屋根裏部屋に集められ、最初に飛び込んできたのは、アントニオの不景気な顔だった。
しかしそれは、当然の行動だった。
「今がどれほどマズい状況か、本当に分かってる? これで完全にアイツらを警戒させてしまった。もうろくに動くことも出来ないヨ!」
街には新教皇庁の捜索隊で溢れ返ってしまっており、現在、虱潰しで民家を回って、
凍傷した市民と派遣執行官達を探し回っている。
文字通り、絶体絶命の危機である。
「……はやり、君達などの口車に乗ったのが失敗だった! これで、我々が発見されるのは時間の問題だ!
一体、この責任をどうとるつもりだ!?」
「作戦については、次舞に卿も了解していたはずだ、エストニア伯。我々が一方的に避難されるいわれはない」
カーテンの隙間を除いていたユリウスの叫びを、
から右脚の応急処理を施してもらっているトレスが真っ向から見据えて言い放つ。
「そもそも作戦が失敗したのは、卿がアルフォンソ・デステを確保する機会を逃したためだ。責任は卿自身にある。
卿の精神的精弱性が、作戦を失敗させた」
「せ、精神的精弱性? ひょ、ひょっとして、私が臆病だといいたいのか、君は!?」
「肯定だ」
トレスの意見に、は相手に気づかれないように頷く。
ガードも何もなかった敵に対して、ビクビクしたまま動こうとしなかったことに苛立ちを感じていたからだ。
「卿は、恐怖から担当任務を放棄した。作戦が失敗したのはそのためだ」
「こ、この――!」
「お止め下さい、エストニア伯」
ユリウスの手が細剣(レイピア)に伸びたのを察知し、はトレスの足に視点を置いたまま、
ユリウスを止めるように口を開いた。
「あなたが神父トレスに攻撃したことで、今の状況が回避されるわけではありません。
それに、ま、彼はそう簡単にやられる相手ではありませんけど、もしここで彼を倒してしまったら、
一番困るのはあなたとあなたの市民達の方ですよ、エストニア伯。……はい、終わったわよ、トレス」
「卿の治療、感謝する、シスター・」
「どういたしまして」
配線系は専門外だが、これぐらいの修理なら出来ないことはない。
それに、先ほどプログラムの方も念のために確認したが、
負傷した個所は見当たらなかったため、今のところはこれで十分なはずだ。
<た、大変です!>
がちょうど立ち上がった時、耳元から電子音(アラーム)が聞こえ、
アベルとが各々のイヤーカフスに手を当てる。
タリン上空に滞空している“アイアンメイデン”からの緊急通信だ。
「声がうわずっているけど、どうしたの、ケイト?」
「上(そちら)で何か問題が起こりましたか?」
<い、異端審問局が……、異端審問局が動き始めました! “ジェオエル”以下3隻の空中戦感が現在、
タリンに向かって接近しています!>
「異端審問局がっ!?」
「何ですって!?」
何となく予想はしていたが、まさか本当に来るとは思ってもいなかった。
レーダー・レンジは、確かにどこにも接触していなかったはずだ。
「いつ頃、こっちに到着予定なの?」
<今、ちょうど教会軍の暗号通信を傍受しました。タリン襲撃は、たぶん今夜零時ごろになります。
……すぐに、そこから引き上げて下さいまし!>
「今夜……」
ケイトの言う襲撃予定は、今からあと19時間後。
はっきり言って時間がない。
「ど、どうしたのだ? 何が起こった?」
「……私達を追って、ローマから異端審問官がやって来ます。今夜には、ここに到着するようです」
「な、何だって!?」
ユリウス以下、市民達の顔が死人の色に変わっていく。
どうやら、異端審問官の悪名はタリンにも轟いているらしい。
「ど、どうしてくれるんだ! これも君達のせいだぞ! 君達なんかが来るから……、もう、タリンは終わりだ!」
「…………」
ユリウスのヒステリックにわめく声が、アベルと、トレスにぶつけられる。
アベルは唇を噛んで俯き、は目を閉じてため息をつき、そしてトレスも考えあぐねたように押し黙ってしまっている。
一体、どうすればいいものか。
の中に、いくつもの疑問符が浮き上がっていた。
