「……ユーグが戻って来ない?」

<ええ。報告書は郵送で送られて来たのですが、そこからローマに戻った形跡がないのです>




 数日後、ミラノにてトレスのプログラム修整をしに来たに、プログラム「ザイン」経由で、ケイトから連絡が入った。それはまさに、の予想を的中させるものとなった。




「何となく予想はしていたけど、やっぱりね」

<何か気がかりがあったのですか?>

「ユーグのご両親と妹さん、あの吸血鬼集団、“四伯爵(カウント・フォー)”に殺されて、本人も両腕を切られて、
“教授”に義手をつけてもらったんでしょ? で、今回の事件がそれ絡みだとしたら、きっとユーグ、戻ってこないだろう
なぁって、ちょっと思っていたのよ」

<そう、でしたか……>




 今回の任務がどんな内容かまで、はしっかり把握していない。
 確かにプログラマーで、最新の情報やらデータやら、手に入らない情報というのはほとんどない。
 しかし興味がないことは一切情報を収集しないため、他の派遣執行官の仕事内容まで知ろうとは思わない。
 だから今回も、ユーグの任務内容は、大ざっぱに知っていたとしても、詳細までは分かっていなかった。




<一応、ワーズワース教授には、早くトレス神父に修理を終わらせ、ユーグ神父を追うように要請はしていますが、
何やら、レポートの採点が大変らしくて>

「そうらしいわね。昨日もお詫びの連絡と一緒に、たくさん愚痴をこぼしていたわ。これじゃまだ、当分無理そうね」




 “教授”も毎日、大変な人だ。授業がよく休講な上、単位も甘い彼の授業は人気で、
 そのせいもあってか、採点するレポートの量も他の講師よりも多い。
 これは、もう少し時間がかかりそうだ。




「仕方がない。私がある程度プログラムを修正して、トレスにロードしておくわ。感染ウイルスもなかったし、
何とかなるでしょう」

<ありがとうございます、さん。本当なら、休暇のはずですのに>

「緊急事態に、すぐに動けないような派遣執行官じゃ困るわ。私のことは心配しないで。たまに気晴らしも、
ちゃんとしているから」

<そうですわね。さんなら、気晴らしぐらいはすぐに出来そうですものね>

「そういうこと。それじゃ、スフォルツァ猊下によろしく。“教授”が来たら、入れ替わりで一度そっちに戻るから、
そのように伝えて」

<了解しました。さんも、無理はほどほどにお願いしますね>

「ありがと、ケイト。それじゃ、またね。―――プログラム〔ザイン〕を完全終了……、クリア」




 はデータを打ち込みなおし、画面からケイトの姿が消え、トレスのプログラムデータ画面に戻った。



 1つため息をつき、天井を眺める。そして重く悩んだように、ユーグのことを考え始めた。



 あの時、彼の代わりに自分が受けていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。
 しかしアストとの任務が終わったら、ちゃんとした休暇を与えると言ったのは、上司であるカテリーナだ。
 彼女のことだから、いくらが代わりにやるといっても、頑固として反対したであろう。
 あの人は、そういう人だ。




「……約束、破ってどうするのよ、ユーグ……」

「卿は何を考えている、シスター・?」

「うわっ!!!」




 目の前に急に現れた顔に、は思わず体制を崩し、椅子から落ちそうになった。
 急いで体制を戻したからいいとしても、彼女がこんなに反射神経がよくなかったら、
 間違いなく地面に叩きつけられていた。




「ト、トレス! 突然、やって来ないでよ! ビックリするじゃない!!」

「3時から修整プログラムをダウンロードすると、39時間前に言ったのは卿だ。
俺は指示通りにここに来ただけだ」

「だったら、ノックぐらいしなさいよ、もう」

「ドアは開けっ放しになっていたから、そのまま入った」




 確かに、何か緊急の用があった場合にすぐ出れるように、ドアは開けっ放しにしていた。
 それでもやはり、ノックするなり声をかけるなりするのが普通だ。
 相手は機械だから、それは分からないかも知れないが。




「ま、確かに約束は約束だものね。プログラムも無事修正したし、とっととやりましょう。義手の様子はどう?」

否定(ネガティブ)。少しは慣れたが、まだ完璧に動かすことが出来ない。早急に“教授(プロフェッサー)”にミラノ入りしてもらうこと
を推奨する」

「そうね。私も出来る限り、彼に頼んでみるわ。はい、ここに座って、これ、首に刺して」

「了解した」




 電脳情報機(クロスケイグス)から伸びたコードの先をトレスに渡すと、
 彼は近くにある椅子に座り、それを首もとにあるプラグに差し込んだ。




「普通に会話は可能だから、少し楽にしてなさいね」

「了解した」




 キーボードを叩きながら、トレスへ修整プログラムをロードする準備を始める。
 毎回やっていることだが、彼女の手の動きには実に見事なものだった。




「卿は昔から、“神のプログラム”を使いこなせると聞いている。どうしてだ?」

「ま、いろいろ事情があったのよ。それは、今はまだ言えないけどね」

「何か、大きな接触とかあったのか?」

「別に。生まれたら、すでにそういう環境だったのよ」




 細かなことは言えないが、が物心ついた時には、すでに周りは機械だらけだった。
 人ともあまり接触する機会もなく、あったとしても、お偉い教授やら博士やら、堅苦しい人ばかりで、
 仲良くなることも出来なかった。
 その結果として、彼女は他人に関して、あまり興味を持たなくなってしまったのだが。




