PM7:00。

 先に行っているというトランディスとレオンを追うように、

 アベルとクレア、そしてトレスが約束の店に到着した。




 「セイレーネス」。

 確か、歌を奏でる妖精の意味だったはずだと思いながら、

 クレアは前を歩く2人の後を追って、店の中へ入っていった。




「おお、主役のお出ましだ」

「遅いぞ、3人とも」




 テーブル席に腰掛けた2人の前には、すでに空の瓶が置かれており、

 あまりの早さにため息が出そうだった。

 この2人が酒豪なのは知っていたが、ここまで来ると呆れてしまう。



 店の中は思った以上に広々としていて、

客が和気藹々といった感じで酒を酌み交わしている。

 その中には、クレア達同様軍人もいるようで、

 数人、彼女の存在に気づいて身を固くする者もいた。




「やっぱ私、来るべきじゃなかったかしら?」

「いや。ヴァーツラフの時も同じようなものだから気にするな」

「ハザヴェルド将校の言う通りよ。それに、あなたが来なかったら、私がつまらないもの」




 トランディスの後に続いて言う声に、クレアははっとなる。

 そしてゆっくりと後ろを振り向き、視界に飛び込んできた人物に驚きの声を上げる。




「……ルシア!」

「ふふっ、久しぶりね、クレア。また髪が伸びたんじゃない?」




 「セイレーネス」の店主であるルシア・カーライルとクレアは、

 彼女とアベルが軍事学校にいた時に知り合ったパブの店員だった。

 ウェステルに店を開いたのは知っていたが、

まさかそれがアベル達陸軍の御用達になっていたとは驚きの反面、

どこか嬉しくも思えた。




「そう言えば、さっき店の子達を助けてくれたみたいね。ありがとう」

「どういたしまして……って、どうして私だって分かったの?」

「髪が肩ぐらいまで長くて、目の色が変わっていると言ったら、あなた以外に思い浮かばなかったわ」




 クレアの目は、青と緑がまざったアースカラーと言われる、

 普通の人では見られない配色をしている。

 そのこともあり、潜入操作とかにはかなり不向きであるのが欠点にあった。




「ルシアの店なら、最初からそう言ってくれればよかったのに」

「それじゃ、あまりにもつまらないじゃないかって、トランディスさんが」

「俺のせいにするのかよ、ナイトロード」




 本当はアベルが内緒にしようと提案し、トランディスが同意したのであろう。

 隠すのが下手というのか、ばれやすいというのか、

 とにかく不器用さ加減は今も健在らしい




「さ、みんな揃ったところで……、クレアはウィスキーのロックでいいかしら?」

「覚えていてくれたのね」

「忘れるはずがないじゃない。皇帝区で、1人でボトル1本空けた人なんだから」

「ほほう、思った以上の大物らしいな」




 トランディスがニヤリとすると、その横でレオンもなぜか一緒にニヤリとする。

 どうやら、酒飲みが不足していて、不満だったらしい。




「ああ、そうそう。歓迎会の前に、クレアに会って欲しい人がいるの」

「会って欲しい人?」




 ルシアの提案に、何故かアベルがピクリと反応する。

 それだけで、ルシアが何をしたいのかが分かってしまう。

 そんな自分が、ちょっと悲しくなったクレアであった。




「アベル、そんなムスッとしなくてもいいじゃない」

「へ? 私、そんな顔してましたか?」

「してたから突っ込むんだろう」




 トランディスが呆れたように言い、手にしているスコッチを一気に飲み干す。

 レオンも納得するように頷き、

トレスはただ冷静に手にしたウィスキーを口に運んでいる。

 どうやら彼らも、ルシアの同居人のことは知っているようだ。




「と、いうわけで、クレアをお借りするわ」

「ルシア、私は物じゃないわよ」

「それじゃ、誘拐するとでも言っておく?」

「人聞きの悪いことを言わないで下さい、ルシアさん!!」






 焦ったように言うアベルに、

 ルシアは狙ったかのように笑い、クレアは苦笑してしまったのだった。

















 2階へ続く階段を上りきると、右手に見える扉の前でルシアが止まった。

