「Cafe de Lune」は女店主であるクレアが、 元会社の同僚で、現夫である男店主、アベルと共に開店した、1つの「夢」だった。 ご自慢は、クレアが作り出すスイーツの数々とコレクションの紅茶、 そしてアベルが入れるカプチーノなどのコーヒーである。 見所は、月に1度、しかも満月の夜にしか開かないナイトタイムで、 この日を楽しみにしているお客さんがあとを絶たないと言う。 もちろん、フードメニューも充実しており、 特にランチとディナーメニューはどれも絶品である。 ナイトタイムを満月の夜にした理由の1つとして、 クレアが月観測が好きだから、というのが上げられる。 噂によると、彼女の部屋―アベルの部屋でもあるのだが―のベランダには、 大きな天体望遠鏡が置かれているとかいないとか。 月が綺麗に見える場所に店を構えたのも、それが理由と言ってしまってもおかしくないぐらいだ。 店内に入って、少し奥へ進むと、 そこはまさに月観測にぴったりなテラスが備え付けられていて、 「フルムーンデー」になると、毎回争奪戦を繰り広げているのだと、 地方のガイドブックには掲載されていた。 ガイドブックにまで載っているぐらいなため、観光客がここを訪れることも多いらしい。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 では、話を本編へ戻そう。 貸切パーティーは、通常「フルムーンデー」以外のナイトタイム、 つまり、臨時の場合にしか行わない。 だが、相手がアベルの双子の兄な上、祝う人が彼女の友人ともなれば話は別だ。 クレアは前日の「臨時フルムーンデー」の空き時間を使い、翌日の食料確認に余念がなかった。 「クレアさん、これ、明日用ですか?」 「ええ、もちろん。……勝手に開けて食べないでよ、アベル」 「そこまで頑丈に鍵をかけておいて、どうやって開けろと言うんですか?」 「勝手に漁る方が悪いでしょうに。それさえなければ、この鍵も外すわよ」 大食漢のアベルが、仕事場用の冷蔵庫まで漁られたら営業が出来なくなる。 そのこともあってか、クレアは冷蔵庫に頑丈な鍵を掛けるようになったのは、 今に始まった話ではなかった。 3食+おやつまで与えているというのに、彼の胃袋には毎回驚かされるばかりだ。 「こんばんはー」 調理場から出てきたクレアの耳に届いたのは、彼女のよく知っている少女の声だった。 顔を見れば、少し驚いたような表情をしているのがすぐに分かる。 「いらっしゃい、キリエ。学校の帰り?」 「はい。自主練習していたら、遅くなっちゃって。『フルムーンデー』って、今日だったんですか? 私はてっきり、明日かと思ったのですが」 「それが明日、カインの貸切りが入ってね。臨時で今日開けているの」 「カインさんが?」 楽譜の入った鞄を持ってカウンターに座った少女――キリエが首を傾げながら、 クレアが手招くカウンターに腰掛ける。 キリエが注文するものは聞かなくても分かるクレアが、煮沸したポットを取り出すと、 そこにアップルティの茶葉を入れて、お湯を注いだ。 「そう。ほら明日、ルシアの誕生日でしょ? 一緒にお祝いしたいんだって」 「ああ、そう言えばルシア、カインさんから食事のお誘いがあったって言ってました。明日だったんですね」 「そういうこと」 キリエとルシアは従姉妹同士で、頻繁に連絡を取り合っていた。 その関係上、キリエがカインやイザークのことを知らないわけもなく、 相手もキリエの歌声に惚れ込み、自作の歌を提供しようという計画まで上がっているほどなのだ。 どんな曲になるのか予想がつくだけに、クレアもキリエも苦笑が止まらなかったらしいが。 「はい、どうぞ。それと、これ。新作なんだけど、食べてみて」 「わーい! ありがとうございます!!」 アップルティの入ったポットとティーセットと一緒に置いたのは、 今朝、試作品で作ったマロンフィナンシェだった。 キリエは普段から料理やお菓子作りをしていることもあってか、 時々新作を先取りで提供することが多いのだ。 「クレアさん! それ、いつ作ったんですか!?」 「あなたがグーグー寝ている間よ。たまには早起きしたらどう? 体に悪いわよ」 「だったらおやつの時にでも、出してくれてもいいじゃないですか」 「出したら全部食べちゃうでしょうに」 キリエの前に置かれているマロンフィナンシェに釘突けになったのは、 先ほどまでお客様用のカフェラテを淹れてたアベルだ。 先ほど夕食を食べたばかりのはずなのに、もう空腹に襲われているのか。 「アベル、よかったら半分こしようよ。いいですよね、クレアさん?」 「……まあ、キリエがそうしたいのであればしてもいいわよ」 「うわお! ありがとうございます、キリエさん!!」 クレアは何故か、キリエの一言に弱かった。 彼女の父親に毎回頭が上がらないのだから、 その血縁である彼女の言葉に弱いのも頷ける点はあった。 「う〜ん、クレアさんの作るお菓子はいつも美味しいですね〜」 「本当に、美味しいです。これ、マロンペースト使ったんですか?」 「そう。あれ、硬いから緩めるのが大変なのよね。よほど体力が残っている時しか作れないかも」 「モンブランとかも、大変ですよね。私も昔、作ったことがあるから分かります」 「おおっ、キリエさんのお手製お菓子、いいですね〜。