“教授”にユーグとレオンのことをお願いしたとはいえ、以前として、まだ2人が来るという情報が入って来ていない。
すぐに連絡をくれる彼なだけに、こんなに連絡が遅れると、より一層不安になっていく。
もし、ユーグとレオン来なかったら……。
最悪な事態を考え始めたの耳に、この場に合わないような明るい声があがったのはその時だった。
「いや、アベル君、君、これは願ってもないチャンスかもしれないヨ……」
何かを思いついたかのように、アントニオが机の上に地図を広げ始めた。
その光景を、周りの者すべてが見つめていた。
「うん、やっぱり、マイ・ハニーはついているヨ! 紫外線が始まるのを待って、
もう1回、城に忍び込み、異端審問官と新教皇庁がぶつかっているドサクサに紛れて漁夫の利をゲットするのサ!」
「いや、アントニオさん、それはまずいですよ。おっしゃる通りにすれば、確かに我々は目的を果たせるかもしれません。
……ですが、この町の皆さんはどうなります?」
「そうですわ、ボルジア司教。せめて私達がここを離れて、異端審問官だけでも引きつけた方がいいと思うのですが……」
「いくら引きつけたところで、連中はいずれ新教皇庁の存在に気づくサ。……どっちにしろ、この町は終わりだね。
それに市民の安全のことなら、ボクだってちゃんと考えてるよォ。要は、彼らが市街戦に巻き込まなければいいんでしょ?
だったら、今夜一晩、みんなを街の外に非難させればいいじゃん?」
「非難? 町の外?」
アントニオの発言に、はハッとしかのように目を見開き、地図を食い入るように見つめる。
そして、ある1点を見つけ、提案した相手に発言する。
「もしかして……、油母頁岩(オイルシェル)の鉱山の中で隠れるってことですか!?」
「ビンゴ! さすが、君。まさに、その通りだヨ」
地下深くに縦横にめぐらされた坑道なら、確かに3000人の市民ぐらいは余裕をもって収容出来るだろう。
また、厳寒の地上とは違い、地下であれば凍死の可能性も少ない。
「確かに、ここなら安全です。地下なら、そう簡単に相手に見つかることもありませんし。
どうして気づかなかったんだろう?」
「冷静になってみれば、すぐに分かることサ。少しは見直してくれたかい、君?」
確かに、今のことに関して言うなら見直したかもしれない。
いや、本当はこっちが本当の姿なのかもしれない。
しかしそう簡単に認めたくないのか、はあえて答えないようにした。
アントニオの作戦に、市民達の顔に希望の色が見えてきた。
アベルも少し安心したように、と顔を見合わ、かすかに笑った。
「これで、ようやく道が開かれるわね」
「ええ。……しかし、まだ問題はあるみたいですよ」
「……ああ、なるほどね……」
アベルの視線の先には、険しい顔で地図を覗き込んでいたユリウスがいる。
この状況からして、確かにこれは重大な問題である。
「で、どうやって説得するの? 私としては、言いたいことが山積みなんだけど」
「いえ、ここは私に任せて下さい。……あまり、この手は使いたくないんですけどね」
何かを決心したかのように言うアベルの姿が、なぜか痛々しく見えてしまう。
……どうやら彼は、今まであまり使わなかった手で、ユリウスを説得するらしい。
「……そう、うまくいくもんか」
タイミングよく、説得される本人が暗く湿った声で呟く。
「君達、気は確かか? 鉱山まで40キロはあるんだぞ? 新教皇庁の目を逃れて、
彼らを連れて行くなんて絶対に不可能だ。……第一、こんな無謀な計画、一体だれが指揮を執る?」
「――それはあなたでしょう、ユリウスさん。いや、エストニア伯閣下」
先ほどの声とは違い、少しだけ鋭さを増したアベルの声が、ユリウスに向けられ放たれた。
その状況を、少し離れた位置でが見守っていた。
「3000人の市民を説得し、統率出来る方――。あなたをおいて他にはいません」
「よ、よしてくれ! 私がどんなに情けない男か、君も見ただろう? 私みたいな腰抜けに、出来るわけがない!」
「やってみないと分からないでしょう? あなたの知性と人望なら、十分に勝ち目はあると思います」
