「いろいろありがとな、」
「こちらこそ、お世話になりました、イグナーツさん」
イグナーツの店の前には、
がローマに帰還することを聞きつけたパルチザンが集まっていて、
じきに道がふさがってしまいそうになっていた。
「しかし、今でも信じられないよ。元軍人のお前さんが、まさか教皇庁のシスターになっているとはな」
「それは、よく言われますわ」
少し苦笑しながら言うを見ながら、
イグナーツは手にしていた1つの袋をの前に差し出した。
何やら瓶のようなものが入っているらしいが、ラベルまでははっきり分からない。
「何ですか、これ?」
「お前さんの大好きなウィスキーだ。かろうじて倉庫に1つ残っていたからさ。持っていってくれ」
「でも、大事な商品なんじゃ……」
「ここも大分復旧して、食料なんかも調達が早くなった。この分なら、じきに店も再開出来そうだから問題ねえよ。
礼だと思って、受け取ってくれ」
「……ありがとうございます、イグナーツさん」
袋に入ったウィスキーは、ほんの少しだけ重く感じる。
きっと、自分に対する彼の気持ちが重みとなって現れているのだろう。
はそれをしっかり受け取ると、イグナーツの横に立っているエルケルに視線を動かした。
「あなたにも、お世話になったわね、エルケル」
「いや、そんな、俺は別に何も……」
今日のエルケルは、いつもと違う雰囲気が漂っていた。
となかなか視線を合わそうとせず、何だか照れているようにも見える。
「あ、あのさ、」
「ん? 何?」
「今度、戻って来た時には、その……。……また一緒に、飲まないか?」
言葉を選びながら、エルケルは丁寧にへ想いを伝える。
だがの口から出た言葉は、彼の予想とはほど遠いものだった。
「もちろんよ、エルケル。またみんなと一緒に、楽しく飲みましょう」
「……ああ……、……約束、だからな」
の答えに、エルケルは少しだけがっくりさせると、
周りが冷やかすかのような視線を彼に向けた。
それに気づかないように、は不思議そうな表情をしていたが、
内心ではその理由をちゃんと知っていた。
自分に必要な人は、たった1人しかいない。
アホで、ドジばかりで、大食漢ではあるが、いざという時に心の支えになる人物。
それは――。
「さん〜! お待たせしました〜!」
背後から聞こえた声に、はすぐに我に返った。
振り返れば、1つのトランクを持つアベルが視界に飛び込んで来て、
急ぎ足でこちらに向かって走っている。
「用は無事に済んだの?」
「はい。さんも、大丈夫ですか?」
「こっちはいつでもいいわよ。――あら?」
アベルのコートに、1つの花びららしきものを見つけて、は不思議そうに首をかしげた。
どこかで花でも購入したのであろうか?
いや、この男に、花束1つ買う金などないはずだ。
「これ、どうしたの?」
「へっ? あ、これですね〜。さっき、足が絡まってしまって、薔薇農園に突っ込んでしまったんですよ〜。
農長さんに、こっぴどく叱られましてね。解放されるまで大変でしたよ〜」
「…………相変わらずアホね、アベル」
アベルの理由は、ちゃんとした理由になどなっていなかった。
なぜなら、ここイシュトヴァーンには薔薇農園などないからだ。
だがは、これ以上彼に疑問を投げかけるようなことはしなかった。
「それじゃ、私達はこれで失礼しますわね」
「おう! 、今度は遊びに来いよ! いつでも歓迎するぜ! 神父さんも、元気でな!!」
「ありがとうございます、イグナーツさん!」
温かい声を背中に受けながら、アベルとは彼らに背を向け、ゆっくりと歩き出す。
その声は2人の姿が見えなくなるまで、ずっと市街に響き渡っていたのだった。
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