「アベルとモニカだけでなく、ユーグまで行方不明になった?」

<ええ。連絡を取ろうとしても応答がなくて……>




 暗闇に染まる部屋には、
 床に設置されている青いライトと
電動知性(コンピューター)が持ち込んだ電脳情報(クロスケイグス)から溢れる光以外の明かりがなく、
 何かを起動している低い音と、電脳情報機から流れるケイトの声だけが静かに響き渡っていた。




「アベルの方はセフィーに追わせているからいいとして、ユーグとモニカは自力で探すしかないわね。トレスと
レオンは?」

<トレスさんはここに。レオンさんはゲルマニクス国王、ルートヴィッヒ2世のもとにいます。先ほど、ローマ
の方にも連絡を入れましたので、カテリーナ様の耳にも入っているかと>

「そう言えば先ほど、アルバレス少佐がお見えになっていたわね。きっとカテリーナのところに向かう途中だった
のかも」




 ミラノでの出来事から、はカテリーナのことを「猊下」と呼ぶのを知らない間にやめてしまっていた。
 まだ数人には知られていないにしろ、直にすぐばれてしまうこと。
 そうなるぐらいなら、いっそのこと堂々と言ってしまった方が早いと思ったのだった。




<こちらは引き続き、3人の消息を追いかけますので、さんの方でも何か分かり次第、すぐに連絡して下さい
まし>

「勿論よ、ケイト。こっちの任務ももうじき終わるから、朝方にはヴィエナに向かう予定でいるの。何か情報が入った
ら、その時にでも伝えるわ」

<了解しましたわ。……あの、さん>

「ん? 何?」

<お体、本当に大丈夫ですの? さん、どんなに無茶なことをしても倒れたこととかありませんでしたから
心配で……>




 自分が思っている以上に、周りを心配させているのかもしれない。
 の身を案じるかのように言うケイトの声を聞きながら少し反省した。
 どんなに無茶な行動に出ても体調を崩すことのなかったが倒れたと言うのだから、心配しないわけがない。
 そんな気持ちが伝わって来て、彼女は安心させるように、
 電脳情報機に映し出されているケイトに向かって微笑み、優しい口調で話し始めた。




「大丈夫よ、ケイト。今やっている任務のお陰で、大分楽になったし、さっき十分すぎるぐらい眠ったから。あなた
はヴィエナで、消息不明の不届き者な3人を早く見つけ出すことに集中しなさい」

さん……>

「そんな不安な顔しないで。私は笑顔の方が好きよ」

<……分かりました。そのお言葉、信じてみますわ>

「『信じてみる』? 信じてはくれないってこと?」

<あら、いつも無茶なさるのは、どこのどちら様でしたかしら?>

「……分かったわ、ケイト。私の負けよ」

<よろしいですわ、さん>




 満足げなケイトの顔に、はため息をつきながら降参したように手を挙げる。
 そして知らない間に、2人はクスクスと笑い始めた。
 その光景は、まるで10年前、2人が出会ったばかりのころによく似ていて、
 思わず懐かしくなってしまうほどだった。




「それじゃ、私はそろそろ任務に戻るわね」

<はい。……さん>

「ん?」

<先日、新しいハーブティのレシピを考案しましたの。もしよろしかったら、ヴィエナの任務が終わったら試飲して
いただけませんか?>

「喜んで。ケイトのハーブティは美味しいもの。期待しているわ」

<はい。では、ヴィエナでお待ちしています>

「了解。――プログラム『ザイン』完全終了、クリア」




 とケイトが何かを約束するかのように、お互いに見合わせながら微笑む。
 そしてケイトの映像が消えてからも、その笑みは消えることはなかった。



 10年前、大学に青の尼僧服を着てこなかったを、ケイトは毎度のことしつこく言い寄ったことがあった。
 しばらくは耐えていたが、あまりにもしつこさに諦めて尼僧服で登校したことがあったが、
 性懲りもなく、数日後には再び僧服で登校して、またケイトに怒られたことを、
 はふと思い出してかすかに笑った。




「お互い、何も変わってないということね」




 ポツリとそう呟き、電脳情報機の蓋を閉めると、目の前にあるキーボードを叩き、リターンキーを押した。



 目の前に広がっていた大画面がシャッターのように上下に開き、
 まるでプラネタリウムでも見ているかのような星空が顔を覗かせる。
 春が近づいてきているとは言え、冬の寒さからなのか、星達がいつも以上の輝きを見せている。



