「――今だ!」
後ろから、声の高く、幼い子供の声が聞こえたのはその時だった。
背後にいたと思っていた少年がいつの間にかの前に再び現れ、先ほどの筒状のもの
――爆弾につけられているスイッチを押そうとしたのだ。
「待って! それに触れないで!!」
動きを止めようと、少年の腕を突かんで静止させる。
その腕を必死になって外そうとする少年の腹部に空いている腕を回し、動きを完全に封じ込めた。
「離せっ! 離せってば!!」
「いいえ、絶対に離さない」
「お願いだから、離せよ! あのボタンさえ押せば死ねるんだ!!」
「それ、本気で言っているの? あれを押したらどうなるか、分かっているの?」
「分かってなかったら、あのオジさんの言うことなんて聞かないよ!」
胸元で手足をばたつかせている少年は、自分が何をしようとしているのかをしっかり把握しているようで、
必死になって脱出を試みようとしていた。
しかし、いくら相手が女性であろうが、大人の人間であることには変わりなく、
子供1人がそう簡単に突破できるほど簡単なものではないのは一目同然だった。
「オジさん、あのスイッチを押せば死ねるよって言ったんだ。このボタンを押せば、これ以上苦しまなくていいよ
って。だから押して、こんなところからいなくなりたかったんだ!」
の胸元でもがきながら、手をスイッチの方へ伸ばす。
それを必死になって押さえ込みながら、どうにかして原因を突き止めようと質問を投げかける。
「どうして、そんなに早く死にたいの? どうして、こんなことまでして、いなくなりたいの?」
「お医者様が言ったんだ。僕はあと、2年しか生きられないんだって」
「えっ……?」
見た目は元気な子供と変わらないのに、どこにそんな不安要素があるのだろうか。
思わず疑問に思ってしまうぐらい、は相変わらずばたつかせる少年を支えながら続きに耳を傾けた。
「生まれてから、ずっと心臓が弱くて、もとから長く生きられないって言われてたんだ。手術も何回も何回もした
けど、すぐに発作が起こって入院して。お父さんもお母さんも、『こんな子なんて、産まなきゃよかった』って言
うし、退院して、学校に行っても、いつも苛められるばかりだし」
先ほどまで元気だった声が、だんだん弱くなっていき、何かに詰まったような声に変わっていく。
もがくこともやめ、力なくに支えられている姿は、見ているのが辛くなるぐらい小さく感じる。
「神様に何度もお願いしたけど、何1つ叶ったことなんてなかった。きっと神様も僕なんて、いなくなっちゃえばいい
って思っているんだ。だから、だから……」
自然と泣き声に変わり、涙が床へぽろぽろと落ちていく。
強がってはみたもの、本当は怖かったのではないかと思い、は彼を自分の方へ振り替えさせ、
両手で彼の肩をしっかり掴んだ。
「……あなたには、大切な人はいる?」
「うん」
「それは誰?」
「お父さんとお母さん。それと、おじいちゃんとおばあちゃん」
「その人達が悲しんでいる姿を見たい?」
「……見たくない」
「だったら、ちゃんと生きなきゃ駄目よ。生きて、少しでも元気なところを見せて、安心させなきゃ」
「でも……」
「ここで死んだら、その大切な人達がみんな泣いて、悲しませてしまう。もしその人達が泣かなくても……、私は
確実に泣くわ」
「今、会ったばかりなのに?」
「会ったばかりだとしても、こうしてお話しているんだから、もうれっきとした知り合い同士よ。そして今、あなた
は私の大事な人に変わったわ」
