部屋は何も物音が聞こえず、静寂な空間を作り上げている。



 ベッドにうつ伏せになったまま、左側に顔を向け、閉ざされた扉を見つめたまま、
 はさっきから同じことばかり考えていた。



 あんなことを言うつもりなんてなかった。けど口から出た言葉は、確実に相手の心を傷つけたに違いない。
 そして一瞬見せたあの表情が、頭の中から離れることなく、グルグルと回り続けている。




『お願いだから、何でも知っているかのように言うの、やめなさいよ……』




 優しさも慰めも、すべて拒否してしまったような発言をした自分に、はずっと叱り続けていた。
 どうしてあんなことを言ってしまったのか、どうして彼を傷つけてしまったのか、
 どうして彼の気持ちに気づかなかったのか。
 答えのない疑問が次々に頭の中へ浮かび、そしてどんどん自分自身を追い詰めていく。




「……ごめんなさい……」




 こうやって謝るのも、一体何度目になるであろうか。
 止め処なく流れる涙を浮かべながら、泣き声を殺すかのように枕へ顔を埋める。




「ごめんなさい、アベル……。……ごめんなさい……」




 声にならないぐらい小さな声で呟いた時だった。
 テラスから物音が聞こえ、は反射的に泣くのを止めてしまった。
 顔を上げ、カーテンの奥にあるテラスのガラス扉へ目を走らせると、
 サイドテーブルに置いてある短機関銃を手に取り、その場から起き上がった。



 こんな時に敵が現れたら、きっと自分はおもいっきり乱れ、それこそ周りに迷惑をかけてしまうだろう。
 しかし今は、そんなことを言っている暇などない。
 は銃をロックオン状態にして上げると、カーテンを勢い欲開けて短機関銃を向けた。
 が――。




「わー! さん! 私ですよ、私!!」




 ガラス越しから聞こえる声に、は呆気に取られたように目を点にさせた。
 ガラスの奥にいる男は、彼女が一番よく知る人物で、一番このようなことをやりそうな人物でもあったからだ。




「アベル! あなた、一体そこで何を……!?」

「フィーネさんがノックしても反応がないって言っていたので、ここからなら気づいてくれるかなあと思いましてね。
いやあ、久しぶりにやると、スリリングがありますねえ〜」

「そういう問題じゃないでしょ!? 第一、ここまでどうやって上がって来たのよ!? ここ、2階なのよ!?」

「フィーネさんに、脚立をお借りしましてね。長さがちょうどよかくて、助かりましたよ〜」




 ガラス扉を開けると、アベルは相変わらず呑気な顔で、頭を下げながら部屋の中へ入っていった。
 こっちはこの男のことで悩み続けていたというのに、この顔を見てしまったら、
 だんだん自分がしていたことが馬鹿馬鹿しく感じてしまいそうになるほどだった。




「ああ、そうそう。さんにお渡しするのがあったんです」




 その心を知ってか知らずか、アベルは部屋の扉を開けると、そこから1つのワゴンを引っ張り、部屋の中へ入れた。
 上に載せられているものを見たは、それが自分のために作られたものだと分かり、
 再び胸がヒリヒリと痛み出した。




「これ、フィーネさんからさんへのお夜食だそうです。さすがフィーネさん、さんの好みをよくご存知
ですよね。このベーグルサンド、さんが一番お気に入りのものですもん。いやあ本当、見習いたいなあ」

「…………」

「あと、これ、私も先ほど知ったんですけどね、シトラスのアロマオイルとアロマポットですよ。さん、薔薇
は苦手ですけど、シトラスは大好きですもんね。折角ですから、ここにつけちゃいますね?」




 アロマポットをワゴンから持ち上げ、ベッドから少し離れた位置にあるテーブルの上に置く。
 シトラスのアロマオイルを数滴受け皿に入れ、ポットの下に設置されている蝋燭に火をともす。
 受け皿に入れられたオイルが蒸発していき、部屋中にスッキリとした香りが広まっていく。




「これでよしっと。ん〜、いい香りですねえ〜。日ごろのイライラがなくなっていくようです。これで、さん
もリフレッシュして……」




 後ろにいるの方を見ようとして振り返った時、少し俯き加減になっているの姿があり、
 言葉が思わず止まってしまう。
 もしかして、逆効果になってしまったのだろうかと思ったアベルが、慌てたようにの方へ歩み寄る。




「ああ、す、すみません、さん! こんなの、余計なことでしたよね? ご迷惑だったら、蝋燭消して、ワゴン
も外に……」




「……どうして……」




 小さく、しかしアベルの耳にしっかりと届くぐらいの大きさで、が震えながらに言葉を発する。




「どうして、そんなに優しいのよ? あんなに酷いこと言ったのに、どうして……」




 止まっていたはずの涙が再び流れ出し、床に引かれてあるカーペットの上に落ちていく。
 止めようと思っても、すぐに止めることなんて出来なくて、どうにかして押さえたくて、目を強くつぶる。




