『えっ、さん、お台所へは行かないんですか?』

「ええ。ちょうど部屋に、昼食用に作っておいたサンドイッチが残っていたからね。それだけで十分よ」

『そうですか……。……それじゃ、ロレッタさんと2人で食べ尽くしちゃいますね♪』

「食べ過ぎて、お腹壊さないようにね。――プログラム『ザイン』完全終了――、クリア」




 電脳情報機(クロスケイグス)に映し出されたアベルの顔が消え、一瞬画面が暗くなる。

そのまま電源を切らずに、は近くに置いてあるウィスキーのボトルに手を伸ばし、

氷だけになっていたグラスの中に注いだ。



 自室の窓から、満天の星が輝いている。

その中に浮かぶ2つの月が、星達の輝きに負けないぐらいに光を放ち、夜のミラノを照らしていた。



 昔はよく、こうやって大きな月の満ち欠けを見ることが多かった。

それは「あれ」のせいでもあるのだが、今でも癖で凝視してしまうのはかなり重症だ。




(今日は満月、かあ……)




 手にしているウィスキーを煽りながら、また月のことを考える。

「月に兎がいる」などと書かれてあるアジアの古文書があったと思いながら、ふと笑ってしまう。




(もしそれが本当なら、きっとあの時、大変だったでしょうね)




 近頃、なぜか昔のことをよく思い出すことが多くなった。

それはすべて、「彼」が言った、あの言葉のせいだった。

まるで、カセットをリピートした下のように鳴り響く声に、思わず耳を塞いでしまいたくなるぐらいだ。







『今後、アベル・ナイトロードが何度暴走するか分からないが、今のままではそれすら受け止めることが出来なくなる』







 今でも、力を取り戻すことは怖くて仕方がない。

もし暴走して、制御が不能になってしまったら、周りにまた大きな災いを起こすかもしれない。

相手のことしか考えられなかったら、敵味方関係なく倒してしまうかもしれない。



でも、そこから逃げては意味がない。

拒否してしまえば、自分どころか、アベルの命に関わる大惨事になってしまう。

それに今の自分は、昔のように1人ではない。今の自分には……、「仲間」と呼べる存在がいる。

その者達のためにも、は目の前に立ちはだかる難関を突破しなくてはならない。



 近くにあるストールを肩にかけ、グラスを持ったままテラスの扉を開ける。

まだ寒いのには変わりないが、ローマと比べたらまだ暖かい方だ。



 本館の大広間あたりから聞こえるクラシックの調べが、夜の町に溶け込んでいく。

確か今日は、トリノの方から室内オーケストラを真似いでいるとスケジュール表に書かれてあった。

出来ることなら一緒に聞きたかったが、同僚であるアベルが行かないのであれば、自分も足を運ぶわけには行かなかった。




(胡乱な者、か……)




 確かにアベルは胡乱な風に見えるかもしれない。

だが、そういう風な態度をしていたわけだから、他人にそう思われてもおかしくはない。

それには、少なからずガレアッツォよりも彼の方が信用出来た。




(自信を取り戻してあげたと思えば、すぐにあんな大口叩くんだから、あの大尉は……)




