ローマ大学付属病院に到着するなり、は目的場所へ向かって全速力で走り出した。
自動二輪車を猛スピードで飛ばしたのか、きちんと整えられていたヘアスタイルが少し乱れている。
集中治療室が近づくと、病室の前に座っていた一人の男が立ち上がり、驚いたようにの姿を見つめていた。
ウェーブのかかった金髪を持つ、顔馴染みな神父である。
「! どうして君がここに? 確か、ミラノにいたのではなかったのか?」
「スフォルツァ猊下の命で、日帰りで様子を見に来たの。ユーグ、“教授”の様態はどう?」
「緊急手術は一応成功したが、術後もあまり思わしくない。よくなったと思えば、急に心拍数が上がったりして、
油断が出来ない状態だ」
「そう……」
扉越しにいるであろう人物を見ながら、金髪の神父――ユーグ・ド・ヴァトーはに事情を説明した。
先ほど、担当医に無理して面会許可をもらっていたは、扉のノブに手をかけると、ゆっくりと扉を開け、
中に入っていった。
目の前にあるベッドの上には、無数に点滴に繋がれ、
青ざめて生気を失った顔に酸素吸入器を当てられた“教授”が、細い寝息を立てて眠っている。
その顔を見た瞬間、胸を締め付けられるような気持ちになり、それを必死に抑え込んだ。
「ウィル……」
音にならないほどの細い声を立て、はベッドの横に座り、点滴の管に気をつけながら、
彼の手を強く握り締めた。
前屈みになり、まるで教会で祈りを捧げるかのように手を額に当て、聞こえるか聞こえないかぐらいの声で呟いた。
「主よ、どうか彼を、あなたのもとへ連れて行かないで下さい……」
手からこぼれ出した白いオーラが、握り締められている“教授”の手を通り、体中を包み込む。
少しだが、向かい側にある心拍計が上がり、寝息も呼吸しやすくなったのか、先ほどより太くなったように思える。
出来ることなら、今すぐにでも完治させ、ミラノにいるカテリーナのもとへ連れて行きたい。
しかし今の彼女には、彼1人を治すほどの体力が残っていない上、
自分が倒れてしまったら逆に彼に迷惑をかけてしまう。
なら今は、彼が命かけで手に入れた情報を最大限に活用して、敵のアジトを仕留めることを考えた方がいい。
「ウィル……、あなたが残したものを、絶対に無駄になんてさせないわ」
何かを決意したようなの言葉に、先ほどの悲しみなどなくなっていた。
少しだが、「力」で押さえたから安心したというのもあるが、
それ以上に、これから自分がしなくてはいけないことの重要性を強く感じているからというのが一番大きい。
握っていた手をゆっくりベッドに戻すと、その場から立ち上がり、後ろを振り返り扉の奥へと消える。
目の前ではユーグが慌てたように立ち上がり、“教授”の様態を伺おうとする。
「師匠の様子はどうだった?」
「少し『力』を流したから、さっきよりもよくはなっているはず。あとは……、主に任せるのみね」
「そうか……」
「ユーグ、あなたは出来るだけ“教授”の側にいてあげて。もし何か進展があったら、すぐにミラノに知らせて欲し
いの。あと……、1週間後、ヴィエナでの任務についてもらうとスフォルツァ猊下からの連絡よ」
「ヴィエナ……、奴らの本拠地か……」
“教授”が重症を追った後、力を振り絞って、聖天使城に囚われている“智天使”から聞き出した情報。
それは、薔薇十字騎士団の塔と呼ばれる本拠地の場所だった。
その情報を元に、1週間後のゲルマニクス国主、ルードヴィッヒ2世のヴィエナ滞在を狙い、敵地を潰そうと考えているのだ。
しかしゲルマニクスは問題の多い軍事国家であり、
ヴィエナは16年前にそのゲルマニクスによって滅ぼされたオストマクス公国の旧都であるため、
今回は派遣執行官のみをヴィエナに投入しようということになったのだ。
これもすべて、カテリーナが立てた策略だった。
「詳しいことがまとまり次第すぐに連絡するから、それまであなたは“教授”の側にいてあげて。彼、ああ見えても
淋しがり屋だからね」
「ああ……、分かった」
病院の出入り口まで来て、はユーグに別れを告げ、すぐに自動二輪車に乗り込み、エンジンをかけた。