「私なんかのために、どうしてこんなこと……」

「……さんのせいじゃ、ないですよ」




 問いかけに答えるかのように、アベルが静かに声をかける。
 は驚いたようにつぶっていた目を開けると、目の前にある相手の顔を見つめた。
 相変わらず優しく微笑む彼の顔に、胸が強く締め付けられそうになる。




「もとは、私が余計なことを言ったのがいけなかったんです。あんなこと言わなければ、さんがここまで傷つくことなんて……」

「違う。それは間違っている。私の方が酷いこと言ったのよ? 私があなたを傷つけるようなことを言ったから……」

「けど私のせいで、あなたは篭ってしまったのでしょう? 私があなたを、追い込んでしまったから……」

「あなたは優しすぎよ、アベル。酷いこと言ったのは私なのに、どうして自分のせいにするの? あなたを突き放して、こんなに苦しめたのに……」




 最後まで言葉にならなくて、思わず声がかすれてしまう。泣きすぎてなのか、目はもうすでに真っ赤になっていて、きれいに見えるはずのアースカラーが薄れてしまっている。




「……一番苦しいのは、さん自身なはずです」




 の泣く声だけが響く空間を断ち切るかのように毀れた言葉が、の鼓動が小さく弾く。
 アベルの両腕がの背中に回り、強く抱きしめられる。
 髪にそっと唇をあてる。胸の鼓動が、自分の鼓動まで早くなるぐらいに上がっている。




「あなたは今、何と戦っていることぐらい知っています。けどそれを周りに言ってしまったら、あなたがここまで押
さえてきた意味、なくなってしまうじゃないですか。だからあの時、ああ言ってその場を回避するしかないって思っ
たんです。けど……、逆効果だったみたいですね。本当、すみません」

「……知って、いたの?」

「ええ。第一あの時、あなたの体まで反動が来たって時点で分かりましたよ。……『彼』に限界が来ているんです
ね?」

「……うん……。少しでも解放しないと、私どころか、アベルも一緒に傷ついてしまうって言われて……。覚悟は
決めていたはずなのに、それが迫ってきているって分かったら、急に怖くなって……」

「それに、カテリーナさんに任務を外されたショックが重なったわけですね」




 やはり、彼はすべてを悟っていた。
 悟っていたからこそ、自分を守ろうとして、助けようとして、そして安心させようとして、
 自分の前に出て他の者に説明しようとした。
 表現下手な彼のことだから、言葉がうまく出て来なかったことぐらい予想がつく。
 なのに自分は、そんな彼まで否定してしまった。
 そう思った時、は掴んでいた服をより一層強く握り締め、アベルの胸に顔を埋めた。




「ごめんなさい、アベル。やっぱり私、あなたに酷いこと言って……」

「そのことは、もう気にしていません。今は逆に、こんな状態まで1人で抱え込んでいたことの方が怒っています
よ。全く、さんはいつもこうなんですから」

「だって、こんなこと言えるの、アベルしかいなし、言うタイミングが、掴めなくて……」

「確かに、そうですけどね」




 体が離れ、アベルの掌がの頬をそっと包み込み、流れている涙を拭い落とす。
 額にそっと唇をあてたあと、原色を失っている目を心配そうに覗き込む。




「こんなに真っ赤にさせて……。折角のご自慢のアースカラーが台無しですよ」




 瞼に口づけ、涙の跡を追うように移動し、そして唇に触れる。
 どんどん深くなって、再び体が支えられなくなりそうになり、アベルの袖を強く握り締め、
 それに耐え抜こうとする。




「……さん」

「ん?」

「今夜……、私に、その……、任せてもらえませんか?」




 真剣に、しかし変わらず優しい目が、の目に注ぎ込まれる。
 それを見るだけで、鼓動が自然と早くなり、倒れてしまいそうになる。




「あなたの不安な心、全部、きれいに取り除きたいんです。そりゃ、全部なんて無理かもしれませんけど、それでも
……」

「…………して」




 の口からかすかに聞こえる声に、アベルが発言を止め、耳を傾ける。
 未だに涙が止まらず、頬を包み込んでいるアベルの掌に溜まっていく。




「お願い、お願いだから……」




 涙のせいなのか、それとも胸を未だに何かで締め付けられているからなのか、
 うまく言葉になって発することが出来ない。
 それでも何とかして、アベルに何かを伝えようと、扁桃腺を震わせ、必死に伝えようとする。






「お願いだから、私を……、……私を、壊して……」






 の願いを叶えるかのように、唇と唇が絡み合う。

 そしてそのまま、2人の体が、ゆっくりと重なり合ったのだった。
















私が書くアベルは、なぜかいつも頼もしいです。
何ででしょう?
ただ単に、私が頼もしい男が好きだからかもしれません(え)。
でも、アベルがこうやって支えてくれるのって、嬉しくありませんか?
って、そう思うのは私だけですか(汗)。





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