左の掌で右手首の傷を押さえると、白いオーラが出現し、右手首の傷を治してく。
 オーラが消えたのと同時に、出血も傷口もすっかりなくなったが、不安要素は取り除かれることなく、
 すぐに鞄にしまっていた
電脳情報機(クロスケイグス)を取り出して起動させた。



 プログラムを一気に打ち込み、何かを調べ始める。
 ヴィエナ市内地図、派遣執行官達の場所を知らせるセンサー、そして敵の動きを調べる
調査(サーチ)プログラム……。
 数多くの画面を取り出した後、は彼女が、今の事態に的確なプログラムを2つ同時に起動させた。




「プログラム『スクラクト』、プログラム『セルフィア』、私の声が聞こえますか?」

『聞こえている、わが主よ』

『何か、ご用でしょうか、わが主よ』

「スクルーはすぐに、ヴィエナに飛んでいる派遣執行官達のデータを収集して。セフィーはすぐにアベルのところま
で飛んで。……嫌な予感がする」

『了解した』

『了解しました』




 2つのプログラムがそれぞれ答えると、画面にさらに多くのデータが流れ、
 その片隅にヴィエナの様子を伝える映像が流れ始めた。
 映像の方は、どうやら例の国王がお見えになると言われているオペラ座の前らしい。



 映像がどんどん大きくなり、その場にいる者を映し出す。
 そして最初に映し出されたのは、旧式回転拳銃を持った手首を何者かに切られ、
 その場に身を追っているアベルの姿だった。
 その切り口を見た感じからすると、思った以上に深く切られ、大量に出血しているようだ。




(もしかして、フェリーのガードがあるせい?)




 もしこのガードがなければ、自分の手首もあれほどまでの切り口を作っていたかもしれない。
 それ以上にミラノの時以上に、自分に襲い掛かる影響が確実に大きくなっていっていることに、
 思わず身を震わせてしまうほどだった。




(ここまで来たら、本気で覚悟を決めた方がいい)




 が心の中でそう誓った時、映像の中にいるアベルの上に何かが振り下ろされているのを見つけ、
 は思わずその人物を大きくする。
 それは――。




「“ブラックウィドウ”……、シスター・モニカ・アルジェント!!」




 振り下ろされようとしている
五指剣(チンクエデア)と、
 黒髪に黒のイブニングドレスを纏った女性――の天敵であるシスター・モニカ・アンジェントの姿に、
 は思わず叫んでしまった。
 一体、彼女は何を考えているのだ!?




「セフィー、音声プログラムを解除して。これじゃ原因が何も分からない」

『了解しました、わが主よ。音声プログラム、解除します』




 セフィーの声とともに、映像から銃声が毀れ出し、その輪に新たなる人物の登場を伝えた。
 それはもよく見慣れた、小柄な機械化歩兵だった。




『卿らは何をしている、ナイトロード神父、シスター・モニカ・アルジェント。これ以上、戦闘行為を繰り返すなら、
処罰の対象にする』

『誰かと思ったら、おちびちゃんかい……。あんたまで、あたしの仕事の邪魔をすンのかい?』

『卿の任務を妨害する意図はない。だが、ナイトロード神父への攻撃は現状では要因出来ない。……なお、ナイト
ロード神父、あのテロリストは、生かしてミラノに連行するのには危険すぎる。ここで抹消すべきだ』




 小柄な神父――“ガンスリンガー”トレス・イクスの言葉に、は一瞬顔をしかめた。
 生かしてミラノに連行するのが危険なテロリストと言えば、1人しか浮かばない。




「……まさか!」




 は慌てて映像を見渡すと、アベルから少し離れた位置――すぐに視界に入ってこなさそうな位置に、
 見覚えのある黒い長髪の男が立っていたのだ。
 その顔を見た瞬間、の脳裏に、ある映像が一気に頭を横切ったのだ。



 そう、大事な同僚を失った、あのバルセロナの悲劇を……。




「イザーク・フェルナルド・フォン・ケンプファー……、“
薔薇十字騎士団(ローゼン・クロイツ・オルデン)”!!」




 映し出されたテロリストを、は目の前にいるかのように睨みつける。
 この男だけは、いかなる方法を使ってでも倒さなくてはならない。
 そうともしなければ、自分に納得しないからだ。
 しかし、どうして彼がここにいるのだろうか?