 ノックをして、中から聞こえる声を確かめてからゆっくりと開く。




「カイン。お客様よ」




 その声に誘われるように、クレアは部屋の中へ入ると、

 部屋の中心壁側に置かれたベッドに腰掛けている人物の表情が一気に明るくなった。




「うわおっ! クレアだー!」

「久しぶりね、カイン。元気そうじゃない」

「今日はちょっと横になっていたけど、クレアが来てくれたお蔭で力が湧いてきたよ!」

「そんな、無理しなくてもいいから、あまり大声上げないでね。下にお客様がいるんだから」




 「セイレーネス」のもう1人の店主で、アベルの双子の兄であるカイン・ナイトロードは、

 元皇帝区大佐であり、クレアの幼馴染みでもある。

 そしてここだけの話、クレアの初恋の人でもあった。




「今日到着したのかい?」

「ええ。アベルが迎えに来てくれてね。あちこち街も案内してくれたわ」

「そうだったんだー。僕もこんな体じゃなかったら、一緒に迎えに行ったのに」

「そんなことしたら、アベルがまた拗ねるじゃない」

「何だ、アベルのヤツ、まだ妬きもち妬いているのかい? ぼかあ、悲しいよ。それじゃあ、下手にクレアと一緒にお話出来ないじゃないか」




 カインとアベルは、幼い頃から何故か仲が悪い。

 特にアベルは、カインをあまりいい風に見たことがなかった。

 クレア絡みになるとすぐに不機嫌になり、そんなアベルをカインがからかうから余計に太刀が悪かった。

 その結果、幼いクレアの頭には、

「優しいカイン、意地悪なアベル」という印象が根強くついてしまったのだ。




「そんながっかりしないで。アベルに気づかれないように、こっそり会いに来るわ」

「そんなことしたら、今度は私が妬きもち妬くわよ」

「あら、ルシアが妬くだなんて、珍しいこともあるのね。昔はあんなに余裕な表情を見せていたのに」

「私はあなたが、前からアベルのことが好きだと思っていたから、特に気にしていなかっただけよ」

「もう、2人とも、喧嘩はよくないよ! 仲良くしようって。ね?」




 自分のことでもめていることにも関わらず、

 カインは特に気にしないように2人の間に割ってはいる。

 その顔は焦っているというより、むしろ楽しそうに見える。




「まあ、それは冗談で……。アベルのことはあるけど、カインにたまに会いに来て頂戴。私は普段、店のことで手一
杯だから、1人で淋しい想いをさせたくないもの」

「僕は気にしてないよ〜。むしろ、店主のくせに、ルシアに任せっきりで申し訳ないって思ってるぐらいだし」

「いいのよ、カイン。私はあなたの笑顔があれば乗り切れる人だもの」

「はいはい、もう十分堪能したわ。ご馳走様でした」




 もういいと言わんばかりに、掌を合わせて頭を少し下げる姿に、

 カインとルシアは思わず笑ってしまう。

 だがきっと、クレアも相手がアベルだったらこうなるのかと思うと、

 人のことは言えないかもしれない。




「さ、そろそろステージも始まる頃だから戻りましょう」

「ステージって、例の双子の子達の?」

「そう。今夜のメインステージよ」

「キリエとリエルは、本当に凄いんだよ〜。クレアもきっと好きになるよ!」

「カインがそう言うなら、間違いなさそうね」




 笑顔を向けられたので、クレアも笑顔で返すと、

 ルシアに連れられ、部屋を出て行った。

 階段を下り、徐々に客の声などが聞こえ始めた頃、

 ルシアがポツリとクレアに呟いた。




「よかった」

「え?」

「今日、本当に調子が悪くてね。体が言うことを効かなくて、苛立っていたから」

「そう、だったの?」

「ええ。だから、ちょっとほっとしたの。ありがとう、クレア」




 カインが今抱えている病の名前は「膠原病」。

 皮膚・筋・関節などの結合組織に炎症・変性が起こり、膠原線維がふえる

 慢性疾患の総称である。

 そのため彼は、ウェステル陸軍大佐の任を断るのと同時に軍を退役し、

 ここで静養をしているのだった。




「具合は良くなってきてるの?」

「少なからず、酷くはなってないみたい。イザークがいろいろ処方してくれているみたいだから」