私もいつか、ご賞味したいです〜」 「それじゃ今度、作って持ってくるね。クレアさんのに敵うのかは分かりませんが」 「私はキリエが作るものなら大歓迎よ」 「Cafe de Lune」を訪れるお客様のほとんどが、 クレアとアベルの知人や友人、親戚などである。 そのため、仕事中に話に没頭することなど日常茶飯事だった。 それでも2人――特にクレアは、ちゃんと仕事をこなしながらなため、 他のお客様に迷惑をかけるようなことはなかった。 現に今も、テラス席にいるお客様用のデザートを盛り付けながら話している。 「これでよし。私、持っていくね」 「はい。コーヒー、準備した方がいいですか?」 「そうね。お願い」 テラスへ行けば、そこは何組かのカップルで溢れていて、空に浮かぶ月を眺めている。 毎回、この日になると、たくさんのカップルが来店してくるのだ。 それもすべて、このテラスが目的なのは一目同然である。 「本当、毎回大盛況だよね。他の日もやればいいのに」 「クレアさんが、月がきれいに見える日じゃないと嫌だと言うものですからね。その辺りは、私もよく分かりませんが」 「そうなんだ。クレアさん、月、大好きだしね」 「大学の時、天文学を取っていたぐらいですから」 この職場にいる前は、プラネタリウム館に勤めていたぐらい、 クレアは夜空――特に月が大好きだった。 その時、一緒に働いていたのがアベルだったのだ。 彼の場合、一番楽だと思ってこの職を選んだらしいが、 あまりにも熱心に働くクレアの姿に、目を奪われたのだと言う。 「アベルって、クレアさんに一目惚れだったの?」 「えっ、あっ、そうだったかな〜。う〜ん、もう昔の話だから覚えてませんね〜」 「えー。普通、そういうのって覚えているもんじゃないの?」 「そうなんでしょうけど、私ってほら、普段から記憶力ないでしょ? だからこう、すぐ忘れてしまって」 もしここにクレアがいたら、それはすぐに嘘だと見ぬかれることは間違いないだろう。 これも、彼なりの照れ隠しなのだ。 「おまたせ、キリエ。……アベル、顔真っ赤よ。何かあったの?」 「い、いえっ! 何でもないです! きっと、マロンフィナンシェの中に入っていたブランデーですよ、ブランデー!」 「あら、そう? そんなにたくさん入れてないはずだけど」 クレアが疑問そうに首を傾げ、アベルが必死になって弁解する。 そんな光景が、キリエはいつも好きだった。 このほのぼのとした空気が、不思議と心和むらしい。 「あ、そうそう、クレアさん、聞いて下さいよ! この前、クレアさんが言ったように、トレスに人参をごまかして料理に入れたのに、見つかっちゃったんですよ!?」 「えー、あれでも見つかったの!? まるで、お子様じゃないのよ」 「確か、ドゥオ君の時もそうでしたよね。確か……、ピーマン、でしたっけ?」 「うん。こうなったら、本当にハンバーグに混ぜるしか方法がないのかな?」 トレスは、クレアの幼馴染であるカテリーナの下で働く刑事で、 ドゥオは彼の兄である。 2人とも優秀な刑事なのだが、見た目以上に好き嫌いがはっきりしているため、 彼らの夕食を作りに行っているキリエは毎回頭を悩ませていた。 そう言えば、まだ会ったことがないのだが、 彼らの末弟も、警視学校に入学したと言っていた。 「私もいろいろ考えるんだけど、どうしてもそれだけ残すのよね、あの2人」 「やっぱり、クレアさんも駄目だったんですね」 「ええ。まあ、いろいろ考えてみるわ。とりあえず、明日をどうにかしなくちゃ」 「あの、クレアさん、私、思うのですが……」 「そんなに嫌なら、先に部屋に戻っていたらって言ったでしょ? 私1人でも、全然問題ないから」 「うっ……」 そう言われてしまったら、アベルとしても反抗する余地がなくなってしまう。 ここはひとまず、クレアの言う通り、部屋で大人しくしていた方が無難かもしれない。 「アベルって、どうしてそんなにカインさんと仲が悪いの? 兄弟なのに」 「私もよく分からないのよね。どうしてなのよ?」 「その話をし出すと長くなりますし、その上、イライラして来るのでやめておきます」 「……その様子だと、本当に聞かない方がいいかもしれないわね」 「ええ、やめといた方がいいですよ。何せあいつはもう、人を散々振り回しやがって……」 尋常じゃないぐらい目が鋭くなったのを見て、クレアもキリエも思わず冷や汗をかいてしまう。 よほど昔、嫌なことがあったのだろう。 そうじゃなかったら、昔グレていたという噂も嘘になる。 いや、それは嘘であって欲しいのだが。 「クレアさん、もしよかったら、私がお手伝いしますよ」 「え、でもキリエ、学校終わってからで疲れてるでしょ? 悪いわよ」 「大丈夫です。それに、従姉妹である私が何もお祝いしないわけにもいけませんから。お父さんだって、きっと許してくれるし」 「そう? じゃあ、お願いしようかしら」 「はい! 私、頑張ります!!」 これで、アベル代わりの助っ人も出来た。 きっと、アベル以上に役立つであろうと思いながら、 クレアはリストアップしたメニューの内容をキリエに1つ1つ説明していった。 その姿を呆れながらも眺めていたアベルの存在に、 2人が気づいていたかどうかは定かではなかった。 |
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