一通り警備を確認し、フィーネ率いるメイド達の様子を伺い、
カテリーナの自室に着いたのは午前8時半ごろだった。
彼女はすでに着替えを終え、目の前に置かれている紅茶を口に運んでいた。
「おはよう、。頭痛は大丈夫なの?」
「おはよう、カテリーナ。何とか大丈夫よ。……それにしても、よく分かったわね。何も言ってなかったはずなのに」
「だてに長くつき合っていませんよ。それに、部下1人の体調が理解出来ない上司なんていないわ」
「逆に、そっちの方が珍しいと思うけどね」
横の席を差し出され、はそこに腰をおろすと、
近くにいるメイドがミルクが入っているティーカップに紅茶を注ぎ淹れる。
砂糖を少し中に入れてかき混ぜ、それをゆっくりと口の中に流し込むと、香り高く、
心を和ませるような味が口の中に広がっていく。
「フォションのアールグレイね。今日は、私の好みに合わせてくれたの?」
「あら、別にそんなつもりで選んだわけじゃなくてよ」
「どうかしら」
含み笑いをしながらも、はカテリーナの心使いに胸を強く打たれていた。
先ほどの頭痛薬といい、この紅茶といい、彼女はどこまでの心を理解しているのだろうか。
ついそう思わせるぐらいに、は横にいる麗人にお礼が言いたい気持ちで一杯だった。
目の前に運ばれる朝食を食べながら、2人は今日のスケジュールの確認をする。
今夜はカテリーナ主催のパーティーが行われている予定にもなっており、
先ほどから下の階が慌しく動き回っている。
「でも、本当に私がいなくても大丈夫なの? ヴィスコンティ大尉に任せるのは、私としてはかなり不本意なんだ
けど」
「ちょっと、彼を試してみたいというのもありましてね。それにその場には、あなたがお嫌いな方だってお見えに
なるわけですし」
「それはあなたも同じでしょ、カテリーナ。本当は好きで、こんなパーティーをやりたいわけではないことぐらい、
ちゃんと分かっているのよ」
今夜のパーティーに招待された客人達は、すべてフランチェスコを始めとする改革派の若手枢機卿達からは
“抵抗勢力”として敵視されている各界に権益する企業家や官僚、高級聖職者達である。
先日取り行われた裁判で失ったと思われる信用を取り戻すためだけに企画したこともあり、
事実、カテリーナもそんなに乗り気ではなかった。
それをよく知っているだからこそ、彼女の側で少しでも安心させたいという、
1つの心使いとして護衛につくと言っているのだが、相手はそれを聞き入れようとしないのだ。
「とにかく、今夜のパーティーはすべて、ヴィスコンティ大尉にお任せします。あなたはゆっくりと、ミラノ観光
でもしてきなさい。いつも私のそばにいたら、好きなカフェ散策も出来ないでしょうに」
「その心使いは嬉しいけど、やっぱり、心配よ。それに今夜、アベルもこっちに来るって言っていたし」
「あら、彼、明日来るんじゃなかったの?」
「それが今朝方、急にこっちに来るって連絡が入ってね。一瞬驚いたんだけど、どうやらローマであったボヘミア
公弟の1件にレオンと一緒に巻き込まれたみたいで、その報告で早く来ることにしたみたいなの。――事実はどう
だか知らないけど」
「ああ、“教授”とヴァトー神父が引き受けていた任務ね。でも、どうやって?」
「詳しい事情は私にもよく分からないの。第一、その情報が入ってきたのが、ちょうどスクルーのメンテナンス中
だったからね。もうあんな声、二度と聞きたくないわ」
思い出したかのように耳元を塞ぎ、目を半開き状態にしているを見て、カテリーナがクスクスと笑い始めた。
どうやら、のうんざりしている様子が理解出来たらしい。
「お食事中失礼いたします、カテリーナ様」
扉の奥から聞こえる声に、カテリーナは近くにいるメイドに向けて手を上げ、扉を開けるように指示を出した。
廊下から現れたのは、カテリーナとと共にミラノ入りしていたシスター・ロレッタだ。
