口元から生えている牙が、いつもに増して鋭さを感じている。

 その姿に、パウロは少し驚きながらも、普段の冷静した体制をすぐに取り戻した。




「それが、あなたの本当の姿、ということですね。よくこのようなものをスフォルツァ枢機卿は……」

さん、ヴァーツラフさんを頼みます」

「……分かったわ」




 パウラに発言させないかのように、アベルは静かにに命を下した。




が出れば、間違いなく暴走してしまい、収拾出来ない状況を招いてしまう。
 アベルはそれを考え、彼女をヴァーツラフの元へ行かせた。
 その気持ちが分かったのか、はいつも以上に重い体を引きずって、ヴァーツラフの元まで走っていった。




「ヴァーツラフ、しっかりして……!」




 両手を前に翳して、白いオーラが集められていく。
 そのオーラが全身に行き渡って、相手の傷を治そうとする。



 ――しかしそれを、彼はの腕を掴むことで止めてしまった。




「私のことは……、もう、いいのです」

「駄目よ、ヴァーツラフ! そんなこと、絶対にさせないわ!」

「いいえ……、今のあなたの役目は……、私を助けることではありません……。あなたの今の役目、それは……、
……噴進爆弾の、タイマーを解除することです」




 ヴァーツラフの言葉を聞いて、はハッとして、広間中央に建てられているものを見つめた。



 アベルとが来る前、パウラは噴進爆弾の発射タイマーをセットし、制御卓を破壊して自爆させようとしていた。
 このまま放置し、もしパウラがアベルに敗れたとしても、他の者に破壊されたら、
 間違いなく街ごと吹っ飛ぶことになる。




「あの噴進爆弾のタイマーは……、一度入ってしまったら、誰にも停止させることが出来ません……。それが例え
仕掛けたシスター・パウラでも、解除は不可能です。しかし、あなたなら……、『神のプログラム』を持つあなた
なら、それが出来ます」




 最後の言葉に、は再びヴァーツラフの顔を見つめた。
 その顔は、何かを確信したかのように、の顔を優しく見つめていた。




……、噴進爆弾のタイマーを……、すぐに解除して下さい。これは、あなたにしか出来ないことです」

「ヴァーツラフ……」

「お願いです。どうか……、どうか私の、『最後の願い』を叶えて下さい……」




 助けたい。何と言おうと、彼の命を救いたい。
 誰も失いたくないし、これ以上辛い想いもしたくない。
 しかし、これ以上ヴァーツラフに苦しい想いもして欲しくない。




 一体、どうすればいいのか。
 は必死になって考え、そして決意した。



 今の自分が出来る、最大限のことを――。






[ナノマシン“フローリスト” 40パーセント限定起動――承認!]






 知らない間に、の姿はハヴェルの側にはなかった。



 広間中央にある噴進爆弾の制御卓の前に現れたの姿は、先ほどと違い、赤い目は鋭さを増している。
 まるで、何かに「天罰」を与えるかのように。



 制御卓の液晶画面には、いつでもカウントされるかのように設定されている。
 その頭上では、「サーカム」というプログラムの名前らしきものからナンバーなどが記載されており、
 それを確認すると、は誰かに語りかけるように言い始めた。



「――私の声が聞こえるか、プログラム『サーカム』? 反応がなければ、貴様の意思に関係なく消去(デリート)する」




 普段とは違い、低い声が響き渡る。
 その声は、感情などが一切ないようにも感じられる。




『……話し掛けるとは、いい根性をしているな』




 まるで人間の男性のような声が、制御卓から流れ出す。
 プログラムには予め設定された性別が存在しているので、相手は「男性」だと予想される。




「プログラム『サーカム』に命ずる。早急にタイマープログラムを解除しろ。さもなくは、貴様にウィルスを送り、
破壊する」

『我のプログラムは、異端審問局でも解除不能なもの。その我に、貴様ごとき女がウィルスを送り込めると言うの
か?』

「そうだ。何なら、なってやろうか?」

『いいだろう。いつでも相手になってやる』

「……0010111000101101011……」




 の口から、「0」と「1」だけで作られた文章が並べられる。
 普通の人間では分からない暗号のような言葉を、彼女は相手にぶつけるように言い続けた。




「……001011101000001101……、ウィルスNo550、始動開始(スタート)




 結局、聞き取れたのは最後の一行だけで、その言葉と同時に、制御卓の液晶画面の文字が勝手に崩れ出した。
 相手はそれを必死になって治そうとするが、治せば治すほど酷く崩れていく。




『馬、馬鹿な! なぜ修整(リライト)が出来ない!?』




 プログラム「サーカム」が驚いたような声を出す。
 その光景を、は表情1つ変えないまま見つめていた。




『や、やめろ! やめてくれ!! 我の負けだ!! すぐに解除しろ!!』

「……なら、私の命令に従うな、プログラム『サーカム』?」

『も、もちろんだ! 従う! 従うからやめろ!!』

「なら、すぐにコード入力コマンドを出せ。そして私のデータを、本体プログラムに通せ」

『分かった』




 の命令に、プログラム「サーカム」は急ぐかのように、コントロール・パネルの横のシャッターが開かれた。
 こから現れたのは、手帳ほどの大きさのコンソールだった。



 手袋を外し、そこに手をおく。
 コンソールがそれに反応して明るくなり、下から赤いレーザ−のようなものが上下に動いている。
 その間、もプログラム「サーカム」も、一言も声を発することはなかった。



