新館から本館へ移動する連絡通路は1箇所しかなく、リューイを抱えたは、
 先ほどの小児科病棟の近くにある階段を勢いよく下り、連絡通路に向かって走っていた。




「あの、その子、急患ですか!?」

「いいえ、そうじゃないんです! すみません、今、急いでますから!!」




 これで何度目になるのか忘れたが、先ほどから看護士に止められては同じようなことを聞かれ、
 も同じような答えを繰り返していた。
 パジャマ姿の少年を抱えて走っているのだから、彼らが取った行動は間違いではない。
 だた今は、そんなことに庇っていられるほどの時間など、どう探しても見つからなかった。




お姉ちゃん、あそこ!」




 今まで横を向いていたリューイの頭が前を剥くと、は彼が指差す方向を見つめ
 、探し物の場所を確かめようとする。
 すると、ちょうど内科の診察室の前に、先ほどと同じ形をした筒状の物が、小さく音を立てながら置かれていた。
 タイマーを見れば、針が「0」の位置へ向かって動いている。これは、間違いなく作動している。




「リューイ、あなたのお友達はどこ?」

「分からない。おかしいな、どっかに隠れているのかな?」




 爆弾を恐れて逃げているとなると、
 どうやらリューイとは違う理由でガレアッツォの命令に従ったのではないらしい。
 そうでなければ、スイッチだけ入れて、すぐに離れようとはしないはずだからだ。




「リューイ、あなたはすぐにお友達を探してきて。その間に、私はこれを止めるから。あっ、絶対に走っちゃ駄目
よ!」

「うん!」




 はその場にしゃがむと、胸元にいたリューイが飛び出し、
 早歩き――少しだけ走っているようにも見えたが――で親友を探しに行った。
 それを確認すると、は再び僧衣から折り畳み式ナイフを取り出し、ダイナマイト式爆弾の解体を始めた。




 先ほどと同様、筒状の先端部を切り、蓋のように取り外すと、
 中から先ほど切った線とタイマーへ続く銅線をそれぞれ切断する。
 するとタイマーの針は動きを止め、その証拠に小さくなっていた音も聞こえなくなった。




「よし、これでもう大丈夫――」

『聞こえるか、わが主よ』




 回線を切っていなかったからだか、
 腕時計式リストバンドからプログラム「スクラクト」の声が再び耳元に入っていく。




「タイマーは解除したわよ」

『それは知っている。しかし、また他の位置でタイマーが作動した。場所は、ここから100メートル離れた位置に
ある外科診察室だ』

「……えっ!?」




 プログラム「スクラクト」の発言で、はすぐ、リューイの親友が押したものだと確信した。
 となると、彼はこれだけでなく、全てのタイマーを作動させてしまうかもしれない。




「スクルー、これって、プログラムからの解体は無理なの!?」

『機械系統のものが着いていないものは不可能だ』

「それじゃ、急いで全部解体しなきゃいけないってこと!? 何て厄介なものを作ったのよ、あの男は!!」

『相手は、機械などに詳しくないゆえ、この結果は当然のことだ』

「こうなったら、気合で全部解体するしかないってことになるのね。全く、何て面倒なことを……」




 文句を言いながらも、足は知らない間に走り出しており、次の目的地へ向かっていた。
 幸い、夜だということで患者は少なかったにしろ、相変わらずたくさんの看護士に止められながら、
 何とかして目的の場所までたどり着いた。



 今夜は患者が見えないからなのか、外科診察室の中には担当医がいないようで、物音1つ聞こえない。
 それが不幸中の幸いで、は何も気を使わず作業に集中することが出来そうだった。




『今度は、さらに200メートル離れた待合室だ』

「待合室!? そんな目立つところに置いてどうするのよ!?」

『西側にある植木に隠しているらしい。人はいないようだから、安心するがいい』




 よく考えてみると、ここまで看護士以外の人を見ていない。
 そう言えば以前、ほとんどの診察室が新館の方に移動したため、
 本館は今ではそんなに使われていないということをどこかで聞いたような気がする。
 だとすれば、ここは無人病院と言ってしまってもおかしくない。