どんなに短い時間でも、自然と仲良くなってしまうのは、今のの特技の1つだった。
だからこそ、こうして優しい視線を送り続けることが出来るのだ。
「だからお願い、もうこんなことしないで。あなたの大切な人達を、そして私を、これ以上悲しませないで。ちゃん
と生きなきゃ駄目よ」
「……うわあああああん!!!」
涙が一気に溢れ出し、の胸元で大声で泣き始める。
きっと、今まで必死になって我慢していたものが、涙として表に現れたのであろう。
そんな少年をは抱きしめ、安心させるように優しく髪を撫で下ろした。
まるで、自分の昔を見ているような少年に、は思わず姿を重ねてしまう。
あの時、周りにいる人間は、彼女を利用するだけ利用して、
それ以外は無関心で、何1つ彼女の希望を聞こうとはしなかった。
普通の人間とは違い、プログラムに育てられていた彼女は当然のように苛められ、
何度もナイフや銃を掴んでは、自分の胸につき立てようとした。
それを止めたのは、彼女の側でずっと支え続け、唯一信じることが出来たプログラム達だった。
『あなたが死ぬのであれば、先に私達を消去してからにしなさい』
よく言われた言葉が頭を横切り、あの時と同じように、胸が苦しくなりそうだった。
それを吹っ切るかのように、は胸元にいる少年に優しく声をかけた。
「ほら、もう泣かないの。男の子でしょ?」
「うん。……ありがとう、えっと……」
「よ。こんな格好しているけど、れっきとしたシスターよ。あなた、お名前は?」
「リューイ」
「リューイね。いい名前じゃない。かっこいいわよ」
「本当?」
「ええ」
まるで天使のようなの笑顔に、リューイは思わずドキッとして、顔が赤くなりそうになる。
それを隠すかのように俯くと、それがかわいくて、かすかに笑ってしまう。
「さ、あの爆弾、とっとと壊しちゃいましょう」
「壊せるの?」
「ええ。私、そういうの、得意なのよ」
は少年にハンカチを手渡すと、爆弾の側から離れさせた。
今、まだ沈黙を続けている危険物に触れ、手製と見られるタイマーを見つめる。
どうやらスイッチを入れると作動する仕組みになっているようだ。
僧衣のポケットから、折り畳み式ナイフを取り出し、筒状の上部を手際よく切り開き、
中に仕掛けられているコードを表に出した。
どのコードを切ればいいのか分かっているようで、1つの迷いもなく1本のコードを切り、
タイマー部分を切り外すと、大きくため息をついて、はリューイに笑顔を見せた。
「……終わったの?」
「ええ。無事に。あと6個ね。これぐらいだったらすぐにでも……」
言葉を遮るかのようにして鳴り出したのは、あの腕時計式リストバンドだった。
光の色からして、プログラム「スクラクト」なのは間違いない。
「、お姉ちゃん?」
「ああ、大丈夫。私の仲間からよ」
確かに仲間ではあるが、きっと相手は意味が違うと突っ込んだかもしれない。
その突っ込みはあとで受けることにして、とりあえず音を止めてボタンを押した。
「どうしたの、スクルー? 今、1つ爆弾を解体し終わった――」
『緊急事態だ、わが主よ。本館内科診察室前に設置されている爆弾のタイマースイッチが押された』
発言を遮るかのように飛んできたプログラム「スクラクト」の言葉は、
だけでなく、横にいるリューイをも驚かせ、全身に悪寒が走るぐらいだった。
そう言えば先ほど、ガレアッツォは「この子を含めた彼ら」と言っていた。
となると、まだ他にも彼の話術にかかったものがいるというのか!