「ナイトロード神父とは、どういう関係だ?」

「私が機械生活から脱出して、預けてもらっている人のお友達だったの。それで知り合って、今日に至るってわけよ。
……珍しいわね、トレスがこんなにも他人のことを気にするなんて」

「同じ派遣執行官のデータを知っていなければ、今後の任務に支障をもたらす場合がある。そのためにも、
より多くの情報を手に入れなくてはならない」

「ああ、なるほど。そういうことね」




 は納得したように言うと、リターンキーを押して、画面に「修整プログラムロード開始」という表記を出した。
 ようやくキーボードの動きをやめて、1つため息をつくと、近くにあったカモミールを口に運んだ。




「シスター・。卿はさっき、『約束を破った』と言っていた。一体、どういう意味だ?」

「ああ、それね。ユーグがアムステルダムでの任務を終えてから、ローマに戻って来てないのよ。
どうやら今回の事件に、ユーグのご家族が殺された件と重なっているみたいでね」

「ユーグ・ド・ヴァトー神父の家族は昔、“四伯爵”という集団に殺されたと聞く。それと今回の事件と、
どういう関係がある?」

「私にもよく分からないけど、どうやら敵が、その関係者だったらしいのよ。で、トレスはこの修整が終わったら、
すぐに彼を追うように、スフォルツァ猊下からの命令が下されているから、そのためにも“教授”――あ、
貴方の前だったら大丈夫か――ウィルに早く来てもらいたいのよ」




 は普段、“教授”のことを、彼の出身であるアルビオンの相性を使って「ウィル」と呼んでいる。
 それは彼とつき合いが長いから言える、彼女の特権だった。




「……トレス、1つ聞いていいかしら」

「何だ?」

「貴方、スフォルツァ猊下のおっしゃっていることが、いつも正しいと思ってる?」

「卿の発言意図が不明だ。再入力を」

「猊下が命じたことが、本当は正しくないんじゃないかって感じたことはあるかってこと」

「俺のトップオーダーは、いつもミラノ公だ。それ以外の任務は受けない」

「……本当、貴方は彼女に忠実なのね、トレス」




 1つため息をついて、は呆れたようにトレスを見る。
 その敬意には、ある理由があった。



 先日のヴェネツィアの件で、トレスはアストが自分の命令に拒んだ場合、射殺すると言った。
 確かに相手は吸血鬼で、「人類の敵」だと言われている存在だ。
 射殺すると言うのも分からなくはない。しかし、彼女は自分の知り合いであり、
 かつて共に戦った「仲間」でもある。
 それに、確か以前、カテリーナにもこのことを話した記憶がある。
 そして言ったはずだ。



 「すべての吸血鬼が、皆悪いのではない」ということを……。




「……トレス、私、猊下が言っていることが、いつも正しいと思えないことがあるの」

「それはなぜだ?」

「確かに、言っていることは間違ってはいないし、やっていることも正しいと思う。私もそれに賛同して、
ここに入ったのだから。けど時々、彼女の判断が間違っていると感じることがある。それが、前回の射殺命令よ」

「あれはミラノ公が、俺に伝えたことだ。ミラノ公自体は何も言わなかったが、どうすればいいのかは
俺の中では把握済みだった」

「それを植え付けたのは、彼女でしょ? それが気に食わないのよ」

「……卿は何が言いたい、シスター・?」




 トレスの目が、無表情ながらにかすかに睨みつけているのを感じる。
 カテリーナに対して忠実な彼だからこそ、この発言は聞き捨てならないと思っているのかもしれない。




「……今後、彼女の判断が間違う時が来るかもしれない。もしそうなったら、彼女は自分の地位を失い……、
下手したら、大切な人を失うかもしれない」

「卿の発言は意味不明だ。再入力を……」




 トレスが聞き返そうとした時、電脳情報機が「修整データ、ロード完了」の画面を表示して、
 それを知らせるように音を鳴らし始めた。
 はそれを止めると、トレスの首に差し込んであるプラグからコードを抜いて、彼に言った。




