足音で、誰が店に入ってきたのかが分かるからか、

クレアは客に背を向け姿勢で、手にした生クリームの入った絞り袋を持ったまま、

右人差し指を上にあげた。

 

 

「感謝する、クレア」

 

 

 簡単に礼をして、客は上へと上がっていく。

その姿を、別の客用のコーヒーを淹れ終えたアベルが感心したようにクレアへ言う。

 

 

「さすが、つき合いが長いと分かるんですね」

 

 

 だが、会話はそこで終わってしまった。

クレアが目の前に置かれたデコレーションケーキと格闘していたからというのが理由だが、

それでも耳はアベルの方へ向かっているようで、

かすかにだが自慢そうに笑う音がした。

 

 再び扉が開く音がしたので、アベルはそちらの方へ視線を向ける。

店に入ってきたのは、

隣のハーブティー専門店「アイアンメイデン」の店主であるケイトだった。

 

 

「こんにちは、アベルさん」

「こんにちは、ケイトさん。休憩中ですか?」

「新作のブレンドを作ってみたので、持って来ましたの。……クレアさん、忙しそうですわね」

「大丈夫よ、今、終わったから」

 

 

 タイミングがよかったのか、クレアは大きく息を吐きながら、

手にしていた絞り袋を流しに置いた。

それを見せるかのように向きを変えると、

出来あがったケーキを見たアベルが喚声を上げる。

 

 

「うわお! 今回も素晴らしいイチゴのショートケーキですね〜!」

「誉めてくれてありがとう。食べないでよ

「そ、そんなことするわけないじゃないですか! 失礼だな〜」

「アベルさんだったらやりかねませんわね」

「ケイトさんまで、そんなことを言わないで下さい!」

 

 

 焦るアベルと、クレアとケイトが声を揃えて笑う。

確かに、甘党で大食漢なアベルなら、

ケーキ1ホールなんてぺろりと食べてしまいそうだ。

 

 

「それ、どちらの方のケーキなんですの?」

「今夜、カテリーナの家でパーティーがあるらしくて、それ用のケーキを作ってたの。

これ含めて3ホール作ったから大変だったわよ」

「3ホール!? それじゃ、ずっとケーキと格闘していた、ということですか!?」

「ええ。今日はもう、デコレーションをしたくないわ。ケイト、早速だけど、新作のハーブティー、

淹れてみていいかしら?」

「勿論ですわよ、クレアさん。何なら、あたくしがお淹れましょうか?」

「お客さんに淹れてもらうわけにはいかないから、自分でやるわ」

 

 

 完成したケーキをそっと箱にしまうと、裏のキッチンにある業務用の冷蔵庫に入れる。

アベルの食べられないようにしっかりと錠をかけてからカウンターに戻ると、

使い慣れたポットの中にたっぷりのお湯を注ぎ入れた。

 

 

「そう言えば、先ほどアストさんがここに入るのを見たのですが」

「彼女なら2階よ。きっと、締め切りが近いんだと思う」

「どうやら、職場よりも集中出来ていいんだとかで、煮詰まった時とかによく来るんです」

 

 

 クレアとケイト、そしてアベルの大学時代の友人であり、1級建築士でもあるアスタローシェ・アスランは、

店に姿を現して、2階を作業場として使用することが多かった。

急かす上司や同僚達がいると、気が散って、いいアイディアが浮かばないのだと言う。

ちなみにここ、「Cafe de Lune」の設計も彼女が手掛けたものだった。

 

 

「彼女も大変よね。1人でいくつも担当していた時もあったらしいじゃない」

「ええ。そのたびにここへ来ては、篭ってましたからね」

「フルムーンデー以外は空き部屋ですものね。すぐ外は海ですし、落ち着くんじゃないでしょうか」

「確かに、それはあると思うわ。……これ、ミントが入っているのね。すっきりして美味しい」

「クレアさんにそう言ってもらえると、あたくしも嬉しいですわ」

 

 

 お礼を言うかのように微笑むに、ケイトが肩の荷が下りたのような安堵の表情を浮かべる。

紅茶コレクターで有名なクレアに褒められたのだから、当たり前と言えば当たり前である。

 

 

「ああ、そうそう。マリアージュ・フレイユのダージリンが手に入ったんだけど、持っていく?」

「大事なコレクション、頂いていいんですの?」

「ええ。これのお礼よ」

 

 

 相当お気に召したのか、それとも仕事がひと段落したからか、クレアはとても気分がよかった。

棚に飾ってあった黒い缶を取り出し、その蓋を開ける。

測りの上に空いている小さな瓶を置くと、慎重に茶葉を仕分け始めた。

 

 

「そう言えば、今日はトランディス、来てないのね」

「トランディスさん?」

「ええ。決まって同じ時間に昼寝しに来るのよ。私、ずっと裏にあるキッチンでスポンジ

焼いていたから知らないんだけど……、アベル?」

 

 

 計量をし終え、瓶の蓋を閉めながら視線をアベルに向けると、

まるで電池が切れたかのように動きが止まっていた。

手にしている皿の行方を心配しながら、クレアがゆっくりと声をかける。

 

 

「アベル? どうしたの?」

「何かあったんですの、アベルさん?」

 

 

 クレアと一緒に、ケイトも心配そうに声をかけたのだが、なかなか返事が返って来ない。

どうにかして吐かせようとしたが、

その前にクレアがはっとしたように目を見開いたため、すぐに取りやめた。

 

 

「まさか、トランディスがいるとか言わないでしょうね?」

「いや、その、あのですね。ほら、私もお客さんのコーヒー淹れていたじゃないですか?」

「でも、ずっと淹れていたわけじゃないでしょ?」

「そうですわよ、アベルさん。この際、白状してしまった方が楽になりますわ」

「ううっ、ケイトさんまでそんなことを〜」

 

 

 アベルが涙目になる様子からして、どうやらクレアの予想は的中らしい。

クレアは大きくため息をつきながら、右手を額に当てた。

 

 トランディスとアストは幼馴染みだ。

大学時代、クレアはアストの紹介でトランディスと仲良くなったのだが、

自分よりも仲良さそうに話しているのに嫉妬していたことがあったとかなかったとか。

その前にクレアがアベルと結婚したため、その心配はなくなったのだが、

当の本人は頑固として拒否するため、近頃ではあまりその話もしなくなってしまった。

 

 アストも集中していることだし、トランディスもただ眠っているだけだ。

彼が起き上がるまでに、アストの仕事が終わればいいだけの話だし、

しばらくの間、様子を見てみよう。

そう、思った時――。

 

 

 

 2階から聞こえる叫び声と同時に、

アベルが持っていた皿がするっと地面へ落下し始め、大きな音を立てたのだった。

 

 

 

 











(ブラウザバック推奨)