【第1話 フルムーンデー貸切パーティー】 カレンダーを見れば、もう5月に入っていた。 そろそろ夏の限定スイーツを考案しなくてはいけないと思っていた時に、 入り口の鐘が静かに鳴り出した。 「いらっしゃいませ。……あ」 「こんにちは、クレア様。お久しぶりです」 「Cafe de Lune」の女店主、クレアが視線を入り口に向けると、 そこには黒のスーツに黒のネクタイを締めた、黒い長髪の男が立っていた。 久々に見せる姿に、彼女の顔が少し綻ぶ。 「イザークさん! お久しぶりです! カウンター、空いていますから、どうぞ座って下さい」 「ありがとうございます。……アベル様は?」 「いますよ。アベル、イザークさんが来てるよ!」 奥のキッチンで遅い昼食を取っているであろう主人を呼ぶが、 相手はなかなか姿を現そうとしない。 いつものことなのであるが、さすがにここまで来ると呆れてしまう。 「構いませんよ、クレア様」 「本当、ごめんなさい。お詫びに、今日入荷したダージリン、ご馳走しますわ」 「それは申し訳ない。お代はちゃんと払っていきますよ」 「いえいえ、遠慮しないで下さい。ね?」 「そこまで言うのであれば、お言葉に甘えて。ありがとうございます」 お礼を言うように一礼すると、イザークは案内されたカウンターに腰を下ろす。 その前で、クレアが後ろにある戸棚から、ダージリンの入った瓶を取り出し、 湯銭で温めたポットに入れ、お湯を注いだ。 時間をしっかり計り、茶葉を取り外すと、 ティーセットと一緒に、イザークの前へ差し出した。 「ありがとうございます。――そうそう、本日はクレア様に、1つお願いがあって来たのです」 「私に? アベルじゃなくて?」 「ええ。アベル様でもいいのですが、すぐに却下されそうなので」 「すぐに却下される」という言葉を聞いて、 クレアは誰からの依頼なのかをすぐに把握する。 イザークの頼み事ともなれば、大体発言者は誰かぐらいは予想がつく。 「で、用件とは?」 「来週の『フルムーンデー』を、1日貸切ることが出来るかどうか聞いて欲しいと、カイン様が仰っていまして……」 「『フルムーンデー』を?」 月に1度、満月の夜にだけナイトタイムになる日、「フルムーンデー」。 ガイドブックに載っているほど有名な日であるこの日に貸切を入れてしまっては、 楽しみにしているお客様に申し訳なくなってしまう。 それが例え、男主人であるアベルの双子の兄、カインの頼みであろうと同じである。 「あまり無理を言うな、イザーク」 クレアの助け舟をするかのように、奥から声が聞こえる。 その方へ視線を向ければ、先ほどまで昼食を取っていた人物が、 少し不満そうな顔をして現れたのだった。 「『フルムーンデー』は、月に1回しかない大切な日だ。その日を丸々あいつに貸すわけにはいかない」 「十分承知しております、アベル様。しかし、どうしてもカイン様が、ルシアのために空けて欲しいというものですから」 「ルシアのために?」 イザークの最後の言葉に、クレアが引っかからないわけがなかった。 ルシアと言えば、カインの秘書であり、クレアの大学時代からの友人である。 そう言えば、ちょうど来週、誕生日だったはずだ。 「……分かりましたわ、イザークさん。カインにOKだって伝えて下さい」 「クレア!」 「だって、ルシアの誕生日のためのパーティーなのよ? 友人としては、お祝いするのは当然でしょ?」 「そうかもしれないが……」 「そんなに嫌だったら、先に部屋に戻っていればいいだけの話でしょ? それとも何? アベルは私が友人をお祝いするのが、そんなに嫌なわけ?」 「うっ……」 クレアに睨まれるのが、アベルは一番苦手だった。 これに反発したら、何が起きるか分かったものではない。 「と、言うことで、『フルムーンデー』は1日延期すればいいので、当日は貸切にしておきますわ。料理はこちらでお任せ下さい」 「分かりました。ありがとうございます、クレア様」 「いえいえ、こちらは当然のことをしたまでです。お気になさらず」 「こっちは気になるがな」 反発を試みるが、すぐにクレアに睨まれて止まってしまう。 アベルの方が年上だと言うのに、これではまるで逆である。 「おっと、そろそろ社に戻らなくては。それでは、この件に関しては、カイン様にしかとお伝えておきます。紅茶、ご馳走様でした。いつものことながら、美味しかったですよ」 「お褒めいただき、ありがとうございます、イザークさん。カインとルシアによろしく伝えておいて下さい」 「はい。アベル様も、たまには家の方に顔を出して下さいませ」 「時間があったらな」 時間があっても、顔を出さないだろうに。 クレアは心の内でそう呟きながら、ドアの奥へと消えるイザークを見送っていた。 そして姿が消えると、カウンター席に置いてあるティーポットとティーセットを流し台へと戻した。 その隣で、アベルが邪魔者がいなくなったかのように大きく伸びをする。 「全く、お前も人が良すぎるぞ、クレア」 「アベルに言われたくないわね。……てか、その口調、いつまで続けるの? お客様が釘付けよ」 「え? ……あ」 普段と違う口調のアベルを見逃さないわけがない。 そう言わんばかりに、常連客の視線がアベルに注がれていた。 このままではヤバイと思って咳払いを1つすると、 彼の顔から笑顔が毀れる。 「クレアさん、何かお手伝いすること、ありますか〜?」 「今はないけど、そろそろコーヒー豆がなくなって来たから、補充した方がいいんじゃなくて?」 「あっ、そうですね〜。それじゃ私、豆、取りに行ってきま〜す」 「行ってらっしゃい」 スキップをしながらカウンターを後にするアベルを、 クレアは少し呆れた顔で見つめていた。 そして自分も、トッピング用の生クリームがなくなっていることを思い出し、 ボウルとハンドミキサーの準備をし始めたのだった。 「ま、たまにはこういうのも悪くないわね」 クレアの言葉がアベルに届いたかどうかは、クレア自身知る余地もなかった。 |
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