『わが主よ、ヴィエナの現状を報告する』




 疑問を掻き消すかのように、プログラム「スクラクト」が主に声をかける。




『オルトマスの元軍関係者や旧貴族の子弟が集まって作った秘密結社、レジスタンス“エーデルワイス”のことはす
でに知っているか?』

「ええ、もちろん。確か、騎士団のヘルガ・フォン・フォーデルワイデが会長を務めている、アンヘーレ商会――
彼らの
(トゥルム)から廃品回収という形で偽造して、武器爆弾を密かに買っていた集団よね?」

『その通りだ。そのアンヘーレ商会だが、バルセロナで使用された“サイレント・ノイズ”によって破壊された』




 プログラム「スクラクト」の言葉に、は思わず耳を疑った。
 敵の本拠地であるアンヘーレ商会が破壊された上、
 あのバルセロナの悲劇を生んだ“サイレント・ノイズ”を使用してきたのだ。
 そうなると、あの“智天使”が言った情報は外れたことになるのだ。




「あの情報が誤報だったとするならば、本当の本拠地はどこにあるの?」

『それは今現在も調査中だ。だが今は、オペラ座にいると思われるゲルマニクス国王、ルードヴィッヒ2世と観客を
守らなくてはならない』

「どういうこと、それ? ……まさか!」

『次のターゲットはオペラ座だ、わが主よ』




 答えを聞く前に、は電脳情報機のキーボードを叩き始め、防御プログラムを起動し始めた。
 プログラム「フェリス」は今、の身を守るためのガードを貼っているため、
 他にバリアを張る――近距離ならまだ可能なのだが――のが不可能なのだ。



 打ち込んだ抵抗バリアプログラムをオペラ座へ転送し始めようと、リターンキーを押そうとする。
 が、しかしその前に、プログラム「セフィリア」が映し出された映像から、
 パイプオルガンの響きにも似た低い波動がなり始め、建物が共鳴し始めたのだ。




(駄目、この状態からバリアはもう張れない……!)




 攻撃が始まる前なら、バリアを張って阻止することは可能だが、始まってからでは遅すぎる上、
 逆に破壊されてしまう。
 ゲルマニクス国王ルートヴィッヒ2世を含め、1000人以上の人々がいる中、次第に壁が鳴動を始め、
 崩れていこうとしていく。これを阻止する方法はもうないのか……!



 自分が現地に飛んでいれば、すぐにでも解決策を練って、対処したはずなのに。
 の中で悔しさが込み上げてきたその時、どこからともなく羽虫の羽音のような低い唸りに混じるように、
 さらに低くて重い音が響き始める。どうやら、オペラ座の中から聞こえてくるものらしい。




(……もしかして、低周波の共振域を外そうとしているの!?)




 低周波兵器は音の共振を利用したもの。だからオペラ座に、別種の振動を与えて共進域を外せば、
 それを防ぐことが出来る。
 こんなことが出来るのも、被害にあった建物が劇場のような「音」を扱う場所だったからである。




「こんなこと思いつくのは、レオンぐらいしかいないわね」

『劇場内には“ダンディライオン”と共に“ソードダンサー”もいる。おそらく“ソードダンサー”が例の兵器の
ことを伝え、無効化させるためにこの手段を選んだのだろう』

「なるほどね。今回ばかりは、レオンに1本取られたわ」




 次第に壁の震えが収まり、壁の軋む音も、地鳴りの音も聞こえなくなると、
 は安心したように大きくため息を1つ突き、ソファの背凭れに深く寄りかかった。
 見ているだけでこんなに消耗したのだから、その場にいる者達はもっと消耗していることだろう。




