「……ちょっと酷くやりすぎたんじゃないんですか、さん?」
最高裁判所の待合室で待つに、アベルが少し呆れたように聞いた。
「まさか、あそこまでするとは思いませんでしたよ。見た瞬間、ギョッとしました」
「でも別に、命が飛んだわけじゃないからいいじゃない。ちょっとだけ、頭に血が上っていただけよ」
「上りすぎにもほどがありますよ、もう……」
アルフォンソが倒れた直後、ヘルガとの戦いを終えたアベルが地下に来て、
目の前の光景に一瞬顔を背きそうになった。が、の目にアースカラーが戻った瞬間、
5人の修道士はちゃんとした人間の形に戻って気絶状態になっていて、アルフォンソの首筋の穴も消えていた。
「貧血の症状は大丈夫だったのか、シスター・?」
「前にも言ったけど、私は貧血にはならないの。それより私としては、あなたのことの方が心配よ、トレス。全く、
あんな状態になるんだったら、残っているんだったわ」
がアベルのもとへ駆けつけた後、トレスは上級主導者である司祭ハイドリッヒを発見し、即攻撃に出たのだが、
応急処置をしていた右膝の膝部サーボが熱に耐え切れなくなってしまったために体制を崩し、
胸元を抉られて破損してしまったのだ。
幸い、ちょうど到着したばかりのユーグとレオンによって助けられたからよかったもの、
もしこの2人が来なかったら、今頃市民達の命は残されていなかったかもしれない。
その後任務を終えて、アベルとアントニオと共に“アイアンメイデン”に戻ったは、
ソファで横になっていたトレスを見るなり何度も謝った。
傷はレオンによって塞がれていたが、それでも自分がいなくなったことが原因でなったのには変わりない。
しかしトレスは自分が十分に警戒していなかったからだと言って、を責めようとはしなかった。
「あの時、俺が卿にナイトロード神父のもとへ行くように言わなければ、今頃事態は最悪な方向へ進んでいた。それ
を止めるきっかけを、卿が作ったのだ」
「だとしても、やっぱり謝りたかったのよ。あれを見たら、誰だってそうするわ」
「卿が心配してくれるのは感謝する。しかし、俺は機械だ。修理すれば、また復活出来る」
「確かに、そうなんだけどね……」
がため息交じりに呟いた時、奥の方から誰かの足音がして、その場にいた3人が音のする方に視線を向けた。
「聖下、こちらデス! 早く!!」
「あ、あ、は、はい!」
アントニオがアレッサンドロの手を引っ張りながらやって来ると、
2人は息を切らしながら5人の前で立ち止まった。
「待たせたネ、諸君。無事、聖下をお連れしてきたよ」
「ありがとうございます、ボルジア司教。それではトレスと共に、“アイアンメイデン”に拘束しているアルフォン
ソと“智天使”を、中で待機しているガルシア神父とヴァトー神父と共にここへ連れて来て下さい。その間に、私と
アベルで聖下を落ち着かせます」
「分かった。さ、神父トレス、行こう!」
「了解した」
アントニオがやけに素直に答えるのが少し疑問だったが、トレス自身は何も気にしていないようで、
すぐにアントニオの後を追って走り出した。
地下室で再び目が覚ました時、アントニオの意識には、が自分を庇って怪我をしたところで記憶が途切れていた。
怪我の頻度も左肩だけになっており、僧衣の中でしっかり包帯で巻かれていることになっている。
これはが作り出した「新しい記憶」で、彼女が地上に戻ったのと同時に作成されたものだった。
「シ、シ、シスター・」
アントニオとトレスを見送ったあと、下から小さな声が聞こえて、
はすぐ、体をガタガタ震えているアレッサンドロの方を見た。
どうやら、極度の緊張に襲われているらしい。
「ほ、本当に、ぼぼ、僕なんかでいいのかな? ぎゃ、逆には、反論されないかな?」
「大丈夫ですよ、聖下。きっと皆、あなたの声に耳を傾けてくれますから」
「で、でも……」
アレッサンドロの目線までしゃがみ、彼の両手を強く握る。
あまりの緊張のせいか、少しだけ汗ばんでいる。
「あなたは、ちゃんとやり遂げる力がしっかりと備わっているはずです。何かに怯える必要はありません。怖がる
必要もありません」
の目は柔らかく、緊張を解すかのように温かかった。自然と力が抜けていくのがよく分かる。
「聖下、いえ、アレク。……あなたは1人で戦うんじゃないのよ」
こうして名前を呼ぶのは、一体何年ぶりだろうか。