 自身、冬のローマの夜空を上空から見るのはこれが初めてだった。
 移動の半分以上が自動二輪車な上、どんなに遠くても緊急時以外は列車を使うからだ。
 自分が普段生活している場なのに、こんなに素晴らしい景色が隠されていたとは。
 は窓ガラスに映される本物のプラネタリウムに、思わずうっとりしてしまいそうになった。




「シスター・、紅茶をお持ちしました」




 扉が開けっ放しになっているため、後ろに立っているモーフィスの声がよく聞こえ、
 は椅子を回転させて、彼の方へ視線を向けた。




「ありがとうございます、モーフィス。ここに置いてくれませんか?」

「はい。……しかし、今夜はまた格別にきれいですね。やはり、外の気温が低いからでしょうか」

「もうすぐ冬が終わると言いましても、まだまだ厳しいですからね。ヴィエナにいる仲間達が心配ですわ」




 ヴィエナはローマよりも気温が低いため、太陽がない今、
 外で行方知らずになっている3人の派遣執行官――1人に関してはあまり心配していないが――の身を
 案ずるかのように、は少し心配な顔をしながら、用意してくれた紅茶を口に運んだ。
 この味は確か、フォションのダージリンだろうか。




「特に大きな問題はないようですね」

「ローマを3周ほどして戻るルートで設定しているのですが、今のところ予定通りに飛行しています。この様子です
と、すぐにでも使用出来ると思います」




 “アイアンメイデンU”のテスト飛行を始めて、30分以上の時間が経過してようとする。
 その間にエンジン部や翼など、何パターンもの起動プログラムを1つ1つ確認していったが、
 今のところ大きな問題は何1つ起こっていなかった。
 さすがに戦闘プログラムの確認までは出来ないが、この分だとそんなに心配することではなさそうだ。




「今回使用のプログラムは、この“アイアンメイデンU”直属の起動プログラムとして新しく作成したものです。戦
闘プログラムはケイトが使いやすいものを選んで設置してありますから、すぐにでも実践は可能かと思われます」

「ここまで来ると、本当、シスター・には頭が上がりません。さすが、教皇庁一の電脳調律師(プログラマー)ですね」

「私としては、これを設計した“教授”の方が頭が上がりませんわ、モーフィス」




 “教授”の名前が出た瞬間、ローマ大学総合病院にいると思われる彼の姿が浮かび上がり、
 は少し心配するかのように顔を顰めた。
 カテリーナが言うには、未だ昏睡状態のままであるようで、先日、が来た時と同じように、
 一進一退を続けているようだった。
 少しでも“教授”の様態を改善させてからヴィエナに向かおうと思っていたのだが、
 もしかしたらそれもあまり役に立たないかもしれない。




(こんな時、少しでも『あれ』を解放していれば……)




 一瞬横切った言葉に、はすぐに首を左右に振った。
 確かに解放させれば、“教授”の命を延ばすことは可能かもしれない。
 しかしそんなこと、あの“教授”が許すはずがないし、逆にもっと他のことに使えと怒られるのが目に見えている。
 ここはとにかく、自分がやれる精一杯のことをして、
 少しでも彼を安心させることが一番の特効薬なのかもしれない。




「今から、着陸プログラムのテストに取り掛か入ります。そのまま着陸した後、私はローマ大学総合病院にいる猊下
に任務完了の報告をしつつ、“教授”の様態を見て来ます。あとのことはお任せしても構いませんか?」

「大丈夫ですよ、シスター・。ワーズワース博士とスフォルツァ猊下へのご報告、よろしくお願いします」




 モーフィスが一礼して退室すると、は大きく深呼吸をしてからキーボードを叩き始めた。
 中段に設置されている画面に「光」が現れると、まるでいつもと変わらないように、
 それに向かって指示を出す。




「ルフィー、ローマ国際空港の第2滑走路に着陸するわよ」

『了解。着陸プログラム起動。目標地をローマ国際空港、第2滑走路に設置します』



 “アイアンメイデンU”直属の起動プログラム「ルフェリク」の声が操縦室に木霊すると、
 機体が少しずつ下降しながら、ローマ国際空港への離陸体制に入っていく。
 それを確認しながら、はティーカップに残っている紅茶を一気に飲み干し、
 上下に分かれた巨大画面式のシャッターを下ろし、再び暗闇へと戻したのだった。

















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