ミラノの空に注ぐ日差しが、1日の始まりを教えようと静かに昇り始める。
 しかし空港内の搭乗ラウンジでは、朝も夜も関係なくたくさんの人達が集まり、
 自分達のフライトを今か今かと待っていた。



 それに混じるかのように、2人の僧衣を身に纏った男女が、
 ラウンジ内にあるカフェの中から見えるゲート案内の掲示板を眺めながら、自分達の搭乗時間を確認していた。




「どうやら、私の方が先みたいですね」

「出発、アベルの方が先だもの。それに私も、その30分後には出発だし」




 こうして2人でのんびり出来るのもあと少し。
 いつもならそんなに気にしていないのに、今回ばかりは時間が止まって欲しいと思わず願ってしまい、
 それを必死に振り払おうと心の中で頭を左右に振ろうとする。




「ああ、何だかヴィエナに行きたくなってきたわ」

「何、言っているんですか、さん。ローマでの任務が終わったら合流してもいいと、カテリーナさんからの
許可をもらったんでしょう? ここはじっと我慢ですよ」




 の頭を子供を宥めるかのようにポンポンと叩くと、彼女の顔がそれこそ子供のように膨れ上がった。
 それを横で見ていたアベルの顔が、思わず苦笑してしまう。




「それじゃ、本当に子供っぽく見えますよ」

「アベルがそんな風な素振りをするからじゃない」




 そうとは言いつつも、は少しだけ嬉しかったし、こんな風にアベルと一緒に過ごす時間を楽しんでいた。



 あの日以来、2人はずっと一緒に過ごし、夜もが夢などで魘されてもすぐに助けられるように、
 アベルがずっと側にい続けていた。
 お陰で魘されることもなく、毎朝、爽快な気分で目が覚めたことに、は心の底から彼に感謝していた。
 しかし、それもあともう少しで終わってしまう。
 そのことには辛い反面、だからこそこの時間を有意義なものにしようと決めて、今ここにいるのだ。




「それよりカテリーナさん、よく許可しましたね」

「もとから彼女は、ローマでの任務を終わらせてからヴィエナに向かわせるつもりだったらしいんだけど、内容が
内容だっただけに大声で言えなかったみたいなのよ」




 カテリーナはがプログラムを弄っている間に体調がよくなることを知っている。
 現に彼女は、何度もその光景を見たことがあった。
 そのこともあり、をローマに戻し、任務用のプログラムを作成している間に体調を取り戻させ、
 完成し次第ヴィエナへ援護しに行ってもらおうとしていたのだ。
 ただ、今回彼女にかせられた任務が、特級レベルの極秘任務だったため、横にいる神父を含め、
 他の派遣執行官達の前で伝えることが出来ず、逆にを苦しめてしまう結果となってしまったのだ。






『辛いことを言ってしまってごめんなさい。でも、そうでも言わないと、あなたはきっと止まってくれないと
思ったから……』






 3日前、ローマに戻る前に言い残したカテリーナの言葉を思い出しながら、
 は彼女の心使いを無駄にしてしまおうとしていた自分を強く叱り、深く反省した。
 そして彼女が想像するもの以上のものを仕上げようと、心に強く誓ったのだった。




「ユーグはもう到着しているの?」

「前日のうちに現地へ向かったそうです。カテリーナさん、ローマに戻ってすぐに病院へ向かったそうですから、
その時に交代したそうです」

「昨日、カーヤから聞いたわ。彼女、毎日のように言っているみたいなの。きっと今日も、仕事を終えたら向かうん
じゃないかしら」




 カテリーナとしては、いざという時の相談役がいなくなってしまい、
 にとっても昔馴染みであり、時に師匠のように慕っていた人物からの助言が聞けなくなってしまったことで、
 改めて“教授”の存在がこんなに大きく、かつ重要な人物だったことを痛感してしまう。
 だからこそ、一刻も早く戻って来て欲しいという気持ちが誰よりも強かったし、極秘任務を終えたら病院に寄って、
 少し「力」を注いでかたらヴィエナに行くことも決めていた。
 それぐらい、は早く“教授”の元気な姿を見たかったのだった。




「私も“教授”の様子、見に行けたらよかったのですが……」

「アベルの分も含めて、カテリーナがちゃんと見に行っているから心配することないわよ。私もヴィエナに行く前に、
ちゃんと様子、見ていくから」

「そうですね。……それじゃあ私は、“教授”の分まで、しっかり働いてきましょうか」




 ヴィエナ行きのゲートを知らせるアナウンスが流れ、アベルがその場に立ち上がると、
 も続いて立ち上がり、荷物を持つ腕を強く握り締めた。




「ゲートまで行く?」

「駄目といっても行くんでしょうに」

「やっぱり、分かっちゃった?」

「バレバレですよ。……ああ、でもさんのゲートも、決まったみたいですよ」

「ああ、本当だわ。……方向、反対みたいね」

「でも、途中まで同じですから行きましょう」




 同じ方向じゃないことが辛く、思わず落ち込んだような顔を見せたを、
 アベルが再び宥めるように肩をポンポンと叩く。
 横を見れば、いつもと変わらず呑気な顔をしたアベルが、
 まるでの淋しい心を解きほぐすかのように微笑んでいる。
 その顔を見るだけで、身が楽になっていくのが不思議なぐらいだ。



 腕を組んで、同じ廊下を歩きながら、2人で任務とは全然関係ない話をする。
 新作の紅茶やケーキのこと、プログラム達のこと、ミラノで見つけたアンティーク・ショップのこと……。
 こんな短時間で話すのは難しいことだが、それでも2人は話し続け、お互いに笑顔を見せていた。