(何だか、怖いわね。変なのとか、出て来ないで欲しいわ……)




 普段、吸血鬼を相手にしているでも、やはり霊などの不可現象は苦手だった。
 昔、よくプログラ達に、データだけで作り上げたものに、何度も驚かされたからだ。
 実物を見たことがないにしろ、似たようなものだと言われれば怖がるのも当然のこと。
 は顔を少しゲッソリとさせながら、危険物の処理へと精を出した。



 一体、いくつ解体しただろうか。数を数えることをやめた時には、
 は少し息切れをしながら作業を続けていた。
 やはり普段、プログラム『ヴォルファイ』や自動二輪車に頼りすぎていたのがいけなかったのであろうか。
 それとも、「例のこと」があるからだろうか。



 とりあえず、自分が数えていなくても、きっとプログラム「スクラクト」が数えているだろう。
 は「彼」にすべてを任せ、ただ指示された通りに動いていったのだが……。




『今、いくつ解体したか覚えているか、わが主よ?』

「あんたも数えていないんかい!!」



 久々にの突っ込みが飛ぶと、プログラム「スクラクト」はしばらく黙り込み、そして再び口を開く。




『冗談だ。あと1つで終わる』

「こんな非常事態に、よくそんな冗談を……、ん?」




 冷ややかな目線で声の主に言いかけたが、目の前で何やら叫び声が聞こえたのと同時にやめてしまった。
 1つは聞き覚えのある声だが、もう1つは誰なのか検討も着かない。




『どうやら、先ほどの少年が犯人を見つけたようだ』

「リューイが? と、いうことは……」

『声が聞こえる場所は、6個目……通算10個目の爆弾が設置されている場所と同じだ』

「ちょうど、タイマーを入れる前に見つけた、ということね。……見えてきたわ」




 視界に2人の少年の姿を捉え、は走るスピードを少し上げる。
 それに反応してか、2人のうち、赤と黒のニット棒を被った少年が相手の1人の少年を押し倒すと、
 反対側にある筒状の物体に手を伸ばそうとした。




「そうはさせないわよ!」




 しかし、少年の手を伸ばす前に見えたのは、息を切らしながら飛び込んできたの手だった。
 それを掴んだ瞬間、タイマーが入っていないことを確認し、
 ずっと手に握り締めていた折り畳み式ナイフですぐに解体されていく。




「あーっ!!」




 チャンスを逃したと言わんがばかりに、ニット棒の少年が声を上げた時には、
 すでに筒状の中から配線コードが抜けられ、目的の銅線を切ったあとだった。
 銅線を切った当のは安堵のため息を漏らしたが、床に叩きつけられた少年が未だに動かないことに気づき、
 急いで彼のそばへ向かった。




「リューイ! 大丈夫!?」

「大丈夫、だよ、お姉ちゃん……。ちょっと、無理、しちゃっただけだから……」




 発作は起きていなくてよかったが、もし本当に起こってしまったら大変なことになっていたに違いない。
 は再び大きくため息をつくと、横で唇をかみ締めている少年を見つめた。
 その顔は、まるで自分の思惑通りに行かなかったことを悔やんでいるようだった。




「あなたが、フィヤットね。よくここまで、私を振り回してくれたじゃない。……そんなに、死んで欲しかったの?」




 の言ったことが当たっていたのか、少年の顔が一瞬驚いた顔をしたが、その顔もすぐに元に戻り、
 そして強く言い放った。




「そうだよ。ここにいる人達なんて、みんな死んじゃえばいいんだ。
医師(せんせい)も、看護師さんも、みんな、みんな、
いなくなっちゃえばいいんだ」




 少年――フィヤットの姿を見た時、はすぐに彼が何の病気なのか分かった。
 そしてその病気も簡単ではないが、治らない病気ではないこともすでに分かっていた。




「みんな、大嫌いだ。ここにいる人達はみんな嘘つきで、僕の気持ちなんて、誰一人分かってくれない。僕のことな
んて、もうどうでもいいんだ」

「だから、爆弾のスイッチを入れる手伝いをしようと思ったの?」

「そうだよ! どうせ、僕の病気は一生治らないんだ。それなのに、治るだなんて嘘を言って、僕を生かそうとする
奴らなんて、いなくなっちゃえばいいんだ! いなくなっちゃえば、僕は……!」