「これじゃ、またカテリーナに怒られるわね」

『すべては“クルースニク02”が怪我を負ったのがいけないのだ。忠告するなら、“クルースニク02”にするこ
とだ、わが主よ』

「アベルだって、好きで怪我を負ったわけじゃないんだから仕方ないわよ。今は、そんなことよりもイザーク・フェル
ナルド・フォン・ケンプファーを……って、えっ!?」




 が安心したのもつかの間、再び電脳情報機に映し出されている映像に視線を向けると、
 トレスが旋回する五指剣を交わしている片隅で、アベルが近くに止まっていた車の運転席に飛び乗り、
 その助手席に滑り込むかのようにケンプファーが乗り込んだのだ。
 一体彼は、何を考えているんだ!




『……どうやら、イザーク・フェルナルド・フォン・ケンプファーは、“サイレント・ノイズ”の居所を知っている
らしい』

「えっ? でもあれって、彼が設置したんじゃ……」

『先ほど汝は、アンヘーレ商会はレジスタンスに、廃品回収という形で偽造して、武器爆弾を密かに買っていると
言った。その中にこの低調波兵器も混ざっていたのだ。この様子からすると、兵器の居所の検討がついているとす
れば、“クルースニク02”をその場所まで案内させると言って同行し、原因を突き止める行動に出るはずだ』




 プログラム「スクラクト」の話をまとめると、
 アベルは“サイレント・ノイズ”の在り処を教えてもらわなくてはならないため、
 ケンプファーの身を殺そうとしたモニカから護り、状況を全て把握したトレスがモニカを阻止している間に、
 アベルがケンプファーを連れて、近くの車に飛び乗って逃走した、ということになる。
 に言えば、兵器の居所ぐらいすぐに突き止めることが出来たはずなのだが、
 彼女の任務の差し支えすると思ったのか、この危険な賭けに出ることにしたかのようにも見受けられ、
 は思わず重いため息を溢してしまう。




(アベル、あなたはどこまで優しいのよ……)




 そう思っている時、知らない間に画面からモニカの姿が消えている。
 どうやら彼女も、別ルートでアベルとケンプファーを追いかけ始めたのだろう。



 しかしそれ以外は、特に大きな動きがなさそうだ。
 はその場に1人取り残されたトレスが、上空にいる“アイアンメイデン”に事情を説明している姿を見て、
 起動中のプログラムは主であるにある提案をした。




『わが主よ。この分だと、しばらく大きな進展がないと思われる。監視は我とプログラム[セフィリア]で行うゆえ、
汝はゆっくりと休まれよ』

「えっ、でも……」

『スクラクトのおっしゃる通りです、わが主よ。今、しっかり休まなくては、後先体が持ちません』




 確かにアベルの行方など、気になる点はたくさんある。
 しかし、朝起きた時間が早かった上、今まで1回も休憩を取っていなかったため、
 体力的にもかなり消耗しているのは確かだ。




「……分かったわ、『2人』とも。でももし何かあったら、叩き起こしてでも教えるのよ」

『了解した、わが主よ。――プログラム[スクラクト]完全終了、クリア』

『ゆっくりお休みくださいませ、わが主よ。――プログラム[セフィリア]完全終了、クリア』




 2つのプログラムが終了し、画面に映し出された映像とデータが一気に消えると、はそのまま電源を切り、
 電脳情報機の蓋を閉めた。



 ソファに横になり、再びストールを体にかける。
 天上を眺めながら、先ほど切られた手首を見て、
 は再び、自分の身に襲い掛かってきているものの大きさを実感し始めた。



 もう、この力のままでいるのは危険なのかもしれない。
 だが、今はそんなことを言っている場合ではない。
 一刻も早く“アイアンメイデンU”のテスト走行を終え、明日にでもヴィエナに向かって、
 現地にいる派遣執行官達の援護をしなくてはいけないからだ。






「とにかく、今は寝よう。先のことばかり考えても、仕方ないし」






 ゆっくりと瞼を閉じ、体の力を抜いていく。

 そして数分後には、小さな寝息が聞こえ始めたのだった。
















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