 しばらくすると、左右に分かれている道が現れ、が名残惜しそうに、
 アベルの腕から自分の手を外し、彼の顔を見た。




「……アベル」

「はい?」

「あの、怪我しないようにしようとか、『あれ』を使わないようにしようとか、考えないでね。フェリーが対策
練ってくれて、ちゃんとガードとかもつけてもらったから」

「……本当に、大丈夫ですか?」

「ええ。それに……、やっぱ私も、一緒に戦いたいから。アベルと一緒に、戦っていきたいから」




 アベルを慰めるようかに微笑む姿が少し辛そうで、でも胸の奥で渦を巻いていた不安を取り除いてくれるようで、
 アベルは手にしていたトランクを床に置き、お礼を言うかのように強く抱きしめた。
 も片手にトランクを持ったままだが、もう片方の腕をアベルの背中に回し、強く自分の方に引き寄せた。




「ありがとう、さん。本当に、ありがとう」

「こっちこそ、今まで側にいてくれてありがとう。すごく安心したし、力、いっぱいもらったから」

「『今まで』って、それじゃまるで、お別れの挨拶みたいじゃないですか。これからも私達は、ずっと一緒でしょう」

「……そうね。本当、こんなんじゃおかしいわね」




 アベルの胸元でクスクス笑い、そんなのうなじに、アベルは優しく唇をあてた。



 お互いに見合わせ、ゆっくりと唇を重ね、しばしのお別れを告げる。
 いつもと同じことをしているはずなのに、今日は不思議と離したくなくなってしまう。




「……そろそろ行かないと、追いてかれるわよ」

「ああ、そうですね。……さん」

「ん?」

「……行ってきます」

「行ってらっしゃい、アベル。ユーグによろしくね」

「はい」




 2人の体が離れ、アベルは鞄を手にしてに背を向け、搭乗ゲートに向かって歩き始める。
 そんなアベルの背中を見ながら、が手を小さく振る。
 途中、アベルが突然何もないところで躓き、転びそうになったを見て思わず笑ってしまったが、
 相手は気づいてか気づいていないのか、特にの方へ振り返ることなく、
 いそいそとゲートに向かって走り出したのだった。






「主よ、彼にあなたのご加護が、あらんことを」



 走り去っていくアベルの後ろ姿に向かってポツリと呟くと、
 は反対側の廊下をゆっくりと歩き始めたのだった。

















 ローマに到着すると、は荷物を持ったまま、飛行船が待機している倉庫に立ち寄り、
 目的地へ向かって歩き始めた。



 ここに来るのは、確か飛行船「タクティクス」を製造して以来だったため、
 若干模様替えしていて少し混乱しそうになったが、何とか目的の倉庫の前まで到達し、中へ入ろうととしていた。




「シスター・! そこにおられましたか!!」




 倉庫の扉を開けようとした時、後ろから誰かに声をかけられて振り返ると、そこにはいつもとは違い、
 白の作業着を着ているモーフィス・ライマンの姿があった。




「場所を変えたものですから混乱すると思って、到着ゲートで待っていたのですが、その必要もなかったようですね」

「そうだったんですか。ごめんなさい、勝手に来てしまって」

「いえ、いいんですよ。かえって、こっちは助かりました。――さ、中へ入って下さい。ちょうど今、内装部分が
完成したところだったんです」




 扉が開き、中へ案内されると、目の前に巨大な純白の物体が飛び込んできて、思わず鼓動が弾けそうになった。
 一瞬、飛行船とも思わせる形をしていたが、それにしても大きすぎる。
 それに壁面には、教皇庁の紋章である
ローマ十字(ローマン・クロス)が描かれ、
 所々にバズーカー砲などの鉄パイプが無数についているところから、普通の飛行船ではないことは一目瞭然である。




「よくこんなに大きいのを、短時間でここまで仕上げましたね」

「本当、みんなよくやってくれました。ほぼ徹夜して、ここまでこぎつかせましたからね。今日の夜には、すべて
完成するでしょう」

「やはりもう少し早くに行って、お手伝いした方がよかったのでは……」

「何、心配いりませんよ。私達にとっては、こんなの日常茶飯事ですから」




 そう言いつつも、モーフィスの目元には熊らしい黒い痣が出来ていて、は思わず顔をしかめてしまう。
 しかし相手としては、最も重要な部分を担当するの方が自分達よりも大変なことを知っているから、
 それに比べたら大した苦労ではなかったようで、安心させるように笑顔を向けていた。




「ささ、お疲れでしょうから、とりあえず一息ついて下さい。紅茶、すぐに用意させますので」

「いえ、大丈夫です。さっき、機内でも紅茶飲んで来ましたし、早く終わらせて、ヴィエナに向かった同僚の援護に
行かないといけないので。作業着、お借りしてもいいですか?」

「勿論ですとも。少々、お待ち下さいね」




 モーフィスが走って、近くにいた整備士に指示を与えに行くと、
 は再び、目の前に佇む物体を見て、大きく息を吐いた。



 前回の時は、作業中のものを見学する程度で終わり、
 それをきっかけに、飛行船“タクティクス”を試験的に製造した。
 その後、関わることはなかったにしろ、“教授”からその技術が認められ、
 何度か彼の手伝いをすることはあったが、
 まさか自分がこんなに大きいものを手がけるとは夢にも思っていなかった。






『今度、私の次回作の手伝いをしてくれないかね? 何、変な機械を作るんじゃない。今後、Axに必要な、大事な
ものなんだ』






 ブルノ戦役の前に、ローマで“教授”が言った言葉を思い出し、
 あの時、すでにこの計画が持ち上がっていたのだと思い、
 はようやく意味を理解したように周りを見回し始めた。そして強く誓った。






「あなたの命は、私がちゃんと宿してあげるから待っていてね。――“アイアンメイデンU”」
















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