 しかし数分後、相手は何かに怯えるような声を上げて、に向かって叫び始めた。
 それはまるで、「悪魔」でも見たかのように。




『き……、貴様……、いや、そなたは……!!』

「もう一度命令する。すぐにタイマープログラムを解除し、凍結しろ。さもなくば、ウィルスを再生させる」

『りょ、了解いた! すぐにする!!』




 相手の言葉使いが代わり、液晶画面上に、タイマープログラム解除設定画面が表記され始めた。



 本当は、のデータを入出途中に、彼女の体内をプログラム化し、
 心拍機能変更コードを入力して窒息死させようとしていた。
 たとえ相手が凄腕の
電脳調律師(プログラマー)であろうと、所詮ただの人間。
 しかも、女だ。こんなことで負ける自分ではないと、相手は彼女に罠を仕掛けるタイミングを計っていたのだ。



 しかし、まさか相手が「あのお方」のコマンダーだったとは……!




『タイマープログラム解除設定、整った!』

「よし。ご苦労だったな、プログラム『サーカム』。貴様の用はこれで終わりだ。――ウィルスNo550、
起動再開(リスタート)

『!!!』




 の言葉に、プログラム「サーカム」は驚きのあまりに声も出ず、
 再びプログラムが崩れ落ちていくのを見ているだけだった。




『な、何をするんだ!?』

「貴様のプログラムは、もう必要ない。ここで消去(デリート)する」

『そ、それでは、約束と違うじゃありませんか!!』

「『約束』? そんなものをした覚えはない」

『そんな……! ちょ、ちょっとお待ちを、わが主よ……!!』

「そう呼ぶのはやめろ。呼んでいいのは……、『彼』の使いの者達だけだ」




 静かに言い放つ声が、静かに響き渡る。
 そしてその声が鳴り止んだ時、制御卓に移されていたプログラムがすべて消えうせ、静かに黙り込んでしまった。



 数秒後、すべての機能が停止したかのように見えた制御卓が、再び重い音とともに起動し始める。
 液晶画面に移されたのは、一人の女性の姿だった。




『……お久しぶりです、様。その後、お変わりありませんか?』

「見ての通りだ。すっかり怠けたものだな。昔だったら、こんな遠回りなどせず、とっとと削除したのだが」

『仕方ありません。私が異端審問局に輸送され、すぐにプログラム〔サーカム〕によって封印されてしまった身
でしたから』




 先ほどとは違い、透明感のある声に、は懐かしさを感じていた。
 まるで、友人と「再会」したかのようだ。




「早速だが、やれるか?」

『準備は、プログラム〔サーカム〕のお蔭でで終わっています』

「なら、すぐに実行しろ。あとの処理はまかせる」

『了解。――タイマープログラムを完全解除し、凍結します――』




 その後の言葉は、削除プログラムの起動音によってかき消されて聞こえなかった。
 たいした騒音でもないのに、不思議なことに、その言葉だけが聞き取れなかった。




 しかしプログラムは正常に発動したらしく、再び液晶画面が消え、制御卓は完全に沈黙と化した。
 そしてそれと同時に、後ろで誰かが倒れる音がして、は後ろを振り返った。



 目の先には、先ほどまで有利な位置に立っていたパウラが、傷だらけになってその場に倒れていた。
 その目からは、もう戦うことをやめてしまったかのようにも見受けられ、その近くにいるアベルも、
 もうすでに元の姿に戻っていた。




「……それが、あなたの本当の姿なんですね、




 力を振り絞って話すパウラに向かって、はゆっくりと歩き始めた。
 その目は先ほどの色を取り戻しており、腰まである髪が風になびいて揺れていた。



 パウラの前に座り、は一番酷く深く切り込まれている右肩に触れる。
 それが何を意味するのか分からず、パウラは不思議そうに彼女を見つめていた。




「……お願い、パウラ。私もアベルも、もうこれ以上、無駄な血を流したくない。だから……」

「分かっています。今回は、私の負けです。あなた達の指示に従い、この場は退散します。しかし――」




 言葉が途切れたのには理由がある。が触れていた右肩から、さっきまであった深傷がなくなっているのだ。




「これは、一体……!」

「何も言わず、ここから退散しなさい、パウラ。そして、メディチ猊下に伝えなさい。――スフォルツァ猊下は、
あなたなんかには負けない、と」

「……分かりました。伝えておきます」




 足も少し痛めているようだが、これ以上、に借りを作るつもりはない。
 パウラは痛みを少し我慢したまま、その足を引きずりながら走り去った。
 その姿を見つめたあと、はゆっくりと、アベルの方を見つめ、そして呟いた。




「これで……、よかったのよね」

「ええ……。……結果としては、最悪ですが」

「そうね……」




 最悪な結果。

 しかし何故か、胸に突っかかるものは、何1つなかった。









 









が持つプログラムは、この当時、“フローリスト”化すればするほど強いものになってました。
力が完全じゃないから、こうするしか方法がなかったから、というのもあるのですがね。
ROMになれば、こんな面倒な作業をすることなくいきます。

ちなみにサーカムとは、過去に私が唯一かかった史上最悪なコンピューターウィルスの名前です(汗)。
あの時は本当、修正不可能かと思いました。
無事に治ってよかった(滝汗)。





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