 事実、は昔からガレアッツォの性格が好きでなかった。

それだけにあの時の発言は、をより一層不快にさせた。

アベルを「胡乱な者」と言って隣接を拒否させたのに、同僚であるは許可したのだからなおさらだ。

今の彼女は、ローマから派遣されたミラノ公家直属護衛官、大尉ではない。

Ax派遣執行官、シスター・なのだ。

昔とは地位も階位も、全く違う立場に属している身である。



 どっちにしろ、今ごろアベルは料理の残り物を食べ尽くして満足しているだろうし、

ガレアッツォも自分の力でカテリーナを守ろうと意欲を燃やしているに違いない。

で、こうやって1人、ゆっくりと酒を嗜んでいるわけだから、これ以上深く考えても仕方がない。

そう納得させて、彼女は再び氷だけが残ったガラスを持ってテラスを出て部屋に戻り、ガラス扉を静かに閉めた。




『……あまり大量に呑むのは体によくない、わが主よ』




 3杯目のグラスに手をかけようとしたを、電脳情報機(クロスケイグス)に映された者に止められる。

が、静止時間は5秒ぐらいで、ウィスキーを注ぐ手はすぐに動き始めた。




「メンテナンス中に声を上げた人に言われたくないわよ、スクルー」

『あの時は悪かったと思っている。しかし、それと今現在の汝の行動とは何の関係もない』

「たまにはゆっくり飲みたい。ただそう思っただけよ」




 電脳情報機(クロスケイグス)の前に座り、キーボードを弾き始める。

画面にスフォルツァ城の設計図が映し出され、アベルとカテリーナの居場所を表すマークが点滅している。




「さて、任務開始しましょうか。……ん?」




 アベルの居場所を表しているマークが、何か箱のようなものの中に入っていく。

よく見ると、それは例のトリノから来た室内オーケストラが使用しているトラックだ。




「あの馬鹿、何やってるんだろう……。……セフィー、いる?」

『ここにいます、わが主よ』




 少女のような声と共に、の目の前に1つの光が現れる。

それが徐々に人型に変わり、背中に小さな羽根が2つ生えている。




「すぐにアベルのところまで行って、画像を送って欲しいの。……何か、嫌な予感がする」

『了解しました』




 用件だけ伝え、プログラム「セフィリア」が光と共に姿を消す。

そして数秒後、電脳情報機(クロスケイグス)にある映像が送り込まれた。




「……何なのよ、これ!?」




 プログラム「セフィリア」によって送られた映像――トラックの床板の下に隠されていた20体を

超える燕尾服姿の死体を見て、は反射的に叫んでしまった。

一体、誰がこんなことを!?




『最新情報:1件追加。衛兵達の詰め所が何者かにやられて全滅された。……ん?』

「どうしたの、スクルー?」

『最新情報:1件追加。――出入口が完全封鎖され、電信・電話を始めとする通信が全て遮断された』

「何ですって!?」




 血相を掻いて叫ぶと、はすぐに電脳情報機(クロスケイグス)のキーボードを弾き始めた。

スフォルツァ城全域に設置されている電動知性(コンピューター)のデータを引き出し、電波生涯などの形跡を当たる。



 が持つデータはプログラムだけではない。

スフォルツァ城に犇く電動知性(コンピューター)の配線コードや基盤など、細かいデータもすべて収集してある。

そのためデータが正常でも、他に負傷個所があればすぐに察知することが可能だ。

そして、今回も――。




「……基盤の配線位置が変更されてる!」




 先週、ここのメンテナンスを担当した電脳調律師(プログラマー)がミスをしたとは考えられない。

相手は先代から仕えている男だ。

そんなことをすれば、即刻クビにされることを十分承知しているはずである。

そうであるなら、一体誰が……。




「スクルー、今からすぐにヴォルファーに進入して、電脳知性の中に転送する」

『それは望ましくない、わが主よ』

「どうして!?」

『汝は今朝方まで、我らのメンテナンスによって頭痛に悩まされた。いくらプログラム[フェリス]の鎮痛剤を打ったからと

言っても、汝の体調が悪いのには変わりない』

「でも!」

『スフォルツァ城内電動知性(コンピューター)の修正プログラムはこちらですぐに用意する。その間に汝は、スフォルツァ枢機卿の救出にあたれ。

……これは、薔薇十字騎士団(ローゼンクロイツ・オルデン)が仕掛けた罠だ』

「……騎士団(オルデン)ですって!?」




薔薇十字騎士団(ローゼンクロイツ・オルデン)の名前を聞いて、の顔がさらに驚きの表情へと変わる。

ローマならまだしも、彼らの有力な情報も何もないこのスフォルツァ城を狙った理由が不明だからだ。




『指揮官名:バルタザール・フォン・ノイマン、階位7=4(アデプタス・エクゼンプタス)、通称“毒竜の王(バズイリスク)”。薔薇十字騎士団(ローゼンクロイツ・オルデン)に所属する長生種(メトセラ)だ』

「前回同様、今回も長生種なのね……。……分かったわ、スクルー。すぐにカテリーナのところへ行く。

修正プログラムの方、頼んだわよ」

『了解した』

「ヴォルファー、今、出れる?」

『大丈夫だよ、わが主よ。大広間に行けばいいんだね?』




 電脳情報機(クロスケイグス)に姿を表した「光」が現れ、移動場所を確認するように主であるに言う。




「ええ。ああ、でも大広間の中じゃなくて入り口ね。中に移動したら、敵に感づかれてしまうから」

『了解。座標確認、目標地点・スフォルツァ城大広間。――移動開始(ムーブ)!』







 プログラム「ヴォルファイ」の声が部屋中に響き渡る。

 そしてそれが消えた時には、すでにその場にの姿は消えてしまったあとだった。











日記で書いた内容はここです。
紅茶に入れるアルコールはブランデーだけど、はウィスキー党です(笑)。
そして以前少し書いたのですが、かなりの酒豪です。
なので、プログラム「スクラクト」が止める理由も何となく分かるのですがね。


ここでは「データが正常でも、負傷個所があればすぐに察知することが可能」と言ってますが、
実際問題は、基盤が違えば間違いなくデータも変わってきます(爆)。
ですがここは遺失技術で固められているスフォルツァ城だから、ということで見逃して下さい(大汗)。







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