「彼女は……、自分のためだったら、何かを犠牲にしても構わないのかもしれない。それが例え、
彼女の大事な……」

『わが主よ、声が聞こえるか?』




 の言葉を拒むように、電脳情報機から声が聞こえる。
 その声に反応するように、彼女はキーボードを叩いて、相手を呼び寄せた。




「聞こえているわ、ザグリー。どうしたの?」

『“プロフェッサー”から、通信が入っている。通していいか?』

「勿論よ。お願い」

『了解。―――交信開始、送信者、教皇庁国務聖特務分室派遣執行官“プロフェッサー”、
ウィリアム・ウォルター・ワーズワース』




 プログラム「ザイン」が交信を開始すると、電脳情報機の画面に“教授”の顔が浮かび上がる。
 その顔は、何かに解放されたかのような爽やかさを感じていた。




「その様子だと、終わったようね、ウィル。思ったより早くでよかった」

『ああ。これでようやく、本来の任務に取り掛かれそうだよ。そちらの方がどうかね?』

「今、ちょうど修整プログラムをロードしたところよ。特に感染した様子も見られなかったから、
すんなり行ったわ。あとは貴方に、新しい腕をつけてもらえば終わりよ。義手がなかなか馴染めない
みたいだしね」

『分かった。本当、迷惑をかけたね、君』

「どういたしまして。私は貴方がこっちに到着し次第、入れ替わりでローマに戻って、今回のことを猊下に
報告する予定だから、早く来てね」

『了解。それじゃ、細かいことは後ほど』

「OK。―――プログラム〔ザイン〕を完全終了……、クリア」




 はプログラム「ザイン」を終了させると、電脳情報機の画面を元に戻し、そのまま電源を切った。



 トレスの方を見ると、さっきのの発言の意味がまだ掴めてないらしく、少し困惑そうな顔をしている。
 それを見たが軽く微笑み、トレスの肩に手を置いた。




「ま、私が言ったことはあくまでも仮説だから、気にすることはないわ。そのまま削除しちゃっても構わないし。
あとは、あなたの判断に任せるわ」

「……了解した。……シスター・

「ん?」

「卿がこのような発言をしたのは、俺やナイトロード神父と出会う前からミラノ公と接触していたからか?」




 トレスの発言に、は動きを止め、トレスを見つめる。
 自分とカテリーナが昔から知り合いなのを知っているのは、
 アベルとヴァーツラフ、“教授”、ケイトだけだと思っていたからだ。




「……誰からそのことを聞いたの、トレス?」

「ミラノ公本人が、以前、卿が前聖下の命令で、護衛をしていたと言った」

「全く、あの人は何でも、他人に話すんだから……」




 カテリーナは、何でも自分が隠すことじゃないと思えば、誰にでも話してしまうことがある。
 今回も、そのパターンらしい。
 としては、隠して欲しかったのだが……。




「確かに、私とスフォルツァ猊下……、カテリーナとは、アベルに会う前から知っている。けど当時の彼女は、
こんなことを考える人じゃなかった。こうなったのも……、すべて『
騎士団(オイデン)』のせいよ」




 あの時、「騎士団」の手によって、彼女の両親が殺されてなければ、こんなことを考えることなく、
 普通に暮らしていたかもしれない。
 もっと違う人生が、待っていたかもしれない。
 しかし、もうそれは叶うことがない。




「それがあるから、私は彼女がAxを作ることを賛同して、入ることを決めた。早く彼女の望む生活が、
送れるようになったらいいと思って、ね。ま、他にも理由はたくさんあるんだけど」




 トレスの肩から手を離し、電脳情報機を持って、開けっ放しのドアに向かって歩き始める。
 そして部屋に出ようとした時、後ろからトレスに止められた。




「卿は今後、Ax(ここ)を離れようと考えているのか、シスター・?」

「今のところは……、考えられないわね。ま、分からないけど。そうしなきゃいけなくなったら、
離れるかもしれない。けど……」




 振り返り、トレスに優しく微笑む。その顔は、トレスにはどう移っているのだろうか?




「今の私は……、敵に回すと厄介な人が約1名いるから、離れたくないっていうのが事実かしらね」

「……了解した」




 の言っている意味が分かったのか、トレスは1つだけ返事をすると、
 その場から立ち上がり、先に部屋を出て行った。
 その後姿を見ながら、はポツリと、誰かに言いかけるように言った。






「あなたを敵に回したら……、厄介なことになりそうで怖いからよ、トレス」

















別名「トレスvs」です(笑)。
この2人の会話は書いてて楽しいです。
お互いに一歩も譲りませんからね。
周りが見たら、どう思うでしょうか。
にとって、カテリーナの発言が全てだと思うトレスが間違ってると思うのは、
分からなくもないんですけどね。

それよりも、本当にユーグの出番がなくてごめんなさいごめんなさいごめんなさい(大滝汗)!!!





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