 パチンという軽い音と共に、少年の発言は止められてしまった。
 頬がかすかにヒリヒリするが、それ以上に目の前にいる女性の視線の方が痛く感じる。




「……諦めたようなこと、簡単に言わないで」




 視線とは裏腹に、とても悲しみに満ちた声が少年の耳に流れ出す。




「あなたは病気から逃げている。自分から治そうと思っていなくて、すべてをお医者様のせいにして、何も悪くない
と言い張っている。違う?」

「違う! 僕は逃げてなんてない!」

「それじゃ、どうしてお医者様達を信じようとしないの? お医者様が治るというのなら、何としてでも治してやろ
うと思ったことはないの?」

「それは……」

「リューイを見なさい。彼の病気は生まれつきのもので、もう治ることなんてない。なのに、こんなに立派に生きて
いるのよ。それなのに、治る可能性があるあなたがこんなことでどうするの? 情けなくないの?」




 の質問に、フィヤットは何かを堪えているかのように俯き、そのまま黙ってしまう。
 そんな彼の前に、は先ほどまで手に握り締めていた折り畳み式ナイフを取り出し、刃を表に出して、
 彼の手に握らせる。




「それでもあなたが、そう願っているなら止めはしないわ。けどそれは、私を倒してからにしなさい」

「え……?」




 突然の発言に、ナイフを握られた少年は目を見開いたまま、目の前にいる僧衣を身に纏った女性の顔を見た。
 その顔は真剣そのもので、一瞬の歪みすら感じられない。




「私は、ここにいる全ての人を助けなくてはならない。そのためだったら、この命を差し出してでも構わないわ」

「そんな……。僕、そんなつもりで言ったんじゃ……」

「そんなつもりじゃなくも、他の人にはそう聞こえるのよ。さ、本気で死んじゃえばいいと思っているのであれば、
これぐらいのこと、簡単なことのはず。さっさとやりなさい」




 覚悟を決めたように目を閉じるを、フィヤットはただ、呆然と見つめているだけだった。
 ナイフを握っている手が小刻みに震えていて、目にはまるで、
 何かに怯えているかのように大量の涙が溜まっている。



 自分の願いを叶えるには、目の前にいるを倒さなくてはならない。
 しかし自分は、そこまでして叶えたいのだろうか。
 この願いを、叶えてしまっていいのであろうか。
 このまま、現実から逃げ出したままでいいのであろうか。
 フィヤットの心に迷いが生じた時、彼の目の前に、予想もしていなかった人物が割り込んできた。
 それは、自分がここに来て、初めて仲良くなった「親友」と呼べる人物だった。




お姉ちゃんを殺さないで!」




 自分より少し高めな、そして何より力強く聞こえる声に、フィヤットは重い頭を持ち上げ、
 目の前に立ちはだかる少年の顔を見た。
 その顔は、今まで見たことのないぐらい真剣な表情を浮かべている。




お姉ちゃんを殺さないで! お姉ちゃんは、僕の大事な人なんだ! だから、絶対に殺しちゃ駄目!!」

「リューイ……」




 親友の、今までにない表情を、フィヤットはただ見つめるだけだった。
 だが、手に握り締められていたナイフが力なく落ちた時には、今まで溜まっていた涙が頬を伝って毀れ始め、
 声を上げて泣き始めた。




「ごめんなさい、リューイ……。ごめんなさい、先生……、ごめんなさい……」

「フィヤット……」

「本当に、ごめんなさい……」




 泣きじゃくるフィヤットを、はリューイと一緒に強く抱きしめ、慰めるように髪をそっと撫で下ろした。
 それはまるで、昔の自分を宥めているようで、また再び胸が苦しくなってしまう。



 今日はよく、子供の頃の自分を思い出す日だ。
 事実、もう二度と掘り出されることはないだろうと思っていただけに、
 似たようなことを考えていたこの2人が他人のように感じられなくなりそうだった。




