「……さて、これからこの世を離れる気分はどうじゃ、神父?」
アベルの下半身は“冬の乙女”によって完全に凍結され、胸から植えも白く霜が覆ってしまっている。
「独り、市に行くのは不安かの? だが、寂しがることはないぞ。後ろにいるシスターはもうすでに意識がない上、
今頃、山に向かったそなたの仲間も追っ手の手にかかっておる」
ヘルガが子馬鹿にしたように鼻を鳴らし、氷片に串刺しにされ、身動きすらしなくなったの方を見た。
床の血液の量が、先ほどよりも多くなっている。
「いいや、あやつらだけではない。いずれ、カテリーナ・スフォルツァ――、あの女狐も汝のあとを追わせてやろう」
「カ、カテ……リーナさん……?」
氷像と化したアベルの口から声が発せられたもの、弱々しくて、
耳には聞き取れぬほどのかすかな声でしかなかった。
「カテリーナさんに……、何を……?」
「ほう、まだ口がきけたか。そんなにあの女のことが心配かや?」
感心したように、零下120度で氷漬けにされているアベルの頬を愛撫する。
この姿をが見ていたら真っ先に攻撃するはずなのだが、当の本人は動かぬままで、意識すら感じられない。
「くくっ、だが、汝にあの女は助けられぬ。……せいぜい、悔やみながら逝くがよい」
「あ、あなたの目的は……、何なんです? 一方では彼女を助けると言いながら、殺すとも言う。……一体、あなた
の目撃は……」
「妾の望みは1つ。――あの方のご意志に従うこと。“我ら、炎によりて世界を更新せん”。
――ただそれだけよ」
ヘルガの細い手が虚空に伸びて、中指の指輪がかすかに発光し、短剣ほどある針を産み落とし、
瀕死のアベルの眉間に突きつける。そして、死に行く者に死の宣告をする。
「最も、これからこの世を去ぬく汝が更められた世界を見ることはないが――」
「……うあああああああああっ!」
しかし、その短剣はアベルの眉間に貫かれる前で止まってしまった。
後ろから、死んでいたと思われたフリードリッヒが、最期の一矢を報いるチャンスをうかがっていたのだ。
「ちっ、あやつ、まだ生きておったのか!」
「死ねぃ、異端者どもおおおおっ!」
フリードリッヒがヘルガに向かって最期の攻撃を仕掛けようとしている時、まさに危機に立たされたアベルは、
何とかしての意識を確認しようと、必死になって呼びかけを始めた。
(……)
目を閉じ、意識を集中させる。
もし彼女が死んでいるのであれば、自分はこんなに余裕を持って立っているはずがない。
(……、返事をしてくれ……)
近くにいるから、そう遠くに飛ばさなくても大丈夫なはずだ。
アベルは一身に、の方へ念じ続けた。
(……、……)
暗闇に、彼女の意識を表す「泉」が、目の前に姿を現す。
天井には、大きな雫が浮かび上がって、すぐにでも下に落ちそうだった。
(頼む、……、反応してくれ!!)