市民達の目が、目の前にいるユリウスに注がれている。
まるで、何かを待っているかのように。
「私は情けない臆病者だ。銃声を聞いた途端に、足がすくんで何も考えられなくなる。
……落城の時、騎士達にむりやり城から逃がされたと言ったが、本当は皆が田が買っている最中に怖くなって、
1人で逃げてしまったんだ! 何がエストニア伯だ! 私はただの卑怯者だ!」
大体は予想していたが、当の本人から事実を聞かされると、呆れて何も言えなくなる。
その時と今とでは、状況が全く違う。
そんなことを言う暇などないはずなのに……。
は発言しようとしたが、アベルに目で静止され、誰にも気づかれないようにため息をついて諦めた。
そしてアベルはユリウスの肩を掴んで、強引にその顔を上げさせた。
「たとえあなたが、今仰ったような卑怯者でも、それでも、私達はあなたにかけるしかないんです。
……脱出行の式は執ってもらいますよ」
「嫌だ! 私は絶対にそんなことしないぞ! 私には出来ない! 誰か他の、臆病じゃない者に―――」
ユリウスが何かを言いかけた時、アベルの右手が彼の頬に向かって振り下ろされた。
部屋中に響き渡る音が、市民やアントニオ、トレスはもちろんのこと、
長年一緒にいたでさえ驚きの色を見せた。
まさか、ここまでやるとは、予想もしてなかったからだ。
「……全く、情けない人ですね、あなたは。ですが、今の私達には、あなたの繰り言にお付き合いしている時間はないんです」
アベルの言葉を聞きながら、ゆっくり目を閉じる。
暗い闇の中で、火刑台の上に立っているカテリーナの姿が映し出される。
悲しそうで、辛そうで、何かを訴えるかのような目。
その目が閉じられた時、彼女が炎に包まれ、消えていってしまう。
……そんなこと、絶対にさせない。
「……もういいわ、アベル。私達だけで、何とかしましょう」
ゆっくりと開け、放たれた言葉はどことなく冷たく、しかし少し焦るかのようにアベルに告げた。
「私達には時間がない。こんなことをしている間にも、あの方の目の前に危機が、
刻一刻と迫ってきているのよ。私はそんなの、絶えられないわ」
「そうですね。アントニオさん、トレス君、こうなったら脱出の指揮はあなた達で執って下さい。
市民の皆さんの協力を得るのは難しいかもしれませんが、こんな腰抜けの臆病者まんかに任せるよりは遥かにマシです」
「おいっ!」
アベルの後ろから聞こえる低い怒声に、アベルは振り返ろうとした。
が、その時、彼の頬に、今まで黙っていたセイゲルの拳が振り下ろされたのだ。
それと同時に、市民達がユリウスを庇うように立ちはだかる。
「いい加減にしろよ、このクソ神父! てめぇなんぞに、伯爵様の何が分かるってんだ!
伯爵様はな、それは俺達のことをいつも考えて下さったんだ! それを一度や二度、
みっともないところをみせたからって、腰抜け呼ばわりかよ!」
セイゲルの怒声に、市民達の間から同調の声があがる。
その結束力の硬さに、は驚きながら、彼ら1人1人の顔を見回した。
彼には、慕ってくれる人達がいる。
たとえ臆病者でも、こんなに彼の存在を大事にしている人達がいる。
そして何より、みんなに愛してくれる人達がいる。
少しだけ、羨ましく感じてしまう。
「わ、私でいいのか? 私は情けない男だ。本当にこんな私で……」
「俺達には伯爵様しかいらっしゃいません。みんなで生き残りましょう!」
「あ、ああ……」
歯を食いしばって涙を耐えるユリウスは、自分達を慕ってくれる市民達に向かってただ頷くしかなかった。
その姿を、が微笑ましく見つめ、そしてこの国がどんなに温かい国なのかを知った。
飛行船“タクティクス”を作ったぐらいなので、ある程度の配線だったら出来ます。
が、何分専門分野じゃないため、完璧に治すことは出来ないんですけどね。
さて、ここまではあまり原作をいじっていないのですが、次はちょっとしたオリジナルです。
ま、相変わらずほのぼのとやってます、ということで……(笑)。
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