(……)
闇の中で名を呼ばれ、はゆっくりと目を開ける。
どこか懐かしく、その姿を必死に探してしまうほどだ。
(目覚めなさい、……)
何度見回しても闇ばかり広がる中で、ゆっくりと前進し始める。
すると目の前に、小さな光が現れ、それが徐々に人の形に変わっていく。
(もうじき、時が来る。だからちゃんと、目覚めなさい……)
光が大きくなって、吸い込まれるように意識が飛ばされていく。
一瞬目を顰め、その光を避けようとした時……。
「……レアさん、さん!!」
「―――!」
突然のアベルの声に、は目を大きく見開いたように目を覚ました。
額にはたくさんの汗をかき、知らない間に息遣いが荒くなっている。
「ア、ベル……?」
「大丈夫ですか、さん? 何か怖い夢でも見ましたか?」
心配そうに覗き込む顔を見て、自分がどれだけ魘されていたのかがよく分かる。
だが夢自体は、魘されるほど怖い夢ではなかった。
むしろどことなく、懐かしさを感じていた。
「ううん……、何でもないの……、……たぶん」
「なら、いいんですけど……。……あ、さん、先ほどトランクに鞄を置く時に水筒を発見したのですが、紅茶
が入っているんですか?」
「ええ、そう。……悪いんだけど……」
「言われなくても取りに行きます。待っていて下さい」
少し慌てたように車を降り、トランクを開けて水筒を取り出す。
そして運転席に戻ると、扉を開けたまま、中のに話し掛ける。
「さん、よかったら、後部座席で飲みませんか? その方が、その……、何て言うか……」
アベルが言いたいことは、大体推測がつく。彼なりに、を安心させる方法を考えているのだろう。
「……分かったわ、アベル。後ろに移るわ」
「動けますか? 何なら、お手伝いしますよ?」
「大丈夫。心配すること、ないから」
安心させるように笑顔を向けるが、それもどことなく力がなく見えてしまうのは気のせいだろうか。
そんなアベルをよそに、はシートベルトを外し、かけてあるストールを丁寧に畳んでから扉を開け、
後部座席へ移動した。周りを見回した様子からして、
ここはスフォルツァ城に隣接されているセンピオーネ公園のようだ。
再び車内に入ると、すでに移っていたアベルが水筒から温かい紅茶をカップに注ぎ、
一緒に置いてあったと思われるミルクと砂糖を少し入れて、に差し出した。
「熱いから、気をつけて下さいね」
「ありがとう、アベル。……はぁー、ようやく安心した……」
一口運んで、紅茶が喉を通っていくのを感じ、の口から安堵のため息が漏れた。
その様子を見て、アベルが安心したかのように、をそっと包み込んだ。
「あの時の夢を……、見ていたのかと思ったんです」
アベルの口から出た言葉に一瞬はっとなり、は相手の顔を覗き込んだ。
安心しているとはいえ、まだ少し不安げな顔をしているアベルを見て、
はまた心配させてしまったことに強く胸が締め付けられそうになった。
「私は直接見てないから、その場の状況は何も分かりません。けどあなたはあの時、遠く離れた位置から、その光景
を見つめていました。だから……、だから私以上に苦しんでいるはずだって、以前からそう思っていたんです」
胸に響き渡る声が、より一層胸をきつく締め付けていく。
一体、どれぐらい彼を苦しめてしまったのだろうか。
そう思えば思うほど、胸の締め付けが収まることがなく続き、
思わず手に持っているコップを強く握り締めてしまっていた。
「……ごめんなさい、アベル」
「全くですよ。さん、何でも自分で抱えすぎです。……ま、私も人のこと言えませんがね」
苦笑しながらも、慰めるように髪を撫で下ろす手が温かく、
の肩に重く圧し掛かっていた錘を取り除いていく。
自然と胸の締め付けもなくなり、力が徐々に緩んでいく。
まるで、魔法でもかけられているようだ。
「……誰かが、私に声をかけてくるの」
アベルの胸元で、ポツリと呟くように話し始める。
その声に、抱きしめている相手は必死に聞き取ろうと、少しだけ腕を緩め、の顔を覗き込む。
「『もうじき、時がくる。だからちゃんと、目覚めなさい』って言って、光に包まれて……。まるで『誰か』が『何
か』を監視しているような、そんな風に思えて……」
「でも『あれ』を封印したのは『彼』じゃないですか。それとも、他にいると言うのですか?」
「そんなことはないはずよ。この前ローマで久しぶりに会ったけど、あの時はそんなこと、一言も――」
の言葉は、ここで途切れてしまった。
そして何かを思い出したのか、徐々に驚きの表情が現れてきた。
「? どうかしましたか?」
「……まさか……、まさか『彼女』、生きているんじゃ……」
「『彼女』って……、あの『彼女』ですか?」
「ええ……。……でも、そんなことはないはず。あのプログラムの中で生き残ることなんて、まずあり得ないわ」
あの時に進入したプログラムは、不要なものはすべて排除するように設定されていたはずだ。
その中を掻い潜って生き残れるほど、あの時の「彼女」には体力が残っていなかったはずだ。
何故ならあの時、彼女は全ての力を解放したのだから……。
『今後、アベル・ナイトロードが何度暴走するか分からないが、今のままではそれすら受け止めることが出来なくなる』
ローマで「彼」が言った通りになるとしたら、「彼女」はその予告をしに来たのかもしれない。
しかしそれも、もし生きていればの話だ。
今の段階では、その信憑性は極めて薄く、はっきりと断言することは出来ない。
だとしたら、あれは一体、何だったのだろうか……。
「……さん、とりあえず今は、ゆっくり休んで下さい」
現実に戻すかのように、アベルの声がの耳に届く。
アベルの優しい掌が頬を包み、額に優しく口づけする。
手に持っていた紅茶を取り上げ、前にある小さなテーブルに置くと、軽くの唇に触れ、心を落ち着かせる。
「すぐに行く必要なんてないのですから、ここでゆっくり休んで、カテリーナさんのところに笑顔で戻りましょう。
今のままじゃきっと、彼女心配しますよ」
「うん……、……ありがとう」
再び強く抱きしめられ、ゆっくりと目を閉じると、自然と力が抜けていくのを感じ、大きく呼吸をし始めた。
そのまま眠りの世界に入るのは、そう難しいことではなかった。
一番安心するところにいるからだろうか。
は「怖い夢」を見ることなく、深い眠りへと落ちていったのだった。
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