「で、追い出されたわけね」 「ああ」 割れたお皿を片づけるアベルを尻目に、 クレアは腫れた頬を保冷剤で冷やすトランディスを見つめながら、 大きくため息をついた。 「全く、別に何か悪いことをしたわけでもないのに、どうして俺がこんな目に会わなきゃいけねえんだよ」 「私だって、上にあなたがいるのなんて、知らなかったもの。分かってたら、すぐにでも断っていたわよ」 棘のような言葉が、銀髪の男店主に突き刺さしていく。 それを知ってか知らずか、女店主と被害者である客は、次々に言葉を繋いでいく。 「それは言えてるな。確かに俺はちゃんと断って上に行ったはずだし」 「ええ。それに、あなたが勝手に上がっていくのなんて、考えられないもの。いつもそうだし」 「そういう礼儀はしっかりしとかないとな。…………どうした、アベル?」 「い、いえ、何でもありません。何だかすごく、胸が痛くて……」 相当効果があったのか、アベルは長身な体を小さくし、 割れたお皿を裏へ出しに行くため、カウンターを後にした。 その後ろ姿を見ながら、クレアは思わず吹き出してしまった。 「まあ、あんだけ言えば大丈夫でしょう」 「だといいがな。……しかし、本当に馬鹿力だったぜ。冷やしても冷やしても、痛みが引かねえよ」 必死になって冷やす姿を見て、クレアはふと思った。 ただ単に追い出されただけなら、こんなに大きな腫れを作ることなどなくてもよかったはずだ。 他にも、まだ何かあったのではないだろうか。 「それで、アストに起こされてからどうしたの? ただ単に追い出されただけじゃないんでしょ?」 「ああ。それで――――」 「うるさいなあ。人がいい気持ちで眠っているのに、何してくれるんだ」 「それはこっちの台詞じゃ! どうしてそなたがそこにおる! ここは、余だけのはずだぞ!」 「どうしてって、俺はアベルの許可を貰って、ここで昼寝していただけだぞ」 「(あの、大馬鹿男店主は……!)まあよい。今は余がここを使用している。とっとと外に出よ」 「どうして出なきゃいけねえんだ。先にいたのは俺だぞ」 「でも、もうここにいる必要もないではないか! しかと目が覚めているのだからな」 「アスト、お前、そんなに怒ると嫌われるぞ」 「そ、そんなこと、そなたには関係ない! さあ、早く出て行け!」 「はいはい、分かったよ。……全く、俺が何をしたって言うんだよ」 「……今、何と言った?」 「おれが何をしたって言ったんだよ。なあ、それより、そのカリカリした顔、何とかしろ。 鏡でも持ってくるか? 眉間の皺、増えてるぞ」 「余計なことを言わず、とっととここから出て行け、この無神経男が―――!!!」 「――――結果、この有り様だ」 「……………………」 呆れて物も言えないというのは、まさにこのことを言うのかもしれない。 話を聞き終えたクレアは大きくため息をつくと、 先ほどケイトからもらったハーブティーの残りをティーカップに注ぎ、口に運んだ。 「俺が寝起き悪いことを知っているくせに、こんな扱いされるとはな」 「それは別に、寝起きがいい悪いは関係ないと思うわよ」 「そうか?」 「そうよ。誰だって、そんなことを言われたら怒るって」 確かに言い過ぎたかもしれないが、最初に怒り出したのはアストなのだ。 自分は何も悪くない。 トランディスはアベルが淹れたエスプレッソを喉に通しながら、 心の中でぶつぶつ呟いた。 「アスト、大事な設計の締め切りが近いから、イライラしているのよ。仕事場で作業しても、 上司やら同僚やら、いろいろ言われるから集中出来ないんですって」 「それで、いつも2階を開放しているのか?」 「そういうこと。だから、彼女があそこを使っているのは今に始まったことじゃないのよ」 そのような話を聞いたことがなかったトランディスは、ようやく納得したかのように頷く。 それに、切羽詰った状態のアストがどれだけ機嫌が悪いのか、1番よく知っているのは彼自身だ。 そう考えると、確かに酷いことを言ったのかもしれない。 「ま、作業が無事に終われば、機嫌よく下りてくるわよ。あ、そうそう。今のうちにベイクド チーズケーキの飾り用の生クリームでも泡立てておきましょうか」 「ベイクドチーズケーキ? レアチーズケーキと違うのか?」 「レアチーズケーキは冷やすんだけど、ベイクドチーズケーキは焼いてあるの。アストは作業が終わると、 これとアベルが淹れるカプチーノを飲むのが習慣になっているのよ」 「ふーん」 いくつかの器具を出して、生クリームを取りに奥のキッチンへ消えるのを見つめながら、 トランディスは未だヒリヒリする頬にあてている保冷剤を裏返した。 まだ数分しかあててないのに、すでに冷たい感触が失われようとしている。 一体、あの体のどこにこんな力があるのだろうか。 「…………まあ、半分は俺のせいか」 ポツリと置かれたエスプレッソを見つめながら、誰にも聞こえないぐらいの声で呟く。 まだ眠気が残ってはいるが、今はもう一眠りしたい気分ではなかった。 「はあ、面倒くさ……」 ため息を漏らしながら、頬から保冷剤を外すと、それをテーブルの上に置いた。 どうやら、もう効き目がなくなってしまったらしい。 「まあ、いつものことと言えば、いつものこと、か……」 「何が、いつものことなんですか?」 突然、前方から聞こえた声に、トランディスは一瞬ビクッとなった。 慌てて視線を動かせば、内容の筋が見えないといった表情のアベルが首をかしげていた。 「アベル、お前、いつからここに?」 「2・3分ぐらい前ですよ」 「だったら、声かけろよ」 「ちゃ〜んとかけましたよ。けど、反応がなかったので、心配したんです。私、そこまで影が 薄いのかと思って、焦りましたよ〜」 周りの声が聞こえないぐらい思いにふけっていたことが分かり、 トランディスは再び大きくため息をついた。 その理由が分からないアベルは、頭上にたくさん「?」を浮かべている。 「トランディスさん、本当にどうかなさったんですか?」 「いや、大したことじゃないんだが……、……そう言えば、アスト、お前が淹れるカプチーノが お気に入りらしいな」 「ええ。アストさんは作業が終わると、決まって私が淹れるカプチーノを注文されますが……、 それが何か?」 「ああ、いや、ただ聞いてみただけだ。……アベル」 「はい、何でしょう?」 「1つ頼みがあるんだが、聞いてくれるか?」 「内容にもよりますけど、どのような用件で?」 その内容は、特にアベルが困るようなものではなかったため、 彼はすぐに了承した。 そしてキッチンから戻ってきたクレアにも何かを頼み、 クレアが微笑みながらも了解したのだった。 |
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