「……すごく、怖いの……。もうじき、自分が自分じゃなくなるんじゃないかって思うと、怖くて仕方がないの。
壊れてなくなってしまえばいいのにと思ったことがあったけど、そんなことしたら、アベルも一緒に壊れてしまう。
だから……、だから毎日が、すごく不安で仕方ないの……」
「……大丈夫ですよ、さん。あなたの苦しみもすべて、私がちゃんと受け止めます。そのために、私がいるん
じゃないですか」
「そうだけど……」
「さんの苦しみは、私の苦しみでもあります。そして、それを回避させる手助けをするのも私の役目です。
もしそれでも防げないようでしたら……、その時は喜んで、私はあなたと一緒に死にますよ」
「えっ……?」
「私達は、死ぬまで一緒です。……いいえ、死んだあとも、ずっと一緒にいます。私達はお互いに、離れてはいけ
ない存在ですしね。たとえあなたに嫌われたとしても、私はずっと、さんのそばにいますから」
「アベル……」
「……これじゃ、涙が枯れるなんて言うのも迷信になりますね」
「顔、酷い?」
「私は気にしませんけど、周りの人が見たら仰天しますよ。目、すごく真っ赤ですから」
「あれから――中庭から離れてから、ずっと泣いていたから……」
「それじゃ、かれこれ5時間近くたっていることになりますよ? 喉、渇いていませんか? お腹、空いていません
か?」
「たまに紅茶飲んでいたし、さっき、ちょっとだけ、クッキー食べたから……」
「それだけじゃ、余計に皆さん、心配しますよ。……待っていて下さい。今、そちらに……」
「私は大丈夫だから……。だからずっと、ここにいて」
「でも、それじゃ……」
「今はそんなことより、少しでもアベルに、触れていたいから……」
「……私はずっと、ここにいますよ。だから安心して、このまま眠って下さい。怖い夢見たら、すぐに助けますから」
「うん……。……ありがとう」
「大丈夫ですよ、さん。私はずっと、ここにいますから」
眠っているにそっと囁き、アベルはもう一度髪に触れ、ゆっくりと目を閉じたのだった。

翌朝、目は案の定大きく晴れ上がっていたが、プログラム「フェリス」の協力も得て、何とか治すことが出来た。
アベルが顔を洗いに行っている間に、は服に着替え、髪をいつも通りに黒いリボンで縛り上げる。
その顔には、どこかすっきりしたようにも見えた。
「……どうやら、無事に戻ったようですね」
いつ戻ってきたのか、鏡の前に立っているの顔を見て、アベルが寄ってきて、後ろからそっと抱きしめる。
その姿が鏡に映って、一瞬恥ずかしくなったが、相手は特に気にすることなく、うなじにそっと唇をあてる。
「目も、何とか戻りましたね。やっぱさんには、このアースカラーの目が一番です」
「フェリーが何とかして治してくれたからね。それに……、アベルがずっと、そばにいてくれたから……」
後ろを振り返り、アベルの頬にお礼を言うように唇をあてると、少し照れたように俯き、
上目使いでアベルの顔を覗き込んだ。
そんな彼女が可愛らしくて、アベルは思わず抱きしめてしまう。
「私はもう少ししてから、カテリーナさんに挨拶しに行きます。ですからさんは、先に彼女のところへ行って
来て下さい」
「うん、そうする。……アベル」
「はい?」
「私……、先にローマに戻るわ」
突然の発言に、アベルは思わず体を外し、驚いたように相手の顔を見た。
しかしその表情には一転の曇りもなく、何かを決心したかのように真剣な顔をしていた。
「ローマには、まだあの“智天使”がいる。彼からもっと詳しい情報を聞いて、少しでもいいからアベル達の手助けが
したいの。現地には行けないけど、これぐらいのことなら出来るし、セフィーを同行させれば、こっちからでも状況が見える。それに
……」
「……ありがとう、さん」
きっと、もっと言いたいことがあったのかもしれないが、それを阻止するかのようにアベルが口を開いた。
そして、治ったばかりの目元にそっと口つけ、髪をそっと撫でた。
「その気持ちだけで、十分嬉しいですよ。……ありがとう」
「……どういたしまして」
特に反抗するつもりもなく、素直に打ち消しの言葉を述べると、はアベルに満弁の笑みを浮かべ、
再び頬にそっと触れた。
「それじゃ私、先にカテリーナのところへ行くね。あんまりのんびりしてちゃ駄目よ」
「はい」
どれぐらいぶりになるのか分からなくなるほど、ここ最近、の笑顔を見ていなかったような気がする。
それは逆に、今まですごく苦しんできていたことを意味するのだが、
そう思うと、すぐに気づかなかった自分を恨みそうになった。
しかしそんなことをしての悩みを増やすわけにも行かず、
アベルは必死になってそれを心の奥底に押さえ込んでいた。
「……さて、私もそろそろ行きますかね」
アベルの呟く声が、何かスッキリしたかのように聞こえ、静かに響き渡っていった。
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