかげ、返事も聞かずに飛び出すと、がそれを援助するように氷片を破壊していく。
 どうやら、接近戦に持ち越そうとしているのだ。




「距離さえ詰めればどうにかなると思うたか?」




 しかし、ヘルガからはまだ余裕の表情が伺える。
 それもそのはず。
 いつの間にか床に張っていた水溜りが、アメーバのように歪み、アベルの脚に触手を伸ばして来たからだ。




「な……、何!?」




 ヘルガへの狙撃どころじゃなくなってしまったアベルは、伸びてくる触手を狙い撃ちしながらも、慌てて後退する。
 しかし、それはすぐに再生され、アベルにどんどん近づいていった。



 一方、とアントニオは、未だ飛来する氷片を避ける机の裏にいた。
 でも、ここもそう長くは持たない。




「ボルジア司教、私達のことは大丈夫ですから、あなたはデステ元大司教を追って下さい!」

「……分かった」




 は銃を掲げたまま叫ぶと、アントニオはすぐに机から離れ、大穴に向かって走り出した。
 そのまま大穴に突っ込んで、アルフォンソ追いかけようとした、その時――。




「行かすかっ!!」




 アベルを相手にしていたはずのヘルガの小杖が、アントニオの方に向けて振られている。




「やばい……、逃げて、ボルジア司教!!」




 は銃を一度しまうと、その場から一気に走り出し、アントニオをおもいっきり押し倒した。
 次の瞬間――。




「―――うっ!!」




 の口から、かすかな呻き声が聞こえたのは、アントニオが床に体を滑らせた直後だった。




さん!!」

君!!」




 無数の氷片が刺さっているを見て、床を張っているアメーバー状のものを避けていたアベルと、
 穴の前に倒れたアントニオが相手の安否を気遣うかのように叫ぶ。
 助けられたアントニオは近づいてこようとするが、の口から出た言葉は、
 彼の言いたかったこととは全く違うことだった。




「ダメです、司教……、あなたはすぐに、デステ元大司教を追って下さい」

「でも君、キミは……」

「私のことは、平気ですから……、だから、すぐ……、はぁっ!!」




 肺と胃をおもいっきり刺されているため、息をするのも辛いぐらいだ。
 口から鮮血が流れ出し、思わずその場にしゃがみ込んでしまう。




君!!」

「いいから、あなたはデステを追いかけて! 早く!!」




 ここまで何とか言ったが、としてももう限界だ。
 これ以上話したら、酸素不足で命を落とす原因になる。
 その代わり、力を振り絞り、目を鋭くして、アントニオに訴えかけた。




「……分かった、君。……ごめんヨ!」




 ああ、謝罪の言葉がいえるんだな。
 の脳裏にそんなことが横切ったが、今はそれどころじゃない。
 アントニオが壁に空いた大穴に向かって走っていったのを確認すると、
 今まで我慢していたものを全部吐き出すかのように、再び口元から血が流れ出した。




さん! しっかりして下さい!!」

「余所見をしている余裕などないぞ、ナイトロード!」




 アベルがのそばに駆け寄ろうとしたが、未だ床を張っているものに反応し、彼女からまた遠ざかる。
 個体とも液体ともつかぬ氷の触手は、一体何なんだ!?




人口精霊(クンストリッヒ・ガイスト) 冬の乙女(ヴィンター・フラウ)”――氷核抑制蛋白質で零下120度まで凍結させぬようにして過冷却水に
分子誘導極微小機械
(マイクロマシン)
を混ぜた、“生きた水”よ」




 目の前で動く物体に、はただ黙って見ているだけだった。
 体中に流れる鮮血が床に溢れ出し、徐々に面積を増やしていく。
 意識がだんだん朦朧としていくのが手に取るように伝わっていく。




「そなたはこの神父を倒した後に、ゆっくりかわいがってやろう、シスター・。その美しい顔、傷つけるのには
少し惜しい気もするがな。今はこの美しい光景を、じっくり眺めているといい」




 ヘルガに反抗する力もなく、はただ彼女に鋭い視線を向けている。
 何か言葉を発するにも、今の体力では不可能だ。




「くそっ……、やむを得ません!」




 その時、の危機に対して、アベルの目が不吉な色を点した。かすかに開いた唇から、鋭い牙を覗かせる。






[ナノマシン“クルースニク02” 40パーセント限定起動――]






「――それ以上好きにはさせんぞ、異端者ども!」




 しかしの望みは、思わぬ人物達の登場によって叶うことはなかった。



 昇降機の機能を回復させ、なだれ込むように登場したのは、先ほど中庭にいたフリードリッヒと、
 彼に連れられて来た兵士達だった。




「い、いけない……、入って来ちゃ、駄目だ! 逃げなさい! あなた達では――」




 青みを取り戻したアベルが警告を発したのだが、時すでに遅し、
 ヘルガは発砲し続けている彼らに小杖が掲げられる。
 無数の氷刃に次々と切断され、兵士達が血飛沫と共に四肢へと変わり、宙を舞っていく。




「な、何だ、これは!?」




 フリードリッヒが双便を振るうが、それも虚しく巨躯をずたずたに切り裂かれ、血煙をあげて倒れ伏す。




「やめてください、クリスタさん! 彼らは何も……、あっ!?」




 なおも制止しようとしたアベルだったが、下から“冬の乙女”がアベルの足に忍び寄り、
 下半身を絡め取られてしまった。
 苦痛な顔が、みるみるうちに霜に覆われていくのを、はぼんやりと見つめるだけだった。




「人を気遣うより、己の心配をするといい、神父。……これが“クルースニク”――
“世界の敵”じゃと? 他愛も
ない!」






 ヘルガの哄笑が、部屋中に響き渡る。

 そんな彼女を、アベルもも止めることが出来なくなっていた。

















、アベル、絶対絶命。
に関しては、瀕死状態ですしね。
まあ、こうなることはよくありますけどね(あるんだ)。

そして次に、ついに爆発します。





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