「ほら、フィヤット、泣き止んで。男だろ?」




 さっき、が言ったことの受け入りかのような言葉に、はかすかに笑いそうになった。
 しかしそんなリューイが、とても逞しく見えて、少しだけほっとしてしまった。




「リューイ! フィヤット! そんなところにいたの!?」

「「あっ、シーラさんだ!!」」




 道の奥から聞こえた女性の声に、リューイとフィヤットが驚いたような、でもどこか嬉しそうな顔で見つめる。
 廊下の先には、少し太めの看護師が、まるで探しものが見つかったかのように安心した表情をしている。
 どうやら、彼ら2人を担当している看護師らしい。




「こんなところで、何をしているの、2人とも? それに、この方は?」

「それはね、あの……」

「私、教皇庁国務聖省特務分室派遣執行官、シスター・と申します」




 走りながらやって来た看護師に、子供達よりも先に言葉を発したのは、
 僧衣を身に纏った茶色の長い髪を持った女性だった。




「実は私の同僚がこちらで入院しているのですが、一緒に来ていた連れと逸れてしまいまして、そしたらこの子達と
会ったんです。これから一緒に探してもらおうと思っていたところだったのですが、居所、ご存知ですか?」

「あら、そうだったんですね」




 まさか、爆弾の居所を教えてもらったとも言えず、は何とか嘘の事情を説明して、
 相手を納得させようとする。
 焦りながらも、何とか相手を納得させたを、2人の少年がかすかに笑っているが、
 この場合は笑われても仕方ないと思って諦めるしかなかった。




「教皇庁の方ということは、たぶん、集中治療室にいらっしゃる方だと思います。もしかしたら、お連れの方は先に
そちらへ向かっているのではないでしょうか?」

「ああ、そうかもしれませんね。そこなら場所が分かっていますから、直接行ってみます。教えて下さって、ありが
とうございます」

「いいえ、こちらこそ、ありがとうございました」




 看護師にお礼を述べたあと、はその場にしゃがみ込み、
 目の前に立っている2人の視線と同じ位置まで視線を落とし、両手でそれぞれの頭に手を置く。
 そして2人を慰めるかのように、髪をクシャクシャと撫でる。




「それじゃ、2人とも、ここまでありがとね。本当、助かったわ」

「また、会えるよね?」

「もちろん。それまで、元気でいるのよ」

「「うん!」」




 2人に満弁の笑みを見せると、それに負けないぐらいの笑みを返す彼らが、思わず可愛らしくて、
 ずっと見ていたくなりそうだった。
 しかし、彼女の仕事自体はまだ終わっていない。
 上の階で、彼女の上司と同僚が、未だ死闘を繰り広げていると予測されていたからだ。




「それでは、私はここで失礼します」

「はい、シスター・

「「ありがとう、お姉ちゃん!」」




 2人の息の合った声に耳を傾け、は再び笑みを見せると、彼らに背を見せて歩き始めた。
 本当は走って向かいたかったが、後ろに病院関係者がいるとなるとそういうわけにもいかず、
 そのまま冷静を保ったまま廊下を歩き続けていた。




「あっ! そうだ、ハンカチ!!」




 ちょうど角を右に曲がった時、
 リューイがパジャマの胸ポケットに入れっぱなしにしていたハンカチの存在に気づき、
 慌てて追いかけようとした。
 しかしそれを止めるかのように、フィヤットが彼の腕を強く握って阻止する。




「僕が代わりに行ってくるよ。走ったら、また発作になるだろ?」




 リューイの手からハンカチを受け取ると、フィヤットは急いでのあとを追っかけた。
 角を曲がった先も、まだ長い廊下が続いているから、きっと今からでもすぐに追いつくはずだ。
 リューイには内緒で、にちゃんと謝りたいと思っていたフィヤットは必死になって走り、
 そして同じ角を右に曲がった。
 しかし――。




「……あれ? 、お姉ちゃん?」






 長く長く伸びる廊下には、もうすでに、の姿がなくなっていたのだった。

















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