「イザーク・フェルナルド・フォン・ケンプファー医師。確か、ウェステル陸軍専属医師でもあったわね」

「ええ。でも、容姿からなのか、かなり回りからは恐れられてるみたい」




 ウェステル陸軍専属医師、イザーク・フェルナルド・フォン・ケンプファー。

 その腕は皇帝区の大手病院の医師が認めるほどで、多くの患者を助けてきた。

 しかし、男にしてはあまりにも長くて真っ直ぐな黒髪と顔つきからか、

 一方では藪医者なのではないかと言われているらしい。




「あれさえなければ、陸軍さんは喜んで怪我するでしょうに」

「そんなことになったら、いざという時に人数不足でこっちが困るわ」




 呆れたように言うルシアに、クレアは苦笑したまま、

 再び1階に戻る。

 ステージの準備に行くルシアと別れたクレアは、そのままアベル達のところへ戻り、

 先ほど用意してくれたウィスキーのロックを口に運んだ。




「大佐は元気だったか?」

「ええ。でも今日、あまり調子がよくなかったみたい」




 カインのことを話すクレアの表情を、アベルはあまりいい風に思っていなかった。

 しかしクレアは、本当は誰よりもカインの身を心配していることを知っていた。

 もし本当に嫌いなら席を立つはずなのに、それをしないのが何よりの証拠だった。




「アベル」

「へ、あ、はい?」

「たまには見舞いに行きなさいよ。1人じゃ不安だったら、一緒にいくから」






 誰にも聞こえないように耳元で囁くクレアの声が、どこか嬉しそうに聞こえた。

















「キリエ、見て!」




 今までステージの様子を見に行っていたリエルが、

慌てたようにキリエの側へやってきた。

他のダンサーにマッサージをしていた彼女の手を引っ張り、再びステージ袖まで行くと、

リエルが指差した方向を見て眼を見開いた。




「……あれは!」

「ね、さっき、助けてくれた人と同じでしょ?」

「うん……」




 カーキーの軍の正服に身を包み、腰あたりまである長い茶髪。

 そして何より、変わった配色をした瞳。

 間違いなく、自分達を助けたあの軍人だった。




「あの人、陸軍の新しい大佐だって、さっきルシアが言ってたよね」

「うん。……本当、きれいな人だね」




 遠くから見ているのに、これだけの存在感がある人を見たことがなく、

 キリエもリエルも思わず見とれてしまう。

 だがそれを止めるかのように、後ろから聞きなれた声がして、

 2人とも勢いよく振り返った。




「ほらほら、2人とも。準備は整ったの?」

「ルシア! さっき言っていた人が……」

「知ってる。彼女は私の友達で、あなた達のショーを見に来てくれたのよ」




 ルシアの知り合いと聞いて、さらに驚きながら、

 2人はまた相手の顔を見つめる。

 しかしそれも、すぐにルシアによって止められた。




「さ、そろそろステージの時間よ。準備しなさい」

「「はい」」




 ルシアはそれだけ彼女達に告げると、そっと微笑み、その場を後にする。

 キリエは顔を隠すレースを頭からかけ、いつものようにリエルと両手を繋ぎ、

 ゆっくりと目を閉じた。

 頭を切り替え、心を落ち着かせているのだ。




「……よし。行こう、リエル」

「うん!」






 しっかりと手を繋ぎ、ステージに飛び出していく。

 そして大きな拍手と歓声が、2人に降り注いでいったのだった。

















「セイレーネス」初登場です。
ウェステル編の舞台は、ここが1番多くなる予定です。
それ以外に多いのは宿舎かな?

ルシアとカインの組み合わせは好きです。
私の中では、こんな感じで仲が良かったらいいなあと思いますね。
「Cafe de Lune」でも同じですが。
ルシア、素敵です。カインが羨ましい(そこか)。

アベルとカインの仲の悪さはそのままにしてみました(笑)。
でも本当は仲がいいと思うので、ここではそれが出せたらいいなと思います。






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