「カテリーナ様、ガルシア神父がお見えになりましたが、お通ししてもよろしいでしょうか?」
「ガルシア神父が? ――ああ、例のボヘミア公弟閣下の件ですね。お通ししなさい」
「はい」
ロレッタが後ろに下がるのを見て、はその場に立ち上がり、カテリーナの後方へ立った。
自分とカテリーナの関係を知っているのがアベルとケイト、トレス
――前回、ここで修理している最中に知ったのだが――とスフォルツァ城のメイド達だけなため、
それ以外はカテリーナの護衛らしく、直立姿勢でいなくてはならないからだ。
しばらくして中に入ってきた大男は、手にいくつもの紙袋を抱えていた。
一体、何なのか分からない様子のカテリーナと、大よそ何なのか分かるの前に立つと、その場に一礼する。
「レオン・ガルシア、只今ここに参上いたしました」
「ご苦労様です、ガルシア神父。……その手にしている紙袋は何です?」
「ああ、これはその……、あのですね……」
「今日、お嬢様のお誕生日なのです、スフォルツァ猊下。そのプレゼントでしょ?」
「ええ、ああ、そういうことであります、猊下」
の説明に同意するかのように言うレオンの姿に、は一瞬顔がほころびそうになった。
相変わらず、この大男は親馬鹿ぶりを発揮しているようだ。
「ああ、それでですね、猊下。これ、昨夜起こったボヘミア公弟の不祥事に関しての報告書です。お目を通しておい
て下さい」
たくさんの紙袋をうまく固定しながら、懐から飛行艇内でまとめたのであろう報告書をテーブルの上に置くと、
レオンはそのままその場を離れ、退散準備をしていた。
「それでは、これで。ああ、今回のご好意、心より感謝しております」
「そのことに関しては気にすることありません、ガルシア神父。ゆっくりお休みなさい」
「はい。では――」
「ああ、ちょっとお待ちなさい」
上司に背を向けて、そのまま席を離れようとしたレオンに、カテリーナが何かを思い出したかのように呼び止める。
「シスター・、彼を聖アンブロシウス総合病院までお送りしてさしあげて。そんなにたくさんの紙袋では、前が
ちゃんと見えないでしょう」
「え、しかし、それはシスター・に申し訳ないのでは……」
「私のことは気にすることないわよ、レオン。猊下がおっしゃる前から、そうしようと思っていたところだったから」
「でもお前、単車しか乗れないんじゃねえのか?」
「あら、失礼なこと言うのね。こう見えても、車ぐらいちゃんと運転出来るわよ」
普段、自動二輪車しか乗っていないこともあり、レオンの頭にはが車に乗れるのが想像出来なかったらしい。
しかしミラノにいる時はたいてい車の方が多いため、ここまで愛車を持ち込むことはしていなかった。
「ついでにシスター・、あなたも今日はゆっくりお休みなさい。今夜のことは、心配することありません。
もし何かあれば、すぐに連絡しますから」
「……かしこまりました、猊下。ああ、でもアベルが到着したら、すぐにこちらへお連れします」
「そうして頂戴」
「了解いたしました。――それじゃ、レオン、行きましょうか」
「ああ。――猊下のお心遣い、真にありがとうございます!」
「これぐらいのこと、大したことではありませんよ、ガルシア神父。お嬢様に、よろしくお伝えして下さいね」
「はっ!」
少し急ぎ足のように出て行くレオンを見て、カテリーナとが思わず吹き出して笑ってしまう。
一刻も早く、娘の顔が見たくて仕方ないようだ。
「それじゃ、カテリーナ。私もお言葉に甘えて休ませていただくわ」
「ええ。ああ、アベルのこと、よろしくお願いしますね」
「はい」
お礼を言うかのようにカテリーナに向けて微笑むと、先に出て行ったレオンの後を追うように部屋を出て行った。
その様子を見ながら、カテリーナは1人、誰にも聞こえないように呟いた。
「あなたにこれ以上、余計なことを考えて欲しくないのよ、」
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