「選択は君に任せるよ、神父アベル。――我々はどちらを選ぶべきか?」




 “教授”の言葉に、アベルは困り果てたように周りを見回した。
 しかし、その場にいる者全てが、一直線に彼へ注がれていた。



 アンハント伯爵夫人クリスタが持っている手紙には、
 新教皇庁にいる夫がエストニア伯国タリンにいることが記されている。
 しかしそこに、肝心な“智天使”がいる保証はどこにもない。
 それならば、ラテラノ離宮に突入して、カテリーナを救出する手段を考えた方がいいのか。
 それが、アベルに課せられた選択肢だった。



 だが、彼の答えはただ1つだった。
 それに対しての迷いもないし、覚悟も決めている。
 しかし彼の顔には、それとは全く違う迷いを覗かせていたのだった。




「……気分転換に、外の空気でも吸ってきたまえ、アベル君」

「えっ?」

「外は寒いけど、この雪景色は心が和むからネ。頭、スッキリして来るのには最高だと思うんだけど」

「それ、いい考えですな、ボルジア司教。ほら、アベル君。行って来たまえ」




 アントニオの発言の意図が掴めたのか、“教授”がその場から立ち上がり、奥にあるラボの中へ入っていった。
 その姿を不思議そうに見ていたアベルが、彼に声をかける。




「あの〜、“教授”?」

「ちょっと、待ちたまえ。すぐに戻ってくるから」




 その言葉通り、教授がラボから戻って来ると、
 手にしていた赤いチェックのストールをアベルに渡し、満弁の笑みを浮かべた。




「このストールは、とにかく温かいのだよ。きっと、役に立つはずだ」

「おおっ、それは名案だネ! 確か、アルビオンのストールは温かいと聞いたけど、本当かい?」

「本当ですとも、司教。よろしければ今度、他のものもご覧になってみますか?」




 だんだんこの2人が何を言いたいのか分かり、アベルは少し苦笑した。
 こんな遠まわしにするぐらいなら、直接伝えてくれた方がよかったのに。
 そんなことも思ったが、ここは2人の行為を無駄にするわけにもいかず、言葉を飲み込んだ。




「……分かりました。すぐに戻ってきます」




 お礼を言うように頭を下げると、アベルは特務分室を出て、廊下を走り出した。
 途中滑ったのか、大きな振動が伝わって来て、取り残された4人が少し驚いたのだが、その様子を思い浮かべ、
 自然と笑いがこみ上げていった。




「全く、アベル君は不器用だねェ〜」

「それは彼だけではないと思いますがね、ボルジア司教。少なからずその言葉は、彼女にも言えることなのではない
かと」

「ま、それもそうだね。それにしても、ボクなんていつも否定されてばかりで凹みっぱなしなのに、アベル君が羨ま
しいヨ」

「彼は彼女のことになると、いつでも真剣ですよ。ま、それも2人の言葉を借りれば『関係性』の問題なのかもしれ
ませんが」

「何だね、その、『関係性』とは?」

「ナイトロード神父とシスター・の間には、ある『関係性』があると聞いている。しかしそれに関してはデータ
不足だ」

「神父トレスのおっしゃる通りです。ま、とりあえず、君はアベル君に任せて、我々は両方の決断に対応出来る
準備でもしていましょう」




 “教授”が目の前にあるミントティを口に運び、再びピンの刺さった地図を見つめ、思いつめたような顔する。
 しかしそれが作り物だということがすぐに分かったのか、
 アントニオは彼に気づかないように小さく笑ったのだった。

















「寒っ……」




 最初は平気だったが、冷たい風が吹き始め、体が徐々に冷たくなっていく。
 コートも何も着てないため、ここで頼りになるのはケープのみだ。




「そろそろ中に入らないと……」




 がその場に立ち上がったその時、屋上の扉が開く音がして、その方向へ目を注いだ。



 ゆっくりと開かれた扉から、どことなく心配そうな顔をした神父の姿が現れる。
 生まれながらにして持っている冬の湖色の瞳が、に優しく向けられ、思わず胸元から弾ける音がした。