彼が教皇になってからは、一度もそう呼んでいなかったはずだ。
「大丈夫。心配することなんてないわ。ここにはナイトロード神父もいる。イクス神父やガルシア神父、ヴァトー
神父もずっとそばにいる。だから、心配しないで」
「あ、あなたは一緒に、い、いてくれないの、シスター・?」
「私は行けない。行く権利がないの」
「ど、どうして?」
「……私1人がいるせいで、判決が逆転したなんて思われたくないから」
の表情が、一瞬曇ったように見える。
しかし、相手に気づかれないように、すぐにもとの優しい笑みに戻し、彼の背中を押す。
「でも外から、あなたのことを見守っている。ちゃんと結論が出るまで、ここからは離れないから」
「う、うん……、わ、分かりました、シスター・。ぼ、僕、すごくた、頼りないかもしれないけど、で、でも、
姉上を、た、た、助けたいから、が、がんばるよ」
「その意気よ、アレク。……がんばって」
「は、はいっ!」
アレッサンドロの表情が、先ほどと違って穏やかになっていく。
まるで何かが吹っ切れたように、震えが少しずつ収まっていく。
それを確認して、は微笑んでゆっくりと立ち上がると、横にいたアベルが不安げな顔でに聞いた。
「本当に、中に入らなくてよろしいのですか?」
「ええ。……私が参加する権利がないのには、変わりないんだから」
「カテリーナさん、きっと一番にあなたにお会いたいはずですよ。それなのに――」
「そんなの、別に今じゃなくてもいいじゃないの。……彼女とはいつでも話せるんだから」
「……分かりました。ここで、待っていて下さい。ちゃんとカテリーナさん、連れ戻してきますから」
「そうしてもらわないと困るわ。もし隣にいなかったら、許さないから」
本当はもっと説得するつもりでいたが、の決心は鈍ることがないと判断し、
アベルはこれ以上言うのを止めてしまった。
そんなアベルに満足したかのように、が優しく微笑んだ。
「それじゃ私、中庭で待っているわね。聖下のこと、頼んだわよ」
「はい。……あの、さん」
前進し始めた時に呼び止められ、一度足を止める。
しかし、振り返ることなどしない。ただ相手の次の言葉を、そのまま待っていた。
「もうあなたのことを……、誰も責めたりなんて、しませんから」
諦めることをせず、に訴えかけるように言うアベルの声が、その場から去ろうとするにどう響いたのだろうか。
結局その答えが出ないまま、はゆっくりと、足を前に進めたのだった。

中庭に向かって歩く足音が、廊下中に響き渡る。
照明も少し暗く、ちょっとだけ薄気味悪く感じる。
今頃、アレッサンドロが中に入り、判決を出すのを止めているところだろう。
細かい説明は、すべてアベルに託してある。
あとは、異端審問局の動きを待つだけだ。
結果は見えている。
あれだけの証拠を持ってきたのだ。
さすがに相手も、提訴を取り消す以外、方法はないはずだ。
『……どうやら、うまく事が進んだようだな』
静かにに響く低音が、自然との足を止める。
その顔は、少し驚いているようにも見える。
『だが、まだ詰めが甘い。まだまだ私には追いつきそうもないな』
「……何年かぶりに声をかけた『人』に、そんなこと言われたくないわ」
空耳でないことが分かったのか、は見えない相手にクスッと笑い、
近くにある壁に寄りかかり、胸の前で腕を組んだ。
天井から照らしているダウンライトの光が明るくなり、何かを映すかのように、目の前の壁を映し出す。
一瞬、人らしき形が浮き上がったのは気のせいだろうか。
いや、確かにそこに「誰か」いるのだが、その影がはっきりしない。
だが、は相手の顔を知っているようで、少し懐かしそうな顔をして相手を見つめていた。
本当、彼に会うのは何年ぶりだろうか。
『情報は常々プログラム達から聞いている。もちろん、先日のことも含めてだ』
「あなた、まさか……、スクルーの代わりに説教しに来たんじゃないでしょうね!?」
『そんな理由で現れたのではない、よ。……まあ、それも一理あるがな』
「やっぱり。全く、相手も考えたわね。さすがにあなたが相手じゃ反抗出来ないわ」
が呆れたような顔をするが、相手は特に変わることなく、むしろ当然といった態度で彼女に向かって微笑んだ。
昔から、は「彼」に勝った験しがない。いや、どうやっても勝つことが出来ないのだ。
どんなにいい案を持ち込んでも、すぐに「彼」に破棄されてしまう。
