静まり返る夜のローマの街に、自動二輪車のエンジン音が鳴り響く。
 その運転をしているのが、教皇庁に所属するシスターと気づく者は誰もいないだろう。
 普通なら尼僧服を着ているはずが僧衣な上、女性がこんなに規定速度ギリギリのスピードで走れるわけがないと、
 声を揃って言う姿が目に浮かびそうだった。



 そのスピードを保ったまま、ローマ大学付属病院の門の前まで行くと、自動二輪車から降りて、
 門の中へ入っていった。ここに止まっている、彼女にとって大事な人物の様子を伺うためだ。



 その病院の玄関にはパトカーが数台止まっていて、その頭上で青色灯を回転させていた。
 交通事故に会った被害者の様態を伺いに来ただけにしては多すぎる。一体、何があったのだろうか。



 不思議に首をかしげながらも中へ入ると、ロビーの一隅で何やら人が溜まっているようで、
 何人もの警官があちこちに散らばっていた。
 周辺から聞こえる声に耳を傾けると、どうやら誰かが何者かに殺されたようで、
 その事情聴取などをしているようだった。



 しばらくこの様子を見学した後、僧衣を纏った女性
 ――シスター・は腕時計式リストバンドの円盤を「3」に合わせてボタンを押すと、
 文字盤が黄色く光り、小声で話し掛けた。




「プログラム『スクラクト』、私の声が聞こえますか?」

『聞こえている、わが主よ。被害者名:ディーノ・アルマフィー。ローマ大学付属病院に勤務する心臓外科医だ』

「お医者様が殺されたの? どうして?」

『原因はまだ掴めていない。ただ該者は下着姿でうつ伏せ状態になっており、首筋が食いちぎられたようにごっそり抉られているところから、短生種(テラン)によってつけられた外傷でないことは明らかだ』

「短生種によってつけられた外傷ではない? それって、もしかし……」




 発言を続けようとしたが、途中何か引っかかる点に気づき、は思わず言葉を飲み込んだ。
 そして5日前、聖天使城で起こった事件の内容を記憶の引き出しから取り出した。
 ミラノでの休暇中に、プログラム「スクラクト」の協力を得て情報を揃えてもらっていたのだ。



 確かあの時に襲い掛かった騎士団は
長生種(メトセラ)で、アルフォンソ・デステ元大司教を殺害した後、
 “教授”に重症を負わせたが、自らも怪我を負って逃亡したと記載されていた。
 そしてその長生種は、細胞の配列を自由に操作することで、
 容姿を変化させる特殊能力――“
二重影(ドッペンゲルガー)”の持ち主とのことだった。
 そのこととこの
医師(せんせい)の殺害とは、一辺何も関係ないようにも思えるのだが、
 はそれが、妙に引っかかって仕方がなかった。



 もし仮に“教授”と同じ長生種だとしたら、相手に感づかれないように姿を隠し、
 “教授”の担当医だと思われる――心臓が弱っているかどうかは分からないが――
 この心臓外科医を誘い出して殺害。
 その後、服などの所有物を拝借して着用し、医者になりすまして潜入したとしたら……。




「……大変、ウィルとカテリーナの身が危ない!」




 は体を反転させ、急いで
昇降機(エレベーター)に向かって走り出した。
 上昇ボタンを連打したが、なかなか下りて来ようとはしない。
 自分の信頼する人物の命が狙われているというのに、肝心な時に限って思い通りにならないことに、
 苛立ちを隠せなくなりそうだった。




(こうなったら、あまり使いたくないけどやるしかない……!)




 エレベーターを諦めたは、とにかく人目に入らない位置まで移動すると、
 腕時計式リストバンドを「5」の位置まで動かし、再びボタンを押した。
 そこから照らされる紫の光とともに聞こえた声に、はすぐに指示を送る。




『君の予想通り、聖天使城を襲ったのと同じ長生種が、今集中治療室にいるとスクラクトが言っていたよ。中にいる
“プロフェッサー”とスフォルツァ猊下はまだ無事だから、今のうちに移動した方がいい』

「やっぱり、そうだと思ったわ。すぐに飛んで!」

『了解』




 に指示するプログラム達は、
 の考えていることなどを思考プログラムとして解読することが可能なため、
 彼女が言葉を発する前にすぐ行動を起こすことが出来る。
 時に予想外の展開が起こる場合があるが、
 それ以外はほとんどこの思考プログラムの判断で動いていると言っても過言ではないぐらいだ。




『座標確認、目的地、ローマ大学付属病院内集中治療室。――移動開始(ムーブ)