「……きっと、フィヤットだ」
「フィヤット?」
「同じ病室の子で、血液の病気を持っているんだ。僕と彼、一緒の病室で入院していて、2人で一緒に廊下で遊んで
いた時にオジさんに声をかけられたんだ。早く止めなきゃ!」
「! 待ちなさい、リューイ!!」
リューイが急に走り出し、は慌てて彼の後を追いかけ始めた。
心臓に病を持っている人間がこんなに勢いよく走ってしまえば、発作の1つや2つ、起きてもおかしくないからだ。
それを頷けるかのように、先ほどの場所から数メートル離れた位置で、リューイは力つき、
胸元部分のパジャマを握ってその場に崩れるように座り込んでしまった。
「リューイ!」
荒い呼吸を繰り返すリューイを立ち上がらせ、強く抱きしめると、彼に見えないように肩へ額を押さえつけた。
ゆっくりと目を閉じて集中すると、体から白いオーラが現れ、抱きしめているリューイの体に注ぎ込んだ。
いっそのこと、病ごと治せれたらと思うのだが、さすがにそれは出来ないので、
せめて発作だけでも取り覗いてあげたかった。
数分後、白いオーラが姿を消して、ゆっくりとリューイの顔を見ると、
先ほどより赤味のかかった色に代わり、呼吸も落ち着きを取り戻している。
「大丈夫、リューイ? 苦しくない?」
「うん……。今まで発作が起こっても、その後、こんなに楽になったことなんてないよ」
「本当? それはよかったわ」
不思議なぐらい呼吸がしやすいことに、リューイは少し驚いたように、
目の前で笑顔を見せる尼僧を見つめていた。
笑顔だけではなく、本当に彼女は天使なのではないか。
ついそう思ってしまうぐらい、今の状況が信じられなかった。
「さ、リューイ。私にフィヤットの居場所を教えて。絶対に走っちゃ駄目よ」
「でも、タイマー、動いちゃっているんだよね? 僕、嫌だよ。フィヤットが死んじゃうのなんて……」
最後の言葉は、がリューイを抱きかかえたのと同時に消えてしまった。
どうやら、このまま移動するらしい。
「よし、これなら大丈夫。さ、行くわよ」
「う、うん!」
「あーっ! あんなところにお姉様がいるー!!」
ようやく行動に移せると思った時、背後から聞こえた声に、は驚いたのと同時に、
何かを発見したかのような表情で振り返った。
そこに立っていたのは、彫りの深い、浅黒い顔をしたジプシー娘で、
のよく知っている人物だった。
「カーヤ! シスター・カーヤ! よかった、無事だったのね!?」
「カーヤはいつも、元気いっぱい♪ 今も元気に、爆弾解体中♪ お姉様こそ、どうしてここにいるの?」
「私は猊下に報告したついでに、“教授”のお見舞いに来たところだったんだけど、事件に嵌っちゃってね」
「そうなんだー。それじゃ、カーヤ、お姉様と一緒の任務してるんだ! わーい、やったね♪」
ジプシー娘――シスター・カーヤ・ショーカは本当に嬉しそうで、そこで踊り出してしまいそうだった。
が、いくら嬉しいからといって、躍っている暇などない。
は急いで、彼女に上司からの命令を伝えることにした。
「カーヤ、残りの爆弾の解体は私がするから、あなたはすぐに猊下の援助へ行って。たぶん、集中治療室から一番
近いエレベーターの中に閉じ込められていると思うの」
「了解、お姉様♪ ところで、この子はだあれ?」
「ああ、この子は爆弾の場所を知っている唯一の人でね、今から案内してもらうの」
「ふ〜ん、そうなんだあ〜」
「そんなことより、すぐに猊下のところへ行きなさい。後処理は好きにしていいから」
「あい、お姉様♪ 私は歌って、あなたは踊る。首を絞って、血を掘り出し、それを神様に差し上げて……」
カーヤは嬉しそうに歌いながら、スキップをするようにその場を去ったが、歌の内容が内容なためか、
もリューイも思わず顔が引きつりそうになってしまった。
「お姉ちゃん、今の人、本当にお姉ちゃんの仲間なの?」
「まあ、あれさえなければ、いい子なんだけどねえ……。……ああ、今はそんなことを気にしている場合じゃない!
リューイ、どっちに行けばいいの?」
「あ、う、うん! こっちだよ!」
カーヤの歌に冷や汗を掻きながらも、はリューイが指差した方向に向かって一気に走り出した。
さすがに子供1人を抱きかかえて走るのは辛かったが、今はそんなことを行っている場合じゃない。
とにかく早く行って、爆弾を止めなくてはいけない。
誰1人として、死なせたくない。
の想いは、より一層、大きくなろうとしていた。
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