アベルが到着したのは、午後1時を少し過ぎた時だった。
両手に持っている鞄の量を見ながら、が半ば呆れたように彼に呟いた。
「一体、そんなに何持ってきたのよ?」
「メイドさん達に、いろいろお土産を持ってきたんです。ほら、以前さんから頂いた紅茶の葉とか、少し
お裾分けしようと思いまして」
「私があげたのって……、まさかウィッタードのオリジナル・ブレンド!?」
「ええ。私1人じゃ飲み終えそうもないので、お土産として持ってきたんです」
特に何も問題なさそうに微笑んでいるアベルの顔を、は目を剥き出し状態で見つめてしまった。
あの紅茶は以前、アベルが好んで飲んでいたものだから、ロンディニウムでの任務のついでに購入して、
彼にプレゼントしたものだ。
それを量が多いからという理由で、メイド達に分けようとしているのだ。
相変わらずこの銀髪の神父のやることなすことには驚かされることばかりで、
呆れることを忘れそうになってしまう。
「で、今からすぐにカテリーナのところに行く? それとも、どこかに寄って行く?」
「久しぶりのミラノですから、ちょっとドライブなんてしてみたいなぁって思うのですが、いいですか?」
「全然問題なし。じゃ、車まで行きましょう。荷物、持たなくて平気?」
「女性に荷物持たせるなんて、男として恥ですよ」
今朝、あんなに冷たい態度を取ったのにも関わらず、この銀髪の神父はいつもと変わらない態度で接している。
嬉しいには嬉しいのだが、その反面、締め付けられる想いになってしまう。
車に到着すると、はすぐにトランクを開け、アベルがそこに2つの旅行鞄を置いて閉める。
鍵を取り出し、運転席側へ行こうとした時、アベルに突然呼び止められて足を止めた。
「さんは助手席に座って下さい。私が運転しますから」
「え、でもこれ、ちょっと癖があるわよ」
「それぐらい大丈夫です。私だって、全然車に乗っていないわけではありませんし」
「そうだけど……」
ローマにある自動二輪車と同じく、ミラノで使っているこの車もかなり改造されているため、
彼女以外の人には運転しにくい構造になっている。
それでもまだ物足りず、次回戻った時にはギア部分を改造しようとしているあたり、かなり重症な改造マニアだ。
それを承知の上で運転したいことを主張するかのように、アベルはの前に手を差し出した。
「さ、鍵を渡して下さい。さんのことですから、そう複雑には改造していないでしょうし」
「それ、本気で言っているの、アベル?」
「ええ、勿論」
「……じゃ、お願いしようかしら。途中で投げ出すのは禁止よ」
「分かりました」
断念したようにアベルへ鍵を渡すと、嬉しそうな顔で運転席に乗り込んでいく。
その姿を見ながら、は1つため息をついて助手席に座り、シートベルトをしっかり締めた。
「ほほお、なかなかやりますねえ、さん。このハンドルなんて、さわり心地バッチリじゃないですか」
「木製のしっかりしたのに変えたからね。肌触りといい握り心地といい、何とも言えないのよ」
ハンドルを誉められ、つい語りそうになったのだが、
細かいことを言っても理解するのは遠い話だと思い、ここで止めることにした。
相手がレオンだったら、また話は別なのだが……。
エンジンがかかり、軽くふかす音がする。
普段馴染みのある音でも、何だか違う風に聞こえるのは、車が主人と違うことを把握しているからだろうか。
「それじゃ、どこに行きますか?」
「そうねえ……、……とりあえずドゥオーモを通って、プッブリチ公園とセンビオーネ公園を回って、スフォルツァ
城っていうコースにしましょう」
「分かりました。それじゃ、出発しますね」
サイドブレーキを解除し、アクセルを踏み込むと、ゆっくりと駐車場を出て行き、一般道を走り始める。
思った以上にスムーズに動いたため、は驚いたように運転席にいるアベルの方を見た。
彼はいつもと変わらない呑気な表情を浮かべ、運転を楽しんでいるように見えた。
ドゥオーモ広場には1月の寒さと平日ということもあり、そんなに人は溜まっていなかった。
後ろに聳え立つドゥオーモの聖堂へ続く5枚の扉はブロンズ製で出来ていて、
左から順に「ミラノ勅命」、ミラノの守護聖人「聖アンブロージョの生涯」、
「聖母マリアの生涯」、「ミラノの中世の歴史」、「ドゥオーモの歴史」が描かれているのを、
この地に降り立ったばかりの頃に、カテリーナに案内されて見たことがあった。
アベルの運転がこんなに居心地いいとは。
がそう気づき始めたのは、ドゥオーモを通り過ぎて数メートル進んだころだった。
眠気が襲い掛かりそうになったが、ここで眠ってしまったら、横で運転している相手に対して失礼だ。
そうとは言いつつ、瞼が下に落ちそうになってしまい、必死になってそれを持ち上げようとする。
(駄目だ、もう限界……)
昨夜の疲れが残っているのだろう。
は再び目を閉じ、寝息を立てて眠り始めた。
あまりにも居心地がいいのか、何の苦もなく、深く、深く入っていく。
信号機で止まると、アベルは横で力が抜けたように眠っているの寝顔を見て、満足げに微笑む。
どうやら、これが狙いで運転していたらしい。
後部座席には、寒さ対策の膝掛け用のストールが置かれている。
任務でロンディニウムに行った時に購入したものであろうそれを取り、
の前にそっとかけ、頬に唇を落とした。
「ゆっくり休んで下さいね、さん」
夢の中にいるであろうに、アベルは笑顔を送り、再びアクセルを踏み込んだのだった。
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