何度目の叫びだっただろうか。
「湖」に、雫が落ちたのと同時に、一番聞きたかった声が聞こえ始めたのだった。
(……アベル……)
「……余計な手間を取らせおって、狂信者が!」
凍結されたフリードリッヒの残骸を踏みにじり、粉々になるまで粉砕すると、
ようやく気が済んだのか、神父の方に向き直る。
「さて、ナイトロード、次は汝の……、……何っ!?」
しかし、ヘルガの視界に入ってきたのはアベルではなかった。
確かにアベルには向けられている、しかしそのもっと奥で、何かが白く輝いている。
「何なんだ、あれは……!?」
ヘルガが見つめる先――、さっきまで意識を失っていたと思われていたの体が、白いオーラで包まれている。
先ほどまでしゃがんでいたはずの尼僧の体には、未だに無数の氷片が刺さったままだが、
開かれた目は生き返ったかのように鋭く光っている。
だが、異変が起こったのは彼女だけではなかった。
自分の目の前にいるアベルが、先ほどヘルガが出した氷針を握り締めていたのだ。
「貴様、何の真似じゃ!?」
豹変するヘルガだったが、それだけでは終わらなかった。
再びに視界を戻した時には、彼女に貫かれていた氷片が体から離れており、前で分散されてしまう。
体には傷跡1つなく、まるで何もなかったかのように前へ立ち尽くしてたのだった。
異変は更に続く。
の体から流れ落ちて床に溜まっていた血液が渦を描くように動き出し、
彼女の前で1つの球体へと姿を変えたのだ。
ふわっと撫でるように触れると、球体は彼女の体同様、白いオーラに包まれ、光り始めた。
「……さあ、主のところへお行きなさい」
しばらくぶりに聞くの声は、どことなく子を親に返すような口調だった。
白いオーラに包まれた球体が勢いよく発射され、アベルの体内に吸い込まれていく。
それを感知してか、アベルは手にしていた氷針の先端を首筋に押し当て、
力をこめて頸部に薄く浮かんだ血管をかき切る――鮮血がほとばしった。
甲高い音と共に噴出した血が勢いよくあたりに飛び散り、彼を飲み込む“冬の乙女”も鮮血を浴び、
真っ赤に染まっていく。
「まさか自害するとは……。思った以上の腑抜けであったということか――」
「ナノマシン……」
弱々しい、それでいてどこか不吉に響く声と共に、同様、アベルの周りにも白いオーラが包み込む。
そして気づいた時には、頸部をかき切った跡がなくなっていた。
[ナノマシン“クルースニク02” 40パーセント限定起動――承認!]
血に染まった“冬の乙女”が、奇妙な動きを始め、大きく身を震わせる。
あたかも、苦痛に身もだえするかのように。
「ど、どうしたのじゃ、“冬の乙女”!?」
ヘルガが目を剥くと、“冬の乙女”の内部で脈打つように輝き始め、彼女の足元に向かって触手を伸ばし始める。
咄嗟に飛びすさって避けるも、2撃、3撃と鞭のように撓って襲い掛かってくる。
「な、何をする、“冬の乙女”!」
自分の僕に向かって怒鳴るが、相手は容赦なく彼女に迫っていく。
そうさせたのがアベルの血だと気づくのに、そう時間はかからなかった。
「く、くそ! なるほどな……。これが貴様の実力というわけか!」
ヘルガが憎憎しげに言うと、すぐ後ろにいるの方に視線を向ける。
もうすでに白いオーラが姿を消しているは、ほぼ無防備にも見える。
――今のうちになら、攻撃が出来る!
「……もうこれ以上の好き勝手な真似は、許さないわ」
まるでヘルガの心を読んだかのように、の手が前に翳される。
すると“冬の乙女”が白く輝き始め、先ほどの倍以上の触手が現れ、ヘルガに襲い掛かってきたのだ。
「ま、まさか……、貴様が“冬の乙女”を操っているのか!?」
予想もしていなかった展開に、“魔女”の目はほぼ剥き出し状態でに注がれていた。
一体、あの女は何者なんだ!?
「さん……、あなたは今のうちに行って下さい。――ここは私1人で十分です」
「分かったわ」
翳していた手を下ろすと、腕時計式リストバンドの円盤の中心を「5」にあわせ、横のボタンを押す。
文字盤が紫に光った直後、応答した相手がに叫び出す。
『大丈夫かい、わが主よ!? [スクラクト]がものすごく怒っているよ!』
「説教はあとから嫌と言うぐらい聞くわ、ヴォルファー。それより、どこに行きたいか……、分かっているわね」
『主人の行きたい場所が分からないプログラムなんていないよ。任せて!』
「させるかっ!」
の体が少し浮いたように見え、ヘルガが人工精霊を避けながら、再び魔杖を振るう。
いくつもの氷刃が吐き出され、一直線に目的地へ飛んでいく。体を捕らえ、再び相手は血まみれになり、
今度こそ地の果てまで送り込む。
――それが、彼女の考えだった。
しかし到着した時には、すでに標的の姿はなくなっていて、
氷刃は虚しく壁に貫かれているだけだった。
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