そしてすぐに、それを上回るようなことをいとも簡単に成し遂げてしまう。
そんな「彼」に、いつもは闘志を燃やしつつも、心の中では尊敬の眼差しで見つめていた。
『何故、アベル・ナイトロードが呼びかけるまで何も動かなかった? 何か企みがあったとしか思えないのだが?』
「いつも私から呼びかけるから、たまには呼んで欲しかっただけよ。何かこう……、悔しいじゃない。負けるみたい
で」
『私にはいつも負けるくせにか?』
「だから、なおさら他人に負けたくないの! お分かり!?」
目の前の影に向かってまで、は突っ込みを入れてしまう。
本人を目の前にしていたら、さらにどっ突きも加えていたことだろう。
……その前にかわされてしまうだろうが。
「だいたい、昔からあなたは強すぎなのよ! どんなに強いウィルス作ってもすぐに破壊しちゃうし、どんなに強い
戦闘プログラムを組み立てても、平気で潰していくし!」
『それはただ単に、お前の詰めが甘いだけだ、よ』
この突っ込みを聞くのも何年ぶりだろうか。
懐かしさのあまりに顔が緩みそうだったが、ここはとりあえず堪えることにした。
『今回は見逃してやるが、次にやった時はこれだけではそまさんぞ』
「お願いだから、昔みたいにプログラム1000個作れなんて言わないでね。本当、死ぬほど頭が重くなったんだ
から」
『分かっておる。もっと楽な罰を考えておく。……それより、』
「何?」
『……そろそろ限界が近づいて来ている』
相手の言葉に、自然との表情が硬くなる。
まるで、何かを察知しているかのように、目が自然と鋭くなる。
『今後、アベル・ナイトロードが何度暴走するか分からないが、今のままではそれすら受け止めることが出来なくな
る』
「つまり、少しでも『力』を解放した方がいい、ということ?」
『そうだ』
いずれ、開放しなくてはいけない時が来ると思っていた。
どんなに反発しても、それだけは避けることが出来ない現実なのも分かっている。
しかし出来ることなら、このままの力で事を終わらせたい。
出来ることなら、「あいつ」が現れるまでは使いたくない……。
『お前の気持ちはよく分かる。しかしこのままでは、お前だけではなく、アベル・ナイトロードの身にまで危険を
さらすことになる』
「それぐらいのことは分かっている。けど……」
『。お前にはやらなくてはならないことがある。果たさなくてはならないことがある。だから、ここに生きている
のではないのか?』
何かを思い出したかのように、はハッとした顔で、目の前の影を見つめた。
そして昔の記憶を手繰り寄せるかのように、あの時告げられたこと言葉を思い出す。
そう、遠い昔に誓った、あの約束を……。
『あなたは、アベルの“フローリスト”。そのために、今自分がやれることを、考えるのよ』
生きなくてはならない。
自分の願いを、そして、彼女の願いを叶えるためにも、生き抜かなくてはならない。
逃げている暇などない。守らなくてはいけないものがある限り、現実逃避を繰り返すわけにはいかないのだ。
「……分かったわ。時期が来たら伝えて」
『突然襲い掛かってくるかもしれないが、それでも構わないか?』
「もう、とっくの昔に覚悟を決めているから大丈夫よ」
『よかろう。……』
「ん?」
『お前には私とプログラム達がいる。そして「仲間」と呼べる者達と……、アベル・ナイトロードがいる。それを
忘れるな』
「ええ……、分かっているわ……、『父さん』」
がそっと微笑むと、相手が少し嬉しそうに微笑み返しながら、手を前に伸ばしていく。
彼女が寄りかかっている壁までの距離は結構あるのに、「彼」の手が優しくの頭に触れ、
慰めるかのように髪を撫で、すぐに手を引っ込めた。
『もうそうやって、呼んでくれないかと思ったよ』
「あら、いつ呼ぶのやめるなんて言ったかしら?」
『名前で呼ばれ続けたら、誰だってそう思う。だが……、たまには悪くないかもしれないな』
ダウンライトの光がゆっくりと暗くなり、照らされていた者の影が知らない間に姿を消している。
いつ消えていたのかも分からないし、そこにいたという証拠もない。
しかしは、まだ近くにいるのではないかと感じ、相手に向かって呟いた。
「……やっぱり、あなたには勝てないわね、私」
誰もいない廊下に、の声だけが、静かに広がっていった。
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