 の姿が歪み、一気に姿を消していく。
 そして気がついた時には、集中治療室へ続く廊下の上に佇んでいたのだった。









「ぐぎゃあああああっ!」




 突然鳴り響いた叫び声と共に、青白い光の渦が集中治療室から見え、
 は顔を強張らせながらその方向へ向かって走り出した。
 叫んだ相手は“教授”のものでなければ、カテリーナのものでもない。
 しかし少なからず、中には例の吸血鬼がいるに違いない。



 は慎重になりながら集中治療室を覗き込むと、前方に体の右半分を炎に包まれ、
 床をのた打ち回っている人物に目が入った。
 周りにはカテリーナ直属のSPの班長であるフェデリコ・アルバレス少佐を含めた3人の男が大量の血を流して
 倒れており、何かをぶち破ったかのように、ガラス窓が大きく割れていた。


 さらに、その傍らにあるワゴンの中から覗くステッキを前方に向けている人物の存在がをより一層驚かせ、
 思わず声を張り上げてしまった。




「ウィ、ウィル! あなた、一体何を……!」

「や、やあ、君。ご機嫌いかがかな?」

「そんな呑気なことを言っている場合じゃないでしょう! あなた、傷口がまだ塞がってないはずよ! それに、
いつ意識が戻ったのよ!?」

「あの吸血鬼に、この中へ放り込まれた時かな? そんな簡単なことで目が覚めるなんて、本当、不思議なことも
起こるものだね」




 傷が開いたというのに、ワゴンの中にいる同僚――ウィリアム・ウォルタ・ワーズワースは
 アルビオン紳士らしく笑顔を向けたが、痛々しくてまともに見ることが出来ない。
 思わず顔を背きそうになった時、傷が痛み出したのか、ワゴンにぐったりと身を折るように倒れかけ、
 は慌てて彼の体を支えた。




「ウィル、大丈夫!?」

「ああ、すまないね、君。まさか、女性に受け止めてもらうだなんて、アルビオン紳士としては少し恥ずか
しい気もするが……」

「そんなこと、言っている場合じゃないでしょう!」

! そこにいるのはなの!?」




 相変わらず説教するかのように大声を張り上げているだったが、
 炎の立ち上がっている奥から聞こえる声に、彼女は再び驚いたように視線をそちらに向けた。




「その声は……、カテリーナ!」




 炎を掻い潜って駆け寄ってきた上司に向かって叫ぶと、
 相手は予想外のの登場に驚きを隠せないような顔を見せ、慌てて事情を聞き出そうとする。




「どうして、あなたがここにいるのです? 空港で“アイアンメイデンU”の作成作業を手伝っていたのではないの
ですか?」

「説明はあとよ、カテリーナ。それよりとりあえず、ここから逃げましょう」

「え、あ、そうね。……ワーズワース博士、立てますか!?」

「ああ……、それはちょっと無理ですね、猊下……。どうもまだ、傷が塞がっていなかったようです」




 白いパジャマが見る見る打ちに赤く染まりつつあり、が慌ててそこに手を翳し、白いオーラを出現させる。
 ある程度まで傷口を塞いでおかなくては、彼の命に関わることだからだ。




「僕のことはお構いなく……、2人だけでも、どうか、先に行かれて下さい」

「黙りなさい。……今度そんな戯言を言ったら、口を縫いつけますよ」

「そうよ、ウィル。ここは大人しく、私とカテリーナに従いなさい」




 弱々しく笑ってみせた紳士を一括すると、カテリーナとはワゴンを押し、
 未だ日を消そうと懸命になっている吸血鬼から離れようとした。
 そしてその間に、は彼女に現状を説明し始めた。




「“アイアンメイデンU”は無事に完成して、先ほどテスト飛行が終了したわ」

「それでその報告をするために、ここへ来たということですね。ヴィエナの現状は把握済みですか?」

「ええ、もちろん」

「そうか……、“ソードダンサー”に預けた伝言、聞いてただけたのですね?」




 とカテリーナの会話に参加するように、ワゴンから弱々しい“教授”の声が聞こえる。
 一瞬、口を開くことを止めさせようとしたが、
 自分の命をかけて手に入れた情報が役に立っているのかどうかを確認するかのような問いかけに、
 思わず忠告することを止めてしまった。




「ええ……。それですぐに、ヴィエナに6名の派遣執行官を投入しました。ところがそのうち、現時点で2人までも
が行方不明になっています。……少し、途方にくれているところです」