約束の時間は午後7時。
それまでに、カテリーナに命じられたことをすべてこなさなくてはいけない。
病院を出て、一路“剣の館”に向けて走り出す。
平日ということもあってか、思っていたより車の数が少なく、予定よりも早く到着すると、
は最上階にある“教授”のラボへと入っていった。
主がいないラボに入るのは違和感がある。
いつも窓際にある机の前に座り、パイプをふかしながら、作業をしている姿を微笑ましく見つめていた姿が、
一瞬の頭を横切る。
しかし、今はそんな情に浸っている暇などない。
すぐに目的の物を見つけ出し、ミラノに届けなくてはならない。
「……あった、これだ」
山のように詰まれた茶封筒の中から、1つの大きな封筒を見つけ出す。
表紙には「Ax秘密資料在中」と書かれ、赤字で「無断開封厳禁」と記されていた。
思わず中を開きたい衝動にかられたが、
カテリーナから目的の人物に届けるまで中身を見るなと強く言われているため、
その手をすぐに止め、次の探し物をし始める。
トレスのM13専用の銃弾、自分が調合した強装弾、短機関銃用の銃弾を鞄に詰め込むと、
慌てたようにラボを出て、下まで降りていく。
“剣の館”の正面に置かれた自動二輪車に再び乗り込んでエンジンをかけて走り出すと、次の目的地、
ローマ国際空港へ向けて走り出した。
空港までの道は非常に空いており、予想以上に早く到着することが出来た。
この分なら、予定より早く用件が終わりそうだ。
「お待ちしておりました、シスター・」
目的地に到着するなり、出入り口で待っていてくれたモーフィス・ライマンは、
歓迎するかのように出迎えてくれた。
普段はめったにこんなことをする人ではないだけに、は少し驚いたが、
それも時間短縮の容易になっていいと思い始めた。
「わざわざここまで来てくれてありがとうございます、モーフィス」
「何をおっしゃるのですか、シスター・? あなたと私の仲ではないですか」
「それもそうですね。……ああ、これ、例の資料です。中身を確認して下さい」
「はい。……ええ、確かにこれで間違いありません。わざわざご側路いただき、ありがとうございます。本当は私が
直接お伺いしなくてはいけなかったものを……」
「あなたはここから離れることが出来ない身なのは十分承知していますわ、モーフィス。だから、そんな顔しないで
下さい」
少し俯き加減になったモーフィスを元気つけるように、は満弁の笑みを彼に見せる。
どうして彼女の笑みは、こんなに温かいのだろうか。
モーフィスはそう感じながらも、にお礼をするように笑顔で言う。
「シスター・、よろしければミラノまでお送りします。ちょうど、ミラノ行きの席が1つキャンセルが出まし
てね。この資料を届けてくれたお礼とまで行くか分かりませんが、乗船していただきませんか?」
「えっ、そんな、いいんですか?」
「勿論。それに、その様子からすると、お急ぎのようですからね。これは私と従業員からの、ささやかな謝礼だと
思ってお乗り下さい」
「……あるがとうございます、モーフィス。あなたのそのお心遣い、きっと主がお認めしてくれるでしょう」
が目の前で十字を切り、祈るようにしてお礼を言うと、
自動二輪車をモーフィスの足のスピードに合わせるように走らせ、ミラノ行きの飛行船の前で止めた。
「これは、このままミラノに送ってしまってよろしいですか?」
「あ、いいえ、向こうには車があるので、これはしばらくここで預かっていて下さい」
本当はプログラム「ヴォルファイ」に転送させてもよかったのだが、
生憎相手はの側についているプログラム達のことを知らないため、ここはひとまずここに預け、
後日取りに行くことにした。
知らせてもいいのかもしれないが、あまり多くの人に「彼ら」のことを伝えることはよくないと判断したのだ。
を乗せた飛行船は、そのまままっすぐ、ミラノの地を目指して飛んでいったのだった。
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