「こんなに長い間外にいたら、風邪を引きますよ」




 手にしているストールを肩にそっとかけ、そのまま強く抱きしめる。
 ストールの温もりと彼の温もりが、冷たく冷え切ったの体を優しく包み込んでいく。




「こんなに冷たくなって……。体が丈夫なのは知っていますけど、それでもこの寒さに耐えるのは大変だったで
しょう」




 耳元から流れる声が、の体中に響き渡る。
 優しくて、でもどこか心配しているその声に、彼女はゆっくりと目を閉じた。




「……ありがとう、アベル。本当……、ありがとう」

「お礼を言うなら、“教授”とアントニオさんにして下さい。ここに行くように言ったのは、彼らですから」

「でも、それよりも先に気にしてくれてたんでしょ? そうじゃなかったら、こんな風に抱きしめたりなんてしない
でしょうに」




 やはり、彼女には隠し事は出来ない。
 アベルは少し苦笑してからを離し、頬にそっと触れた。




「気分は、よくなりましたか?」

「お陰様で。ごめんなさい、迷惑かけちゃって」

「クリスタさんの薔薇の香水、そんなにきつかったですか?」

「あの人、クリスタって言うのね? ……まぁ、きつかったと言えば、きつかったんだけど……、何て言うんだろう?
 今まで嗅いたことがない香りだから、表現するのがちょっと難しいくて……」




 クリスタと名乗る貴婦人を、疑うわけにはいかない。
 は必死になって言葉を飲み込むが、それもどこまで隠し通せるかが問題だ。




「で、彼女、何だったの?」

「ああ、そうそう。お名前がアンハルト伯爵夫人クリスタさんと言いまして……」




 アベルは今までの話し合いの結果を、丁寧にへ説明し始めた。
 新教皇庁と行動を共にしているクリスタの夫が彼女に託した手紙のこと、そしてそれに、
 彼がタリンにいることが書かれていたこと。
 そしてもしかしたら、そこに“智天使”がいるかもしれないということ……。
 その1つ1つを、は真剣に聞いていた。




「なるほど。で、アベルはどっちを選んだの?」

「勿論、タリンに行く方を選びました。きっとさんも、そっちを選ぶのではないかと思って」

「ご名答よ。私もタリンに行って、少ない可能性に賭けていいと思う。“智天使”に会えれば文句はないけど、もし
会えなくても、最低限アルフォンソだけでも捕らえたいからね」

「そうですよね。よかった、意見が同じで」

「当たり前よ。私達、意見が合わなかったことなんて、今までにあった?」

「ありましたよ。ほら、この前も、ショートケーキとレアチーズケーキで意見が分かれたじゃないですか」

「そういう意味じゃなくて……」




 呆れたような顔をしたを、アベルは笑顔でそれを返している。
 どうやらいつもの調子を取り戻したと確信したらしい。




「ま、それは置いといて……、そろそろ戻りませんか?」

「そうね。あ、ここだけの話なんだけど、フェリーが一応、ガード貼ってくれるみたいなの。だから出来るだけ、
香水のことは話題に出さないで。もちろん、本人にはちゃんと謝るわ」

「分かりました。それじゃ、行きましょうか」

「ええ。……アベル」

「はい?」

「手……、握って、くれる?」

「いいですよ」




 差し出された手をしっかり握って、はその場から立ち上がった。
 途中、寒くてなのか、アベルがくしゃみをしたので、自分だけ温かくなるのは不公平だと思い、
 半分彼の肩にかけた。最初は遠慮していたのだが、「私が許さないから」というの発言に負け、
 ストールの中に潜り込んだのだった。






 冬の風が、2人にそっと吹き付ける。

 けどそれは、決して寒さを感じることなく、2人は屋上をあとにしたのだった。

















アントニオ、アベルとの関係、感づいていたのか(汗)。
いつかアベルの前で問題発言をしないことを祈ってます(え)。

は寒いのが苦手なので、さぞ寒かったに違いありません。
けど、アルビオン(現在イギリス)のストールはとても温かいんだとか。
私は購入しなかったんですがね。
あの国は物価が高いので、なかなか手が出せません。
でも、チェックのストールは欲しかった! 膝かけでもいいから欲しかった!!!





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