「正確に言えば、2人行方不明、1人人事不省なんだけどもね」

「それは一大事。いやはや、僕もゆっくり人事不正もしていられませんな。……ぐっ!」

「大丈夫ですか、“教授”?」

「ウィル、しっかりして!」




 敵から急いで逃げるため、ワゴンのスピードを緩めるわけにはいかない。
 何せ、敵は吸血鬼なのだ。その気になれば、ものの数秒で補足されかねない。




、あなたに1つ、お願いがあります」

「何? 今だったら、何でも聞くわよ」

「そうですか。それは心強いですね」




 カテリーナが一瞬笑顔を見せると、も何かを感じたのか、思わずつられて微笑んでしまう。
 しかしすぐに見せた真剣な眼差しに、次に発せられる言葉の重みを感じさせた。




「実はこの病院内に、爆弾が仕掛けられているのです」

「爆弾が!? まさか、あの長生種(メトセラ)が……」

「いいえ、あの吸血鬼は直接――正確には殺害された医師(せんせい)の姿でですが、集中治療室まで来ました。……仕掛けたの
は、ガレアッツォ・ヴィスコンティ大尉です」

「……何ですって!?」




 突然表れた名前に、は再び驚きの表情を向けた。
 ガレアッツォ・ヴィスコンティと言えば、昨日付でスフォルツァ城警備隊長の任を解かれた人物である。




「どうやら私が毎日のようにここに来ているのを嗅ぎつけてなのか、私を殺そうと待ち構えていたようです」

「そう言えば、伯父であるロレッツォ・ヴィスコンティ会長から勘当されたって聞いたわ。その恨みを果らそうと
するのは分かるけど、何もこんな時にしなくてもいいのに」




 は呆れながらも、ガレアッツォの起こした行動に関しては予想していたので、
 ある意味的中していたことで、思わず納得してしまいそうになった。
 相手にとっても、あの
医師(せんせい)が殺された事件は予定外の出来事だっただろうから、
 お互い様と言えばお互い様かもしれない。




「つまり私は、ここに設置されている爆弾をすべて解体すればいいのね。でも、私がいなくて大丈夫なの? 相手は
長生種。いつまた襲い掛かってくるのか、分からないのよ?」

「病院内に、連れとして一緒に来たシスター・カーヤがいます。彼女を代わりに呼んで下さい」

「カーヤがここに!? ……でもそれじゃ、いくら何でもやりすぎじゃ……」

「確かに、最悪な結果になってしまうかもしれない。しかしこの際、そんな我がままを言っている場合ではありません」




 カテリーナの発言は最もだが、
 それでもは“ジプシークイーン”ことシスター・カーヤ・ショーカをここに連れ出すことに疑問を
 持っていた。
 敵を倒すことを無邪気に楽しむ姿は、にとっては見るに耐えない光景な上、
 一番望まない結末を生んでしまうからだ。



 しかし、以前彼女に爆弾の解体技術を教えておいたとは言えど、
 そのスピードは機械に親しんでいると比べ物にならないぐらい遅いものである。
 彼女1人で爆弾の解体を任せるより、1人で解体した方が時間短縮に繋がる。
 ここは諦めて指示に従うしかない。




「……分かったわ、カテリーナ。すぐにカーヤを呼ぶから、その間だけ何とか耐え抜いて」

「もちろんよ、

「ウィル、お願いだから、あまり無理をしないで。いくら傷口を多少塞いだからって、完璧に塞いだわけじゃない
し、また開くかもしれないから気をつけて」

「分かっているよ、君。……おおっと、行く前に1つ」

「何?」

「僕の代わりに“アイアンメイデンU”を造ってくれて……、ありがとう」




 本当は自分が監督しなくてはいけないところを、ある意味弟子であるに任せ、無事に完成したことに、
 “教授”は心の底から感謝しているようだった。
 しかし実際、指揮を取ったのは、ローマ国際空港のチーフであるモーフィス・ライマンであり、彼女ではない。
 だがここは彼の代わりに、素直にその言葉を解釈するのが一番なのかもしれない。
 そう思ったは彼の手を強く握ると、彼の好きだという笑顔を振舞いた。



 以前彼は、の笑顔に救われると言っていた。
 一瞬、聞き逃したかのような言い回しをしたが、その言葉はしっかりとの耳元に届いており、
 強く残っていた。だからなおさら、この笑顔で彼の不安要素を取り除いてあげたかった。




「こちらこそ、私に任せてくれてありがとう。早く元気になって、乗せてあげたいわ」

「その前に、何とかしてこの状況から脱出しないといけないね」

「そうよ、ウィル。ここであなたがいなくなったら、私もカテリーナも困るもの。それじゃ、私は解体に向かうわ
ね。カテリーナ、ウィルのこと、頼んだわよ」

「もちろんよ、






 ちょうど目の前に階段が現れ、は左折して、勢いよく下りていく。

 しかしその足音が途中で消え、彼女の姿ごと見えなくなってしまったのだった。
















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